ガドリング・フィールド

猫パンチ三世

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第二章 機械仕掛けのあなたでも

二十五話 ディグリースシャンプー

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 ジーニャの店を後にし、三人は日が暮れた道を夜風を感じながら歩く。
 すぐにでもタクシーを拾ってしまえば手間はかからないが、彼らの懐は顔に当たる夜風よりも冷たい。
 こういう所で我慢しなければならないと分かっていても、便利さに対する渇望はずっと胸の内でくすぶっていた。

 ただバグウェットだけはタクシーに乗らないで済む事を喜んでおり、それは余計に二人の反感を買った。

 ダラダラと一時間ほど歩き、さすがに限界が来たためタクシーを拾う。
 バグウェットは嫌がったが、シギとリウは彼を車内に叩き込み騒ぐ前にタクシーを発進させた。
 車内でバグウェットは文句を言っていたが、横に座っていた二人の無言の圧力で黙らされてしまった。

 
 事務所に着くなりバグウェットは体をソファーに投げ出す、横になった途端きょうの疲れがドッと押し寄せてきた。
 
「リウさん、シャワー先にどうぞ」

「じゃあお先するね」

 そう言ってリウは二階に着替えを取るため、事務所を出て行った。
 残された二人は疲れたように一つため息を吐く、シギは冷蔵庫から水の入ったペットボトルを二本持ってきた。

「お疲れさまです」

「おう」

 バグウェットはコートを脱ぎながら起き上がり、水を受け取りすぐさま蓋を開けた。彼の乾いた喉を冷たい水が駆け降りていく、彼の体には確実に今日の疲れが蓄積されていた。
 
「お疲れですね、年ですか?」

 疲れたように水を飲むバグウェットを見て、シギはわざとらしい嫌味を言ってきた。
 
「年……かね、若い奴の相手をするのは疲れるんだよ」

「あんな大人気無い態度を取るからですよ、すぐムキになるんですから」

 返す言葉も無く、バグウェットは静かにその言葉を聞いていた。
 エルが今どんな精神状態なのか、どんな気持ちであの場所に居続けているのか、それが分からないバグウェットではない。
 普段のがさつな彼になぜそんな事が分かるのか? それは今までああいった人間を、彼自身が嫌というほど見てきたからだ。

「にしても嫌な場所でしたね、昔を思い出しますよ」

「全くだ、できりゃあもう行きたくねぇな」

 ヒューマンリノベーションの地下施設、小奇麗に整った見た目だけなら文句のつけようのない場所。
 だというのに分かる人間には分かる違和感、人を人としていないような、あなたを使い潰しますという悪意が見えるような場所。

 あそこに入った二人は、それを肌で感じていた。

「まー何かはあるだろうな」

「そういうのも含めて、アウルさんに調べてもらえればいいんじゃないですか?」

「そうだな」

 二人が話をしていると、リウが着替えを持って部屋から戻って来た。
 手には着替えの他に、彼女専用のお風呂セットが抱えられている。それはこの事務所に住むことになった彼女にジーニャが手渡した、ささやかな贈り物だった。

 ジーニャの使っているブランドと同じシャンプーやリンスで、甘く優しい香りがする高級品だ。若い女性を中心に人気を博しており、例に漏れずリウもその香りを気に入っていた。
 生まれて初めての自分のシャンプー、しかも高級品となればおいそれと使うわけにもいかない。大切に大切に使おうと、リウはちびちびと節約しながら使っていた。
 
 だがある夜の事、酒に酔ったバグウェットがシャワーを浴びる為にバスルームに入った。
 普段彼が使っているのは安いゴミのようなシャンプーで、リウのシャンプーの十分の一程度の価格の物だ。彼は元からそこまでそういった生活雑貨に疎い、髪が洗えれば何でも良いと言い切るような男だった。

 そして酒に酔ったバグウェットは、勢いよくシャンプーを出し髪を洗う。
 そして気付いたのだ、自分の頭から落ちてくる泡がいつもと違う甘ったるい匂いがする事に。

 そんな事があってから、リウはシャンプーをバスルームにではなく部屋に置くようになった。
 朝起きてバスルームを掃除している時に、自分のシャンプーの残量が大きく減っているのを見たくないからである。

 リウは後がつかえないように、さっさとバスルームに消えて行った。
 シギはリウの処遇をどうするのか、バグウェットに聞きたい気持ちがあったが今日はもう疲れているだろうと思い、あえてそれを聞く事はしなかった。

「じゃあ僕も部屋に戻りますね、アウルさんに一応連絡入れとかないといけませんし。リウさん出たら、先にシャワー浴びちゃってください」

 そう言ってシギは自分の部屋に戻る、バグウェットは今日の事を柄にもなく反省してみようかと考え、エルにどう声を掛ければ良かったかを真剣に考えてみた。
 優しく諭すように言うべきだったのか、論理的に何か上手い事を言うべきだったのか、眉間にシワを作ってまで考えた。
 だがやはり良い案は浮かばない、バグウェットは自分を馬鹿にしたように小さく笑うと、水にもう一度口をつけた。


