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其の一 華の香り
1-8 禍断つ一太刀の祓
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急がせたぶん車夫に運賃を弾むと、千鶴は車夫が待機しましょうかと提案する声も聞かず、勢いのまま庭路地へと飛び込んだ。格子戸はやはり開いていた。
一歩一歩をもどかしく感じながら玄関へたどり着く。すがる思いで力一杯戸を引くと、上がり框に影守が腰掛けていた。
「おや、これはこれは」
「せ、先生……っ! あたしっ、わっ、わたくし、」
「まあ一旦落ち着きたまえよ。約束のないのを叱ったりはしないから」
千鶴の思いとは裏腹に、影守の顔にはどこかからかうような笑みが浮かんでいた。――そういえば、今日の格好は先週のだらしないものとは異なり、洋装で整えられている。髪こそ降ろしているものの、小洒落た片眼鏡に、白い手袋。黒い立て襟の洋装姿は軍人を思わせた。刀の代わりとばかりに杖を持っている所も洋装に併せているのだろう。
今すぐに学校で起こっていることを詳らかに伝えたい気持ちと、明らかに普段着ではない様子から、今時間が取れそうにないという直感がせめぎ合う。
「丁度良い。君、じっとしていなさい」
「えっ?」
「目を閉じて」
おもむろに立ち上がり、精悍な顔にうっすらと笑みを乗せながら、影守が言い聞かせる。
不思議とそれに反抗することもできず、千鶴はその場でぎゅっと目を閉じた。
「良い子だ」
酷く優しげに響く声の後、千鶴が聞いたのは何かが擦れる音。そう、例えば長包丁を鞘から出したときのような。
思い至った瞬間、身体全体が重く、土間に足が沈み込むような感覚を覚えた。まるで内臓が地獄から鎖で引っ張られるようだった。
「破邪の刀を以て、ここに縁断ち奉る。かくあれかし」
そこで千鶴は不思議なものを見た。瞼越しに、あるいは瞼の裏に影守の姿が浮かび上がる。杖の持ち手から刀の刃が覗き、冷ややかに煌めいた。影守は千鶴の肩越しに何かを見据えている。そしてまるで明確に目指すものがあるかのように、下段の構えから刀を千鶴へと振り上げた。
不思議と恐怖はなかった。
現実感に乏しかったのもあるが、刀身が自ら輝いているかのように光るさまが美しく、清浄なもののように思えたからだった。
ぶつりと耳元で藁を断つような音が響き、下へ下へと千鶴を引き込むかのような力がなくなった。
視界の端に赤いものがちらついた気がしたが、目を閉じたままそれを追いかけることはできなかった。
否。できずとも問題はなかった。
千鶴の瞼には自身に絡みつく、悍ましい量の赤い紐が見えた。影守はそれを一太刀で始末したのだ。
ふと冷気を伴った風を感じたかと思うと、ちん、と小気味の良い鈴のような音色が一つ。
名残のように柑橘の香りが鼻先をくすぐり、千鶴は漸く息を押し殺していたのを思い出した。強い百合の匂いが自分の身体に纏わり付いていたことも。
「よし。もう目を開けてもよろしい」
影守の声と共にゆっくりを瞼を上げながら、深く息を吸い込む。よく分からないまま影守に流されているにも関わらず、心は凪いでいた。
まず目に入ったのは、影守の手元だった。白い手袋の指先が、ラムネのビー玉栓ほどの透明な水晶玉を挟んでいる。ついでのように握られているのは、瞼越しに見たものと同じ赤い組紐だった。
「……先生、それは?」
「魂――と言うと、語弊があるか。名も知れぬ者の人生が記された核と言うべきかな。世間一般で言う幽霊のようなものはここにはない。紐はこれと結びついていた怪異のからくりの方だな」
言って、影守はそれらを千鶴の目に見えるようかざした。突拍子もないことを言われたにもかかわらず、影守は真実質問に答えているのだと思う。素直に言葉が心へと入り込み、だからこそ彼が『そういう』世界に生きているのだと肌で感じた。
とても触る気は起こらず、千鶴は影守が慣れた手つきで小さな桐箱にそれらをしまうのを眺めていた。
桐箱の中には深い紫色の天鵞絨の布が敷いてあり、綺麗に核と組紐を寝かせる。最後に蓋をすると、影守は再び上がり框に腰掛けた。手元で桐箱を弄びながら、千鶴を見遣る。
