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第三章 金・金・金
四十七話 トップクオリティ
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「それじゃあ好きな物を好きなだけ、どうぞ召し上がってください」
「いやーなんだか悪いね、スクラピアさん」
「気にしないで下さい、食事の時間を邪魔した私に非がありますから」
バグウェットはスクラピアにペコペコとだらしなく頭を下げてから、メニューに載っている自分が食べたいと思った物を片っ端から注文し始めた。
シギも彼と同様にありとあらゆるスイーツを頼みまくっている、その目にはすでに周りの人間など映っていない。ただスイーツの名前を読み上げる、機械のような存在になってしまっていた。
「さ、どうぞお嬢さん。あなたも好きな物を頼んでいいんですよ」
「は、はあ……」
リウもとりあえずメニューを見てみるが、いったいどういう食べ物なのか想像もできず困惑している。
なぜこんな事になったのか、おそれは二時間ほど前にさかのぼる。
ポートンの店での出来事から二日が経ち、それぞれの胸中にはそれぞれの思いがあるがそれをお互いに言う事もなくこの日まで過ごしていた。
依頼もなく、この前のパトリックの依頼で得た報酬はその他の経費として消えてしまっていたため、便利屋クロートザックの財政状況は非常に悪い。
ポートンの店は値段も安く量も多いため、こういった時は重宝していた。
さて、今日は何を食べるかと考えていた時だ。
呼び鈴が、鳴る。
「シギ」
「分かってますよ」
リウはバグウェットの机の陰に隠れるのを見てから、シギが扉を開ける。
扉の向こうに立っていた人影は、にこやかに笑った。
「こんにちは」
そこにはスクラピアがいた、以前着ていた物と同じような仕立ての良いスーツを着て。
「金持ちだ! 金持ちが攻めてきたぞっ!」
「どうも、大金持ちです」
バグウェットの子供のような言葉に、スクラピアはニコリと笑って爽やかに言葉を返した。
その後、三人は彼を事務所に入れて話を始めた。
彼はまず突然の訪問を詫びると共に、ポートンの店での事で事務所を訪れた事を伝える。
彼曰く、食事の時間を邪魔してしまった事をお詫びしたいという事でやってきたらしい。
バグウェットは、金持ち相手だという事と胡散臭さから初めの内は追い出さんばかりの物言いだったが、お詫びの方法が高級料理食べ放題だと聞きあっさりとそれを受け入れた。
そして今に至る、というわけだ。
彼らがやってきていたのは『フリッシュトラベルタ十選(飲食店)』で、不動の一位を誇るレストラン『ウラノス・ミール』という店だ。
和洋中はもちろん、注文さえあればどんな料理でも最高レベルで調理可能な料理人たちが多数在籍し、店の内装は高級感溢れる宮殿のような造り、揃えられた椅子やテーブルといった備品は全て最高級クラスかつ人体工学に基づいて造られた、万が一にも客を疲れさせない品だ。
材料は何重もの厳しい審査を通り抜けた物を使用し、備えられている調理器具は全て最先端かつ最高級品。
調理人たちの採用基準も厳しく設定されており、前述の通りありとあらゆる料理を調理可能という事はもちろん言葉遣いや所作なども厳しくチェック、管理される。
様々な企業の社長や、各界の要人が訪れる関係上ここで働く調理人はもちろん給仕、警備員、出入りの業者に至るまで徹底した守秘義務が課され、破ろうものならクビ程度ではすまない。
そういった制約が他にも十数個あり、お世辞にも気軽に働ける環境とは言えない。
だがこのレストランで働きたいと言う、調理人たちは後を立たない。
それはこのレストランで働くという事が、彼らにとってこの上ない名誉な事だからだ。
