恋愛ファンタジー短編集【蜜】

ちゃむにい

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性指南役のドロシー・クレイトルは王子様の子を身籠りました。【R15】

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「あぁ、どれだけ今日という日を待ち侘びていたことか……!」

朝露に濡れる、手入れの行き届いた薔薇を眺めながら、ドロシーは夢心地な気分だった。

「なんて素晴らしい朝なのかしら! 全てが輝いて見えるわ……! まるで、神様が祝福してくださっているかのようね!」

有頂天になって、ドロシーは窓を開け放つと、微笑んだ。

「御覧なさい、ルル。空に雲一つないわ……! 私達の新たな旅立ちに相応しいわね!」

ドロシー・クレイトルは飼い猫ルルの愛らしい鳴き声に目尻を下げながら、その柔らかな頭を撫でた。

ドロシーは王子の性指南の相手として、半年前に選ばれた。この半年間、色々あったけれど、奇跡的にドロシーは王子に気に入られ、役目を立派に果たした。

性に淡泊だと思われていた王子に夜毎愛され、その寵愛ぶりに嫉妬されるほどだった。

そのため、任期は1年だったが、半年で性指南としての役割を終わることになったのだ。

「王子からの贈り物は、全て置いていくけど、貴方だけは連れて行くわ。……心配しなくていいのよ。王子の助言のおかげで、領地の経営も立て直すことが出来たわ。それに、こう見えて高給取りだったのよ? 借金を返済しても、十分な額が残ったわ。半年間のお給金は無駄遣いせず、すべて貯金してあるの」

ドロシーは、王子から高価なドレスや装飾品を贈られたが、性指南という役目が終わったドロシーには必要のないものだった。

どの贈り物も、何時までも見たくなるほどドロシー好みで素敵なものだった。けれど、見ているだけでは、お腹は膨れない。今後の事を考えれば、売却するのが最も賢い選択肢であることは明白だった。けれど、ドロシーはそれを売ることを断念してしまった。

(売れば生活が楽になるのに、私って本当に馬鹿ね)

売れば良い値段になることは分かっていたが、その贈り物には王子からの気持ちが籠っていた。売ろうと思う度に、贈られた時の嬉しい気持ちと、王子とのかけがえのない思い出が過ってしまって、ドロシーは最後まで踏ん切りをつけることが出来なかった。

「あまりここでのように豪勢な生活はさせてあげられないかもしれないけど、貴方を終生可愛がると誓うわ。これからもよろしくね……!」

ルルはゴロゴロと喉を鳴らし、ごろりと豪奢な白いお腹の長毛をドロシーに見せた。

「まぁ……! ルルったら……!」

普段、素っ気ない態度が多い、ルルが甘えてきて、ドロシーは感激の余り、王子に星空のようだと褒め称えられた大きな瞳を潤ませた。

もう二度と訪れることはないだろう。

ドロシーは、心に刻むために、もう1度だけ部屋を見渡した。この部屋には色々な思い出がある。良い思い出も、悪い思い出もあるが、終わってみれば、良い思い出のほうが多いかもしれない。それはアントン王子の寵愛があってこそだった。

(なんでアントン王子は、お金で体を売るような、貧乏貴族の私に良くしてくださったのだろう……)

王子の性指南役になることだって、誰に強制されたわけでもない。家族の役に立ちたくて、自ら望んで志願したのだ。

「ドロシー様、お荷物はこれだけですか?」

名残惜しいけど、旅立つ時が来た。

「えぇ、それで全部よ」

ドロシーは、笑顔で半年過ごした王城を後にした。




「半年前のことなのに、だいぶ昔のように感じるわ……」

馬車に揺られながら、ドロシーは半年前のことを思い出していた。

王子を先導しないといけない立場なのに、そもそも異性との性交渉をしたことがなく、右も左も分からずに失敗ばかりするドロシーを、王子は守ってくれた。

(アントン殿下、大好きです。……お元気で)

愛してはいけない人を愛してしまった。

住む世界が違うのだと気が付いたのは何時からだったろうか。

半年とはいえ、毎日のように閨を共にしたのだから、直接、お別れの挨拶をしたほうが良かったのかもしれない。

(でも、決意が鈍ってしまいそうだから……)

本当は、あと1か月ほど猶予があった。それを前倒しにしたのはドロシーだった。

優しい王子に縋って醜態を晒したくなかったからだ。王子にとって、綺麗な思い出のまま終わりにしたかった。

残された日々を指折り数えるのは辛かったけど、今日からドロシーにとって、第二の人生が始まるのだ。それもルルという可愛いお伴付きで。

(この日のために準備してきたんじゃない。やりたいことは、いっぱいあるわ……!)