「今度はすんなりと納得するのだな」
影守が笑う。魂屋に飛び込んだときのものとは違う、慈しみを感じる顔だった。
「さて、今日は帰りなさい。君のご友人は、今この時にも快方に向かうはずだ」
「……どうして……」
「君が彼らの不調の原因を連れてきて、僕が今それを断ち切ったから。このまま話をしていても拉致はあかないだろう? それにどのみち、ご友人の様子が分かるのも、君と話をするのも明日なのだから」
さあ、と今入って来たばかりの玄関を過ぎ、外へと追いやられる。せめて人力車を捉まえるくらいはと言いかけた影守は、千鶴を乗せてきた車夫が心配そうに路地庭を伺っている影を認めると、彼女を連れて堂々と外に出た。
そして車夫に待機分の料金を握らせると、千鶴を日登家まで送るよう伝え、彼女を見送った。
流されるまま帰路についた千鶴は、優子の顔と影守の様子を交互に思い出して息をついた。
(また、だわ。どうして先生のところへ行くと流されてしまうのかしら……。なにもはっきりとしたことは言われていないというのに)
答え合わせを焦らされはするが、煙に巻かれている感覚はない。それだけが影守への不信感や不快感をなくしていた。本来、怪しむのが普通なのに。
具体的に影守が何をしたのかも分かっていない。優子の様子も、明日登校するまではなんの情報も得られない。
にもかかわらず、先ほどまで千鶴の胸の内に吹きすさんでいた焦燥感はさっぱりと消えてしまっていた。
翌日、優子をはじめとする寄宿生たちが全員明るい顔で登校した事実を確認すると、千鶴は口元を引き結んだ。影守の発言をこれ以上疑うのは難しい。誰がなにを言おうとも、既に千鶴の心は納得していた。
今の時代にあって、影守は科学や学問とは全く遠い世界の理を知る人なのだ。
「よかったわ、優子さん、元気になって」
「そうね」
級友達が口々に囁く。昨日の今日で、流石に優子の顔色は元気なものとは言い難かったものの、さっぱりと晴れやかな表情は快方へ向かっていることを信じられるよいものだった。
優子は千鶴と目が合うとさっと近寄ってきた。
「千鶴さん、淑乃さんも、お見舞いありがとう。あの後しばらくすると、起き上がって歩くのが本当に楽になりましたの」
「なにもできませんでしたけれど、よかったですわ」
「ええ、本当に」
声のさざめきは教室に広がっていた。そこに、優子が声を潜めて囁く。
「お二人ともご存じかもしれませんけど……わたくし、昨日も『おまじない』をしたの。どうしても……名残惜しくて。けれど、もう何も見なかったわ」
「え?」
「夢にはもう、誰も出てこなかったの」
優子は寂しそうに目を細めた。
「でも、これでいいのよ。だって、わたくしにはやらなくてはいけないことが山とある。それをこなすには、身体が健やかでなくてはね」
持参した弁当を学校で食べた後、千鶴は母に持たされた菓子折と共に魂屋に赴いた。日曜日に家に商人を呼んで舶来品を見繕ったのが、遠い日の事のように思える。
涼しげに影を落とす路地庭を過ぎると、玄関先には既に影守が立っていた。和装姿は千鶴の目に良く馴染み、前日の異質さなど影も形もなかった。
「やあ、来たね」
「先生、あの」
「まあともかくお入りなさい。腰を落ち着けても話はできる」
影守が玄関戸を引き、千鶴を中へと誘う。千鶴は彼に倣って土間へ歩を進めると、上がり框に腰を下ろし、靴紐を解いた。先週のように応接間へ通される。影守が「どうぞ」と合図するのに一礼して、革張りのソファへ腰を下ろした。
ぎゅむ、と雪を踏みしめるかのような音が鳴る。影守は千鶴の前に座った。丁度良く、丁稚が二人に紅茶を出し、直ぐに下がった。
二人の前にはあの時の桐箱が置かれている。それを見ると、千鶴の脳裏には優子の真っ白な顔色と、目を瞑っている間に聞こえた音を思い出した。
「君のご友人は無事だったかな」
「……はい」
言葉少なに千鶴が頷く。影守にとっては分かりきったことだったのだろう。かと言って上から物言うわけでもなく、静かに呟いた。
「それはよかった。君も、もう納得しているようだ」
「……先生が仰ることは、先週から一貫しています。その場しのぎの言葉ではないことは、充分伝わっていますから」
