119 / 221
第四章 昔のこと
再会
しおりを挟む
最初に感じたのは驚きだった。
その後は昔のことを一気に思い出して、少しだけ怖くなった。
話したいことが山のようにある。
しかし何から話せば良いのか分からない。
朱音は、どう思っているのだろうか。
どうやら最初は俺が生きていたことを喜んでくれたようだ。
では、その後は?
しかし直後に彩斗が俺達を引き離したから、会話が始まることは無かった。
それから仕事を始めたものの、集中することは難しかった。
ほとんど彩斗が一人で喋り続け、あっという間に昼休憩の時間になった。
「なに、元カノ?」
「違う」
昼休みの間、俺は彩斗に拘束され、朱音は従業員達に拘束されていた。
午後の仕事でも彩斗が常に隣でサポート、もとい監視していたから会話のチャンスは無く、結局なにも話せないまま終業時間を迎えた。その分だけ仕事の話は出来たと思うのだが、あまり記憶に残っていない。
そして帰り道。
ここでも彩斗が騒いだが、従業員達が気を回してくれたことによって、俺と朱音は二人で駅まで歩くことになった。しかし再会してから時間が経ってしまったせいか、どちらも口を開けずにいた。
「……ここ、どっちだ?」
「……あ、えっと、右」
結局、駅に着くまでにあった会話は道の確認だけ。
この駅は線が二つしか無い無人駅で、向かい合うホームが簡易的な柵で囲まれているだけ。ホームの様子は外からも丸見えで、どうやら駅の周辺には俺と朱音の二人しかいないようだ。
「……」
「……」
俺は足を止めて、言葉を探していた。
朱音も足を止めて、きっと同じように言葉を探している。
俺が一番話したいことは、あの時のことだ。偉そうな事を言ったくせに何も出来ず、最後は何も言わずに朱音から逃げてしまったことを謝りたい。許してもらえるとは思っていないけれど、何も言わずにはいられない。だけど、どうしてか口に出すことが出来ない。直前で何かに押さえつけられて、息が苦しくなる。
朱音を一瞥すると偶然にも目が合って、反射的に目を逸らした。
彼女は何を考えているのだろう。俺と同じように、あの時について話そうとしているのだろうか。
果たして無言のまま時間が流れ、電車の接近を知らせる自動音声が流れた。
「俺、この電車だから」
「……そっか」
「朱音は?」
「……逆」
ワンテンポ遅れた会話は、どうしようもなくぎこちない。
声も小さくて、目を合わせることも出来ない。
やがて踏切が電車の接近を知らせる音を鳴らし、俺はそれを合図にして改札を通った。
「龍誠!」
その直後に呼び止められて、振り返る。
朱音は真っ直ぐに俺の目を見て、ようやく重い口を開いた。
「また明日」
「……ああ、そうだな」
こうして、奇跡的に再会したというのに、俺達は大した話をすることなく別れた。それは明日も会うことが出来るという安心感からか、それとも昔の話をすることへの恐怖心からか……。
恐怖心だとしたら、朱音は何を恐れているのだろう。彼女には一切の非が無いのだから、何も恐れる必要は無い。むしろ一方的に俺を糾弾出来る立場に居るはずだ。
ならば、朱音にも何か心に引っかかっていることがあるのだろうか。そうだとしたら、その勘違いを正す責任は俺にある。
そう頭では理解していても、行動に起こすことは出来なかった。
次の日も、その次の日も、この日と同じような時間を過ごした。
一方で仕事について。
人手不足を機械によって解消したいという相談には、初日の午前中に提案を済ませた。朱音はそれを快諾し、その日の午後から具体的な設計が始まった。
俺がアイデアを言って、彩斗がダメ出しをする。それを繰り返しながら、より良い物を目指す。そういうやり方をしていた。きっと彩斗が考えれば一日で終わるようなことなのだろうが、彼は俺のサポートに徹していた。
朱音とは、仕事について必要最低限の話をするだけだった。
果たして自動化が完了して工場を去ることになっても、仕事以外の話はしなかった。
だがこれで会わなくなるということは無くて、システムの保証期間として一年間は不具合に対処することになっている。
