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第5話:“奇跡”が芽吹いた瞬間
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僕には誰にも言えない秘密が一つ、ある。
あれはたぶん、七歳の頃だったと思う。
転んで膝をすりむいた。
小さな傷だったけれど、痛くて、泣きそうだった。
誰にも言えず、心配させたくなくて母の前でも泣けなかった。
僕はただひとり、庭の隅に蹲って、その血のにじんだ場所に――そっと、舌を当てた。
不思議なことに、ぴりついた痛みが引いていって、数分もしないうちに血は止まり、赤く腫れていた箇所も落ち着いていった。
あれ?と思ったけれど、最初は気のせいだと思った。
けれど、その後何度か、自分の傷に唇を当ててみた。
指のささくれ、棘を抜いた痕、紙で切った指先――どれも、舐めればたしかに治っていった。
それで、ようやく確信した。
僕の癒しの力は、“舐めること”にあるのだと。
けれど、どうすればいい?
癒すには舐めなければならないなんて。
そんなこと、人に言っても――
(気持ち悪い)
そう言われるのが関の山だ。
だから、自分の力を誰にも話さなかった。
そうしているうちに優しい母が亡くなり、本邸に行くことになる。
父にだけは言ってみようかと思ったこともあったけど、もうその頃には父は忙しくて、本館にはほとんど戻らなかった。
母が亡くなってから、すべてが変わっていたのだ。
だから僕はただ、“役立たず”として見下されながらも、それでも何か役に立てる日がくると信じて、黙っていた。
「リオン?」
名前を呼ばれて、僕はハッと顔を上げた。
目の前には、メレルがいた。
猫耳の少女。さっきから、ずっと世話を焼いてくれている子。
こんなふうに温かく接されるのは久々で……少し戸惑ってしまう。
「はい、なんでしょう」
僕は慌てて姿勢を直した。僕がうろたえると、彼女の耳がへにゃっと倒れてしまうからだ。なんというか、感情が耳に出るのがかわいらしくて、ちょっと申し訳なくなる。
「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ?お花、持ってきたの。気分転換になればいいなって思って」
そう言って彼女が差し出したのは、淡い色合いのバラの花束だった。白と桃色が混じった小ぶりの花々が、ほんのりと甘く香る。
あたたかな色を見ていると、少しだけ、心の奥が緩んだ気がした。
「……ありがとうございます。綺麗です」
思わず本音が零れた。
するとメレルは嬉しそうに笑って、「枕元に飾るね!」とぱたぱた歩いてきて、花瓶を置こうとテーブルに手を伸ばした。
そのときだった。
「きゃっ……!」
短い悲鳴。振り向くと、彼女の指先から赤いしずくが――
バラの棘が、皮膚をかすめたらしい。
僕は、とっさに手を伸ばしていた。
彼女の手を取って、指先を包み、口元へと運ぶ。
何も考えていなかった。ただ、動いていた。
ぺろ、と。
彼女の傷口を、舌先でひと撫でする。
――その瞬間、僕の背筋が凍った。
(……しまった!やってしまった)
頭が真っ白になる。
馬鹿だ、何をしているんだ、僕は。
いくら咄嗟とはいえ、相手は獣人の女の子だ。異国の人だ。しかも、王宮の小間使いだというのに。
何を、してしまったんだ。
「ご、ごめんなさい! 僕、つい……!」
慌てて手を放し、顔を青くして頭を下げる。
もうダメだ。気持ち悪がられる。
どこでも蔑まれる。きっとこの国でも。
そう思っていたのに。
「……えっ?え?ちょっと待って」
メレルの声が震えていた。
「痛くない。……さっき、すごくチクってして、血が出てたのに……もう、ない。ないよ、傷、どこにも!」
僕は顔を上げた。
メレルが驚いたように、自分の指先を見つめていた。
確かに、さっきまで血が滲んでいたはずの場所が、何事もなかったように綺麗になっている。
血の跡すら残っていない。
「リオン、今の……今のって、癒し、なの?」
僕は何も答えられなかった。
ただ、唇を震わせて、顔を横に振った。
違う、とも、そうだ、とも言えなかった。
「すごい……っ、すごいよ、それ……!」
メレルの瞳が輝く。
その純粋な光に、僕は少しだけ眩しさを覚えた。
僕の力を、気持ち悪いとも、奇妙だとも言わなかった。
ただ、“すごい”と。
その言葉だけで、胸の奥に何かが灯った気がした。
「すぐ、殿下に知らせてくる! すぐ!」
そう言って、彼女はくるりと身を翻し、軽い足音を響かせながら部屋を飛び出していった。
扉が閉まったあと。
部屋に再び、静寂が戻る。
僕は、ただベッドの上で、ぽつんと取り残された。
(やっぱり、知られたら……なにか、変わるよね)
怖さと、安堵と、それから……ほんの少しの、希望。
僕はそっと、自分の舌先に触れてみた。
あの力が、誰かを癒せるものなら。
ほんの少しでも、この世界に僕の居場所があるなら。
(……悪くないかもしれない)
そう、思っても……いいのだろうか。
--------------------
お読み頂きありがとうございます!
