おふとん

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 勤務もそぞろに、新任職員の歓迎会が開かれた。場所は結婚式の二次会でも使われる様な小綺麗な料亭の様な店。十九時に集合ということだったので、おれは三十分程早めに到着する様に店へと向かった。
 店の前へと着くと、要人のガードマンさながら、スーツ姿の男が後ろに手を組み仁王立ちしていた。
 そいつの側でポケットから携帯を取り出し、指定された店の名前と掲げられている看板とを確認していると、「あ、新任の方だよね?」と声を掛けられた。どうやらこの人は、おれと同じ少年ホーム光の先輩職員の様だ。こちらはまだ勤務して間も無い上、勤務の都合上、多分まだ会ったことが無い人もいるから、職員全員の顔など覚えていない。そうですと返事をすると、中へと促された。
 宴会場へと辿り着くと、入り口ではまたまた二人の職員が待ち構えていた。「新任の田村さんですよね?新任さんは席が決まっているのでこっちにどうぞ」と、田村と書かれた紙切れの置いてある席へと案内された。周りの席にはそれぞれ番号の書かれた紙がある。もうすでに三、四人は席に着いて携帯を眺めながら時間を潰している。到着した順に、クジで席を決める様だ。おれは気が小さいから、時間には余裕を持って集合場所に辿り着く様にするタイプだが、そんなおれよりも先に来ているこの人達は、一体いつからここにいるのだろう。
 
 時間が差し迫るにつれ、ぽつぼつと席が埋まっていった。おれの両隣にも年配の職員が座る。おれと同じ様に、入り口にいた職員に案内されながら菊崎が会場へと入ってくるのも見えた。今日は五分前に到着だから、初日より印象は良いだろうと思いきや、おれの隣に座る年配の職員がポツリと溢した。
「あの子はまた、あんな派手な格好で……」
 もう一度おれも菊崎に目を向けた。深いワインレッドのスーツに黒のシャツ。ネクタイはせずに、首のボタンは二つほど開けている。袖にキラリと光るのが見えたのはカフスだろう。確かに、成人式で街に繰り出したと言われても通用しなくもない。
「最近の若い子の服装は分からない」
 おれの隣の年配の人は、もう一つ横の人としきりにそんな話をしている。

 定刻になり、歓迎会が始まった。ホーム長の長ったらしい挨拶から始まり、仕切り役の職員から、おれ達新任社員の紹介。今年は四人の新任がいると、おれはこの時初めて知った。おれと菊崎、女子寮にも一人、そして調理員にも一人。皆が適当に挨拶を済ませ終わると乾杯。おれはようやっと食事にありつけると、自分の席で料理をつついていたのだが、半分くらいの人、特に若そうな連中は自分の食事もそっちのけで先輩にお酌をして回っている。さっき一緒に挨拶をしていた女子寮と調理員の新任も。若そうな者で座っているのはおれと……菊崎。
 しばらくおれは自分の席にいたところ、主任がおれの所へ、田村君これからよろしくと、お酌をしにやってきた。へぇとそれを受け、しばらく雑談した後に、「田村君も頃合いを見て挨拶に回っておいで」と言う。これがしきたりなのかと、促されては仕方ないと思い、おれもホーム長から、顔も知らないだれかしらからと、お酌をして回った。向こうのテーブルの菊崎は、目の前の料理をすっかり平らげてしまっていた。
 
「そろそろ宴もたけなわではごさまいますが……」
 最初の仕切り役の職員が声を掛けた時には、もうほとんどの人が自分の席にはいなかった。あっちでは、ビール瓶を片手に学生の飲み会さながらのどんちゃん騒ぎ。こっちでは、酔った先輩職員が後輩へ延々と講釈を垂れている。
 半ばなだめられる様にして各々の席に戻り、締めの挨拶となった。まだその後もダラダラと、残った料理やお酒を楽しんでいる様子だったが、おれは近くにいた人にだけ挨拶をして、そそくさと会場を後にした。

 店から出ると、街はすっかり夜の顔へと変貌していた。到着した際はまだ日が残っており、キリッと引き締まった顔のスーツ姿のサラリーマンや学生と思われる若者とすれ違ったが、今ではすっかりはほろ酔いの締まりの無い顔ばかりが行き交っている。その流れに身を委ねる様に、おれも駅へと向かって歩き始めた。
「おーい!」
 すぐに呼び止められた。振り返ると、さっきの店先に菊崎がいる。手を振りながら菊崎はこっちに近づいて来た。
「田村君、もう帰んの?」
 無論そのつもりであった。しかし、そう質問しておきながら俺の返事を待たずに菊崎は「他所で飲み直そうぜ。同期のよしみでさ」と、半ば強引に次の店へと向かって歩いて行った。断るにも断れず、おれは黙って菊崎について行くことにした。

 すれ違う酔っ払いの波に逆らう様に、菊崎はずいずいとアーケードの繁華街を歩いて行く。しばらく進んだところで、ふいと路地に入った。そこは下町感溢れる裏通りの飲み屋街。先ほどまでとは一転して少し薄暗い通りを、ぼんやり照らす赤提灯や妖しく光るテナントビルの袖看板。闇に浮かぶ煌びやかなネオンに誘われる様に、あっちでもこっちでも酔っ払いが。夜の光を肩で切り進む菊崎の後ろ姿に、おれは食らいつく様にしてついて行った。
 