影守は千鶴の言葉に少し間をおくと、桐箱に目を遣りながら答えた。
「僕はこうして人の世に転がる魂魄に絡みついた悪縁を断つのが仕事だ。そして『蒐集』する。魂は後でゆっくり鑑賞することもあるし、ごく稀だが酔狂な人間に高値で売ることもある。故に『魂屋』と言うわけだ」
影守は先週千鶴と話した内容を繰り返した。そして「これで分かっただろう?」と言いたげに。
「君のような女学生の噂から獲物を見つけられやしないかと目をつけたのだが、正解だったな。おかげでまた一つ、コレクションが増えた」
「魂って、あの水晶玉のことでしたか? とても綺麗なものなんですね」
「そうか? 女人の感性は分からんな」
そこに美的感覚はないらしい。あっさりとした態度の影守に、千鶴の目は自然と桐箱に落ちた。その視線に気づいた影守はにやりと笑って、ポケットから何かを取り出すと、千鶴の手を求めるようにもう片方の手を差し出す。誘われるように千鶴が手を出すと、その手を優しく取って、取り出したものを彼女の手のひらに転がした。
桐箱にしまわれた玉とよく似たものが、じゃらじゃらと千鶴の手に積まれていく。
「ひゃあっ! せ、せんせい、これっ」
「く、はははっ! ただの硝子玉だよ」
狼狽した千鶴に、影守は悪戯が成功したような顔で笑いとばした。
「も、もうっ! なんてことをなさるんです!」
ただの硝子玉だと知っても、影守から渡された用途の分からないものを放り投げることもできず千鶴はおののく。彼女の様子に影守は笑みを引きずりながらも、柔らかく窘めた。
「魂は別に特別なものじゃない。誰もが持っている。君も。だからあまり執着しなさるな」
「……」
「どうしてもというならそれをやる」
なんの変哲もない硝子玉を欲しがるのは子どもくらいのものだ。千鶴のような年齢ならば、せめてトンボ玉だろう。千鶴は持たされた硝子の粒を握りしめ、影守へ吠えた。
「からかわないでくださいまし!」
「ははっ」
ぽす、と影守の肩を叩くように手を振ると、呆気なくその手を止められ、優しく降ろされる。彼女の手から硝子玉が戻されると、影守はポケットの中から小さな巾着袋を取りだし、そこに入れた。元々はそこに入っていたものなのだろう。
からりと笑った影守の顔はいつになく晴れやかで、オールバックでないというのに、どこか千鶴の目を惹いた。
一歩一歩をもどかしく感じながら玄関へたどり着く。すがる思いで力一杯戸を引くと、上がり框に影守が腰掛けていた。
「おや、これはこれは」
「せ、先生……っ! あたしっ、わっ、わたくし、」
「まあ一旦落ち着きたまえよ。約束のないのを叱ったりはしないから」
千鶴の思いとは裏腹に、影守の顔にはどこかからかうような笑みが浮かんでいた。――そういえば、今日の格好は先週のだらしないものとは異なり、洋装で整えられている。髪こそ降ろしているものの、小洒落た片眼鏡に、白い手袋。黒い立て襟の洋装姿は軍人を思わせた。刀の代わりとばかりに杖を持っている所も洋装に併せているのだろう。
今すぐに学校で起こっていることを詳らかに伝えたい気持ちと、明らかに普段着ではない様子から、今時間が取れそうにないという直感がせめぎ合う。
「丁度良い。君、じっとしていなさい」
「えっ?」
「目を閉じて」
おもむろに立ち上がり、精悍な顔にうっすらと笑みを乗せながら、影守が言い聞かせる。
不思議とそれに反抗することもできず、千鶴はその場でぎゅっと目を閉じた。
「良い子だ」
酷く優しげに響く声の後、千鶴が聞いたのは何かが擦れる音。そう、例えば長包丁を鞘から出したときのような。
思い至った瞬間、身体全体が重く、土間に足が沈み込むような感覚を覚えた。まるで内臓が地獄から鎖で引っ張られるようだった。
「破邪の刀を以て、ここに縁断ち奉る。かくあれかし」
そこで千鶴は不思議なものを見た。瞼越しに、あるいは瞼の裏に影守の姿が浮かび上がる。杖の持ち手から刀の刃が覗き、冷ややかに煌めいた。影守は千鶴の肩越しに何かを見据えている。そしてまるで明確に目指すものがあるかのように、下段の構えから刀を千鶴へと振り上げた。
不思議と恐怖はなかった。
現実感に乏しかったのもあるが、刀身が自ら輝いているかのように光るさまが美しく、清浄なもののように思えたからだった。
ぶつりと耳元で藁を断つような音が響き、下へ下へと千鶴を引き込むかのような力がなくなった。
視界の端に赤いものがちらついた気がしたが、目を閉じたままそれを追いかけることはできなかった。
否。できずとも問題はなかった。
千鶴の瞼には自身に絡みつく、悍ましい量の赤い紐が見えた。影守はそれを一太刀で始末したのだ。
ふと冷気を伴った風を感じたかと思うと、ちん、と小気味の良い鈴のような音色が一つ。
名残のように柑橘の香りが鼻先をくすぐり、千鶴は漸く息を押し殺していたのを思い出した。強い百合の匂いが自分の身体に纏わり付いていたことも。
「よし。もう目を開けてもよろしい」
影守の声と共にゆっくりを瞼を上げながら、深く息を吸い込む。よく分からないまま影守に流されているにも関わらず、心は凪いでいた。
まず目に入ったのは、影守の手元だった。白い手袋の指先が、ラムネのビー玉栓ほどの透明な水晶玉を挟んでいる。ついでのように握られているのは、瞼越しに見たものと同じ赤い組紐だった。
「……先生、それは?」
「魂――と言うと、語弊があるか。名も知れぬ者の人生が記された核と言うべきかな。世間一般で言う幽霊のようなものはここにはない。紐はこれと結びついていた怪異のからくりの方だな」
言って、影守はそれらを千鶴の目に見えるようかざした。突拍子もないことを言われたにもかかわらず、影守は真実質問に答えているのだと思う。素直に言葉が心へと入り込み、だからこそ彼が『そういう』世界に生きているのだと肌で感じた。
とても触る気は起こらず、千鶴は影守が慣れた手つきで小さな桐箱にそれらをしまうのを眺めていた。
桐箱の中には深い紫色の天鵞絨の布が敷いてあり、綺麗に核と組紐を寝かせる。最後に蓋をすると、影守は再び上がり框に腰掛けた。手元で桐箱を弄びながら、千鶴を見遣る。
「今度はすんなりと納得するのだな」
影守が笑う。魂屋に飛び込んだときのものとは違う、慈しみを感じる顔だった。
「さて、今日は帰りなさい。君のご友人は、今この時にも快方に向かうはずだ」
「……どうして……」
「君が彼らの不調の原因を連れてきて、僕が今それを断ち切ったから。このまま話をしていても拉致はあかないだろう? それにどのみち、ご友人の様子が分かるのも、君と話をするのも明日なのだから」
さあ、と今入って来たばかりの玄関を過ぎ、外へと追いやられる。せめて人力車を捉まえるくらいはと言いかけた影守は、千鶴を乗せてきた車夫が心配そうに路地庭を伺っている影を認めると、彼女を連れて堂々と外に出た。
そして車夫に待機分の料金を握らせると、千鶴を日登家まで送るよう伝え、彼女を見送った。
流されるまま帰路についた千鶴は、優子の顔と影守の様子を交互に思い出して息をついた。
(また、だわ。どうして先生のところへ行くと流されてしまうのかしら……。なにもはっきりとしたことは言われていないというのに)
答え合わせを焦らされはするが、煙に巻かれている感覚はない。それだけが影守への不信感や不快感をなくしていた。本来、怪しむのが普通なのに。
具体的に影守が何をしたのかも分かっていない。優子の様子も、明日登校するまではなんの情報も得られない。
にもかかわらず、先ほどまで千鶴の胸の内に吹きすさんでいた焦燥感はさっぱりと消えてしまっていた。
翌日、優子をはじめとする寄宿生たちが全員明るい顔で登校した事実を確認すると、千鶴は口元を引き結んだ。影守の発言をこれ以上疑うのは難しい。誰がなにを言おうとも、既に千鶴の心は納得していた。
今の時代にあって、影守は科学や学問とは全く遠い世界の理を知る人なのだ。
「よかったわ、優子さん、元気になって」
「そうね」
級友達が口々に囁く。昨日の今日で、流石に優子の顔色は元気なものとは言い難かったものの、さっぱりと晴れやかな表情は快方へ向かっていることを信じられるよいものだった。
優子は千鶴と目が合うとさっと近寄ってきた。
「千鶴さん、淑乃さんも、お見舞いありがとう。あの後しばらくすると、起き上がって歩くのが本当に楽になりましたの」
「なにもできませんでしたけれど、よかったですわ」
「ええ、本当に」