次の更新は21:30と21:40の2話になります。
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あれはたぶん、七歳の頃だったと思う。
転んで膝をすりむいた。
小さな傷だったけれど、痛くて、泣きそうだった。
誰にも言えず、心配させたくなくて母の前でも泣けなかった。
僕はただひとり、庭の隅に蹲って、その血のにじんだ場所に――そっと、舌を当てた。
不思議なことに、ぴりついた痛みが引いていって、数分もしないうちに血は止まり、赤く腫れていた箇所も落ち着いていった。
あれ?と思ったけれど、最初は気のせいだと思った。
けれど、その後何度か、自分の傷に唇を当ててみた。
指のささくれ、棘を抜いた痕、紙で切った指先――どれも、舐めればたしかに治っていった。
それで、ようやく確信した。
僕の癒しの力は、“舐めること”にあるのだと。
けれど、どうすればいい?
癒すには舐めなければならないなんて。
そんなこと、人に言っても――
(気持ち悪い)
そう言われるのが関の山だ。
だから、自分の力を誰にも話さなかった。
そうしているうちに優しい母が亡くなり、本邸に行くことになる。
父にだけは言ってみようかと思ったこともあったけど、もうその頃には父は忙しくて、本館にはほとんど戻らなかった。
母が亡くなってから、すべてが変わっていたのだ。
だから僕はただ、“役立たず”として見下されながらも、それでも何か役に立てる日がくると信じて、黙っていた。
「リオン?」
名前を呼ばれて、僕はハッと顔を上げた。
目の前には、メレルがいた。
猫耳の少女。さっきから、ずっと世話を焼いてくれている子。
こんなふうに温かく接されるのは久々で……少し戸惑ってしまう。
「はい、なんでしょう」
僕は慌てて姿勢を直した。僕がうろたえると、彼女の耳がへにゃっと倒れてしまうからだ。なんというか、感情が耳に出るのがかわいらしくて、ちょっと申し訳なくなる。
「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ?お花、持ってきたの。気分転換になればいいなって思って」
そう言って彼女が差し出したのは、淡い色合いのバラの花束だった。白と桃色が混じった小ぶりの花々が、ほんのりと甘く香る。
あたたかな色を見ていると、少しだけ、心の奥が緩んだ気がした。
「……ありがとうございます。綺麗です」
思わず本音が零れた。
するとメレルは嬉しそうに笑って、「枕元に飾るね!」とぱたぱた歩いてきて、花瓶を置こうとテーブルに手を伸ばした。
そのときだった。
「きゃっ……!」
短い悲鳴。振り向くと、彼女の指先から赤いしずくが――
バラの棘が、皮膚をかすめたらしい。
僕は、とっさに手を伸ばしていた。
彼女の手を取って、指先を包み、口元へと運ぶ。
何も考えていなかった。ただ、動いていた。
ぺろ、と。
彼女の傷口を、舌先でひと撫でする。
――その瞬間、僕の背筋が凍った。
(……しまった!やってしまった)
頭が真っ白になる。
馬鹿だ、何をしているんだ、僕は。
いくら咄嗟とはいえ、相手は獣人の女の子だ。異国の人だ。しかも、王宮の小間使いだというのに。
何を、してしまったんだ。
「ご、ごめんなさい! 僕、つい……!」
慌てて手を放し、顔を青くして頭を下げる。
もうダメだ。気持ち悪がられる。
どこでも蔑まれる。きっとこの国でも。
そう思っていたのに。
「……えっ?え?ちょっと待って」
メレルの声が震えていた。
「痛くない。……さっき、すごくチクってして、血が出てたのに……もう、ない。ないよ、傷、どこにも!」
僕は顔を上げた。
メレルが驚いたように、自分の指先を見つめていた。
確かに、さっきまで血が滲んでいたはずの場所が、何事もなかったように綺麗になっている。
血の跡すら残っていない。
「リオン、今の……今のって、癒し、なの?」
僕は何も答えられなかった。
ただ、唇を震わせて、顔を横に振った。
違う、とも、そうだ、とも言えなかった。
「すごい……っ、すごいよ、それ……!」
メレルの瞳が輝く。
その純粋な光に、僕は少しだけ眩しさを覚えた。
僕の力を、気持ち悪いとも、奇妙だとも言わなかった。
ただ、“すごい”と。
その言葉だけで、胸の奥に何かが灯った気がした。
「すぐ、殿下に知らせてくる! すぐ!」
そう言って、彼女はくるりと身を翻し、軽い足音を響かせながら部屋を飛び出していった。
扉が閉まったあと。
部屋に再び、静寂が戻る。
僕は、ただベッドの上で、ぽつんと取り残された。
(やっぱり、知られたら……なにか、変わるよね)
怖さと、安堵と、それから……ほんの少しの、希望。
僕はそっと、自分の舌先に触れてみた。
あの力が、誰かを癒せるものなら。
ほんの少しでも、この世界に僕の居場所があるなら。
(……悪くないかもしれない)
そう、思っても……いいのだろうか。
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