【一章完結】魂屋 奇譚蒐集録

宇野 肇

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其の一 華の香り

1-9 奇譚蒐集家の獲物

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「そうだな、蓄音器を想像するのが分かりやすいか。
 魂はレコードに過ぎない。脳はターンテーブルと針。肉体は蓄音器全体のからくりを指す。レコードだけあっても、音は鳴らないだろう? それと同じだ。魂だけでは良きにつけ悪しきにつけ、なにかできるわけではない。
 分かるね?」
「……はい」

 影守の言葉に、千鶴は帝都からほど近い新浜港で蓄音器をみたと興奮していた兄を思い出した。何も聞いていないのにやたらと詳細に仕組みを語り、新聞の切り抜きまでして、千鶴を辟易とさせた。それが今、影守の話の理解を助けている。
 人生、何が役に立つか分からないものだ。

「であるからして、幽霊とは魂が何かの仕組みと噛み合った際に発生する現象であり、特に何らかの行動――呪いを伴っているものは怪異として分類される」
「蓄音器によって音が聞こえている状態、ということですか」
「そうだな。その音が『心地よいが死へ誘う』ものであったり、『際立って恐怖を覚えるが実害がない』ものであったりするところが少々厄介だが……」
「先生はそのレコードを蒐集なさっているとのことですけれど、では、私たちが普段言うような魂は一体どうなってしまうのです?」
「知らん。管轄外だ。僕は祓い屋ではないのでね」

 まあ、と千鶴は開けた口を手で覆った。信心深い方ではないが、かと言って人智を超えるものに対する漠然とした畏敬は、彼女の中では当然にあるものだと思っていた。
 影守の口ぶりは、それを否定する――いわば罰当たりなものだった。
 しかし一方で影守がそう言ったものの側に身を置いているのも、既に知っていた。

「……先生はあの時、何が見えていたのでしょう」

 影守は明らかに千鶴には分からない何かを見ていた。

「人の思いが絡みついた赤い組紐と、それに絡め取られた魂だ」
「……友人は、早くに亡くした母を想っていました」
「ならば、この玉の中には彼女の記録があるかもしれないな」
「わたくしがこれを買い取り、彼女に渡すことは可能ですか?」
「やめたまえ。そういうものと相性が良い者がこれを不用意に持つと、自他が曖昧になる」
「?」
「簡単に言うと、自分というものが分からなくなり、傍目に見ると発狂する」
「!」

 咄嗟に喉に力が入る。口元を両手で押さえる千鶴に、影守は頷きを一つ。

「故人の記録というものは、静かに安置されるべきで、僕はそれも供養の一つだと思っている」

 そう言われると、千鶴は何も言えなくなった。
 浅慮な物言いを影守が不快に思ったような気配はない。

「昨日の件を経て思ったのは、君の力は思ったより有用だということだ。僕もそれは認めよう。先週も、まるで君の味方をするみたいに急に雨が降った。君が僕の仕事に関わることを歓迎されているのだろう」
「……! では!」

 話の流れが変わり、自分の話になったのだと気づく。
 瞬間、千鶴は胸の高鳴りと共に影守の口元を注視した。

「正式に君を採用するとしよう」
「まあっ……! 本当ですのね? 嘘は嫌ですわよ?」
「ああ。僕に否やはない。君ならば恐らく危険が及ぶこともないだろう」
「やったわ!」

 思わず飛び出した快哉の声は大きく、千鶴はあっと口元を押さえた。

「そこまで喜ばれるとは予想外だが、別に僕は気にしない」
「ありがとうございます。……立て続けにご縁がなかったのだと言われていて……ちょっと、自分に自信が持てなくなりそうでしたの。この一週間、これと言った噂話のあてもなくて……だから今日、お断りをされるものとばかり思っていました」
「なぜ?」
「先生がお求めだったのは幽冥譚で、わたくしはそういった話に疎いことをこの一週間で知りました。先生は、先週の時点でそういったこともおわかりだったのでしょ?」
「まあ、君はそういうものから遠ざけられているからな」
「『後ろのもの』に?」
「ああ」

 縁がないというのは、案外はっきりと分かるものだ。千鶴はならばと声を上げた。

「でもわたくし、学校で求人票を見たとき、ぴんと来てしまったのです。友人の言葉を借りるならば、まるで恋に落ちたように」

 真っ直ぐにその目を見つめる。彼の目は細められ、直ぐに伏せられた。その意味を千鶴が汲み取ることはできなかったが、流石に今更発言を変えたりはしないだろうという確信があった。