この仕事が終わってからは、初めての仕事に不具合が出て欲しく無いという思いと、また朱音に会う機会が欲しいという思いが頭の中でグルグル回っていた。
しかし思ったよりも上手な仕事が出来たようで、一ヶ月以上経っても呼び出されることは無かった。みさきの夏休みが終わった頃、それについて安堵すると同時に、少しだけ落胆した。
せめて、みさきの前では悩んでいる姿を見せないようにしよう。
そう思っていたのだが、どうやら結衣には気付かれてしまっていたらしい。
みさきと買い物に行った日、あいつと話をした。
そこで俺は、このままではダメだと強く思った。
きちんと話をするべきだ。
そうしないことには、前に進めない。
昔の俺は物事を深く考えることは無かった。やりたいことを思うがままに実行していた。そのせいで手痛い失敗をして、何かをすることが怖くなった。だからみさきと出会ってからは、いつも悩んでいた。悩んで悩んで、だけど時間は待ってくれくて、最後はいつも目を瞑って飛び込むかのような感覚だった。それでも上手く行ったのは、支えてくれた人がいるからだ。
だけど今回は、他の人を頼ることは出来ない。
きっと、ようやく自分の力だけで歩き出す時が来たのだ。
朱音と話をしよう。今度こそ逃げずに、きちんと話をしよう。
そして俺が覚悟を決めるのを待っていたかのように、会社に連絡が入った。
再び訪れた工場は、前に来た時よりも恐ろしい場所に思えた。あの時と違って隣に頼れる先輩は居ない。けれど仕事については何の不安も無くて、俺の緊張は全て私情によるものだ。
相変わらず働く場所を間違えているとしか思えない従業員達に好奇の目を向けられながら黙々と作業を続けて、昼休みが始まる前にはシステムの正常な稼働を確認した。不具合といっても、事前に想定していた内容について機械が警告を出しただけのことで、解決するのは容易だった。
それを責任者である朱音に報告し、詳細を説明した後、今日の本題を口にした。
「昼休憩、少し付き合ってくれないか」
朱音は、
「……分かった」
僅かな間の後、静かに頷いた。
工場の付近には、ほとんど何も無い。最寄りのコンビニは歩いて十五分ほどの所にあり、とても近いとは言えない。だから朱音と従業員達は事前に昼食を用意している。俺も今回は飲み物だけを事前に購入した。
それを飲みながら工場の出入口で待つこと数分。昼食を持った朱音が、一人で現れた。
「……お待たせ」
「いや……大丈夫だ」
いきなり気まずい。
「近くに、座れる場所はあるか?」
「……無い。けど、日陰になってるところは、結構涼しい」
「なら、そこに行こう」
「……分かった」
俺は平静を装ってはいるが、心拍数はやばいことになっていた。それを悟られないように努めながら、歩き始めた朱音の後に続く。
それから少しだけ歩いて、朱音はいつかと同じように壁際に腰を下ろした。俺も少し遅れて、彼女から一人分くらい離れた位置に腰を下ろした。
朱音が言った通り、この場所にはどこからか風が吹き込んできているようで、そこそこ涼しい。だが景色はコンクリートばかりの殺風景で、見る物を探しても空に浮かぶ雲くらいしかない。
俺は乾いた口を潤す為に、残った飲み物を一気に飲み込んだ。
そして右手を強く握り締め、口を開く。
「懐かしいな、こうやって昼飯を食べるの」
声のトーンはいつも通りだったけれど、その代わり面白いくらいに震えていた。
「……そうだな。七年振りだ」
朱音もまた、仕事の時とは違った調子の声を出した。
「そうか。そんなに経つのか……」
「……そうだ。そんなに経ったんだ」
その言い方に、少しだけ緊張が解れたような気がした。
朱音は最後に会った時よりも大人びて見えて、かなり印象が変わっていたのだ。身長こそ逆転したものの、それ以外の所も逆転してしまっているような印象を受けたのは記憶に新しい。
あの頃の朱音は手のかかる子供という感じだったが、工場に居る朱音は立派な大人に見えた。だけど少し話してみて、その言葉遣いや口調が昔と変わっていない事に気が付いた。
