ガドリング・フィールド

猫パンチ三世

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第三章 金・金・金

四十六話 スモーキングウインドウ

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 その男には余裕があった。
 着ている服にも、サングラスのせいでよく分からないはずの表情にも余裕があった。
 小さな動作の一つ一つ、歩く姿も纏う空気にすら余裕と豊かさを感じられる。

 そんな男が四人の前に立った。

「スクラピアさん、今日はどういったご用件で? 今日はここに来る予定は無かったはずですが?」

 少しの怒りを含んだポートンの言葉に、スクラピアは被っていた帽子を脱ぎ丁寧に頭を下げた。

「申し訳ない、近くに来る用事があったもので挨拶をと」

 そう言ったスクラピアの目線は、カウンターにいた三人に向けられた。

「そちらのみなさんも、食事中に申し訳ない」

「いや、終わったところだ。気にすんな」

「ありがとうございます、……と言っておきましょうか」

「あ? どういう意味だ金持ち野郎」

「いえ、お気になさらず。それではポートンさん、また来ます」

 軽く頭を下げ、スクラピアは静かに店を出て行った。
 残された四人の間には、微妙な空気が流れる。

「マスター……まさか店を閉める理由ってのは……あいつか?」

 バグウェットの問いに、彼は静かに頷く。
 
「話、聞かせてくれよ」


 店の後片付けを全て終え、四人はカウンターではなく奥のテーブル席へと場所を移した。
 ポートンは三人の前にこの辺りの地図を広げ、ある区画を指した。公園のすぐ近く、彼の店を含めた区画が赤く色づけされている。

「会社のビルを建てるそうで、その建設予定地にこの店も入ってるんですよ」

「そりゃまたよくある話だが、何だってこんなとこにビルを建てようってんだ?」

「詳しくは分からない、ただ理由の一つとしてはここらの土地が安いからだろうな」

「この辺りは静かで良い場所ですけど……それは中心地から離れてるって事でもありますしね」

 ポートンの言う通り、彼の店がある土地は安い。中心地と比べると約三分の一くらいの値段だ、多少の便を捨てたとしても手に入れる価値はある。
 
「けどこの地図を見る限り、それなりの数の物件が範囲に入ってますよね? 他の人たちはどうしたんですか?」

「他の所はすでに買収済み、残ってるのは……この店だけだ」

 元々この辺りの土地は、多くの人間を相手にするような店が少ない。
 入りは少なくとも、昔馴染みの常連でどうにかやりくりしているような店が多かった。そのため他の店は、スクラピアの提示した額面に魅力を感じ早々に土地を手放した。

 彼らにも店を続けたいという気持ちはあった、だがただでさえ人の入れ替わりが激しい上、驚くほどのスピードで移り変わる街に昔ながらののんびりとした店は追い付けていけない事も彼らは知っていた。
 
「私もね、本当は店を続けたいと思っている」

 ポートンはそう呟く、テーブルに置いた老人の手は小さく震えていた。

「妻とこの店を始めて四十年、辛い事も苦しい事も山ほどあったがそれと同じくらい素晴らしい思い出がここにはある。だが客足は年々減り続けている、君たちの前の客が来たのは五日前の事だ」