だがリウにはその有難い食事が想像つかない、どれを頼めばいいのかもわからない。
「どうしました?」
いつまでも料理を頼まない彼女を不思議に思い、スクラピアは声をかけた。
「えーっとですね……その、こういう所で食事をするのって初めてで料理名とかを見てもさっぱりなんです」
「なるほど、それは失礼を」
スクラピアが顔を向けると、一も二も無くウエイターがやってきた。
「彼女に料理の説明を」
「かしこまりました」
ウエイターはリウの質問に答えながら、丁寧にメニュー内容や使われている食材を説明してくれた。
「じゃあ……これで」
迷った挙句リウが最終的に選んだのは、ヒレステーキだった。
料理を待つ間、彼女は煌びやかな内装と空気感に圧倒され終始無言だったが隣に座ったシギとバグウェットは慣れているのか、それとも単に気にしていないだけなのかいつも通りの様子で注文した料理の話をしていた。
丸テーブルに座ったリウのちょうど正面にスクラピアは座っており、静かに料理が来るのを待っている。
やがて運ばれて来た料理が並べられ、殺風景だったテーブルが彩られていく。
シギの前にはスイーツが、バグウェットの前には奇怪な料理が並べられ、リウの前には厚みのあるステーキが置かれ、スクラピアの前にはサーモンカルパッチョが置かれた。
「では料理も揃ったようなので、食事を始めましょうか」
食事が始まったのはいいが、リウはある事に気付いてしまう。
ステーキが半生なのだ、一口サイズに切った肉の断面を見ると赤みが残っている。
中まで火が通っていない、高級料理店と言えどこういうミスをするのかと彼女は一人衝撃を受けていた。
「リウさんどうしたんですか? 何かありました? そんなに肉をまじまじと眺めて」
口の横にクリームを付けたシギが彼女に声をかける、先ほどまでマリトッツオに夢中でかぶりついていたのだが、ふと横を見るとリウが肉を眺めて固まっている。
そんな様子を見れば、さすがに声をかけないわけにはいかなかった。
「シギ君、このお肉……半生なの」
「はんなま?」
「見て、中まで火が通ってない」
大真面目に肉を見せるリウ、それを見てシギはこっそりと彼女に耳打ちをした。
「リウさん……それ……そういう食べ物なんです」
「……そうなの?」
彼は深く頷くと、微妙な顔をしてリウを見る。
この時、二人は同じ事を考えていた。
バグウェットにバレなくて良かった、と。
「いやー本当に悪いな、こんな美味い飯をタダで食わしてくれるなんてな」
「構いませんよ。無礼だったのは私の方ですし、何よりあなた方にはそれだけの価値がある」
「価値? 何の事だ? 俺たちはそんな大したもんじゃねーぞ」
「ご謙遜を、先日のヒューマンリノベーションの件はお見事でしたよ。クロートザックの皆さん」
バグウェットは口に運ぼうとしていた肉を皿に置き、スクラピアを見た。
彼は口元に笑みを浮かべ、三人を見ている。
「お前……最初からか」
「ええ、ポートンさんの店で出会ったのは偶然ですが。あなた方の事は前々から存じ上げていましたよ。肉体改造や強化オプションに頼らず、鋼鉄の義手と鍛え上げた肉体と経験のみでこの街の曲者たちと渡り合うあなたの事はもちろん」
彼はシギの方に目線を向ける。
「そちらのスナイパー君もね」
「光栄ですね」
「申し訳ないがお嬢さんの事はあまり分からなかった、ただ彼らと共にいるという事はそれなりの人材だという事でしょうね」
「いや、こいつはただの正直者のあんぽんたんだぜ」
「バグウェット!」
「なるほど」
ふふと笑うと、彼はカルパッチョを口に含む。
納得した様子でそれを飲み込み、感嘆のため息を漏らした。
「目的は?」
「ありません、今日は純粋にお詫びをしたかっただけですよ。まあ強いて言うなら、あなたたちと繋がりを持ってみるのもいいかなとは考えていましたが」
「それだけか?」