「朱音、大人っぽくなったな」
「……そうか? 龍誠は、背が伸びたな」
朱音の方に目を向けると、彼女は俯いて首の後ろに手を当てていた。そのせいで表情は見えないけれど、なんだかとても懐かしい気分になる。
「朱音は、身長はあまり変わってないな」
「……龍誠と会ったくらいから止まってるっぽい。完全に」
「早熟だったんだな」
「……そうかもな」
あっさりと、拍子抜けするくらい簡単に会話が続いた。当たり障りの無い内容だけれど、少し前はこんな会話すら出来なかったのだ。こんな簡単な会話をする為に、随分と時間がかかってしまった。
しかし今日の目的はこんな会話をすることではない。
きちんとあの日の事を謝るんだ。
「朱音、あの時のこと」
話そうとした瞬間、酷い目眩に襲われた。あの日の後悔が、消すことの出来ない過去が一気に浮かび上がって、今直ぐにでも逃げ出したいくらいに手足が震えた。背中は冷や汗で冷たくなっていて、少し前に飲み物を含んだばかりの口は砂漠を長時間歩いたかのように枯れている。
……逃げるな。言うんだ。
「あの時のこと、謝らせてくれ!」
やっと口にすることが出来た言葉は、自分でも驚くくらい力が入っていた。
「偉そうな事を言っておいて、結局何も出来なかった。そのせいで、朱音に辛い思いをさせた。全部俺のせいだ。本当に、悪かった」
地面に手を付いて頭を下げた。
そのまま朱音の言葉を黙って待っていた。
どんな非難でも受け入れるつもりでいた。
「……聞きたいこと、いろいろある」
どれくらい時間が経っただろうか。
朱音は小さな声でそう言った。
「……あの後、どうして何も言わずにいなくなったんだ?」
予想外の言葉だった。
「俺は……逃げたんだ」
その時の事を思い出しながら、俺は言う。
「朱音に会うのが怖くて、逃げた。それだけだ」
言い訳はしない。ただ正直に、理由を言った。あの時の俺は、とにかく何も考えたく無いと思っていた。何もかも忘れて、どこかへ逃げ出したいと思っていた。
「……なんで、オレに会うのが怖いと思ったんだ」
「それは……きっと否定されたくなかったからだ」
朱音の問に即答することは出来なかった。だから少し考えて、こう答えた。
「……どういう意味だ?」
「俺は、朱音に否定されることが怖かった。お前のせいだって、お前のせいでこうなったんだって、はっきり言われることが怖かったんだ」
「……そうか。そうだったのか」
どうやら俺の言葉を聞いて朱音は納得したらしい。
果たして彼女はどう思ったのだろうか。俺は何度だって殴れられる覚悟をして、次の言葉を待った。
「……オレのことが嫌になったわけじゃ、無かったんだ」
だから、この言葉は聞き間違いなのではないかと思った。
しかし朱音は嬉しそうな声で言葉を続ける。
「オレ、てっきり龍誠に嫌われたのかと思ってた」
「なんで、そんなこと」
「だって突然いなくなるから」
「それは、だから……朱音こそ、俺のことを恨んでたりしないのか?」
「恨む? なんでだよ」
「俺がいなければ、もっとマシな結果になってたはずだ」
俺が必死な声音で言うと、朱音は耐え切れなくなったような様子で笑った。
「……ばーか」
「なっ……」
そのまま、腹を抱えて笑い始めた。
呆然とする俺の前でひとしきり笑った後、朱音は俺の方を向いて言う。
「あれが最高だったに決まってんだろ。なんだ、龍誠、そんな風に思ってたのかよ」
朱音は心底楽しそうに、
「龍誠だけが、オレの味方だった。他のオッサン達みーんな逃げたのに、龍誠だけは逃げなかった。それだけで、オレがどんだけ嬉しかったか分かるか?」
目には安堵したような涙が浮かんでいて、
「絶対ムリって誰でも分かるような状況なのに、龍誠だけは諦めなかった。結局ダメだったけど、あの後、辛いことがあるといつも龍誠の事を思い出した。オレも頑張らなきゃって、そう思えた」
とても懐かしい声で、朱音は言う。
「龍誠は、オレのヒーローだ」
その一言で、限界だった。
「……相変わらず、優しいな、朱音は。でも無理するな、正直に言ってくれ」