「まさかとは思うがよ、あいつが何かしてるって事はねえのか? あんたを追い詰めて買収しやすくする工作とか」

 それを聞いて短く笑ってから、情けなさそうにポートンは首を振った。

「違うんだよバグウェット君、彼が来る前から厳しい状態は続いていたんだ。潮時かなとは前々から考えていた」

 彼は広げた地図を畳みだす。

「もう……気持ちは変わらないんですか?」

 今までずっと黙って話を聞いていたリウが口を開いた、それを聞いたポートンは静かに頷く。

「……ああ、こればかりはね」

 そして地図を畳み終わったポートンは、三人と一緒に入り口まで歩く。
 そして店を出る三人に、深く深く頭を下げた。

「今日は本当にありがとう、最後のお客が君たちだったというのは嬉しいめぐり合わせだったよ」

「俺もだよマスター、あんたのコーヒーの味は忘れねえ」

 そんな短い終わりの言葉を言い終えると、バグウェットはさっさと店を出てしまった。
 残された二人も、丁寧に頭を下げ店を出る。
 
 閉まったドアの前でポートンは、しばらく動かず立ち尽くしていた。
 閉まってしまったドアを見つめながら、耳の痛くなるような静寂の中で。


 事務所に帰って来た三人の間には、重たい空気が流れる。
 バグウェットは窓を開けて煙草を吸い、他の二人は黙ったままソファーに座りうなだれていた。

「……さぶっ。おい、お前らどっちからでもいいからさっさと風呂に入ってこい」

「私は後でいいや、シギ君いいよ」

「リウさん先いいですよ」

 そう言って二人は結局うごかない。
 それを見てバグウェットは、灰皿に乱暴に吸い殻を突っ込んだ。

「おいおい、おめーら何をそんなに落ち込んでんだ。しゃーねえじゃねえかマスターが自分で店を閉めるって言ってんだ、俺らここで悩んだり凹んだりしても意味ねえよ」

「それは……そうですけど」

「だからこの話は終わりだ、知り合いの店が閉まるたびに頭かかえてらんねえからな」

 ずいぶんと冷たい、突き放したような言い方にリウは少しだけムッとする。
 バグウェットの言っている事は間違っていない、間違っていないがあまりにもどうかと思う。
 リウの見た感じ、ポートンとバグウェットの付き合いは長い。
 それも険悪ではなくかなり良好な関係のようにも見え、それはポートンの言葉からも分かる。

 にもかかわらずこの言いようはあんまりではないか、そんな思いを胸に彼女は口を開いた。

「バグウェットは嫌じゃないの? あの店が無くなるの」

 シンプルな質問だった。
 ムッとした感情を、リウはそのまま言葉にしようとしたが口を開く直前で彼女は言葉を変えた。
 
 先ほどからバグウェットは確かに突き放したような言い方をしているが、それは二人に言い聞かせているようでもあり、自分に言い聞かせているようでもあった。

 だから彼女は素直にそれをぶつけた。
 
 誤魔化しようのない、シンプルでストレートな質問として。

 それを聞いたバグウェットは、深いため息を吐く。
 そして窓へ向かい、煙草に火を点けた。

「ま、正直いえば俺としても続けて欲しいさ。それなりに長え付き合いだしコーヒーも美味いからな」

「なら……」

「だけどな、だからって店を続ける事を強要する事はできねえのさ。やめたいってむこうが言うのなら、受け入れるしかないんだよ」

 バグウェットは、煙草を咥える。
 大きく息を吸い、彼は深く煙を吐き出した。

「この話は終わりだ、さっさと風呂に入って寝ろ」

 リウは頷きもせず、静かに事務所を出て行った。

 シギはバグウェットの方をニヤニヤしながら見る、その表情がどうにも鼻についたバグウェットはあえてそれに触れず、黙って煙草を吸っていた。

「ずいぶんと厳しいですね、バグウェットだって閉店について言うほど納得いってないでしょうに」

「この街で生きていく以上、失くす事にもちったあ慣れてもらわなきゃ困るんだよ」

「それはそうですけどね、ああいう所がリウさんの良い所だと僕は思うんです。だからそれを潰すのはどうかなと」

 バグウェットはだるそうに頭をかき、そして煙を深く吐き出した。

「……元からどうしようもねえんだよ、マスターがやめるってんならな。あの人は冗談でもそういう事を言わねえ人だ、今回の事だって俺たちが思う以上に時間をかけて出した答えなんだろうよ」

「じゃあ今回は特に何もしない、と?」

「ま、そーいうこったな」

 バグウェットはそう言ったきり何も言わなくなった、ただ窓の外の雨を見ながら煙草を吸う。
 吐き出した煙は薄くなって消えていくのに、彼の中にある嫌な感じは少しも無くなってはくれなかった。
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