日刊幼女みさきちゃん!

下城米雪

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最終章 孤独を越えて

相互お泊り(後)

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 相互お泊まりが始まってから二週間。
 俺と結衣の関係は、そこそこ変化した。

「龍誠くん、あ~ん」

 箸を使って差し出された柳葉魚ししゃもを一口。
 栄養と卵、それから愛情がたっぷり詰まった柳葉魚は幸せな味がした。

「ゆいちゃん、あーん」
「あーん!」

 机の向こうで子供達がマネをしている。俺は最初こそ照れてしまったけれど、少し慣れた今では二人を微笑ましく思う余裕すらある。

「みさき、あ~ん」
「じぶんでたべて」
「チィッ!」

 どさくさ紛れにトマトを献上する作戦は今日も失敗したようだ。

 ゆいちゃんはトマトが大の苦手。もちろん結衣も知っていることで、しかし相互お泊りが始まってからの二週間でトマトを見なかった日は無い。

 確かに好き嫌いを無くすのは大事だが、ここまで無理に食べさせたら逆効果ではないだろうか。そう思って結衣に話を聞いたところ「嫌がる姿が可愛くて」とのこと。俺は何も言えなかった。

「龍誠くん、今日は日曜日ですね」
「そうだな」
「ずっと一緒にいましょうね」

 そう言って結衣は身を寄せた。
 利き腕に体重を乗せられているせいで食べ難いけれど、悪い気分ではない。

「みさき、きょうはにちようびですね」
「……ん」
「ずっといっしょにいましょうね~」

 早速、子供達がマネを始めた。

「どいて」
「ひどいっ!」

 みさきに慈悲は無かった。
 振り払われたゆいちゃんは、涙目になって残ったトマトと向き合う。

 その姿は本当に不憫だけれど……なんとなく、結衣の言っていることは分かった。

「ゆいちゃん、少しトマト食べてあげようか」
「ほんとう!?」
「ああ、りょーくんはトマト大好きなんだ」
「きょうえつしごく!」

 差し出された皿も見て、俺は苦笑する。
 少しって言ったのに、まさか全部とは……


 ――龍誠は気が付かない。
 彼が「トマト大好き」と言ったことで、結衣が「龍誠くんはトマトが好き」と解釈して、ゆいの食事事情に残酷な影響を与えていることに、龍誠は気が付かない。


「りょーくんだいすき!」

 空っぽになった皿を返すと、ゆいちゃんが満面の笑みを浮かべて言った。

「けっこんしよ!」
「はは、もっと大きくなったらな」

 ザクっという音がして、直後に右腕が熱を持った。
 恐る恐る目を向けて、結衣にフォークで刺されていたことを知った。

「安心してください、裏側です。ダメですよ、あまりゆいを甘やかしては」
「……はい、分かりました」

 やべぇブルっちまった、思わず敬語だ。

「ひゅぅ~、ママしっとしてるぅ~」

 バカ、よせ、死にたいのか!?

「ゆい、近々トマトの大安売りがあるそうです」
「りょーくんが食べてくれるから、へっちゃらです!」

 結衣は無言で俺を威圧した。

「ゆいちゃん、トマトさんの気持ちになるんだ。そんなに嫌い嫌いって連呼されたら、悲しいとは思わないか?」
「りょーくんきらい!」

 ぐっ……思ったよりダメージが大きい。

「安心してください龍誠くん。私は……その……大好きですよ?」

 ッ!? やめろ、照れるだろうが!

「りょーくんっ」
「みさき?」
「だいすき!」
「ああ、ありがとう。俺も大好きだ」

 やっぱり、みさきは天使のような存在――

「龍誠くん、なぜ、みさきにだけ返事をしたのですか?」
「みさきだからだ」

 これはもう、この世の摂理だ。

「ひゅぅ~、ママしっとしてるぅ~!」
「ゆい、此方に来なさい。ママのお皿に残っているトマトを食べさせてあげます」
「りょーくんたすけて!」

 ゆいちゃん、なかなか度胸あるよな。
 きっと結衣に構って欲しくてやってるんだろうけど……

「良かったな、ゆいちゃん。トマト、おいしいぞ」
「ひとでなし!」

 果たして、ゆいちゃんは捕まった。
 そして目に涙を浮かべながら、だけど少し嬉しそうにトマトを食べさせられる。そんな姿を、俺とみさきはのんびり見守っていた。


 楽しい時間は一瞬で過ぎ去って、気が付けば夜。


「まったく、ゆいが順調に反抗的になっています」

 いつものように背中合わせで布団に入ると、結衣が不機嫌そうに言った。

「構って欲しいんだろ。最近は俺と二人の時間が長いから、寂しいんだよ」
「それは、分かりますが……」
「俺もみさきとの時間が減って少し寂しいからな、よく分かる」
「私より、みさきですか?」

