おふとん

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十三

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 年度末の職員会議。そこに菊崎の姿は無かった。配られた職員編成表には菊崎の名前はあるのだが、当の本人の姿は会議の中で見られなかった。
 早番遅番、宿直もある。不規則な生活になるこの勤務体系で、体調でも崩したのかと思いつつも、おれは何やら落ち着かないまま会議を終えた。

 
 その夜、おれは菊崎から呼び出された。今日はあの単車で迎えには来なかった。菊崎に指定された場所は、いつぞやのベンチのある小山であった。
 おれは一年前の記憶を辿る様に、自分の車のヘッドライトで山道を照らしながら、少し不安になりなが夜道を走った。
 山道を抜け広場へ出ると、ライトの先にはあの白いボディの単車が見えた。その横に車を停めエンジンを切ると、辺りはあの日と同じ、闇に包まれた。
 ベンチのあった方を見ると、ぽうっと光る火がこちらを向いている。少しずつ目が慣れてきて、その火を持つ人影も見えてきた。
「おお!田村君!」
 手に持っているタバコの火が、赤い糸の様にして彼の頭の上で左右に大きく揺れる。その目印を頼りに、おれは彼の座るベンチへと歩いた。
 隣に腰掛け、今日の会議に居なかった事を思い返し、「今日出勤してた?」と菊崎に尋ねた。
「出勤は……してた」
「出勤は?」
 おれのオウム返しに、菊崎は少し間を開けた。
「……職員会議の前にさ……退職願い、出したんだよね」
 予感はしていた。会議中にどこか落ち着かなかった事も、ここへの道中の不安な気持ちも、菊崎の口から出たこの言葉を予感していたのかもしれない。
「何だかさ、疲れちったよ」
 眼下には、一年前と変わらない夜景が広がっている。
「まぁ、俺がやってることが全部正しいとは言わねぇけど、でも少なくとも、俺は今日まで子ども達のためにとやってきたつもりだよ」
 菊崎の声以外には、時折風が木々を撫でる音だけが静かに耳に入ってくる。
「子どものためにと思って何かしようとしてもさ、結局立ち塞がるのは大人なんだよ。皆が皆邪魔してくる訳でもねぇ、ただ見てるだけってのがほとんどだけどさ」
 班長や緑川さんとぶつかる菊崎の姿が、脳裏に蘇った。
「俺もさぁ、田村君みてぇにさ、人当たり良く、賢く生きれりゃあ良いなって思うんだけど。まぁ、なかなかねぇ」
 おれはただ、その場に流されているだけだった。周りの人間も、できれば自分も、傷付け合うことなく、ただ自然のままに流れていけば安心できるから。だからこそ、おれは菊崎の様な生き方を羨んでいた。流れを横から受けようが激流が正面から向かって来ようが、「おれはあそこを目指してんだ!」と、思いのままに進む菊崎の後ろ姿に憧れていた。
 でも、その想いは口には出さなかった。おれには菊崎の様に生きることは、多分無理だろうから。それに、今それを菊崎に口にするのは、何だか野暮ったい気もした。

 
「一本、貰って良い?」
 少し驚いた様に「おお⁉︎」と言いつつ、すぐに菊崎は自分のタバコを差し出してくれた。
 ポケットに入れてあったから、少しひしゃげた赤い日の丸のパッケージ。そこから一本タバコを取り出し、思いっきりフィルターを吸いながら、咥えたタバコの先にライターの火を近づけた。
「ゲホッッ!ゲホッッ!……」
 喉から肺から、直接燻された様になり、しばらくおれは咽せかえっていた。
「本当にタバコ吸ったこと無かったんだ」
 そう口にしながら、うまそうにタバコを吹かす菊崎の気が知れなかった。
「こんなものよく吸ってられるね」
 今度は少し控えめに吸ってみたが、やっぱり少し咽せてしまった。カラカラと笑いながら菊崎はおれを見ている。
 一方は時折ぽうっっと強く光り、もう一方は少し控えめにぽうっと光る。闇夜に並んだ赤い点が二つ。その強く照らす方の光を、おれはただ静かに見つめていた。
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