「全部ほんとのことだ。オレが嘘付いたことなんて無いだろ?」
顔を上げると、景色は少しぼやけていた。
そこには、ずっと昔に見慣れて、だけどもう二度と見ることは無いと思っていた笑顔があった。
「……ああ、そうだったな」
結局、この話のオチはこんなことだった。
俺が一人で勝手に思い悩んでいただけで、朱音は少しも俺のことを恨んでなんかいなかったのだ。
こんな簡単で、これ以上無いくらい幸せな答えを知るために、俺はどれだけ回り道をしたのだろう。
「やーい、龍誠泣いてるー」
「うるさい、目にゴミが入っただけだ」
絶対に取り戻せないと思っていた時間は、しかし手を伸ばせば直ぐ届くところにあった。
それが言葉に出来ないくらい嬉しくて、涙になって次々と溢れだして、止まらなかった。
その後は昔のことを一気に思い出して、少しだけ怖くなった。
話したいことが山のようにある。
しかし何から話せば良いのか分からない。
朱音は、どう思っているのだろうか。
どうやら最初は俺が生きていたことを喜んでくれたようだ。
では、その後は?
しかし直後に彩斗が俺達を引き離したから、会話が始まることは無かった。
それから仕事を始めたものの、集中することは難しかった。
ほとんど彩斗が一人で喋り続け、あっという間に昼休憩の時間になった。
「なに、元カノ?」
「違う」
昼休みの間、俺は彩斗に拘束され、朱音は従業員達に拘束されていた。
午後の仕事でも彩斗が常に隣でサポート、もとい監視していたから会話のチャンスは無く、結局なにも話せないまま終業時間を迎えた。その分だけ仕事の話は出来たと思うのだが、あまり記憶に残っていない。
そして帰り道。
ここでも彩斗が騒いだが、従業員達が気を回してくれたことによって、俺と朱音は二人で駅まで歩くことになった。しかし再会してから時間が経ってしまったせいか、どちらも口を開けずにいた。
「……ここ、どっちだ?」
「……あ、えっと、右」
結局、駅に着くまでにあった会話は道の確認だけ。
この駅は線が二つしか無い無人駅で、向かい合うホームが簡易的な柵で囲まれているだけ。ホームの様子は外からも丸見えで、どうやら駅の周辺には俺と朱音の二人しかいないようだ。
「……」
「……」
俺は足を止めて、言葉を探していた。
朱音も足を止めて、きっと同じように言葉を探している。
俺が一番話したいことは、あの時のことだ。偉そうな事を言ったくせに何も出来ず、最後は何も言わずに朱音から逃げてしまったことを謝りたい。許してもらえるとは思っていないけれど、何も言わずにはいられない。だけど、どうしてか口に出すことが出来ない。直前で何かに押さえつけられて、息が苦しくなる。
朱音を一瞥すると偶然にも目が合って、反射的に目を逸らした。
彼女は何を考えているのだろう。俺と同じように、あの時について話そうとしているのだろうか。
果たして無言のまま時間が流れ、電車の接近を知らせる自動音声が流れた。
「俺、この電車だから」
「……そっか」
「朱音は?」
「……逆」
ワンテンポ遅れた会話は、どうしようもなくぎこちない。
声も小さくて、目を合わせることも出来ない。
やがて踏切が電車の接近を知らせる音を鳴らし、俺はそれを合図にして改札を通った。
「龍誠!」
その直後に呼び止められて、振り返る。
朱音は真っ直ぐに俺の目を見て、ようやく重い口を開いた。
「また明日」
「……ああ、そうだな」
こうして、奇跡的に再会したというのに、俺達は大した話をすることなく別れた。それは明日も会うことが出来るという安心感からか、それとも昔の話をすることへの恐怖心からか……。
恐怖心だとしたら、朱音は何を恐れているのだろう。彼女には一切の非が無いのだから、何も恐れる必要は無い。むしろ一方的に俺を糾弾出来る立場に居るはずだ。
ならば、朱音にも何か心に引っかかっていることがあるのだろうか。そうだとしたら、その勘違いを正す責任は俺にある。
そう頭では理解していても、行動に起こすことは出来なかった。
次の日も、その次の日も、この日と同じような時間を過ごした。
