7 / 48
【第一章「剣客と花魁と芸者と暴れん坊旗本」】
七 夜回りと夜鷹と
しおりを挟む
亥の刻も三つ(現代の午後十時頃)になった。
町木戸が締められる時間だが、梅次郎は川沿いを見回っている。
何度か夜鷹から誘いの声をかけられたが、そのたびに辻斬りに気をつけるよう注意した。
彼女たちも事件のことは知っていたが、生活のために身を売っているのでやめることはできないようだった。
江戸の町で女が金銭を得る方法は限られる。武家の屋敷奉公に出られることが上位として、ほかは商家や料理屋などで女中になるか、歌舞音曲に秀でていれば芸者になるか、容姿が端麗なら水茶屋などで働くかといったところである。
矢場(文字どおり矢を射る場であり江戸における遊技場である)で矢取女になるという選択もあるが、そこは春を売る場にもなった。労働の場が限られているからこそ、夜鷹などの私娼がなくならないとも言える。
なお、幕府によって岡場所などへ驚動と呼ばれる一斉取締りがあり、それで捕えられた私娼たちは吉原に送られることになる。
「なんだかんだいっても俺も夜鷹と変わらねぇようなもんだな。同じ浮き草稼業だ」
町人の身分で剣術を学び、今はこうして事件があるたびにブラブラほっつき歩いている。
(事件がねぇと干上がっちまう。人の不幸で生きる因果な商売だ。人生嫌になっちまうな)
どうにもやりきれない。
「あ~あ、厭離穢土欣求浄土、厭離穢土欣求浄土」
思わず徳川家康の旗印を口ずさみながら、土手を歩いていく。
そうして夜回りを続けているうちに、さらに時間が経った。
灯はほとんどなくなり、あたりは漆黒の闇に包まれている。
(どうやら今夜は平穏なままで終わるらしい)
これまでの辻斬りは子の刻(現在の午後十一時から午前一時頃)が終わるまでに行われている。
もうそろそろ、子も終わる。
「まあ、なにもないに越したことはねぇ」
梅次郎は土手から月を見上げた。
なお、後方の川沿いには舟が並んでおり舟饅頭と呼ばれる私娼からも声をかけられた。
これも一時期は衰退したはずだが、最近は再び出没している。
もちろん誘いは断って、辻斬りへの注意喚起をしておいた。
(……夜鷹に舟饅頭か……思った以上に江戸の景気は悪くなっているんだな……)
水野忠邦による天保の改革このかた江戸の町の活気は失われている。
その風紀取締りと戯作者弾圧によって、為永春水は死んだといっていい。
(……確か手鎖五十日をくらって一年後くらいに死んだんだよな……)
いい年をした親父が、乙女たちの心をときめかせる人情本を書いていたのだから複雑な気分だった。
「まあ、顔も知らねぇし、俺にゃ関係ねぇっちゃねぇんだが……」
夜闇に独り言を吐くのは、無用な緊張で身体が強張るのを防ぐためでもある。
「……ん?」
突然、生暖かい風が戦ぎ始めた。
違和感を覚えるとともに、背すじに寒気に似たものが走る。
この感覚を、梅次郎はよく知っている。
「――っ!」
土手下から影が動いたときには、すでに梅次郎は飛び退いていた。
遅れて白刃が鼻先を掠めていく。
そう認識したときには、梅次郎はさらに三歩ほど距離を空けている。
頭で考えた動きではなく、体が殺気に反応したのだ。
町木戸が締められる時間だが、梅次郎は川沿いを見回っている。
何度か夜鷹から誘いの声をかけられたが、そのたびに辻斬りに気をつけるよう注意した。
彼女たちも事件のことは知っていたが、生活のために身を売っているのでやめることはできないようだった。
江戸の町で女が金銭を得る方法は限られる。武家の屋敷奉公に出られることが上位として、ほかは商家や料理屋などで女中になるか、歌舞音曲に秀でていれば芸者になるか、容姿が端麗なら水茶屋などで働くかといったところである。
矢場(文字どおり矢を射る場であり江戸における遊技場である)で矢取女になるという選択もあるが、そこは春を売る場にもなった。労働の場が限られているからこそ、夜鷹などの私娼がなくならないとも言える。
なお、幕府によって岡場所などへ驚動と呼ばれる一斉取締りがあり、それで捕えられた私娼たちは吉原に送られることになる。
「なんだかんだいっても俺も夜鷹と変わらねぇようなもんだな。同じ浮き草稼業だ」
町人の身分で剣術を学び、今はこうして事件があるたびにブラブラほっつき歩いている。
(事件がねぇと干上がっちまう。人の不幸で生きる因果な商売だ。人生嫌になっちまうな)
どうにもやりきれない。
「あ~あ、厭離穢土欣求浄土、厭離穢土欣求浄土」
思わず徳川家康の旗印を口ずさみながら、土手を歩いていく。
そうして夜回りを続けているうちに、さらに時間が経った。
灯はほとんどなくなり、あたりは漆黒の闇に包まれている。
(どうやら今夜は平穏なままで終わるらしい)
これまでの辻斬りは子の刻(現在の午後十一時から午前一時頃)が終わるまでに行われている。
もうそろそろ、子も終わる。
「まあ、なにもないに越したことはねぇ」
梅次郎は土手から月を見上げた。