 菊崎はある店の前で立ち止まった。親指で店を差しながら、「馴染みの店なんだよ」と暖簾をくぐる。おれも続いて店に入っていった。やや手狭な店内。入り口から奥に向かってカウンター席が並んでおり、その目の前で店員がじゃんじゃん串を焼いている。菊崎は慣れた素振りで店員に挨拶し、カウンター席の客のすぐ後ろをすり抜けていき、奥の座敷へとおれを案内した。座敷と言っても個室ではない。四人がけでいっぱいの机が四つ置かれた板の間。その机空いていた一つを陣取る様に菊崎はどかっと座った。おれはやや隣の客を気にしながら、菊崎と差し向かいで座る。
 席に着くや否や、菊崎は赤い日の丸のパッケージのタバコをスーツの内ポケットから取り出し火をつけた。灰皿を勧められたが、おれはタバコは吸わないので遠慮しておいた。
 瓶ビールとグラスが運ばれてきた。あまりお酒も得意ではないため、先程の会の分でもう十分ではあったのだが、これも付き合いだと一杯だけ貰うことにした。
「ってかさ、今更だけど田村君って何歳なの?」
 おれのグラスにビールを注ぎながら菊崎は訊ねてきた。
「今年二十三。大学卒業したばっかり」
「え?そうなの?同い年じゃん」
 お互いの目線は注がれるビールに向けられている。
「やけに落ち着いた感じだから歳上かと思ってたよ」
 瓶を受け取りおれもお酌を返した。
「おれも。やけに堂々としてるからてっきり菊崎君の方こそ歳上かと」
 堂々としていると言えば聞こえは良いのかもしれない。初日の遅刻ギリギリの出勤から始まり、先日の勇輝に聞かせた菊崎節。今日の歓迎会に臨んだ服装。若手は皆気を遣って回っている中、ひたすら飯をかっ食らう姿。図太いというか、傍若無人というか、傾奇者というか。
 菊崎から乾杯を求められたので、おれはグラスを近づけた。

 グラスのビールを飲み干してから菊崎は話し始めた。
「俺さ、ああいう飲み会の空気嫌いなんだよね」
 菊崎が手酌でビールを注ぎながら話すのを、おれはグラスを持ったまま聞いていた。
「てめぇらは若ぇんだから~、後輩なんだから~。酒を注いで回って機嫌を取れっての?馬鹿馬鹿しい。俺らを芸者か太鼓持ちか何かと勘違いしてんだよ」
 郷に入っては郷に従えと、おれも先輩の顔色を伺って回ったものの、菊崎の言い分も分かる。
「そりゃあよう、右も左も分からねぇ新人だから、仕事の責任はまだまだ軽い訳だからさ、仕事を覚えるためにも雑用はこなしていかなきゃなんねぇし、先輩に気を遣わなきゃってのも分かんだよ」
 菊崎はまたぐいっとグラスを空にした。そのグラスをドンとテーブルに置いた菊崎の顔は、照明の加減か、若干火照っている様にも見える。
「でもよう、今日の会にしろあの人らの感じにしろ、なぁんか違ぇんだよなぁ」
 菊崎は眉間に皺を寄せ、頬杖をついてお品書きを眺めはじめた。最初は冷たかった手に持つグラスが、慣れてきたのか少し温くなってきた気がする。プツプツと弾ける泡を見つめながらおれは口を開いた。
「何となく……分かるよ」
 菊崎の言いたいことがおれには分かる。視界の隅で、菊崎が顔をこちらに向け直したのが分かった。
「後輩なんだからお前ら気を遣え。じゃなくてさ、先輩ならおれ達後輩に尊敬されて気を遣わせてみろ。的な?」
 菊崎はポンと一つ膝を叩いてぱああっと晴れた顔で「そう!そういうこった!」と相槌を打った。
「朝とかさ、出勤した時とかもそうだよ。何で俺らが職員皆にコーヒー作って回んなきゃいけねぇの?そんなもん飲みてぇ奴が勝手に飲みやぁ良いじゃん。そんなもん仕事でも雑用でも何でもねぇ、ただのお茶汲みじゃん」
「子どもには自分の身の回りのことは自分でやれって指導してるのにね」
「そうなんだよ!あべこべなんだよ言ってることが!百歩譲ってポットのお湯くれぇは足しといてやるよ。コーヒーなんざ飲みてぇ奴がてめぇで淹れりゃあ良いじゃん」
 菊崎の語気が強まる。
「それならよう、寮内の子ども達にもさせりゃあ良いんだ!中学生くらいからはさ、一年生は三年生の部屋の掃除から洗濯から身の回りの世話を焼かせて、飯のお代わりもついで回らせりゃあ良いって話だろ?それがあの人達の言う社会における気配りなんだったらさ!座って飯食ってる奴がいたら、『おい!何ボーッと座ってやがる!ちったぁ歳上に気ぃ遣わねぇか!』ってよ」
「でもさ、そんなことさせたくないよね」
 菊崎はまた曇った顔で「そうなんだよなぁ」と、お品書きの方へ顔を戻した。
「体育会系の奴らは凄ぇよ。俺が今言った様な事を学生のうちからこなしてて、大人になってからもそれが当たり前と思ってできんだから」
「ある意味宗教だよね」
「違ぇねぇ」
「どんな職場に行っても大なり小なりついて回ることじゃない?こういう縦の文化というのかな」
「それも分かんだけどなぁ」パタンとお品書きを閉じて、「ま、おれはやんなくても良い、使いっ走りの様なこたぁやんねぇ!今、改めて決めたよ!」そう言って、景気良く店員の呼び出しベルを鳴らした。
 こう割り切って考えることができたらどんなに楽だろうか。それでもおれは、明日からも先輩にコーヒーを淹れて回るのだろう。おれはすっかり温くなったビールを、くっと流し込んだ。
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