マジカルカシマ

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小児病棟

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 お祖父ちゃんが通用口で待っていてくれたから警備員さんの前を会釈だけで通過。院長室で渡された入館証の裏には5枚とも筆ペンで「荒井壱武」と書かれている。それから白衣も5着。
「論文の協力ということにしておきましたから聞き込みの仕方もそれ風に。
 フリーパスと言っても女性専用の場所はお控え下さい」

 それはもちろんそうだよな。
「ごめん。りーちゃんも一緒の方が良かったよね」
 獅堂さんが窓を開けて、外に向かって右手の人差し指を立てた。白い蝶が飛んできて指先に止まる。その手が胸に動いても蝶は逃げずに、獅堂さんが指を顔の高さに上げても動かずにまるで見つめ合ってるみたい。

 数秒そのままでいた獅堂さんが俺たちに蝶を見せた。
「女性です。30分のみ協力してくれます。捜査に関わらないことは聞き出さないことを約束します」
 波路くんがポップコーンバスケットをあけると、蝶は自分からその中に入っていった。
 お祖父ちゃんは普通に見える。
「おねがいします」
 でも実は驚いてるな。
「それから事故の関係で外科が忙しくなっていますので、そちらもご配慮を」
 獅堂さんは特に抵抗もなく答える。
「分かりました」
 救急外来に子供がいる様子はなかった。来る途中に高速バスがレッカー移動されていた。保育園の送迎バスって富士さんのメモとお兄ちゃんたちの記憶はどういうことなんだ。

 確かめたいことを色々考えながら入館証を首にさげる。俺が研修医の時に裏書きのある入館証を持っていた人は電球の交換に来た人だったけど、実は違う目的もあったのかな。

 院長室のパソコンから確認しても浮草葵の雇用データは無かった。

 獅堂さんが目を閉じる。
「従姉さんの話してる場所は1階やった。広い部屋の半分がカラフルなマットやブロックのキッズスペース、半分がテーブルセット」
「テーブルセットが普通サイズなら小児科、キッズサイズなら小児病棟ですね」
「小さい。小児病棟か」
 獅堂さんが目を開けた。
「小児科と小児病棟って何が違うん?」
「小児科は子供特有の疾病しっぺいを診る科です。小児病棟は全ての科から15歳未満が入院してきます」
「荒井病院って小児科が有名やんな?」
「小児病棟ですね。それに医療技術というよりサポートが充実しているからです。
 何歳でも受診科ごとに入院の病院もありますが、うちは小児病棟があるうえに10歳から12歳、中学生の患者さんにもそれぞれの配慮をしていますから」

 小児病棟に向かいながら説明する。
「入院病棟はエレベーターホールを挟んでA棟とB棟に分かれていて、1階A棟が小児病棟です。B棟は外科ですが、小児病棟が満床まんしょうになると部屋を借りることもあります。
 この時間は10歳以下用の談話室でレクレーションをしていて、ナースも含めてできるだけ参加することになっています」
 談話室から子供の笑い声が聞こえてきた。

 獅堂さんは病院内だという配慮なのか警戒しているのか静かな声。
「行ってみよか」
 富士さんは獅堂さんに向かってうなずきながらも言葉は俺に向かっていた。
「タイミングをみてさりげなく『浮草さんは?』と言ってみて下さい」

 ナースステーションの外でカウンターを背にしてきれいな姿勢で待っていた、パンツスタイルにポップな動物がいっぱいプリントされたスクラブのナースさんが俺たちに一礼した。院内用PHSのストラップがオレンジってことは小児病棟、白い線が入ってるってことは副師長さんだ。もう師長さんになったのか。速いな。その分苦労してるのか、痩せたし髪も肌も傷んでる。
「小児病棟副師長の沼田ぬまたです。院長より自由な見学をとのことですが私がご案内させていただきます。まずは注意事項に目を通して下さい」
 沼田さんは丁寧な動きで俺たちをステーション内へと促した。波路くんの耳とかスルーなんだ?
 子供と話しやすいようにしてきたと思ってるのかな。

「分かりました。よろしくお願いします」
 中に入ろうとして沼田さんの名札に目が留まった。
「あ!」

 お兄ちゃんに振り向くと、お兄ちゃんと獅堂さんがなぜか波路くんを見た。
 波路くんが苦笑いをする。
「良かった。思い出してくれました?
 お手洗いに寄ってくれるって言ったじゃないですか」

 言ってないけど。
「すみません。こっちです。
 沼田さん、すぐに戻ります」
「あと10分ほどでレクレーションが終わってしまいますが、談話室に引き留めておいた方がいいですか?」
 獅堂さんと富士さんを見ると小さく首を横に振った。
「いえ大丈夫です。お気遣いありがとうございます」

 波路くんは車椅子用トイレの個室に入ってドアにお札を貼った。
「これで外には聞こえませんし富士さまたちには聞こえています。
 どうなさいました?」
「師長さんの名前は沼田れんっていうんですよ。つまり蓮根。ホテイアオイを連想させる浮草葵と仲が良かったんです。
 同期でもないし同じ科になったことも無いのに食堂やバス停で一緒にいるのをよく見かけました」


ーーーー
 去年の4月、賑わう食堂。席を探してキョロキョロしていた新人の浮草さんに声を掛けたのが、俺の後ろのテーブルに座ろうとしていた沼田さんだった。庭に面したカウンター席に座っていた俺にはガラスに映って2人の様子がよく見えた。
「一緒に座る?」
「ありがとうございます」
 浮草さんの名札を見る沼田さんに浮草さんが先に言った。
「水草みたいな名前ってよく言われます」
 苦笑いする浮草さんに沼田さんが笑った。
「私ホテイアオイ好きで育ててるよ?
 それに私なんてほら」
 沼田さんがナース服が少し引っ張られるくらいに自分の名札を指で掴んで見せた。
「蓮根」
 小さく吹き出して「すみません」と慌てる浮草さんに沼田さんが首を振りながら笑う。
「イヤになっちゃうよね」
「はい」
 浮草さんもまた笑顔になった。

 友達ってこうやって作るんだ~って思ったんだ。
ーーーー


 波路くんの口から獅堂さんの声がした。
「とりあえず戻ってきてくれるか?
 カルテは先生せんせえしか読めんから」
「すぐに戻ります」
 こういうのって陰陽師ならみんなできるのかな。獅堂さんと波路くんだからできるのかな。
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