ガドリング・フィールド

猫パンチ三世

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第二章 機械仕掛けのあなたでも

三十二話 アネイブルクエスチョン

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「お疲れさまです」

「おう、お疲れさん。資料は貰って来たか?」

「もちろん、しっかり貰ってきましたよ」

 連絡から三十分ほどして、疲れた顔のシギとバグウェットは合流した。
 アウルから貰ったデータチップを胸にしまったバグウェットは、吸いかけの煙草を気持ち早めに吸い終えると携帯用灰皿に押し込み、ベンチから立ち上がった。

「リウさんに連絡したんですか?」

「ああ、さっき連絡した。さっさと迎えに行くぞ」

 二人は特に言葉を交わさないまま道を歩く、いつもならもう少し会話はあるがシギの疲れが目に見えて酷かったため、バグウェットは話しかけなかった。
 一方のシギも疲れが限界に達しており、喋る元気もなく歩くのが精一杯だったためバグウェットに話しかける事も無い。
 沈黙に包まれたまま、二人はヒューマンリノベーションの前までやってきた。

「おい、着いたぞ」

『今行く』

 バグウェットの手首から元気な声が漏れ出す、その言葉から五分とせずにリウは二人の前にやってきた。

「お待たせ」

「お疲れ様ですリウさん、上手く話はできましたか?」

「うん、色々話せたよ」

「それは良かったですね」

 シギはヘラっと笑顔を作って見せたが、彼の体力はここで尽きた。
 正直もう一歩も動ける気がしない、足も手も体全体がすでに活動を停止している。

「シギ君? 大丈夫?」

「いえ……少し頑張りすぎてしまって」

 抗いがたい眠気が彼を襲う、そしてそれはリウにも分かった。
 疲れ果てた彼を、一も二も無く彼女は背負う。

「すいません……」

「いいよ、いつもお世話になってるし」

「バグウェットも見習って欲しいものですね……」

「うるせえ、黙って寝てろ」

 そのまま糸が切れたようにシギは眠る、彼はリウが大して苦にならないほど軽い。その軽さに複雑な感情を抱きながら、彼女はもういないきょうだいたちに彼を重ねていた。
 

「また厄介な奴らに手ぇ出したもんだな……」

 事務所に帰ってきたバグウェットは、シギがアウルから貰って来たデータをわざわざ紙に変えて目を通していた。
 彼の机の上にはヒューマンリノベーションについて、そしてその裏にいる鉄の華についての資料が広がっている。そのどれもが有益であると同時に、彼の気分を著しく損なう物だった。

 鉄の華はフリッシュトラベルタに存在する宗教団体の一つ、『変わらない存在』である機械技術を信仰の対象としている。
 信者たちは上層部……教祖たちから課せられる様々な試練を超え、自分の体を段階的に機械化していき、最終的には体の全てを機械化する『肉捨て』と呼ばれる存在へと変化する。
 義手や義足、内蔵の一部といった自分の体を機械に置き換える技術は数百年前を遥かに凌駕している。とはいえ体全体を機械に置き換えるのは現在でも難しく、置き換えてからの一年以内の生存率はゼロだ。
 また拒否反応も激しく、苦しみながら死ぬ者も多いがそれでも信者たちはそれを嬉々として受け入れている。

 鉄の華は発足してからまだ百年ほどと宗教団体としては、まだまだ歴史が浅い。にもかかわらず信者の数は千を超え、そのほとんどが熱狂的だ。
 数多の戦争、紛争、動乱と人々が変わらずにはいられない、大切な物が次の日には壊れてしまう万物流転の極みのような時代だからこその宗教ともいえる。

「はあ……」

 深い鉛のようなため息を吐きながら、バグウェットは天井を見上げた。
 年代物の椅子がギイギイとあまり無理をさせるなと鳴く、細かい文字を見続けた目を擦りながら、彼は今日の事を思い出していた。

「お疲れ、コーヒー飲む?」

 シャワーを浴び終わったリウが、コーヒーの入ったカップを持ってきた。時計を見ると資料を見始めてからすでに一時間以上も経っている、それに気付いた途端にバグウェットを渇きが襲う。
 彼はおう、と短く返事をしコーヒーを受け取った。