「それだけですよ、私は価値のあるものが好きなもので」
「金持ちの考える事はよく分かんねぇな」
バグウェットは食べかけていた肉を、口の中へ放り込む。
「むしろ何か用があったのはそちらの方では? 違いますか、お嬢さん」
「え?」
「気のせいでしたら申し訳ありませんが、あなたは何か私に言いたい事があるように思えまして」
サングラスの奥にある瞳は見えない、だというのに心を覗かれてしまったような感覚が彼女を襲う。
初めから気づいていたのか、徐々に気付いたのかは分からない。
だが彼は確かに、彼女の心の奥底にある言葉の存在に気付いていた。
「お願いが……あります」
「私にできる範囲内であれば」
「ポートンさんの店の件、考え直してほしいんです」
彼女の胸中にはずっとその言葉があった、メニューを見ている時も肉を見ている時も、意識していない時でさえ消える事無く心の内にあり続けていたのだ。
「なぜ?」
「ポートンさんは本心ではお店をやめたくないと、そう思っているからです」
「君はどうなんだい? あの店を続けて欲しいと考えているのか?」
「はい」
「ふむ……私に直接たのむほど君はあの店のファンなのか?」
「行ったのはこの前が初めてです」
「ならどうして?」
「その一回で好きになりました」
一連の会話を聞いていたバグウェットは頭を抱えており、シギはうんうんと頷きながら話を聞いていた。
スクラピアはリウの馬鹿正直な答えを聞き、どこか納得したように笑った。
「なるほど……さすがバグウェットさん、あなた手元に置くだけの逸材だ。だが少々この街には向かないな」
「……俺もそう思うよ」
バグウェットは顔を上げず、うつむいたまま呟く。
「さて、正直者のお嬢さん。結論から言うとノーだ、君の願いを受け入れる事はできない」
「どうしてですか」
「ポートンさんが店を続けたい、という気持ちがあるのは私も知っている。だがあの店を畳み土地を売ると言ったのは他でもない彼なんだ、彼が選択した事なんだよ。そして私は彼に相応の対価を支払い、それに納得してもらった。一体なにが不満だと言うんだ?」
「それは……」
「何よりあの店はすでに経営が危うかった、彼には悪いが今回の件は英断だと言わざるを得ない。あの店にはすでに価値が無かった」
「価値が……無い?」
その言葉はリウの心に怒りの火を点けた。
「そうだ、あの店はすでに何の価値もない。僅かばかりの金を生み出す事すら難しかったんだ」
「そうやってお金お金って……そんなにお金が好きなんですか」
「そうだね、私はお金が好きだ。君は違うのかい?」
「私もお金は大事だと思います……でも! そればっかりじゃないでしょう!?」
つい声を荒げた彼女に、声を抑えるジェスチャーをしたスクラピアは少し考える素振りを見せる。
「そればかりじゃない……か。なるほど、君の言いたい事は分かった。次は私の話を聞いてもらえるかな?」
「……はい」
「私はね、金が好きだ。正確に言えば金の持つ力が好きだ」
「力?」
「そう、例えば……この写真を見てください」
彼は胸元のポケットから一枚の写真を取り出し、リウの前へ滑らせた。
三人がその写真を覗き込むと、そこには一枚の絵画が映っている。太陽と月、そして花が淡い色合いで描かれた絵だ。
「それは二年前に亡くなった天才画家、ローベル・マクガレアの晩年の作品です。君たちはそれを見てどう思いましたか?」
「どうって……」
リウはもちろん、シギやバグウェットもそういった芸術に関しては素人だ。
絵を正しく評価する力も、そもそもそういった物に対しての興味も無い。であれば抱く感想は一つだけだ。
「絵が上手い…と思いました」
「同じく」
「俺もだ、お前は違うのか?」
「いや、私もそう思ったよ。そう、我々は素人だ。どれだけ大層な絵を見た所で、その価値を正確に把握できるわけじゃない。重ねて聞こう、私は先日この絵を買ったわけだがいくらで買ったと思いますか? どれだけの価値がこの絵にあると思う?」