一方で仕事について。
人手不足を機械によって解消したいという相談には、初日の午前中に提案を済ませた。朱音はそれを快諾し、その日の午後から具体的な設計が始まった。
俺がアイデアを言って、彩斗がダメ出しをする。それを繰り返しながら、より良い物を目指す。そういうやり方をしていた。きっと彩斗が考えれば一日で終わるようなことなのだろうが、彼は俺のサポートに徹していた。
朱音とは、仕事について必要最低限の話をするだけだった。
果たして自動化が完了して工場を去ることになっても、仕事以外の話はしなかった。
だがこれで会わなくなるということは無くて、システムの保証期間として一年間は不具合に対処することになっている。
この仕事が終わってからは、初めての仕事に不具合が出て欲しく無いという思いと、また朱音に会う機会が欲しいという思いが頭の中でグルグル回っていた。
しかし思ったよりも上手な仕事が出来たようで、一ヶ月以上経っても呼び出されることは無かった。みさきの夏休みが終わった頃、それについて安堵すると同時に、少しだけ落胆した。
せめて、みさきの前では悩んでいる姿を見せないようにしよう。
そう思っていたのだが、どうやら結衣には気付かれてしまっていたらしい。
みさきと買い物に行った日、あいつと話をした。
そこで俺は、このままではダメだと強く思った。
きちんと話をするべきだ。
そうしないことには、前に進めない。
昔の俺は物事を深く考えることは無かった。やりたいことを思うがままに実行していた。そのせいで手痛い失敗をして、何かをすることが怖くなった。だからみさきと出会ってからは、いつも悩んでいた。悩んで悩んで、だけど時間は待ってくれくて、最後はいつも目を瞑って飛び込むかのような感覚だった。それでも上手く行ったのは、支えてくれた人がいるからだ。
だけど今回は、他の人を頼ることは出来ない。
きっと、ようやく自分の力だけで歩き出す時が来たのだ。
朱音と話をしよう。今度こそ逃げずに、きちんと話をしよう。
そして俺が覚悟を決めるのを待っていたかのように、会社に連絡が入った。
再び訪れた工場は、前に来た時よりも恐ろしい場所に思えた。あの時と違って隣に頼れる先輩は居ない。けれど仕事については何の不安も無くて、俺の緊張は全て私情によるものだ。
相変わらず働く場所を間違えているとしか思えない従業員達に好奇の目を向けられながら黙々と作業を続けて、昼休みが始まる前にはシステムの正常な稼働を確認した。不具合といっても、事前に想定していた内容について機械が警告を出しただけのことで、解決するのは容易だった。
それを責任者である朱音に報告し、詳細を説明した後、今日の本題を口にした。
「昼休憩、少し付き合ってくれないか」
朱音は、
「……分かった」
僅かな間の後、静かに頷いた。
工場の付近には、ほとんど何も無い。最寄りのコンビニは歩いて十五分ほどの所にあり、とても近いとは言えない。だから朱音と従業員達は事前に昼食を用意している。俺も今回は飲み物だけを事前に購入した。
それを飲みながら工場の出入口で待つこと数分。昼食を持った朱音が、一人で現れた。
「……お待たせ」
「いや……大丈夫だ」
いきなり気まずい。
「近くに、座れる場所はあるか?」
「……無い。けど、日陰になってるところは、結構涼しい」
「なら、そこに行こう」
「……分かった」
俺は平静を装ってはいるが、心拍数はやばいことになっていた。それを悟られないように努めながら、歩き始めた朱音の後に続く。
それから少しだけ歩いて、朱音はいつかと同じように壁際に腰を下ろした。俺も少し遅れて、彼女から一人分くらい離れた位置に腰を下ろした。
朱音が言った通り、この場所にはどこからか風が吹き込んできているようで、そこそこ涼しい。だが景色はコンクリートばかりの殺風景で、見る物を探しても空に浮かぶ雲くらいしかない。
俺は乾いた口を潤す為に、残った飲み物を一気に飲み込んだ。
そして右手を強く握り締め、口を開く。
「懐かしいな、こうやって昼飯を食べるの」
