日刊幼女みさきちゃん!

下城米雪

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第二章 仕事と子育て

準備をした日(前)

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 あれからも何度か会議を重ねて、ついに本番前日を迎えた。
 物も人も用意されているし、当日の予定や動き方まで決まっているが、肝心の劇について何かをするのは今日が初めてだ。これまでは、各自が家で台本を読んで自主練習するということになっていた。主に自主練習するのは女性組なのであって、俺には関係無いのだが……。

「……また呼ばれてない人が来ています」
「そりゃリハーサルなんだから来るだろ」
「受付係がリハーサル……?」
「ほっとけ」

 公民館の中にあるホールに現れた戸崎結衣は、俺の姿を見付けた瞬間に毒を吐いた。相変わらず嫌われているらしい。

 当初はホールに五十人も入るのかという不安があったが、一度中に入ってみれば全く問題ないと分かる。ここはどうやら音楽関係のコンサートやらコンクールやらが行われる場所らしく、座席の数も相応に充実していた。

 あまりにもしっかりした場所で、ここで数人の子供の為に人形劇をやるとなると、場所を無駄遣いしている感が否めない。その点で見れば、多くの子供を集めた佐藤は迷惑なだけでは無いのかもしれない。

 まず俺は、通常の座席に子供用の椅子を運んだ。先頭に座る子はいいが、二列目以降に座る子は前の座席が高くて舞台が見えないだろう。そもそもちゃんと座ってられるのかって問題があるが、そこは当日考えるしかない。

 俺がせっせと子供用の箱みたいな椅子を準備室から運ぶ間、てっちゃんは調光室に入って照明の調整、女性三人は舞台の用意と簡単な打ち合わせをしていた。

 こうして遠くから見ると、やはり戸崎結衣の存在感は凄い。悔しいが、俺の思い描く立派な大人の姿にピタリと当てはまる。彼女は今日もスーツを着ていて、恐らく練習が終わったら仕事へ向かうのだろう。きっと彼女は父母の会の為に相当無理して時間を調整している。それでも泣き言ひとつ言わず、形を成していなかった会をいとも簡単にまとめ上げて、今日という時間を成立させた。

 そんな人物が、しかし俺と話をする時はガキみたいな行動をするのだから意味が分からない。育ちが良すぎて怒り方を知らないのだろうか? 

 やがて人形劇の練習が始まった。
 ちょうど椅子を運び終わった俺は、適当な席に座ってそれを見る。

 舞台の真ん中に机みたいのが置いてあって、そこに黒い布みたいなのが被せられている。三人はあの布に隠れているのだろう。

「――昔々あるところに、ドンジュアンというとってもかっこいい人がいました」

 まずは舞台が少し暗くなり、戸崎結衣のナレーションから話が始まった。生の声ではなくマイクを使うらしい。それにしても……あいつプロかよ上手過ぎる。ほんと出来る奴ってのは何をやらせても出来るよな……。

 さて、ここらでヴェローナ物語について説明しておこう。いろんな人が書いているから、物によって内容が変わったりするが、あらすじはだいたいこんな感じだ。

 ドンジュアンという女癖の悪いイケメンが遊び過ぎたせいで彼の家は財政難に陥った。そこで親達は政略結婚を決め、彼にジュリアンという婚約者をつける。しかし遊び足りない彼は、なんやかんやジュリアンを言い包め、スガナレルというオッサンと共に女を食う旅に出た。怪しいと思ったジュリアンは男装して彼を追いかける。そうして両者が辿り着いた場所というのが、ヴェローナ。かの有名なロミオとジュリエットを有する両家が小競り合いを繰り返す治安の悪い場所だった。そこでドンジュアンは真の愛を手に入れ、ついでにロミオ達を待ち受ける悲劇を喜劇へと導く。

 子供が楽しめるかどうか甚だ疑問だが……どこから拾って来たのか、はたまた自作したのか、あいつが持ってきた台本は見事に子供向けの内容になっていた。愛とか悲劇とか、そういう難しい話はほとんど切り捨てて、コミカルな部分を上手く拾い集めている。俺も何度か読んだが、桃太郎とか、そういう話より遥かに面白いと思った。子供の感性にもハマると思う。

「お、おれはドンジュアンっ。ちょーかっこいい男だ!」

 演技さえ、まともなら。
 この声は確かピアスの人の声だ。緊張してるのか、はたまた芝居とか苦手なのか、明らかに硬さがあった。直前に戸崎結衣のナレーションを聞いたせいで感覚が狂っているのかもしれないが、素人だという点を差し引いても彼女の演技は……まぁ、子供はそんなこと気にしないか。

「すみません、ちょっと緊張しちゃって」
「大丈夫です、落ち着いて続けてください」

 ……マイクついてるぞ。

「オレハドンジュアンっ、チョーかっこいいオトコだぁ!」
「わぁたしくはスガナレル。ドンジュアン様のお友達でございます!」

 ……ノンピアスの人はスゲェノリノリだな。しかもうまい。

 こんな具合に、俺は心の中で感想を言いながら練習を見守っていた。

 リハーサルの時間は五時間が予定されている。普段は三十分程度で会議を終わらせると即座に仕事へ向かっていた戸崎結衣も、今日ばかりは長く時間を取れたようだ。

 それにしても、練習を見ているとウズウズする。ドンジュアン役は俺にやらせてくれよ。なんつうか、自由に生きてるとことか俺そっくりだしピッタリだろ。超かっこいいし。

 冗談はさておき、ドンジュアンという登場人物には少しばかり共感できた。彼の女癖の悪さは褒められたものではないが、愛を求めるが故に愛に絶望し、諦めながらも諦められない。その気持ちは少しだけ理解出来る。みさきと出会う前の俺に、よく似ている。

 そう考えると、バッチリ子供向けの話だ。その子供は、ちょっと大きいけどな。



 昼休憩。
 予定された休憩時間は三十分で、各自で用意した弁当を食べる……という情報を聞かされていなかった俺は、とぼとぼ歩いて近くのコンビニでパンを買って食べた。ついでに人数分のお茶を買って戻る。見たところ飲み物は持ってなかったからな。

 そんなこんなで公民館の駐車場まで戻って来た時、声が聞こえた。

「い、いいかいロミオ。い、いえのヒトタチニハ、おれのことは、せんせーと言うんだ!」

 ピアスの人だ。
 休まず練習してんのか……。

「お茶どうぞ」
「え? あっ、天童さん、すみません……」

 練習している姿を見られたからか、彼女は照れたような困ったような表情を浮かべて、俺の差し出したペットボトルを受け取った。

「その、邪魔してすみません。でもなんつうか、休憩は取った方がいいっすよ」
「あはは、ありがとうございます……けど、なんだか落ち着かなくて」

 そう言って、ピアスの人は手に持っていた台本に目を落とした。つられて見た先には、随分と読み込んだ後のある台本があった。ページの端にはいくつも皺が出来ていて、台詞の部分には蛍光ペンで線が引いてある。その周りには「ゆっくり!」とか「おちつく!」とか、沢山のメモが書かれていた。

「……」

 かける言葉が見つからない。そうして黙っていると、代わりに彼女が口を開いた。

「私、頑張りたいんです」

 クシャリと、紙が折れる音がした。
 目を向けると、彼女が台本を持つ手を握りしめていた。

「今迄何もしてこなかったというか、漫然と生きて来たというか……戸崎さんって本当に凄くて、そんな人と一緒に何か出来ることが嬉しくて……私、息子に『ママ人形劇やるんだよ』って話したんです。そしたらビックリするくらい喜んでくれて、友達に自慢するねって……でも、このままじゃ笑われるだけですよね。だから、少しでも上手くなりたくて……」

 話を聞いて、少し意外だと思った。これまでの会議で、俺はこの人を消極的な人だと思い込んでいた。でも実際は、こんなにも……。

「なんて、楽しいからってのが一番なんですけどね。すみません、お茶ありがとうございました」
「……ああ、いえ、全然いいっすよ」
「戻ります。さ、午後も頑張ろう!」

 自分に言い聞かせるようにして、彼女は公民館の中に戻って行った。
 その背中を見送ったあと、俺は慌てて追いかける。

 かっこいいと思った。
 恥ずかしいなんてことは無い。
 ヘタクソとか、ダメダメとか、そんなの関係無い。
 頑張ってる人は、かっこいい。
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