バグウェットとシギは早々に考えるだけ無駄だと思考を放棄したが、リウはうんうんと考え一つの金額を彼に伝えた。
「正解はね、君の言った金額の五千倍だ」
「うぇっ?」
冗談だと思った、リウの言った金額も絵画を買うには足りないが彼女たちにとっては十分すぎる金額だ。
それの五千倍、となれば彼女の思考が止まり奇声を発するには十分すぎる金額だ。
「こ……この絵……そんなにするの……?」
「いやーお金持ちの考える事はよく分かりませんね」
「お前……騙されてんじゃねえのか?」
「それは御心配なく」
リウの衝撃が抜けた頃を見計らい、彼は話を再開した。
「これが金の持つ力の一つだよ、この絵は確かに素晴らしいものだ。だが芸術に対して造詣が深くない私たちのような大多数の人間にはその価値が曖昧にしか分からない、だが金はそのぼやけた価値を誰にでも分かりやすく表す事ができる」
確かにどこどこの誰それが描いた絵、と言われても正直三人はピンと来なかったが、絵の値段を言われればこの絵がどれだけの価値があるのかを瞬時に判断できた。
これこそが彼の言う金の持つ力の一つ、曖昧な価値を分かりやすくしてくれるというものだ。
「そして何より金による取引は、この世界でもかなり良識的で平和的に望む物を手に入れる事ができる方法の一つなんですよ」
「どういうことですか?」
「お嬢さん、君が買い物に行ってリンゴを買おうとしたとする。それをどうやって手に入れる?」
「それはもちろんお金を払って買います」
「そうだ、だがもし仮にお金を持っていなかったなら?」
「それは……諦めますよ、だってお金がなきゃ買えないじゃないですか」
「そう、それが正しい。だがこの世界には金を支払うよりも店員を銃で撃ってリンゴを奪おうとする人間の方が多い、銃弾一発の方がリンゴよりも安く済むからね。バグウェットさん、あなたなら分かるでしょう?」
「もちろん、仕事柄そういうやつは見て来たからな」
「だが私は違う、あの店を正しく評価しその上で交渉し見合った金額を提示した。現に彼は何か契約に対して文句を言っていましたか?」
言っていなかった、ポートンは店を畳む事に対しての無念は語ったが、契約に対しての文句は一つも言っていなかった。
もしかすると間違っていたのは自分のほうだったのかもしれない、そんな考えが頭をよぎりリウは何も言えなくなってしまう。
「さて、これで私の話は終わりですよお嬢さん。私が言った事に納得しなくていいし、受けいれなくても構わない。君は私ではないのだから、私が君ではないようにね」
その後、食事を終えた四人はレストランの入口へ向かう。
表には彼が手配した車が待っていた。
「今日はありがとうございました、急なお願いにもかかわらず……」
「構わねえさ、なんならまた奢ってくれ」
「ええ、是非」
バグウェットは車に乗り込み、シギも軽く頭を下げて乗り込んだ。
「今日は……ごちそうさまでした」
リウはそう言ってからぺこりと頭を下げ、車に乗ろうとした。
「お嬢さん、一ついいですか」
彼女は足を止めると、スクラピアの方へ視線を向ける。
「私と一つ賭けをしませんか?」
「賭け?」
「ええ、もしあなたが勝てばあの店の買収を取りやめた上でポートンさんには本来支払う予定だった金額をお支払いしましょう」
それは思わず飛びつきたくなるような、魅力的な条件だった。
だがそれはあまりにも。
「おいおい、間違っても受けんなよ。話がうますぎる、絶対やべえリスクあるだろ」
「ありませんよ、何も」
「はあ? お前それでも商売人かよ」
「私は商売人ではありません、ただの大金持ち。優秀なのは部下ですよ、さてどうしますか? この賭けを受けるのか、受けないのか」
「受ける」