 しまった失言だった。

「子供と張り合ってどうするんだよ」
「だって、龍誠くんは怪しいので」

 待て、どういう意味だ。
 その言葉をギリギリで押し殺す。話題を変えることにしよう。

「そういや、今日で相互お泊りも一巡したことになるな」
「ええ、明日からはまた私の部屋ですね」

 相互お泊り、二周目。
 俺と結衣は俺の部屋で、みさきとゆいちゃんは小日向さんが使っていた部屋で寝ている。

 普段は何気なく使っている自分の部屋だが、結衣が隣に居るというだけで普段とは違って思えた。最初の頃は妙にそわそわして落ち着かず、しかし今では安心感のようなものを覚えている。

「どうでしたか? この二週間」
「そうだな…………賑やかだった、かな」

 相互お泊りが始まってからの日々を思い出しながら、俺は率直な感想を口にした。

 朝、ゆいちゃんとみさきが戯れる声を背に、結衣と朝食を作る。食事が始まると、元気いっぱいのゆいちゃんがトマトと一騎打ちを繰り広げる。

 その後は、平日なら仕事に行き、休日なら部屋でのんびり過ごした。

 四人でゲームをしたり、みさきとゆいちゃんの遊びに付き合ったり、結衣と話をしたり……とにかく、一人でいる時間は無かった。

 みさきは良くも悪くも大人しくて、常に近くにいたけれど、話をするのは稀だった。

 だから、この二週間はとても賑やかに感じた。

「俺にとっては祭りみたいで、だけど少しずつ自分の中で当たり前になってきて……なんというか、現実感が無い」
「現実感、ですか?」

 具体的に何がと表現するのは難しい。あえて言うなら全てであり、例えばこの時間だってそうだ。

「俺は家族を知らないから」

 普段なら決して口にしないことも、どうしてか話せてしまう。

「こんなにも賑やかで楽しい時間が当たり前になるっていうのが、少し怖い。夢を見ている感じだ。いつか目が覚めるんじゃないかって、そう思う瞬間がある」

 言葉にしてから少し間があって、コツンと何かが後頭部に当たった。直後に柔らかいものが背に触れて、それで結衣が背中を密着させたのだと分かった。

「これでも、夢だと思いますか?」
「……どうだろうな、よく分からん」
「むっ、今のは乙女的にノーグッドです」

 そう言って結衣は背中を離した。
 それを追いかけて、今度は俺から背中を密着させる。

「何が乙女だよ、年齢考えろ」
「甘えん坊の龍誠くんが、それを言いますか?」

 結衣がどんな表情で今の言葉を言ったのか、簡単に想像できてしまう。その顔は妙に腹立たしくて、何を言っても子供扱いされそうだったから、俺は口を閉じるしかなかった。

 会話が止んだ後、心臓の音が存在感を増す。それは聞きなれた自分のものと、そして背中から感じる別に音。

 俺と似た境遇で、俺よりも立派に親をやっている相手の、自分と同じ心臓の音。

 この背を離したくない。
 微かに感じる体重を受け止めていたい。柔らかな背に、俺の重みを預けていたい。

 そう思った時、俺は気が付いた。

「……理屈じゃねぇんだな」
「唐突にどうしましたか?」

 不思議そうな声。
 きっと俺が何を思ったかなんて少しも想像していなくて、だから、ちょっとだけ悪戯をしてやろうと思った。

「俺は結衣のことが好きだ」
「っ!?」
「大好きだ」
「なっ、ど、どうしましたか突然!?」

 狙い通りの反応に頬が緩む。
 俺自身もっと照れるかと思ったが、悪戯が成功したという感覚の方が大きい。

 しめしめ笑っていると、怒った結衣が足で蹴ってきた。

「やめろ、踵は痛い」
「うるさいっ、反省してください!」

 ガシガシ踵が飛んでくる。
 正直に言えば少しだけ痛いけれど、頬が緩んでそれどころじゃない。

 やがて結衣は蹴るのを止めると、心底不機嫌そうに言った。

「それだけですか?」

 その不器用な言葉の意図を、俺はもう知っている。

「なんの話だ?」

 だから、あえて分からないふりをした。
 すると結衣はムキになって、

「私のことが……なら、どうしたいのですか?」
