人魚の涙【完結】

ちゃむにい

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運命の人

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それは美しい、満月の夜の事だった。

仕事も終わり、食事も済ませた男は、何時ものように、女のところへ行こうとした。男には、夜を共にする女が、10本の指で数えきれないほど居る。

すべて、他国から献上された女であり、それらの女はしのぎを削って男に愛されようとしていた。

けれども、昨夜逢った女を思い出し、男は顔を歪めた。

――あれは失敗だった。

どんなに匂い立つような色気があったとしても、抱く気になれなかった。

その原因を知っているからこそ、苛立った。

ここ数日、他の女を抱こうとしても、違う女が脳裏に過って、楽しむことが出来なかった。いったいあの女は、己に何をしたのだろう。
あの女は、森と湖に囲まれた、亡国の姫だった。動植物と会話することが可能な巫女であったというが、それは数年ほど昔の話だ。侵略者である男に抱かれ、その能力の大半を失なってしまった女は、客観的に見て後ろ盾も居ない、ただの女でしかないはずだ。

だが、それでも男は認めざるを得なかった。
淡い水色の瞳に見詰められれば、気持ちが昂り、黒曜石の髪を撫でれば、そのまま抱きしめてしまいたくなった。

『お前は血の通っていない、冷たい男だ』

数年前に亡くなった、養父の言葉が蘇る。

『そのお前が、気になる女が出来たら、それは運命の人だ』
『運命の人……?』
『そうだ。どんな手段を使ってもいいから、守りなさい』

そんなことが、起きるのだろうかと思った。
実際、どんな女でも気持ちが傾くことはなく、欲望を吐き出す手段でしかなかった。
だが、あの女に惹かれているというのは間違いない。何時もは笑わない女が、ふと見せた、気まぐれな微笑みに、心は奪われたままだった。
しかし、その事実を認めるのが癪だった。

よりによって、なぜあんな女が運命の人なのか。

あの女は、歪んだ性格の持ち主で、俺を見ればすぐに嘲り笑う。
手を伸ばして抱こうとでもすれば、煙管の裏で手を叩くという蛮行に走る。

男に逆らうのなら殺すと脅しても、

『どうぞ?』

と怖がりもせずに言ってくる有様だ。
亡国の姫だ。

なにか、心の拠り所になるものがあれば違ったのかもしれない。女には、庇う人もいなければ、戻るところもない。女が住んでいた森には火を放ち、燃やしてしまった。
男は女の家族が匿っていた魔女に、結婚間近だった妹を殺された。魔女の存在を知った腹心の部下が手柄を求めて先走り、共犯者として国ごと滅ぼしてし、女の家族は皆殺しとなった。

その切断された頭部と拘束された女が戦利品として連れて来られた時、俺は「勝手な事をするなと、あれだけ言っただろう!」と、烈火の如く部下を叱責し、犯罪者として牢屋に入れざる得なかった。拘束された女は、そのまま国に返したかったが、返す国もなければ身寄りもない。
一先ず後宮で身柄を保護したが、どこまでも自然体な女に次第に惹かれていき、ついには嫌がる女を無理に抱いてしまった。
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