「……おいおい、馬鹿かお前!」
「よろしい、ならば一勝負といきましょうか」
スクラピアは嬉しそうに、楽しそうに笑った。
「いやーなんだか悪いね、スクラピアさん」
「気にしないで下さい、食事の時間を邪魔した私に非がありますから」
バグウェットはスクラピアにペコペコとだらしなく頭を下げてから、メニューに載っている自分が食べたいと思った物を片っ端から注文し始めた。
シギも彼と同様にありとあらゆるスイーツを頼みまくっている、その目にはすでに周りの人間など映っていない。ただスイーツの名前を読み上げる、機械のような存在になってしまっていた。
「さ、どうぞお嬢さん。あなたも好きな物を頼んでいいんですよ」
「は、はあ……」
リウもとりあえずメニューを見てみるが、いったいどういう食べ物なのか想像もできず困惑している。
なぜこんな事になったのか、おそれは二時間ほど前にさかのぼる。
ポートンの店での出来事から二日が経ち、それぞれの胸中にはそれぞれの思いがあるがそれをお互いに言う事もなくこの日まで過ごしていた。
依頼もなく、この前のパトリックの依頼で得た報酬はその他の経費として消えてしまっていたため、便利屋クロートザックの財政状況は非常に悪い。
ポートンの店は値段も安く量も多いため、こういった時は重宝していた。
さて、今日は何を食べるかと考えていた時だ。
呼び鈴が、鳴る。
「シギ」
「分かってますよ」
リウはバグウェットの机の陰に隠れるのを見てから、シギが扉を開ける。
扉の向こうに立っていた人影は、にこやかに笑った。
「こんにちは」
そこにはスクラピアがいた、以前着ていた物と同じような仕立ての良いスーツを着て。
「金持ちだ! 金持ちが攻めてきたぞっ!」
「どうも、大金持ちです」
バグウェットの子供のような言葉に、スクラピアはニコリと笑って爽やかに言葉を返した。
その後、三人は彼を事務所に入れて話を始めた。
彼はまず突然の訪問を詫びると共に、ポートンの店での事で事務所を訪れた事を伝える。
彼曰く、食事の時間を邪魔してしまった事をお詫びしたいという事でやってきたらしい。
バグウェットは、金持ち相手だという事と胡散臭さから初めの内は追い出さんばかりの物言いだったが、お詫びの方法が高級料理食べ放題だと聞きあっさりとそれを受け入れた。
そして今に至る、というわけだ。
彼らがやってきていたのは『フリッシュトラベルタ十選(飲食店)』で、不動の一位を誇るレストラン『ウラノス・ミール』という店だ。
和洋中はもちろん、注文さえあればどんな料理でも最高レベルで調理可能な料理人たちが多数在籍し、店の内装は高級感溢れる宮殿のような造り、揃えられた椅子やテーブルといった備品は全て最高級クラスかつ人体工学に基づいて造られた、万が一にも客を疲れさせない品だ。
材料は何重もの厳しい審査を通り抜けた物を使用し、備えられている調理器具は全て最先端かつ最高級品。
調理人たちの採用基準も厳しく設定されており、前述の通りありとあらゆる料理を調理可能という事はもちろん言葉遣いや所作なども厳しくチェック、管理される。
様々な企業の社長や、各界の要人が訪れる関係上ここで働く調理人はもちろん給仕、警備員、出入りの業者に至るまで徹底した守秘義務が課され、破ろうものならクビ程度ではすまない。
そういった制約が他にも十数個あり、お世辞にも気軽に働ける環境とは言えない。
だがこのレストランで働きたいと言う、調理人たちは後を立たない。
それはこのレストランで働くという事が、彼らにとってこの上ない名誉な事だからだ。
だがリウにはその有難い食事が想像つかない、どれを頼めばいいのかもわからない。
「どうしました?」
いつまでも料理を頼まない彼女を不思議に思い、スクラピアは声をかけた。
「えーっとですね……その、こういう所で食事をするのって初めてで料理名とかを見てもさっぱりなんです」
