娼館で死んだΩ、竜帝に溺愛される未来に書き換えます

めがねあざらし

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2、悪意の足音

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扉の向こうから、靴音が近づいてくる。
ゆっくりと、迷いなく。
この音を知っている。

前世では、ただ身を縮めて耐えることしかできなかった。
けれど——もう、二度と同じ目には遭わない。

「失礼いたします」

低く、柔らかい声とともに、扉が開く。
長い金髪を後ろで一つに結び、仕立ての良い美しく着飾った男。
美しく整った顔立ち、常に穏やかな微笑を浮かべた表情。

ヴェロニク・クレイヴン。
夫・アドリアンの愛人であり、夫本人曰く「本当の番」。
そして、自分を娼館へと売り飛ばした張本人。

「お目覚めになられたのですね、エリオット様」

ヴェロニクは優雅に微笑む。
どこまでも丁寧な物言い。
だが、その目の奥には冷たい光が宿っている。

(ああ、この光景だ——)

まるで昨日のことのように思い出せる。
前世では、ここで「お前は場違いだ」と冷たく告げられ、追い詰められていった。
愛人である彼に、使用人すらも従っていた。
妻でありながら、自分はこの屋敷で完全に孤立していた。

けれど——今は違う。
エリオットは腕を組みながら、軽く笑った。

「おはよう。君は……名前を聞いても?」
「……?」

ヴェロニクの眉がわずかに動く。
前世のエリオットなら、ここで 縮こまり、怯えた目で見上げたはずだ。
だが、今の彼は違う。
そもそもの話、エリオットは侯爵家の出身であり、相手のヴェロニクは貴族の血筋であっても今は爵位もない家の出身──いわば庶民である。
身分で差別するのは好きではないが、そうしていい相手だ。
へりくだる必要など全くない。それを何故、自分はああも怯えてしまったのか。

「昨夜に……紹介してもらったかな?」

エリオットの言い様にヴェロニクの眉がピクリと動いた。
しかし、それを隠してにっこりと微笑みを作り直す。
なるほど名演技だな、とエリオットは思った。
ヴェロニクは一つお辞儀をすると、胸に手を当てる。

「ヴェロニク・クレイヴンと申します」
「そう、よろしく。ヴェロニク」

敬称なんか付けてやる必要もない。
エリオットはそう判断し、会釈を一つだけする。
ヴェロニクは一瞬目を見開いたが、それ以上の行動には出なかった。

(……頭は悪くない、か?)

何せ自分を追い詰めるさまと言ったら、それなりに鮮やかであったように思う。
今度はそんな奸計にはまるものか、と心に強く決めている。
エリオットとて王立のカレッジを好成績で卒業しているので知識がないわけじゃない。
ただ、以前のエリオットはあまりにもアドリアンに対して憧れを抱きすぎており、愛されない悲しみにひたってしまっていたし、弱くもあった。
しかし、今は違う。

「昨夜も会った気はするけれど……覚えてなくて、申し訳ないね。体調が優れなくて」
「……それはお気の毒ですね。せっかくの初夜でしたのに」
「いや、一人でよかったよ。そのおかげでぐっすり眠れたからね」

ヴェロニクの瞳が微かに揺れる。
前世と違う反応をするエリオットに、違和感を覚えたのかもしれない。

「……それは何よりです」

ヴェロニクはすぐに表情を取り繕う。
しかし、その仕草すら、エリオットにとっては前世の記憶と重なる。

(——次は、こう来る)

予測は、的中した。
ヴェロニクはふわりと微笑みながら、ゆっくりとベッドの傍に歩み寄る。

「でも……」
「ん?」
「これからが、大変ですよ?」

——きた。

「なにしろ、アドリアン様は 私だけを愛しているのですから」
「へえ」
「ええ。あなたが妻というのは、ただの義務。決して、番にはなりません」

ヴェロニクは 前世とまったく同じ言葉 を口にした。
けれど、エリオットの心は静かなままだった。

(番にならない? そんなことは知ってる。でも、それがどうした?)

前世の自分なら、この言葉で深く傷ついた。
しかし今は、まるで他人事のように聞き流せる。
逆に番になられては困る。あの人のためにも。

「……うん、いいんじゃないかな?」

エリオットはあっさりと頷いた。

「っ……」

ヴェロニクの瞳が、一瞬だけ戸惑いを浮かべる。

予想外だったのだろう。
本来ならここで、エリオットが涙目になって俯くはずだった。
けれど——今回は、違う。

「アドリアンは、君のことが好きなんだね?」
「……当然でしょう」
「そう、それは素晴らしい。貴族に愛人がいるなんてままあることだよ。大丈夫、僕は気にしないよ?」

にっこりと微笑むエリオット。
ヴェロニクの表情が、わずかに引き攣る。

(これでいい)

まだこの段階では、真正面から敵対する必要はない。
だが、相手に「違和感」を与えることが重要だ。
今までのエリオットと違う ーーそれを、少しずつ植え付けていく。

「……あなたさえ立場を弁えてくだされば、問題はありませんよ」

ヴェロニクは何とか取り繕った表情を作り、そう言った。
けれど、彼の目には明らかに 困惑と不信感 が滲んでいた。

「弁える、ね。僕は僕の好きなようにさせてもらうだけだから。ああ、そうだ」

微笑んだまま、エリオットは 「前とは違う」 という空気をにじませる。
これで、ヴェロニクは今後の動きを慎重にするはず。
その間に、こちらは 「先手を打つ準備」 を進める。

「ちょうどいい。アドリアン──旦那様に僕が相談があると伝えてくれるかい?頼んだよ、ヴェロニク」

(今度は、お前の思い通りにはさせない)

静かに、エリオットは心の中で呟いた。
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