「私のことが、なんだって?」

 俺は揶揄うような口調で言った。
 直後に大きく息を吸う音がして、

「あなたを愛している女性が後ろにいます、どうしたいですか?」

 今度は結衣からの不意打ちだった。
 背中から突き刺さった直球に、俺は一瞬だけ心音を乱される。

「……ふっ」

 その勝ち誇った顔が目に浮かぶ。
 だから俺は、負けじと言い返した。

「ずっと一緒にいたい」
「~~っ!?」

 結衣は声にならない悲鳴を上げた。
 いったい何を張り合っているのかは分からないが、どうやら勝負は俺の勝ちらしい。

「まだです!」
「結衣と家族になりたい」
「~~~っ!?」

 背後で結衣がじたばたしているのが分かる。
 照れさせてやろうとは思ったが、ここまでの反応は予想外だった。

「今の言葉、忘れませんからね!」
「ああ、逆に忘れられたら困る」
「この先、プロポーズはどちらから、という質問があった際は、彼がどうしても結婚したいと私に泣きついたので……と答えることにします」
「捻じ曲げるなよ。というか、プロポーズなんてしてないぞ」
「なっ!? 今ので違うとは言わせませんよ!?」

 結衣は心底慌てた様子で言った。
 その声の距離感から、振り向いたのが分かる。

 だから俺も振り向いて、そこで初めて彼女がどんな表情をしていたのか知った。

 それは想像していたよりも遥かに子供っぽくて、みさきのように口が一の字になっている。

「ニヤニヤしないでください!」

 ゴツンと、結衣は頭突きをした。
 直後、まるで痛みを堪えるかのように、結衣はギュッと目を瞑った。

「自分から頭突きして……」
「うるさい! 石頭!」

 そう言った結衣は、もはや完全に子供だった。その姿はゆいちゃんにそっくりで、やはり彼女は結衣の姿を見て育ったのだということを実感させる。

 一年前には想像も出来なかった一面。
 俺は、その姿に強く惹かれている。

「大丈夫か?」
「触らないでください!」

 額に手を当てると、直ぐに振り払われた。
 それから結衣は拗ねたようにそっぽを向いてしまう。

 俺は少しだけ考えて、

「結婚、しようか」

 今の結衣が最も喜びそうなことを言った。

「…………」

 途端に結衣は背筋を伸ばす。
 そのまま石になったように固まったかと思うと、ゆっくり此方に体を向けた。

 それからロボットのようにぎこちない動きで、コツンと、額を合わせた。

「……今の言葉、忘れませんからね」

 ほんの数センチの距離から聞こえた言葉。
 結衣の吐息が鼻先に触れて、妙にくすぐったいのと同時に、心が満たされるのを感じた。

 やがて、どちらからともなく手を握った。
 温かくて柔らかな手を強く握ると、同じくらい力強く握り返してきた。

「……どうした、握力勝負か?」
「……最悪です。今でのムードが台無しになりました」

 軽口を言い合った直後、同時に吹き出した。

 恋とか、愛とか、家族とか。
 その全てを俺は知らない。

 ただひとつ確かなのは、結衣と一緒に居る時間が幸せだということだ。同じ立場で、同じ目線で、油断すれば喧嘩に発展しそうなことさえも遠慮なく言い合える。

 きっと、これからも続いていく。
 どこまでも、いつまでも続いていく。

 ――ああ、そうか、やっと分かった。

 全てが始まった瞬間に思ったこと。
 あまりに漠然としていて、どうしていいのか分からなかったこと。

 それが具体的に何を表しているのか、ようやく分かった。
 この感情こそが、それなのだ。

「……龍誠くん、泣いているのですか?」
「……結衣こそ。理由を当ててやろうか?」

 結衣は微かに首を振る。
 言わなくても良いと態度で示して、俺の胸に顔を埋めた。

 きっと、俺達は同じことを思っている。
 親になると決意して――みさきを初めて愛おしいと感じた時に、誓ったこと。

 生まれてきて良かった。
 そう思えるくらい、幸せだった。
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