声のトーンはいつも通りだったけれど、その代わり面白いくらいに震えていた。
「……そうだな。七年振りだ」
朱音もまた、仕事の時とは違った調子の声を出した。
「そうか。そんなに経つのか……」
「……そうだ。そんなに経ったんだ」
その言い方に、少しだけ緊張が解れたような気がした。
朱音は最後に会った時よりも大人びて見えて、かなり印象が変わっていたのだ。身長こそ逆転したものの、それ以外の所も逆転してしまっているような印象を受けたのは記憶に新しい。
あの頃の朱音は手のかかる子供という感じだったが、工場に居る朱音は立派な大人に見えた。だけど少し話してみて、その言葉遣いや口調が昔と変わっていない事に気が付いた。
「朱音、大人っぽくなったな」
「……そうか? 龍誠は、背が伸びたな」
朱音の方に目を向けると、彼女は俯いて首の後ろに手を当てていた。そのせいで表情は見えないけれど、なんだかとても懐かしい気分になる。
「朱音は、身長はあまり変わってないな」
「……龍誠と会ったくらいから止まってるっぽい。完全に」
「早熟だったんだな」
「……そうかもな」
あっさりと、拍子抜けするくらい簡単に会話が続いた。当たり障りの無い内容だけれど、少し前はこんな会話すら出来なかったのだ。こんな簡単な会話をする為に、随分と時間がかかってしまった。
しかし今日の目的はこんな会話をすることではない。
きちんとあの日の事を謝るんだ。
「朱音、あの時のこと」
話そうとした瞬間、酷い目眩に襲われた。あの日の後悔が、消すことの出来ない過去が一気に浮かび上がって、今直ぐにでも逃げ出したいくらいに手足が震えた。背中は冷や汗で冷たくなっていて、少し前に飲み物を含んだばかりの口は砂漠を長時間歩いたかのように枯れている。
……逃げるな。言うんだ。
「あの時のこと、謝らせてくれ!」
やっと口にすることが出来た言葉は、自分でも驚くくらい力が入っていた。
「偉そうな事を言っておいて、結局何も出来なかった。そのせいで、朱音に辛い思いをさせた。全部俺のせいだ。本当に、悪かった」
地面に手を付いて頭を下げた。
そのまま朱音の言葉を黙って待っていた。
どんな非難でも受け入れるつもりでいた。
「……聞きたいこと、いろいろある」
どれくらい時間が経っただろうか。
朱音は小さな声でそう言った。
「……あの後、どうして何も言わずにいなくなったんだ?」
予想外の言葉だった。
「俺は……逃げたんだ」
その時の事を思い出しながら、俺は言う。
「朱音に会うのが怖くて、逃げた。それだけだ」
言い訳はしない。ただ正直に、理由を言った。あの時の俺は、とにかく何も考えたく無いと思っていた。何もかも忘れて、どこかへ逃げ出したいと思っていた。
「……なんで、オレに会うのが怖いと思ったんだ」
「それは……きっと否定されたくなかったからだ」
朱音の問に即答することは出来なかった。だから少し考えて、こう答えた。
「……どういう意味だ?」
「俺は、朱音に否定されることが怖かった。お前のせいだって、お前のせいでこうなったんだって、はっきり言われることが怖かったんだ」
「……そうか。そうだったのか」
どうやら俺の言葉を聞いて朱音は納得したらしい。
果たして彼女はどう思ったのだろうか。俺は何度だって殴れられる覚悟をして、次の言葉を待った。
「……オレのことが嫌になったわけじゃ、無かったんだ」
だから、この言葉は聞き間違いなのではないかと思った。
しかし朱音は嬉しそうな声で言葉を続ける。
「オレ、てっきり龍誠に嫌われたのかと思ってた」
「なんで、そんなこと」
「だって突然いなくなるから」
「それは、だから……朱音こそ、俺のことを恨んでたりしないのか?」
「恨む? なんでだよ」
「俺がいなければ、もっとマシな結果になってたはずだ」
俺が必死な声音で言うと、朱音は耐え切れなくなったような様子で笑った。
「……ばーか」
「なっ……」
そのまま、腹を抱えて笑い始めた。
呆然とする俺の前でひとしきり笑った後、朱音は俺の方を向いて言う。
