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40、報告書の影
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朝の光が差し込んでいた。
けれど、それは優しいものではなかった。
淡いはずの陽光が、どこか乾いた冷たさを含んでいて、
窓越しに感じるそのぬくもりは、まるで薄い硝子の膜のように遠かった。
王都の療養棟に運ばれて三日。
外は穏やかで、街の鐘もいつも通り鳴っているはずなのに、
この部屋の空気だけが、少しだけ異質に思えた。
看護師が入ってきて、薬瓶の蓋を開ける。
小さく会釈しても、彼女は目を合わせようとしなかった。
誰もが丁寧だ。けれど、その丁寧さは壁のようで――
僕が何か触れてはいけない存在になったのだと、
その態度だけで分かってしまう。
(……危険な媒介、か)
アルバートから聞かされた言葉が、頭の奥でまだ響いていた。
理解したくないのに、耳の奥で何度も反響する。
霊素の残滓なのか、それとも僕自身の記憶のざらつきなのか、
胸の奥が時おりきしむ。
窓の外を見下ろすと、王都の街が見えた。
舗装された白い石の道、人の往来、青い旗。
それらすべてが、かつて憧れた“自由”の象徴だった。
けれど今は、どれもが牢の外の風景に見えた。
扉を叩く音がした。
短い間を置いて、リーゼンが姿を現した。
「調子はどうですか」
抑えた声。
どこか医者のように淡々としていて、そこに情があるのかどうか分からない。
けれど彼は、戦場で何度も僕たちを救ってくれた人だ。
その無表情の奥に、何かを隠しているのだと、すぐに分かった。
「まあ、なんとか。まだ少し、体の中が……ざわついてます」
「残留霊素ですね。時間が経てば落ち着きますよ」
リーゼンは頷きながら、手にしていた資料束を机に置いた。
硬質な音。
その音だけで、部屋の温度が少し下がった気がした。
「報告書をまとめていました。あなたの証言をもとに、上へ提出する形で」
「……報告書?」
彼はページを指で整えながら、ためらうように言葉を選ぶ。
「奥方様。あなたの証言と、アルバート様の報告内容に、少し差異が出ています」
その瞬間、息が止まった。
鼓動が一拍ずつ重く落ちていく。
「差異……?」
「あなたは、“転送の起点は敵の術陣にあった”と述べた。だが、報告では“媒介反応が先に発動した”と記録されている」
僕の指がシーツの上で震えた。
そんなはずはない。
転送は――確かに、僕が引きずられたのだ。
仮面の男の命令で、術者が起動した。僕がやったわけじゃない。
「僕は……そんなこと、してない」
「公式の記録には、そう書かれている」
リーゼンの声は変わらない。
ただ、静かで、どこまでも平坦だ。
だからこそ、その冷静さが怖かった。
「誰が書き換えたんですか」
「報告の段階で、何かが上層で編集されたのかもしれません」
彼は言葉を濁し、それ以上は何も言わなかった。
けれど、そこに“真実がどこかにある”ことだけは確かだった。
リーゼンが退出したあと、部屋に沈黙が落ちた。
壁際の魔石が、かすかに脈を打っている。
ほんの小さな赤い光。
以前は気づかなかったが、今ははっきりと“監視の目”にしか見えなかった。
僕は深く息を吸った。
薬草の匂いが肺を刺す。
心臓の鼓動が早くなる。
(僕の記憶が、改ざんされてる? それとも……アルバートが、守るために嘘を?)
頭の中で答えが定まらない。
どちらにしても、真実は僕の手を離れている。
あの術の夜から、僕はずっと――誰かに“記述される側”のままだ。
扉の外で足音がした。
夜が降りはじめた頃、アルバートが戻ってきた。
その顔には疲労が刻まれていた。
けれど、それよりも重かったのは沈黙だった。
「……戻ったんですね」
「上は混乱している。封印区画の痕跡が、まだ再起動を続けている」
彼は淡々と言いながら、机に置かれた書類に目を落とした。
そして、一瞬だけ息を止める。
それが――報告書の束だと、すぐに分かった。
「報告書……ですか」
「……ああ」
沈黙。
互いに言葉を探しているのに、どちらも先に踏み出せなかった。
僕は、勇気を振り絞って口を開く。
「それ、あなたが書いたんですか」
アルバートの瞳がわずかに揺れた。
けれど、否定はしなかった。
「いや、俺の報告は提出した。だが……上が編集した」
その声には、怒りでも悲しみでもない、乾いた疲労だけがあった。
「上層が何を恐れているのか、もう分かっているだろう。あの術が、まだ終わっていない」
「じゃあ……僕の中には、まだ……」
最後まで、言い切れなかった。
喉が詰まる。
アルバートは静かに視線を落とした。
「君を守るために、俺はまた命令を破るかもしれない。それでもいいか」
その問いに、頷くことも、拒むこともできなかった。
ただ、胸の奥で何かが音を立てて軋んだ。
彼が部屋を出ていったあと、
机の上に残された報告書の写しを見つけた。
震える手で開く。
そこには、見覚えのない一文があった。
『器は、再び目覚めの兆候を見せた』
僕は思わず息を止めた。
背後の壁で、魔石の灯が赤く瞬いた。
その光が、まるで心臓の鼓動のように脈を打っていた。
けれど、それは優しいものではなかった。
淡いはずの陽光が、どこか乾いた冷たさを含んでいて、
窓越しに感じるそのぬくもりは、まるで薄い硝子の膜のように遠かった。
王都の療養棟に運ばれて三日。
外は穏やかで、街の鐘もいつも通り鳴っているはずなのに、
この部屋の空気だけが、少しだけ異質に思えた。
看護師が入ってきて、薬瓶の蓋を開ける。
小さく会釈しても、彼女は目を合わせようとしなかった。
誰もが丁寧だ。けれど、その丁寧さは壁のようで――
僕が何か触れてはいけない存在になったのだと、
その態度だけで分かってしまう。
(……危険な媒介、か)
アルバートから聞かされた言葉が、頭の奥でまだ響いていた。
理解したくないのに、耳の奥で何度も反響する。
霊素の残滓なのか、それとも僕自身の記憶のざらつきなのか、
胸の奥が時おりきしむ。
窓の外を見下ろすと、王都の街が見えた。
舗装された白い石の道、人の往来、青い旗。
それらすべてが、かつて憧れた“自由”の象徴だった。
けれど今は、どれもが牢の外の風景に見えた。
扉を叩く音がした。
短い間を置いて、リーゼンが姿を現した。
「調子はどうですか」
抑えた声。
どこか医者のように淡々としていて、そこに情があるのかどうか分からない。
けれど彼は、戦場で何度も僕たちを救ってくれた人だ。
その無表情の奥に、何かを隠しているのだと、すぐに分かった。
「まあ、なんとか。まだ少し、体の中が……ざわついてます」
「残留霊素ですね。時間が経てば落ち着きますよ」
リーゼンは頷きながら、手にしていた資料束を机に置いた。
硬質な音。
その音だけで、部屋の温度が少し下がった気がした。
「報告書をまとめていました。あなたの証言をもとに、上へ提出する形で」
「……報告書?」
彼はページを指で整えながら、ためらうように言葉を選ぶ。
「奥方様。あなたの証言と、アルバート様の報告内容に、少し差異が出ています」
その瞬間、息が止まった。
鼓動が一拍ずつ重く落ちていく。
「差異……?」
「あなたは、“転送の起点は敵の術陣にあった”と述べた。だが、報告では“媒介反応が先に発動した”と記録されている」
僕の指がシーツの上で震えた。
そんなはずはない。
転送は――確かに、僕が引きずられたのだ。
仮面の男の命令で、術者が起動した。僕がやったわけじゃない。
「僕は……そんなこと、してない」
「公式の記録には、そう書かれている」
リーゼンの声は変わらない。
ただ、静かで、どこまでも平坦だ。
だからこそ、その冷静さが怖かった。
「誰が書き換えたんですか」
「報告の段階で、何かが上層で編集されたのかもしれません」
彼は言葉を濁し、それ以上は何も言わなかった。
けれど、そこに“真実がどこかにある”ことだけは確かだった。
リーゼンが退出したあと、部屋に沈黙が落ちた。
壁際の魔石が、かすかに脈を打っている。
ほんの小さな赤い光。
以前は気づかなかったが、今ははっきりと“監視の目”にしか見えなかった。
僕は深く息を吸った。
薬草の匂いが肺を刺す。
心臓の鼓動が早くなる。
(僕の記憶が、改ざんされてる? それとも……アルバートが、守るために嘘を?)
頭の中で答えが定まらない。
どちらにしても、真実は僕の手を離れている。
あの術の夜から、僕はずっと――誰かに“記述される側”のままだ。
扉の外で足音がした。
夜が降りはじめた頃、アルバートが戻ってきた。
その顔には疲労が刻まれていた。
けれど、それよりも重かったのは沈黙だった。
「……戻ったんですね」
「上は混乱している。封印区画の痕跡が、まだ再起動を続けている」
彼は淡々と言いながら、机に置かれた書類に目を落とした。
そして、一瞬だけ息を止める。
それが――報告書の束だと、すぐに分かった。
「報告書……ですか」
「……ああ」
沈黙。
互いに言葉を探しているのに、どちらも先に踏み出せなかった。
僕は、勇気を振り絞って口を開く。
「それ、あなたが書いたんですか」
アルバートの瞳がわずかに揺れた。
けれど、否定はしなかった。
「いや、俺の報告は提出した。だが……上が編集した」
その声には、怒りでも悲しみでもない、乾いた疲労だけがあった。
「上層が何を恐れているのか、もう分かっているだろう。あの術が、まだ終わっていない」
「じゃあ……僕の中には、まだ……」
最後まで、言い切れなかった。
喉が詰まる。
アルバートは静かに視線を落とした。
「君を守るために、俺はまた命令を破るかもしれない。それでもいいか」
その問いに、頷くことも、拒むこともできなかった。
ただ、胸の奥で何かが音を立てて軋んだ。
彼が部屋を出ていったあと、
机の上に残された報告書の写しを見つけた。
震える手で開く。
そこには、見覚えのない一文があった。
『器は、再び目覚めの兆候を見せた』
僕は思わず息を止めた。
背後の壁で、魔石の灯が赤く瞬いた。
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