ガドリング・フィールド

猫パンチ三世

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第二章 機械仕掛けのあなたでも

三十一話 リメンバーハグ

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「許可も取らずに会社に押し掛けるなんて、少し乱暴じゃないか?」

「そいつぁ悪かったな、次は気をつけるよ」

 パトリックは少し苛立っていた、娘を持つ父親であると同時に彼は社長である。
 次から次へとなだれ込んでくる業務、それを必死に片づけながら娘を案じる日々。それは想像以上に彼の肉体と精神を削っていた、
 そこへ許可なしのバグウェットの訪問、仕事をする人間としてあってはならない行動に、パトリックは苛立ちを覚えながら控えていた会議の時間をずらすように秘書に伝えた。

「それで今日はどういった用件だ? 娘は見つかったのか?」

「見つかった、元気そうにしてたぜ」

「な、なに!? ならどうして連れ帰ってこないんだ!?」

 パトリックの驚きはもっともだった、彼がバグウェットたちに依頼したのは娘の捜索、そして彼女を連れ帰るという事だ。エルが見つかったというのはとても喜ばしい事のはずだ、ならば後は連れ帰って来るだけのはずだというのになぜバグウェットが彼女を連れ帰ってこないのか? それがパトリックには不思議で仕方なかった。

「私が君に頼んだのは娘を連れ帰る所までだ、だというのに君はここで何をしている?」

「……まあそうだな、あんたが言いたい事は分かる。俺がここにいるのは間違ってるんだろうな、だがそれを承知の上であんたに一つ聞きてえ」

「あんた、帰って来た娘になんて声かけるんだ?」

「……なに?」

 何を言っているのか、そんな事は決まっている。
 自分の中にはあるはずの答え、それをパトリックはバグウェットにぶつけようとした。

「でてこねえよな。いいさ、知ってたからよ」

「わ……私は」

 言葉は出なかった、娘に会った時に何を言えばいいのか。
 答えはすぐそこにあるはずだというのに、パトリックはそれを言葉にできなかった。何でもいい、優しく声をかけてもいい、いなくなった事を咎めてもいい、あるいは何も言わずに抱きしめても良いはずだと言うのに。

 彼はそれを嘘でもバグウェットに伝える事ができなかった、それは彼がもし今の自分がエルに会ったとして何と声をかけるのかがどれだけ想像しても浮かばなかったからだ。
 パトリックは頭を抱えながら、近くにあった椅子に崩れ落ちるように座る。
 辛そうに脂汗をかく彼を、バグウェットは仕方なそうに見ていた。

「あんたは知ってたんだろ、娘の居場所も現状もよ」

「……ああ、知っていた。知っていたとも」

 思えば違和感はあった、娘を探してくれと言って事務所を訪れたパトリック。行き先も何も分からないと言うのなら分かる、だが彼はヒューマンリノベーションのチラシを持っていた。

 もし娘を本気で探しているのなら、胡散臭く礼儀のなっていない野良犬ようなバグウェットの元を訪れる前に、まず自分で乗り込むはずだ。
 そしてその上で何らかの妨害を受けたあるいはいなかったというのなら、娘を取り戻せなかったというのならまだ分かる。だが彼はそうは言わなかった、あくまでも行き先の一つとしてそこを提示したにすぎない。

 初めて話を聞いていた時、バグウェットはその小さな違和感に気付いていたがあえて深くは聞かなかった。自分の思い違いという事も十分にありえたし、何より久しぶりのまともな客だ、下手な事を言って依頼を取り下げられるのもうまくない。
 だが先日のエルとの会話の中で彼の中の違和感はしっかりと形を持ってしまった、だからこそ彼はここにいる。

「知っていた、娘が……エルがどこにいるのかもそしてどれだけ傷ついているのかも、私は……知っていたんだ」

「全部わかってて他人に丸投げか、大した親だな」

「そうだな……まったく……最低の父親だ」

 パトリックはバグウェットの言葉に怒りを見せなかった、ただ自分の情けなさに打ちひしがれたような顔のまま、椅子の上で自らを責めていた。
 
「何で何も言わなかった? 気休めの一つでも言えただろ」

「君には分かるのか? あの時の娘に何て声を掛ければ良かったのか、生涯でおそらく二度と無いほどに愛していた人間を失い、食事もまともに取らずただ虚ろな目で窓から景色を眺め続ける娘に、何てことない気休めの一言にすら耐えきれそうにない娘に、私は何と声を掛ければ良かったんだ?」