「あれが最高だったに決まってんだろ。なんだ、龍誠、そんな風に思ってたのかよ」
朱音は心底楽しそうに、
「龍誠だけが、オレの味方だった。他のオッサン達みーんな逃げたのに、龍誠だけは逃げなかった。それだけで、オレがどんだけ嬉しかったか分かるか?」
目には安堵したような涙が浮かんでいて、
「絶対ムリって誰でも分かるような状況なのに、龍誠だけは諦めなかった。結局ダメだったけど、あの後、辛いことがあるといつも龍誠の事を思い出した。オレも頑張らなきゃって、そう思えた」
とても懐かしい声で、朱音は言う。
「龍誠は、オレのヒーローだ」
その一言で、限界だった。
「……相変わらず、優しいな、朱音は。でも無理するな、正直に言ってくれ」
「全部ほんとのことだ。オレが嘘付いたことなんて無いだろ?」
顔を上げると、景色は少しぼやけていた。
そこには、ずっと昔に見慣れて、だけどもう二度と見ることは無いと思っていた笑顔があった。
「……ああ、そうだったな」
結局、この話のオチはこんなことだった。
俺が一人で勝手に思い悩んでいただけで、朱音は少しも俺のことを恨んでなんかいなかったのだ。
こんな簡単で、これ以上無いくらい幸せな答えを知るために、俺はどれだけ回り道をしたのだろう。
「やーい、龍誠泣いてるー」
「うるさい、目にゴミが入っただけだ」
絶対に取り戻せないと思っていた時間は、しかし手を伸ばせば直ぐ届くところにあった。
それが言葉に出来ないくらい嬉しくて、涙になって次々と溢れだして、止まらなかった。
0
あなたにおすすめの小説
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
【完結】物置小屋の魔法使いの娘~父の再婚相手と義妹に家を追い出され、婚約者には捨てられた。でも、私は……
buchi
恋愛
大公爵家の父が再婚して新しくやって来たのは、義母と義妹。当たり前のようにダーナの部屋を取り上げ、義妹のマチルダのものに。そして社交界への出入りを禁止し、館の隣の物置小屋に移動するよう命じた。ダーナは亡くなった母の血を受け継いで魔法が使えた。これまでは使う必要がなかった。だけど、汚い小屋に閉じ込められた時は、使用人がいるので自粛していた魔法力を存分に使った。魔法力のことは、母と母と同じ国から嫁いできた王妃様だけが知る秘密だった。
みすぼらしい物置小屋はパラダイスに。だけど、ある晩、王太子殿下のフィルがダーナを心配になってやって来て……
悪役令嬢の身代わりで追放された侍女、北の地で才能を開花させ「氷の公爵」を溶かす
黒崎隼人
ファンタジー
「お前の罪は、万死に値する!」
公爵令嬢アリアンヌの罪をすべて被せられ、侍女リリアは婚約破棄の茶番劇のスケープゴートにされた。
忠誠を尽くした主人に裏切られ、誰にも信じてもらえず王都を追放される彼女に手を差し伸べたのは、彼女を最も蔑んでいたはずの「氷の公爵」クロードだった。
「君が犯人でないことは、最初から分かっていた」
冷徹な仮面の裏に隠された真実と、予想外の庇護。
彼の領地で、リリアは内に秘めた驚くべき才能を開花させていく。
一方、有能な「影」を失った王太子と悪役令嬢は、自滅の道を転がり落ちていく。
これは、地味な侍女が全てを覆し、世界一の愛を手に入れる、痛快な逆転シンデレラストーリー。
王女の中身は元自衛官だったので、継母に追放されたけど思い通りになりません
きぬがやあきら
恋愛
「妻はお妃様一人とお約束されたそうですが、今でもまだ同じことが言えますか?」
「正直なところ、不安を感じている」
久方ぶりに招かれた故郷、セレンティア城の月光満ちる庭園で、アシュレイは信じ難い光景を目撃するーー
激闘の末、王座に就いたアルダシールと結ばれた、元セレンティア王国の王女アシュレイ。
アラウァリア国では、新政権を勝ち取ったアシュレイを国母と崇めてくれる国民も多い。だが、結婚から2年、未だ後継ぎに恵まれないアルダシールに側室を推す声も上がり始める。そんな頃、弟シュナイゼルから結婚式の招待が舞い込んだ。
第2幕、連載開始しました!