「なるほど、それは失礼を」
スクラピアが顔を向けると、一も二も無くウエイターがやってきた。
「彼女に料理の説明を」
「かしこまりました」
ウエイターはリウの質問に答えながら、丁寧にメニュー内容や使われている食材を説明してくれた。
「じゃあ……これで」
迷った挙句リウが最終的に選んだのは、ヒレステーキだった。
料理を待つ間、彼女は煌びやかな内装と空気感に圧倒され終始無言だったが隣に座ったシギとバグウェットは慣れているのか、それとも単に気にしていないだけなのかいつも通りの様子で注文した料理の話をしていた。
丸テーブルに座ったリウのちょうど正面にスクラピアは座っており、静かに料理が来るのを待っている。
やがて運ばれて来た料理が並べられ、殺風景だったテーブルが彩られていく。
シギの前にはスイーツが、バグウェットの前には奇怪な料理が並べられ、リウの前には厚みのあるステーキが置かれ、スクラピアの前にはサーモンカルパッチョが置かれた。
「では料理も揃ったようなので、食事を始めましょうか」
食事が始まったのはいいが、リウはある事に気付いてしまう。
ステーキが半生なのだ、一口サイズに切った肉の断面を見ると赤みが残っている。
中まで火が通っていない、高級料理店と言えどこういうミスをするのかと彼女は一人衝撃を受けていた。
「リウさんどうしたんですか? 何かありました? そんなに肉をまじまじと眺めて」
口の横にクリームを付けたシギが彼女に声をかける、先ほどまでマリトッツオに夢中でかぶりついていたのだが、ふと横を見るとリウが肉を眺めて固まっている。
そんな様子を見れば、さすがに声をかけないわけにはいかなかった。
「シギ君、このお肉……半生なの」
「はんなま?」
「見て、中まで火が通ってない」
大真面目に肉を見せるリウ、それを見てシギはこっそりと彼女に耳打ちをした。
「リウさん……それ……そういう食べ物なんです」
「……そうなの?」
彼は深く頷くと、微妙な顔をしてリウを見る。
この時、二人は同じ事を考えていた。
バグウェットにバレなくて良かった、と。
「いやー本当に悪いな、こんな美味い飯をタダで食わしてくれるなんてな」
「構いませんよ。無礼だったのは私の方ですし、何よりあなた方にはそれだけの価値がある」
「価値? 何の事だ? 俺たちはそんな大したもんじゃねーぞ」
「ご謙遜を、先日のヒューマンリノベーションの件はお見事でしたよ。クロートザックの皆さん」
バグウェットは口に運ぼうとしていた肉を皿に置き、スクラピアを見た。
彼は口元に笑みを浮かべ、三人を見ている。
「お前……最初からか」
「ええ、ポートンさんの店で出会ったのは偶然ですが。あなた方の事は前々から存じ上げていましたよ。肉体改造や強化オプションに頼らず、鋼鉄の義手と鍛え上げた肉体と経験のみでこの街の曲者たちと渡り合うあなたの事はもちろん」
彼はシギの方に目線を向ける。
「そちらのスナイパー君もね」
「光栄ですね」
「申し訳ないがお嬢さんの事はあまり分からなかった、ただ彼らと共にいるという事はそれなりの人材だという事でしょうね」
「いや、こいつはただの正直者のあんぽんたんだぜ」
「バグウェット!」
「なるほど」
ふふと笑うと、彼はカルパッチョを口に含む。
納得した様子でそれを飲み込み、感嘆のため息を漏らした。
「目的は?」
「ありません、今日は純粋にお詫びをしたかっただけですよ。まあ強いて言うなら、あなたたちと繋がりを持ってみるのもいいかなとは考えていましたが」
「それだけか?」
「それだけですよ、私は価値のあるものが好きなもので」
「金持ちの考える事はよく分かんねぇな」
バグウェットは食べかけていた肉を、口の中へ放り込む。
「むしろ何か用があったのはそちらの方では? 違いますか、お嬢さん」
「え?」
「気のせいでしたら申し訳ありませんが、あなたは何か私に言いたい事があるように思えまして」
サングラスの奥にある瞳は見えない、だというのに心を覗かれてしまったような感覚が彼女を襲う。
初めから気づいていたのか、徐々に気付いたのかは分からない。
だが彼は確かに、彼女の心の奥底にある言葉の存在に気付いていた。
「お願いが……あります」
「私にできる範囲内であれば」
「ポートンさんの店の件、考え直してほしいんです」
彼女の胸中にはずっとその言葉があった、メニューを見ている時も肉を見ている時も、意識していない時でさえ消える事無く心の内にあり続けていたのだ。
「なぜ?」
「ポートンさんは本心ではお店をやめたくないと、そう思っているからです」
「君はどうなんだい? あの店を続けて欲しいと考えているのか?」
「はい」
「ふむ……私に直接たのむほど君はあの店のファンなのか?」
「行ったのはこの前が初めてです」
「ならどうして?」
「その一回で好きになりました」
一連の会話を聞いていたバグウェットは頭を抱えており、シギはうんうんと頷きながら話を聞いていた。
スクラピアはリウの馬鹿正直な答えを聞き、どこか納得したように笑った。
「なるほど……さすがバグウェットさん、あなた手元に置くだけの逸材だ。だが少々この街には向かないな」
「……俺もそう思うよ」
バグウェットは顔を上げず、うつむいたまま呟く。
「さて、正直者のお嬢さん。結論から言うとノーだ、君の願いを受け入れる事はできない」
「どうしてですか」
「ポートンさんが店を続けたい、という気持ちがあるのは私も知っている。だがあの店を畳み土地を売ると言ったのは他でもない彼なんだ、彼が選択した事なんだよ。そして私は彼に相応の対価を支払い、それに納得してもらった。一体なにが不満だと言うんだ?」
「それは……」
「何よりあの店はすでに経営が危うかった、彼には悪いが今回の件は英断だと言わざるを得ない。あの店にはすでに価値が無かった」
「価値が……無い?」
その言葉はリウの心に怒りの火を点けた。
「そうだ、あの店はすでに何の価値もない。僅かばかりの金を生み出す事すら難しかったんだ」
「そうやってお金お金って……そんなにお金が好きなんですか」
「そうだね、私はお金が好きだ。君は違うのかい?」
「私もお金は大事だと思います……でも! そればっかりじゃないでしょう!?」
つい声を荒げた彼女に、声を抑えるジェスチャーをしたスクラピアは少し考える素振りを見せる。
「そればかりじゃない……か。なるほど、君の言いたい事は分かった。次は私の話を聞いてもらえるかな?」
「……はい」
「私はね、金が好きだ。正確に言えば金の持つ力が好きだ」
「力?」
「そう、例えば……この写真を見てください」
彼は胸元のポケットから一枚の写真を取り出し、リウの前へ滑らせた。
三人がその写真を覗き込むと、そこには一枚の絵画が映っている。太陽と月、そして花が淡い色合いで描かれた絵だ。
「それは二年前に亡くなった天才画家、ローベル・マクガレアの晩年の作品です。君たちはそれを見てどう思いましたか?」
「どうって……」
リウはもちろん、シギやバグウェットもそういった芸術に関しては素人だ。
絵を正しく評価する力も、そもそもそういった物に対しての興味も無い。であれば抱く感想は一つだけだ。
「絵が上手い…と思いました」
「同じく」
「俺もだ、お前は違うのか?」
「いや、私もそう思ったよ。そう、我々は素人だ。どれだけ大層な絵を見た所で、その価値を正確に把握できるわけじゃない。重ねて聞こう、私は先日この絵を買ったわけだがいくらで買ったと思いますか? どれだけの価値がこの絵にあると思う?」
バグウェットとシギは早々に考えるだけ無駄だと思考を放棄したが、リウはうんうんと考え一つの金額を彼に伝えた。