声のさざめきは教室に広がっていた。そこに、優子が声を潜めて囁く。
「お二人ともご存じかもしれませんけど……わたくし、昨日も『おまじない』をしたの。どうしても……名残惜しくて。けれど、もう何も見なかったわ」
「え?」
「夢にはもう、誰も出てこなかったの」
優子は寂しそうに目を細めた。
「でも、これでいいのよ。だって、わたくしにはやらなくてはいけないことが山とある。それをこなすには、身体が健やかでなくてはね」
持参した弁当を学校で食べた後、千鶴は母に持たされた菓子折と共に魂屋に赴いた。日曜日に家に商人を呼んで舶来品を見繕ったのが、遠い日の事のように思える。
涼しげに影を落とす路地庭を過ぎると、玄関先には既に影守が立っていた。和装姿は千鶴の目に良く馴染み、前日の異質さなど影も形もなかった。
「やあ、来たね」
「先生、あの」
「まあともかくお入りなさい。腰を落ち着けても話はできる」
影守が玄関戸を引き、千鶴を中へと誘う。千鶴は彼に倣って土間へ歩を進めると、上がり框に腰を下ろし、靴紐を解いた。先週のように応接間へ通される。影守が「どうぞ」と合図するのに一礼して、革張りのソファへ腰を下ろした。
ぎゅむ、と雪を踏みしめるかのような音が鳴る。影守は千鶴の前に座った。丁度良く、丁稚が二人に紅茶を出し、直ぐに下がった。
二人の前にはあの時の桐箱が置かれている。それを見ると、千鶴の脳裏には優子の真っ白な顔色と、目を瞑っている間に聞こえた音を思い出した。
「君のご友人は無事だったかな」
「……はい」
言葉少なに千鶴が頷く。影守にとっては分かりきったことだったのだろう。かと言って上から物言うわけでもなく、静かに呟いた。
「それはよかった。君も、もう納得しているようだ」
「……先生が仰ることは、先週から一貫しています。その場しのぎの言葉ではないことは、充分伝わっていますから」
影守は千鶴の言葉に少し間をおくと、桐箱に目を遣りながら答えた。
「僕はこうして人の世に転がる魂魄に絡みついた悪縁を断つのが仕事だ。そして『蒐集』する。魂は後でゆっくり鑑賞することもあるし、ごく稀だが酔狂な人間に高値で売ることもある。故に『魂屋』と言うわけだ」
影守は先週千鶴と話した内容を繰り返した。そして「これで分かっただろう?」と言いたげに。
「君のような女学生の噂から獲物を見つけられやしないかと目をつけたのだが、正解だったな。おかげでまた一つ、コレクションが増えた」
「魂って、あの水晶玉のことでしたか? とても綺麗なものなんですね」
「そうか? 女人の感性は分からんな」
そこに美的感覚はないらしい。あっさりとした態度の影守に、千鶴の目は自然と桐箱に落ちた。その視線に気づいた影守はにやりと笑って、ポケットから何かを取り出すと、千鶴の手を求めるようにもう片方の手を差し出す。誘われるように千鶴が手を出すと、その手を優しく取って、取り出したものを彼女の手のひらに転がした。
桐箱にしまわれた玉とよく似たものが、じゃらじゃらと千鶴の手に積まれていく。
「ひゃあっ! せ、せんせい、これっ」
「く、はははっ! ただの硝子玉だよ」
狼狽した千鶴に、影守は悪戯が成功したような顔で笑いとばした。
「も、もうっ! なんてことをなさるんです!」
ただの硝子玉だと知っても、影守から渡された用途の分からないものを放り投げることもできず千鶴はおののく。彼女の様子に影守は笑みを引きずりながらも、柔らかく窘めた。
「魂は別に特別なものじゃない。誰もが持っている。君も。だからあまり執着しなさるな」
「……」
「どうしてもというならそれをやる」
なんの変哲もない硝子玉を欲しがるのは子どもくらいのものだ。千鶴のような年齢ならば、せめてトンボ玉だろう。千鶴は持たされた硝子の粒を握りしめ、影守へ吠えた。
「からかわないでくださいまし!」
「ははっ」
ぽす、と影守の肩を叩くように手を振ると、呆気なくその手を止められ、優しく降ろされる。彼女の手から硝子玉が戻されると、影守はポケットの中から小さな巾着袋を取りだし、そこに入れた。元々はそこに入っていたものなのだろう。
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