お気に入り登録してくださった皆様、ありがとうございます! 心より御礼申し上げます。
以下、1章のあらすじです。
アシュレイは前世の記憶を持つ、セレンティア王国の皇女だった。後ろ盾もなく、継母である王妃に体よく追い出されてしまう。
表向きは外交の駒として、アラウァリア王国へ嫁ぐ形だが、国王は御年50歳で既に18人もの妃を持っている。
常に不遇の扱いを受けて、我慢の限界だったアシュレイは、大胆な計画を企てた。
それは輿入れの道中を、自ら雇った盗賊に襲撃させるもの。
サバイバルの知識もあるし、宝飾品を処分して生き抜けば、残りの人生を自由に謳歌できると踏んでいた。
しかし、輿入れ当日アシュレイを攫い出したのは、アラウァリアの第一王子・アルダシール。
盗賊団と共謀し、晴れて自由の身を望んでいたのに、アルダシールはアシュレイを手放してはくれず……。
アシュレイは自由と幸福を手に入れられるのか?
五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~
放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」
大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。
生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。
しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。
「すまない。私は父としての責任を果たす」
かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。
だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。
これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。
第5皇子に転生した俺は前世の医学と知識や魔法を使い世界を変える。
黒ハット
ファンタジー
前世は予防医学の専門の医者が飛行機事故で結婚したばかりの妻と亡くなり異世界の帝国の皇帝の5番目の子供に転生する。子供の生存率50%という文明の遅れた世界に転生した主人公が前世の知識と魔法を使い乱世の世界を戦いながら前世の奥さんと巡り合い世界を変えて行く。
死に物狂いで支えた公爵家から捨てられたので、回帰後は全財産を盗んで消えてあげます 〜今さら「戻れ」と言われても、私は隣国の皇太子妃ですので〜
しょくぱん
恋愛
「お前のような無能、我が公爵家の恥だ!」
公爵家の長女エルゼは、放蕩者の父や無能な弟に代わり、寝る間も惜しんで領地経営と外交を支えてきた。しかし家族は彼女の功績を奪った挙句、政治犯の濡れ衣を着せて彼女を処刑した。
死の間際、エルゼは誓う。 「もし次があるのなら――二度と、あいつらのために働かない」
目覚めると、そこは処刑の二年前。 再び「仕事」を押し付けようとする厚顔無恥な家族に対し、エルゼは優雅に微笑んだ。
「ええ、承知いたしました。ただし、これからは**『代金』**をいただきますわ」
隠し金庫の鍵、領地の権利書、優秀な人材、そして莫大な隠し資産――。 エルゼは公爵家のすべてを自分名義に書き換え、着々と「もぬけの殻」にしていく。
そんな彼女の前に、隣国の冷徹な皇太子シオンが現れ、驚くべき提案を持ちかけてきて……?
「君のような恐ろしい女性を、独り占めしたくなった」
資産を奪い尽くして亡命した令嬢と、彼女を溺愛する皇太子。 一方、すべてを失った公爵家が泣きついてくるが、もう遅い。 あなたの家の金庫も、土地も、働く人間も――すべて私のものですから。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる