前世で僕を裏切ったはずの恋人が、生まれ変わっても離してくれない

めがねあざらし

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9、甘く冷たい檻の誓い (前)

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その鋭い碧眼が、じっとリアンを見下ろす。
ランプの灯に照らされるその目は、静かに光を宿しながらも、底知れぬ執着を湛えていた。

リアンの喉が、ひどく渇く。

(カイオス……!)

冷たい汗が背を滑る。本能が、警鐘を鳴らしていた。逃げなければ。このままでは、何かが取り返しのつかないかたちで壊れる。

けれど、纏っているのは寝台から引き剥がしてきたシーツ一枚。
それすら湿り、体温でじっとりと肌に貼りついている。
薄布越しに感じる夜の冷気が、より一層、自分の無防備さを突きつけてくる。

背後で、ネヴェリアが僅かに目を細めた。

「……チッ」

短く舌打ちすると、その身体がふわりと揺らめき、薄れるようにして鏡の中へと吸い込まれていく。
カイオスが視界に入る前に、ネヴェリアは姿を消した。
リアンには、それを確認する余裕すらなかった。

「……どうしてそんなものを持っている?」

カイオスの低い声が、部屋の空気を撫でるように響く。

リアンは、咄嗟に机の上の宝石箱に視線を走らせる。

(……ネヴェリアが戻った……?)

けれど、安堵するにはまだ早い。目の前の男の存在感が、すべての思考を覆っていた。

カイオスは、ゆっくりと部屋の奥へと足を踏み入れる。
手にしたランプが、床を照らし、揺らめく光が長い影となって、壁や天井を這いまわる。
その影にさえ、リアンは飲み込まれそうな気がした。

指先が、ひやりと冷えた。

「……その短剣でどうするつもりだ?」

(短剣……)

リアンは、自分の手に握られていたものを見下ろした。
小さな刃が、銀色に光を跳ね返している。

(そうだ……これで……!)

胸の奥に、ぎり、と決意が灯る。
迷っている暇はない。

リアンは咄嗟に、短剣を無防備な自分の喉元へ向けた。
刃がひやりと肌を掠め、その冷たさが神経を鋭く刺す。

「それ以上、近付くな……!」

声は震えていた。
喉の奥から這い上がってくる恐怖を、言葉に乗せる。

刃先が肌に押し当てられ、うっすらと赤が浮かんだ。

しかし——カイオスは、微動だにしない。

「……自分を傷つける気か?」

その問いかけは、どこまでも静かだった。
焦りも驚きもない。
まるで——リアンがそれを実行できないことを、当然と信じているような。

「……黙れ……!」

リアンは刃を握る手に力を込める。

(このままでは……!)

「近付けば……喉を突く!」

ほんの少し刃を押し込む。
じわりと浮かぶ赤。
その微かな痛みすら、今は自分を現実につなぎとめる感覚だった。

カイオスの瞳が細められる。

「ならば、やってみろ」
「……っ⁉」

リアンの手がわずかに震えた。

(こいつ……!)

カイオスは、ためらいなく一歩を踏み出す。

「やめろ! 近付くな……!」

声が上ずる。
だがカイオスは——止まらない。
さらに一歩。

(……なぜ⁉ 本当に刺すかもしれないのに……!)

呼吸が荒くなる。
心臓が耳鳴りのように脈打ち、背中を伝う汗がシーツを濡らした。

(ああ……もし、ここで刺せば、本当に終わる……? 解放される……?)

でも——

(怖い……!)

肌に触れる刃の冷たさが、かえって恐怖を鮮明にする。
リアンの指先が、わずかに震えた。

その一瞬を、カイオスは見逃さなかった。

「……やはり、お前にはできないな」
「——っ⁉」

リアンの目が大きく見開かれる。

次の瞬間、音もなく動いたカイオスの腕が、リアンの手首を鋭く掴む。

「やめ……!」

叫びながら振り払おうとするが、相手の手はびくともしない。

「離せ……っ!」

力の差があまりに歴然としている。
その腕に押さえつけられると、自分の身体がまるで子どものように無力に感じられた。

「無駄だ、リアン」

短く、重い言葉。
その声には、すでに抗う余地を許さない圧がある。

リアンは歯を食いしばり、最後の力で短剣を振り上げようとする。

だが——カイオスの指がひとつ動いただけで、その刃はあっけなく弾かれた。

カチャン、と音を立てて、短剣が床を転がる。

「っ……!」

直後、カイオスの腕がリアンの身体を抱き寄せる。
そのまま、強く抱きしめられた。

肺が圧迫され、喉から息がこぼれる。
だが叫びは声にならない。

「……本当に……どうしようもないやつだな、お前は」

吐息が耳元に落ちる。
低く、優しく、けれど何よりも冷たい声だった。

リアンの鼓動が耳の奥で爆ぜるように跳ねる。

「お前は、私から逃げられない」
「……っ」

ピクリと体が強張った。

「何度でも、そうやって逃げるといい」

そう言った瞬間——
カイオスの唇が、リアンの耳朶を食んだ。

「ひっ……!」

身を捩ろうとするが、離してもらえない。
舌が耳の縁をなぞり、ふっと吸われる。

「っ……!」

がり、と肉が擦れる音。

「痛っ……!」
「そのたびに——私は、お前を捕まえる」

リアンの耳から滲む赤を、カイオスの舌が吸い取る。
ゾクリとした悪寒が背を這い、思わず身を引こうとした。

「……っ……!」

けれど、逃げられない。

カイオスは片腕でリアンを抱きしめたまま、その体温ごと呑み込もうとするようだった。

そして囁く。

「大人しく、私のものになれ」

その声は、愛の言葉に似ていた。
けれど、リアンにとってそれは——

断罪だった。

(……僕は、もう……ここから出られないのか?)

暴れようとするも、腕は鋼のように固く、自分の力ではびくともしなかった。

「放せ……!」

叫ぶ声は虚しく、カイオスは微笑んだまま答える。

「さあ、行くぞ」

次の瞬間、リアンの体が軽々と持ち上げられる。

「っ⁉ やめろ……!」
「どこへ連れていく……!」
「お前の新しい部屋だ」

新しい部屋——? 嫌な予感がする。
リアンの胸の奥がざわめき、肌が粟立つような不穏な感覚が広がっていく。

カイオスは扉を開け、リアンを抱えたまま歩き出す。
足音が床に響き、静まり返った廊下の空気を切り裂く。
その音すら、まるで裁きの太鼓のように感じられた。

廊下を進むにつれ、周囲の雰囲気が目に見えて変わっていく。
壁に飾られていた絵画はなくなり、ランプの数もまばらになる。
使用人の姿も、完全に消えていた。

(どこへ行くつもりだ……?)

リアンの心臓が、不穏なリズムを刻みはじめる。
鼓動は次第に速まり、首元の皮膚にまで響く。

やがて、視界の先に螺旋階段が現れた。
上へと続く、長く暗い階段。

「……まさか……」

思わず漏れた呟きに、カイオスが小さく笑う。

「ふ……。まさか、ではない」

その声音は、ひどく穏やかだった。
けれど、その穏やかさが、かえって背筋を凍らせる。

カイオスは悠然と階段を登りはじめる。
その足取りには、確信と決意しかなかった。

「……ここを、使うことになるとはな」

「……っ⁉」
リアンの血の気が引いていく。
冷えた感覚が指先から心臓へと這い寄る。

(最初から……用意されていた?)

「お前が私を受け入れてくれるならば良かった……
 しかし、その可能性は少ないと考えて用意していたが……」

淡々とした語り口。
そこには慈しみすら含まれていて、そのことが一層恐怖を際立たせた。

(最初から……僕を閉じ込めるつもりだった……⁉)

この婚姻が決まった時から、ではない。
もっと前から——カイオスは、リアンを「手に入れる」準備を進めていた。
まるで、それがすべてであるかのように。

「ここには、王妃専用の居室を用意してある」
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