ドロシーは輝くような瞳で、報われない恋に別れを告げ、しっかりと前を向いていた。

「ただいま戻りました、お義母様、テオ……!」
「お帰りなさい、ドロシー」
「お姉様!」

テオは走ってドロシーに飛びついた。あまりの勢いに、ドロシーは驚いたが、久しぶりの再会ということもあって、腰に回された手を拒まなかった。

「良い子にしてた? テオ」
「うん、僕、すっごい良い子だったんだから! ……あ! もしかして、この猫がルル?」
「そうよ。とても賢い子なのよ。仲良くしてあげてね」
「僕、猫大好き!」

テオは猫を抱っこすると、破顔した。

「半年見ないだけで、かなり身長が伸びたわね」
「成長期ですから! すぐにお姉様より高くなってみせます!」

可愛い義弟の成長ぶりに、ドロシーは目を細めて喜んだ。

「お姉様も、凄いお綺麗になりましたね」
「お世辞も上手になったのね」
「お世辞なんかじゃないよ! 僕がお姉様と結婚するんだから!」

頬にキスをするテオに、ドロシーは顔を赤く染めた。

「テオ……! まだそんなこと言ってるの。私は貴方の姉なんだからね?」
「うん! 自慢のお姉様だよ!」
「本当に分かっているのかしら……?」

テオは義母の連れ子だったが、人懐っこい子供で、すぐにドロシーと仲良くなった。素直な性格を好ましく思い、遊び相手を買って出たが「僕、ドロシーと結婚したい」と何度も言うので「ドロシーじゃなくて、お姉様と呼びなさい」と、姉として厳しく躾けたつもりだ。

テオはドロシーにべったりで、義母が懸念するほどだった。当然、その懸念にはドロシーも気が付いており、今も義母の目の前での出来事ということもあり、ドロシーはテオの手を振りほどこうとしたが、テオの力が思ったよりも強く、振りほどくことが出来なかった。

「お姉様、ほんといい匂いするね」
「ちょ、ちょっと、テオ……!」

テオの暴挙に困惑し、慌てふためくドロシーに義母は助け船を出した。

「テオ。ドロシーは長旅で疲れているんだから、貴方は勉強しに戻りなさい。まだ今日の分が終わってないんでしょう?」
「はーい。お姉様。また後でね!」

渋々テオは去っていった。

「……お義母様。お父様のお加減はどうですか?」

テオが居なくなってから、ドロシーは城を出る前から気になっていたことを訊ねた。手紙では何度もやり取りをしていたが、ドロシーを心配させないように配慮しているのか、手紙には当たり障りのないことばかり書かれていた。父の病状が良くなっているようには思えないし、気苦労が絶えないはずだ。

実際、ドロシーが見た義母は、城に行く前よりも若干頬がこけており、全体的に痩せたように思えた。

「それが、あまり思わしくないのよ」

義母はため息をついた。

「でも貴方のおかげで、こうやって路頭に迷うこともなく生活していけているのよ。ありがとう、ドロシー」
「お父様が命を繋いでいるのは、お義母様の献身的な介護のおかげよ。今日は私が看病するから、お母様はゆっくりお休みになってください」

義母は貴族の女性としては珍しく愛情豊かな人だった。

出産時に母と死別し、愛情に飢えていたドロシーにとっては理想の母そのもので、敬愛していた。

義母のアマンダ・クレイトルとは、父と再婚する前から親交があった。

父と再婚する話を聞いた時、ドロシーは「私の母になってくれるのですか?」と喜び、結婚式ではブライズメイドとして、義母のウェディングドレスの裾を持った。

ドロシーに性指南の話が舞い込んだ時も、「私は、ドロシーの花嫁姿を見たいのよ。幸せになって欲しいのに……」と自分のことのように悲しむ義母を見て、「私が頑張らなければ」とドロシーの胸を熱くさせたのだった。

「ドロシー……貴方には辛い目に逢わせたわ。性指南を勤めているという噂は広まっているし、これから社交界に出ても傷物扱いされてしまうわ。貴族の娘として、結婚することは難しいかもしれない。それなのに、まだ母と呼んでくれるの?」
「社交界には出ませんわ。私は結婚するつもりがありません。しばらくの間は、父の代わりに領地を経営しながら、家族や猫と共に過ごします。……ご心配されなくても、大丈夫ですよ。私は、家族が大好きですから」

性指南で得た多額の給金の大半は、多額の借金と治療費に消えた。けれど、後悔はなかった。お金がなくて困り果て、日々やつれていく義母を見るほうが、よっぽど辛かったからだ。

「私もドロシーが大好きよ」

義母の瞳には涙が浮かび上がった。その言葉だけで、ドロシーは今までの苦労が吹き飛ぶ気持ちがした。そして、王子の事を思い浮かべて、ドロシーははっとした。

(ここにはもう、王子はいないわ……)

話したいことが出来ても、王子とそのことについて、お喋りすることは出来ないのだ。何時も王子はドロシーの他愛のない話を好んだ。

王子は、ニコニコ笑って、なんでも聞いてくれた。

王都には知り合いが1人もいなくて心細かったが、何時でも王子はドロシーの味方で、その存在に、どれだけ救われただろうか。

――まだ、いっぱい話したいことがあったのに。

そう思うと、寂しさが募ってきて、慌ててドロシーは義母に気が付かれないように涙を拭った。

(いけないわ。泣いているところを義母に見せたら心配されてしまう……!)

義母のために、家族のために、何時も笑顔で、強くなくてはいけない。

王子が、王子でなければ、と何度思っただろうか。けれど、王子でなくとも、あれだけ素敵な男性だったら、女性が放っておくわけがない。

(そうか。……私は失恋したのね)

けれど、ドロシーは大好きな家族と共に暮らすことが出来て、とても幸せだった。

家族が、ルルが、ドロシーを慰めてくれる。しかし、ぽっかりと空いた心の穴を埋めるには時間がかかりそうだった。

そして、平穏な日々が過ぎた。

具合が悪くなり、夏風邪かと思って医者に診てもらったら、
「ご懐妊されていますね」
と言われるまでは。





 
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