「俺が知るかよ、人の親になった事なんてねえんだから」

「……そうか」

「悪いな、力になれなくてよ」

「いや、いいんだ。きっと誰にも分かりはしないだろうからな」

「……そうかい。で、どうするんだ? 強引に連れ帰ってもいいが下手すりゃあんたの娘、ぶっ壊れるぞ。それでも連れ帰るか?」

 パトリックは少し俯き気味だった顔をゆっくりと上げた、そこにいたのは会社の社長でもなければ父親でもない、迷子の子供のような弱弱しい顔をした一人の中年男だった。

「娘は……幸せそうにしていたか?」

「まあ幸せっちゃ幸せなんじゃねえの? 俺にはよく分からねえけどな」

「そうか……なら」

 パトリックが言葉を続けようとした時、バグウェットはおもむろに立ち上がり足早にパトリックの元へ向かう。そして彼が『なら』の後に続く言葉を言い出す前に彼の胸倉を掴み、乱暴に引き上げた。

「よく考えて続きを話せよ、そいつを言ったらもう元には戻れねえんだぞ」

「わ……私はただ、娘が幸せならそれでいいと……」

「またそうやって逃げんのか?」

「……何だと?」

「そうやって耳障りの良い言葉だけ使って逃げんのかって言ってんだよ、娘のためだとか、幸せならそれでいいとか言ってろくに話もしねえ。ぶっ壊れかけてる娘一人まともに見ようとしねえ、お前はそれで本当にいいのかよ」

「わ……私は」

「それとも何か? お前にとって娘ってのは優秀で美人ないい子ちゃんなのか? 今の現実逃避して、機械に頼ってる可哀そうな女は娘じゃねえのかよ。それもそうだな、恋人そっくりのアンドロイドなんか造ってお人形さんごっこに入れん混んでるような女なんか気持ち悪いからなぁ!」

「黙れ!」

 パトリックの拳がバグウェットの顔に飛ぶ、距離が近いとはいえ素人の拳を避ける事は彼にとっては造作もない事のはずだった。
 だが彼はその拳を避けずに受ける、口の中には僅かに鉄の味が広がった。

「お前に……お前に何が分かる! 妻を早くに亡くし、男手一つで育て上げた娘が殺された恋人をアンドロイドで造ると言って来た時の私の気持ちが! ここにいる私よりも機械に頼ろうとする娘を見た時の私の気持ちが!」

「だから知らねえっつてんだろ! そうさせたのはお前だ! 何の助けにもなってやれねえお前のせいだろうが!」

「じゃあどうすれば良かったんだ!? 何度でも何度でも聞いてやる、私はどうすれば良かったんだ!」

「この……馬鹿野郎が!」

 バグウェットはパトリックを殴る、当然だが使ったのは左手だがそれでも彼の拳は一般人には荷が重い。
 本来ならばパトリックは床に吹き飛ばされてしまうだろうが、彼の胸倉を掴んだバグウェットの右腕がそれを許さなかった。

「んな事お前が一番分かってんじゃねえのかよ! お前も大事な嫁さん亡くしたんだろ!? そんでその嫁に託されたんだろ!? だから今まで一人で娘を育ててきたんじゃねえのか、それともただ義務感だけでここまでやってきたのかよ!?」

「そんなわけがあるか! 私は妻を愛していた、この世の誰よりもだ! その妻との間にできたあの子を愛さないはずがないだろう!?」

「だったら一緒だろ、お前も娘も」

 先ほどまで部屋を包んでいた熱を帯びた空気が消えていく、バグウェットの声は先ほどとは違う低く耳に残るような静かな声だった。
 バグウェットの手から少しずつ力が抜け、やがて彼の右手はパトリックの胸倉から離れて行く、支えを失ったようにパトリックは椅子へ腰を落とした。

「お前も娘と同じように大事な奴を亡くしたんだろ、だったら分かるはずじゃねえのかよ。お前はその時どうして欲しかったんだ?」

 その言葉はパトリックを過去へ飛ばす。
 一目惚れだった、仕事の関係で出会った彼女に若かりし頃のパトリックは一瞬で恋に落ちた。みっともなくアプローチをし、どうにか食事の約束を取り付けた。
 今でもその時のディナーのコースを、飲んだワインの味も、何を話したかも忘れた事は一度も無い。そして話す内に彼女の中に秘められた芯の強さ、優しさに彼は余計に惹かれた。
 分不相応だとは分かっていた、釣り合わない確信があった。それでも内に秘めた思いを隠したまま生きていくことが、彼にはできなかった。