「そういえば母が申しておりました。帝都の井戸は影守の方々が水脈を見てくださったと」
「僕が生まれるずっと前の話だな。本家が音頭を取ったもので、大規模な仕事だったと聞いている」
「そうでしょう。その後の井戸の面倒も見ていただいているとか」
「ああ」
「わたくし、生まれてこのかた人魂を見たことも、そういったものに巻き込まれたこともありませんが……。わたくしたちが新しいものに目を輝かせていられるのも、先生のような方々がこうして治安維持に努めていらっしゃるからだと知ると……なんだか、共犯者にでもなったかのような心地がします」

 くすっと笑う千鶴に、影守は目を瞬いた。

「だって、きっと証明することはできないのですもの。先生にお目見えすると、不思議と胸の内が落ち着くのも、何かなさっておいでなのでしょう?」
「……訂正しよう。女人ではなく、君の感性が独特なのだな」
「お嫌ですか?」
「そうは言ってない。調子は狂うが」

 ふむ、と影守は顎を指先でなぞった。
 そして何事か思いついたのか、口角を上げる。その表情が、毎回千鶴を翻弄するものであることを学び始めていた彼女の心がどきりと跳ねる。

「よし。君の家に婚約の話を持っていこう」

 思いがけない言葉に、千鶴は反射的に首を傾げた。内容を理解するのに数秒を要する。
 ――ほら、やっぱり。
 淑乃の咎めるような声が頭の中で響いた気がした。
 無論影守にそれが分かるはずもなく、淡々と言葉を続けている。

「君、今のところ結婚をするつもりがないのだろう。僕と婚約しておけばまだしばらくは気ままに過ごせるし、いざ君が好い人を見つければ僕の方から手を回すこともできる。表舞台に上がることはない家柄とは言え、大体の華族とは繋がりがあるからな」
「な、なにを仰います」
「僕の所に通うというならば想定しておくべきだと思ったまでだ。女学生が男のところへ通うというのは、そういう関係だと喧伝しているようなもので、不良の行いだ。お互い、それは本意ではないだろう。
 それに、仮に君がそういうものを見つけられなかったとしても、僕は君と結婚するのは吝かではない」

 しかしどうやらからかわれているのではないようだ、と影守の様子を観察しつつ、千鶴は少し躊躇うように一度唇を引き結んだ。
 影守の話の運び方は強引だが、理屈は通っている。

「わたくしの家についてお調べになったの?」
「調べると言うほどのことはしていないな。ただ、先週の奥方の様子からして夫となる男を探している風だったし……君はしずしずと嫁入りして、男の後ろを歩く性質でもないのだろうなと。
 僕の仕事を助ける気概があるならば、表向き婚約でもしておけば体面は保たれる。それとも、恋人の方がお好みかな?」

 ぽぽぽっ! と千鶴の顔に朱が走った。
 恋人、と聞いて千鶴たち女学生が考えるのは、人目のつかぬ場所での逢瀬や、肌の触れ合いだ。
 影守の顔が面白がるようなものに変わっているのは、恋人という立場が世間一般的にどういうものか知った上でからかっているからだ。

「……! ……!!! っ、は、は、破廉恥ですっ!」
「はっはっは!」

 淑女にあるまじき声量で叫ぶ千鶴と、影守の張りの良い笑い声が重なった。
 こんな内容を話していること自体が既に不良のそれだ、と千鶴は思う。
 それでもこのやりとりが苦ではない――どころか、小気味よく感じているのだから、きっともう、心は前向きなのだ。答えは出ていた。
 それを自覚すると、頬の熱はなかなか引きそうになかった。それをあの手この手で冷ましながら、千鶴はぬるくなった紅茶に口づけた。
 影守もそれ以上婚約云々の話を詰めるつもりはないのか、なんでもない様子でそれを見守る。
 話を切り替えねばと頭を働かせている最中、口火を切ったのは影守だった。

「では、君が知る限りの事の顛末を教えてくれ。それを以て今週の『噂話』としよう」


******



 小一時間ほど話した後、千鶴は改めて礼を述べた。『枕の白百合』の件も、そしてこれからしばらくの間、毎週土曜日にはこうして魂屋で過ごすことについてをだ。
 流石に恋人だの婚約だのの話について自分から口にすることはできなかったが、影守の真意もそのうちに分かるだろうと、意識的に気楽に構えることで気持ちを切り替える。

 ブーツを履き、忘れ物がないかを確認すると、千鶴は玄関先でもう一度深く頭を下げた。

「では、先生。また来週に参ります」
「……ああ。本当に。『次』があれば、是非」
「え?」

 頭を上げた千鶴の視界が暗転する。暗闇に意識が途切れる刹那、いつの間に手にしていたのか、杖の中に仕込んだ刀を抜き、振りかぶる影守の姿を見た。
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