「正解はね、君の言った金額の五千倍だ」
「うぇっ?」
冗談だと思った、リウの言った金額も絵画を買うには足りないが彼女たちにとっては十分すぎる金額だ。
それの五千倍、となれば彼女の思考が止まり奇声を発するには十分すぎる金額だ。
「こ……この絵……そんなにするの……?」
「いやーお金持ちの考える事はよく分かりませんね」
「お前……騙されてんじゃねえのか?」
「それは御心配なく」
リウの衝撃が抜けた頃を見計らい、彼は話を再開した。
「これが金の持つ力の一つだよ、この絵は確かに素晴らしいものだ。だが芸術に対して造詣が深くない私たちのような大多数の人間にはその価値が曖昧にしか分からない、だが金はそのぼやけた価値を誰にでも分かりやすく表す事ができる」
確かにどこどこの誰それが描いた絵、と言われても正直三人はピンと来なかったが、絵の値段を言われればこの絵がどれだけの価値があるのかを瞬時に判断できた。
これこそが彼の言う金の持つ力の一つ、曖昧な価値を分かりやすくしてくれるというものだ。
「そして何より金による取引は、この世界でもかなり良識的で平和的に望む物を手に入れる事ができる方法の一つなんですよ」
「どういうことですか?」
「お嬢さん、君が買い物に行ってリンゴを買おうとしたとする。それをどうやって手に入れる?」
「それはもちろんお金を払って買います」
「そうだ、だがもし仮にお金を持っていなかったなら?」
「それは……諦めますよ、だってお金がなきゃ買えないじゃないですか」
「そう、それが正しい。だがこの世界には金を支払うよりも店員を銃で撃ってリンゴを奪おうとする人間の方が多い、銃弾一発の方がリンゴよりも安く済むからね。バグウェットさん、あなたなら分かるでしょう?」
「もちろん、仕事柄そういうやつは見て来たからな」
「だが私は違う、あの店を正しく評価しその上で交渉し見合った金額を提示した。現に彼は何か契約に対して文句を言っていましたか?」
言っていなかった、ポートンは店を畳む事に対しての無念は語ったが、契約に対しての文句は一つも言っていなかった。
もしかすると間違っていたのは自分のほうだったのかもしれない、そんな考えが頭をよぎりリウは何も言えなくなってしまう。
「さて、これで私の話は終わりですよお嬢さん。私が言った事に納得しなくていいし、受けいれなくても構わない。君は私ではないのだから、私が君ではないようにね」
その後、食事を終えた四人はレストランの入口へ向かう。
表には彼が手配した車が待っていた。
「今日はありがとうございました、急なお願いにもかかわらず……」
「構わねえさ、なんならまた奢ってくれ」
「ええ、是非」
バグウェットは車に乗り込み、シギも軽く頭を下げて乗り込んだ。
「今日は……ごちそうさまでした」
リウはそう言ってからぺこりと頭を下げ、車に乗ろうとした。
「お嬢さん、一ついいですか」
彼女は足を止めると、スクラピアの方へ視線を向ける。
「私と一つ賭けをしませんか?」
「賭け?」
「ええ、もしあなたが勝てばあの店の買収を取りやめた上でポートンさんには本来支払う予定だった金額をお支払いしましょう」
それは思わず飛びつきたくなるような、魅力的な条件だった。
だがそれはあまりにも。
「おいおい、間違っても受けんなよ。話がうますぎる、絶対やべえリスクあるだろ」
「ありませんよ、何も」
「はあ? お前それでも商売人かよ」
「私は商売人ではありません、ただの大金持ち。優秀なのは部下ですよ、さてどうしますか? この賭けを受けるのか、受けないのか」
「受ける」
「……おいおい、馬鹿かお前!」
「よろしい、ならば一勝負といきましょうか」
スクラピアは嬉しそうに、楽しそうに笑った。
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