 シチュエーションだけは一人前のプロポーズ、予想外の返答に彼は三度も聞き返してしまった。
 それから時を重ねエルが生まれた、産まれた日の事を彼は飛んでいた雲の数すら答えられる。初めて立った日も名前を呼んでくれた日も、その全てを彼は忘れたことなど一度も無かった。これからも思い出は増えていく、はずだった。

 だが彼の妻であるメアリーは、不治の病に侵された。
 今でこそ治る病、だが当時はどうする事もできずただ弱っていく妻を見ている事しかできなかった。そして最期の日、病室のベットの脇でただ死に向かう妻の手を握り泣く事しかできない自分がパトリックはどうしようもなく憎く、惨めで情けなかった。医者にはすでに今日が限界だと言われていた、だがそんな言葉一つで覚悟が決まる程パトリックは物分かりが良くなかった。

 静まり返る病室、響く心電図の音、苦しそうな妻の息遣い、何も分からないエルはただパトリックの横に大人しく座っていた。
 不意に握っていたメアリーの手が動く、彼が俯いていた顔を上げると彼女は何かを伝えようと口を動かしている。急いで彼は、その弱い口元に顔を近づけた。

『どうした!? 苦しいのか!? 待ってろいま先生を……』

『待って……聞いて……』

 その細い声と、彼女の悲しい程に安らかな顔を見た瞬間に彼は気づいてしまった。
 それが彼女の、メアリー・オーラスの最期の言葉だという事に。

『どうした?』

『ごめんね、もっと……もっと一緒にいたかった。もっと……たくさん……あげたかった』

『何を……君にはもう十分すぎるほどもらった。愛情も、生きる喜びも、エルも、どれも掛け替えのないものだ、だけど……俺は何もしてあげられないただこうやって君を……弱っていく君の手を握る事しか……できない』

 謝るべきは自分だと、彼女に訴える。
 不治の病だという事実は十分すぎるほどの言い訳の材料になるはずだった、だがパトリックの彼女に抱いていた愛情が、罪悪感がそれを許してはくれない。

『馬鹿……ねえ、私の方こそたくさんもらったわ。それに、それにね……こうやって隣にいてくれるあなただから、隣で一緒に泣いてくれるあなただから好きになったんじゃない』

『メアリー……』

 そしてメアリーはエルを呼ぶ、母として触れ合える最後の時間。手の届く所まで来たエルの頭を、精一杯の慈愛を込めて彼女は撫でた。
 いつもなら寝ているはずの時間、エルはひどく眠そうにしていたがそれでも母の手から離れようとはせず、ただ大人しく頭を撫でられていた。

『パトリック、この子を……エルをお願いね』

『ああ……ああ! 分かってるさ、この子は俺が……立派に育て上げて見せる』

 そう言ってパトリックは笑った、涙を流しながら鼻水を垂らしながら無様に汚らしく滑稽に笑って見せた。
 その顔を見てメアリーは、小さく微笑む。

 強い女性だった、泣いている姿などほとんど見た事がなかった。
 もしかしたら泣いていたのかもしれない、怒ってもいたのかもしれない。だがそれ以上に笑っている姿の方が強く残るような女性だった、そんな彼女は一筋の涙と深い愛情を残して逝ってしまった。

 糸が切れたように、力が抜け細い指が床へ向かう。

 それからはあっと言う間だった、葬儀が終わり二人だけになった家で彼は妻との約束を果たそうと娘の前では気丈に振舞っていた。
 だがそれでも一人になった時、ふと涙がこぼれ将来の不安に押しつぶされそうになっていた。
 そしてその晩も唐突に不安に襲われ、一人リビングで涙を滲ませていると眠ったはずのエルがやって来た。

『どうしたんだ? もう遅い、早く寝なさい』

 涙を素早く拭き、泣いていた事に気付かれないよういつもよりほんの少しだけ強い口調で注意した。
 だがエルはふるふると首を振り、小さな歩幅でパトリックに近づくと何も言わずにパトリックの横に座る。利口な子供だ、いつもなら一も二もなく大人しく眠るとはずだがこの日は違かった。