 向かい合ってコーヒーを飲む二人に会話は無い、お互いに忙しく印象深い一日だったためか体も心もひどく疲れていた。
 リウはそれでもバグウェットと話をしたかったが、彼の資料を見る真剣さに圧倒されてしまい、コーヒーをダシに声を掛けるのが精一杯だった。

「シギは?」

「全然起きないからベットに寝かした、かなり疲れてるみたい」

「アウルの相手は疲れっからな、まあ今日は休ませてやるか」

 結局あれからシギは一度も起きなかった。
 事務所に着いた時もリウにベットに寝かされた時も彼女は一言声を掛けたが全く反応が無く、年相応の寝顔を二人に披露するばかりだった。

 リウは彼がアウルの所で何をしていたのかは分からなかったが、きっと大変だったんだろうとアウルの顔を思い出しながら心の中で彼を労う。
 バグウェットは彼が何をやらされたのか、簡単に想像がついた。中々見る事のできない彼の疲れようを見て、心底バグウェットは彼に同情していたと同時に自分でなくて良かったとも思っていた。

「飯はどうする? 俺の事はいいから何か食べろよ」

「んー……今日はいいかな、エルさんの所でお菓子もらっちゃったし。バグウェットこそ何か食べたら?」

「俺も今日はいい、まだまだやらなきゃいけない事あるしな」

「そっか」

 そこまで話すと二人はコーヒーをほとんど同時に口に運んだ、静かな部屋にコーヒーを飲む音が響く。

「お前、エルの所にまた行くのか?」

「行くけど……どうかした?」

 行かない方が良い、バグウェットはその一言をリウに伝えようとした。
 バックに鉄の華がいると知った以上、リウを今日のように気安く送り出す事はできない。
 今日無事に帰ってこれた事も、割と奇跡に近い。

「いや……別に、何でもねえよ」

 言えなかった、その一言がどうしてか言えない。
 安全を考えるなら行かせない方がいいに決まっている、同じ子供でもリウはシギとは違う。何かあった時に対応できるだけの力はもちろん、経験も知識も無い。
 不測の事態が起きた時に抵抗する事すらできない、下手をすればあっさりと彼女は死ぬだろう。だがどうしてかバグウェットは彼女を止められない、そしてその理由を言葉にする事もできなかった。
 
「……変なの。まあいいや、明日もリウさんの所に行くからそこんとこよろしくね」

「ああ」

 コーヒーを飲み終え、リウは先に寝ると言って二階へ上がって行った。
 一人になったバグウェットは、煙草に火を点けると深く深く煙を吸い込む。甘ったるい煙が漂い、彼の鼻を刺激した。

 彼は最後までリウに行くなとは言えなかった、それがどうしてかの答えは見つかりそうになかったため、すぐに考えるのをやめる。
 そしてもう一つ、彼はリウにジーニャの店に行く気はないかと尋ねる事もできなかった。
 助けたのはバグウェット、ならば面倒を最後まで見るのも彼の仕事だ。それはもちろん彼自身も分かっている、目の前の人間を無責任に見境なく助けるような善性を自分が持ち合わせていなことを彼は知っている。

 自分が助けるのは関わりを持ち、かつ助けたいと思ってしまった相手だけ。全ての人間を助けるような英雄ではなく、ただただ自らのエゴで相手を助ける。
 だからこそ相手は選んでいたはずだった、そして助けたのなら最後まで面倒をみなければならない事も分かっている。

 だが時を重ねる事に分かるリウのこの街での異常性、彼女は間違いなくここにいていいような人間では無い。
 血なまぐさい場所ではなく、もっと陽の当たる場所で生きていけるはずだ。少なくともこんな物騒な事務所ではなく、ジーニャの手伝いをせわしなくしている方がずっといいはずだと彼は考えていた。

「ああ……本当に、面倒な奴を抱えこんじまったもんだな……」

 彼の体には、昼間背負ったリウの重さと温かさが鈍い痛みとなって食い込んでいる。
 それを少しでも紛らわそうと、彼は二本目の煙草に火を点けた。
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