 次の日、三人はアウルの元を訪ねていた。
 訪れたのは事務所から車で一時間ほどの場所にある、古ぼけたビルだ。かなり年季が入っているのは、黒ずんだ建物の外壁を見れば明らかだった。
 大通りを脇道に逸れて逸れて、狭い路地裏を抜けた人がいるのかどうかすら怪しい場所にビルはある。
 半ば廃墟のような佇まいに三人は顔をしかめる、明らかに良くない雰囲気を漂わせており、何だかもう帰りたくなってしまうような場所だった。

「ねえ……ここほんとに人いるの?」

「いるんだな、これが」

「アウルさんはその……なんといいますか。少し変わってまして」

 アウルは職業柄、人柄から敵が多い。
 そのため基本的には一つ所に留まる事が無く、少なくとも半年に一度は住処を変えている。またその住処も、ゴミゴミとしたフリッシュトラベルタの中心街から離れた場所が多い。

 その理由を以前バグウェットたちが尋ねると、アウルは『人混み嫌いだから』とだけ言ってそれ以上は何も教えてくれなかった。

「変わってる……ね」

 リウは、この街に来てから出会った人間たちの事を思い出してみた。
 果たして彼らの中に、変わっていない人間などいたのだろうか? ほとんどの人間が、大なり小なり変わっていた。アグリー、ベル、オルロ、言ってしまえばバグウェットやシギも変わり者だ。ジーニャもバグウェットに言わせれば、変わり者の類に入る。

 もはや変わっていない人間の方が変わっている、とも言えるような現状を考えれば、よっぽどの変わり者でない限りは大丈夫だとリウは高をくくっていた。
 もっとも彼らからすれば、リウもまた変わり者の一人なのだが。

「しっかしまた辺鄙なとこに引っ越したもんだぜ、訪ねるこっちの身にもなってほしいもんだ」

 三人はビルに向かって歩き出す、ビルの前には路地裏には似つかない大きな広場があり、そこを突っ切って三人は入り口に向かっていた。

『あー、あー、もしもし? 聞こえてる?」

 妙に掠れた声が広場に響き渡る、三人が立ち止まると広場の隅に設置されたスピーカーから声が流れている。

「聞こえてますよー! 昨日連絡したクロートザックです!」

『やーやー、よく来たね。こんなとこまでご苦労さん』

 スピーカーの性能が悪いのか、音質がとにかく悪い。
 喋っているのが男なのか、それとも女なのかすら分からない。

「今日は昨日お話した……」

『あーストップストップ、そういう話は後で後で。とりあえずまずはいっちょ死んでみようか』

「……はあ!? ねえ、いま死んでって言ったよね?」

「言ったな」

「言いましたね」

 狼狽えるリウ、顔をしかめたシギとバグウェット。
 不穏な雰囲気を感じた三人を、黒い影が覆った。

「避けろ!」

 バグウェットは隣にいたリウを抱えて地面を蹴る、シギは彼の手を借りずに自分でその言葉に従う。
 凄まじい轟音、砂埃に目を閉じたリウが見たのは煙の中から立ち上がる巨大な黒い鉄の塊だった。舗装された地面はその黒い鉄の塊の重量に耐えきれず無惨に砕かれている、そしてそれはそのままありえたかもしれない三人の姿だった。

「何……あれ?」

 黒い鉄はゆっくりと体を起こす、それは三メートルほどの黒い機体だった。
 鈍い光沢を放つ黒い体、右手に装着された巨大な銃器、頭部の中心には緑色のカメラの光が見える。
 全体的に角ばっており、四角い鉄の塊を繋ぎ合わせたようなフォルムなのだが、その武骨で無機質な人型の姿は、不思議と均整が取れ美しさすら感じられた。

「硬くてデカくて鬱陶しい、アウルのお人形さんだ。下がってろ、死ぬぞ」

「わ、分かった」

「行くぞシギ、さっさと畳んじまおうぜ」

 バグウェットがシギの方に目をやると、彼はすでにリウの手を引いてバグウェットの後方へ下がっていた。
 
「おまっ……、何やってんだよ!」

「いやー僕は遠慮しときます、そういうやつはあなたにお任せしますよ」

「てんめぇぇぇ……!」

 怒りで拳を握るバグウェットに黒い機体が左手を振り上げた、振り下ろされる鉄の腕。それをバグウェットが辛うじて躱すと、代わりに地面が再び砕かれ破片が周囲に飛び散った。

「ほら、ご指名ですよ」

 黒い機体に装着された人に向けるにはあまりにも大きすぎる銃、その銃口がバグウェットに向けられた。
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