『一体どうしたんだ?』

 エルは何も話さなかった、たどたどしくも一応の会話はできるはずだがパトリックの言葉に対する返答がない。
 ただ何も言わず、彼の隣に座っていた。

 一体どうしたものか、彼は頭を抱えそうになる。
 そんな彼に幼いエルが抱き着く、これもまた珍しい事だった。今日は甘えたい気分なのだろう、そう考え彼はエルの頭を撫でる。時間にして五分ほどだろう、彼の腹に顔をうずめていたエルがふと父の顔を見た。

『パパ、もう平気?』

『え?』

『パパ、ないてたから。とってもかなしそうだったから』

 パトリックはその瞬間、自分の愚かさを嫌というほど理解できた。
 娘を子供だからと甘く見ていた、気丈に振舞っていれば隠れて泣いていればバレないと高をくくっていた。
 だが彼の想像以上に、エルは父の事をよく見ていた。少しでも悲しみを紛らわせようと仕事に打ち込み、そのまま帰って来るなりソファーで死んだように眠っている姿も、隠れて夜中に一人で泣いている事も知っていた。

 全て自分で抱え込み、子供に頼ろうとすらしない事を知っていた。
 その姿は幼い彼女から見ても、とても痛々しく辛そうだった。だから考えた、自分でに何ができるのか。その答えこそが先ほどの幼い抱擁だった、一人で泣かないように、ほんの少しでも自分が支えになりたいと幼い彼女が必死に考えた末の行動だった。

 自分の思いを伝えたエルの表情が曇り、次第に彼女は泣き出してしまった。
 自分の行動が何の意味も無いものだと、そう思ってしまったからだ。そんな彼女をパトリックは強く、優しく抱きしめる。

『……ありがとう』

 この晩、彼は誓った。
 何があってもこの子を守り抜くと、いつかどうしようもなく辛い時がきたら自分が、他に誰もいなくとも自分だけはこの子の支えになろうと。
 その晩はじめて二人は、大きく声を上げて泣いた。泣いて泣いて、泣きつかれて二人でベットに潜り、赤く目を腫らしたまま眠った。


「……私は誰かに隣にいて欲しかった、ただ抱きしめて一緒に泣いてほしかった」

「分かってんじゃねえか、お前がそうだったように同じ事をやってやれば良かったんだよ。馬鹿が」

「ああ……本当にな、私は……大馬鹿ものだ……」

「……これで最後だ。どうする? 娘を連れてくるか? それともまだ一人にしとくのか?」

 考えるまでもない、パトリックはバグウェットの足元に跪き頭を地面にこすりつけた。

「頼む! 娘を……連れ帰ってきてくれ」

「分かった、俺も仕事をする立場の人間だ。報酬分は働くさ」

 バグウェットは満足したように歩き出し、部屋の出口へと向かう。
 その後姿をパトリックは床に足を折ったまま見つめていた、ふと足を止めたバグウェットはパトリックの方へ向きを変えた。

「精々あんたは娘への言葉でもまとめておけよ、紙にでも書いてな」

 そう言ってバグウェットはひらひらと手を振り、部屋を出る。
 閉まるドアに向かって、パトリックはもう一度だけ頭を下げた。


「さて……と」

 パトリックの会社から出たバグウェットの所へ、タイミング良くシギから連絡が入った。

「あれ……どうやんだっけな。えーと……ここか」

『バグウェット、電話に出るの遅くないですか?』

 早々にシギの文句を聞かされ、バグウェットは口を尖らしたが遅かったのは事実だったため、反論する事も無く黙ってその言葉を受け入れた。

「まあいいじゃねえか、それでそっちは何か分かったのか?」

『バッチリですよ、ちなみに良い話と悪い話どっちから聞きたいですか?』

「じゃあ悪い話から聞かせてもらおうか」

『分かりました、悪い話はですねあのヒューマンリノベーションが鉄の花の関連企業だって事です』

「……それ悪い話じゃなくて、めちゃくちゃ悪い話だろ」

『かもですね』

 バグウェットは電源を切りたい衝動に駆られながら、次の言葉を待つ。
 陽が傾き始めた夕焼けの空は、血をぶちまけたように鮮やかな赤色をしていた。
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