なお、後方の川沿いには舟が並んでおり舟饅頭と呼ばれる私娼からも声をかけられた。
これも一時期は衰退したはずだが、最近は再び出没している。
もちろん誘いは断って、辻斬りへの注意喚起をしておいた。
(……夜鷹に舟饅頭か……思った以上に江戸の景気は悪くなっているんだな……)
水野忠邦による天保の改革このかた江戸の町の活気は失われている。
その風紀取締りと戯作者弾圧によって、為永春水は死んだといっていい。
(……確か手鎖五十日をくらって一年後くらいに死んだんだよな……)
いい年をした親父が、乙女たちの心をときめかせる人情本を書いていたのだから複雑な気分だった。
「まあ、顔も知らねぇし、俺にゃ関係ねぇっちゃねぇんだが……」
夜闇に独り言を吐くのは、無用な緊張で身体が強張るのを防ぐためでもある。
「……ん?」
突然、生暖かい風が戦ぎ始めた。
違和感を覚えるとともに、背すじに寒気に似たものが走る。
この感覚を、梅次郎はよく知っている。
「――っ!」
土手下から影が動いたときには、すでに梅次郎は飛び退いていた。
遅れて白刃が鼻先を掠めていく。
そう認識したときには、梅次郎はさらに三歩ほど距離を空けている。
頭で考えた動きではなく、体が殺気に反応したのだ。
10
あなたにおすすめの小説
【完結】ふたつ星、輝いて 〜あやし兄弟と町娘の江戸捕物抄〜
上杉
歴史・時代
■歴史小説大賞奨励賞受賞しました!■
おりんは江戸のとある武家屋敷で下女として働く14歳の少女。ある日、突然屋敷で母の急死を告げられ、自分が花街へ売られることを知った彼女はその場から逃げだした。
母は殺されたのかもしれない――そんな絶望のどん底にいたおりんに声をかけたのは、奉行所で同心として働く有島惣次郎だった。
今も刺客の手が迫る彼女を守るため、彼の屋敷で住み込みで働くことが決まる。そこで彼の兄――有島清之進とともに生活を始めるのだが、病弱という噂とはかけ離れた腕っぷしのよさに、おりんは驚きを隠せない。
そうしてともに生活しながら少しづつ心を開いていった――その矢先のことだった。
母の命を奪った犯人が発覚すると同時に、何故か兄清之進に凶刃が迫り――。
とある秘密を抱えた兄弟と町娘おりんの紡ぐ江戸捕物抄です!お楽しみください!
※フィクションです。
※周辺の歴史事件などは、史実を踏んでいます。
皆さまご評価頂きありがとうございました。大変嬉しいです!
今後も精進してまいります!
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
半蔵門の守護者
裏耕記
歴史・時代
半蔵門。
江戸城の搦手門に当たる門の名称である。
由来は服部半蔵の屋敷が門の側に配されていた事による。
それは蔑まれてきた忍びへの無上の褒美。
しかし、時を経て忍びは大手門の番守に落ちぶれる。
既に忍びが忍びである必要性を失っていた。
忍家の次男坊として生まれ育った本田修二郎は、心形刀流の道場に通いながらも、発散できないジレンマを抱える。
彼は武士らしく生きたいという青臭い信条に突き動かされ、行動を起こしていく。
武士らしさとは何なのか、当人さえ、それを理解出来ずに藻掻き続ける日々。
奇しくも時は八代将軍吉宗の時代。
時代が変革の兆しを見せる頃である。
そしてこの時代に高い次元で忍術を維持していた存在、御庭番。
修二郎は、その御庭番に見出され、半蔵門の守護者になるべく奮闘する物語。
《連作短編となります。一話四~五万文字程度になります》
【完結】『江戸めぐり ご馳走道中 ~お香と文吉の東海道味巡り~』
月影 朔
歴史・時代
読めばお腹が減る!食と人情の東海道味巡り、開幕!
自由を求め家を飛び出した、食い道楽で腕っぷし自慢の元武家娘・お香。
料理の知識は確かだが、とある事件で自信を失った気弱な元料理人・文吉。
正反対の二人が偶然出会い、共に旅を始めたのは、天下の街道・東海道!
行く先々の宿場町で二人が出会うのは、その土地ならではの絶品ご当地料理や豊かな食材、そして様々な悩みを抱えた人々。
料理を巡る親子喧嘩、失われた秘伝の味、食材に隠された秘密、旅人たちの些細な揉め事まで――
お香の持ち前の豪快な行動力と、文吉の豊富な食の知識、そして二人の「料理」の力が、人々の閉ざされた心を開き、事件を解決へと導いていきます。時にはお香の隠された剣の腕が炸裂することも…!?
読めば目の前に湯気立つ料理が見えるよう!
香りまで伝わるような鮮やかな料理描写、笑いと涙あふれる人情ドラマ、そして個性豊かなお香と文吉のやり取りに、ページをめくる手が止まらない!
旅の目的は美味しいものを食べること? それとも過去を乗り越えること?
二人の絆はどのように深まっていくのか。そして、それぞれが抱える過去の謎も、旅と共に少しずつ明らかになっていきます。
笑って泣けて、お腹が空く――新たな食時代劇ロードムービー、ここに開幕!
さあ、お香と文吉と一緒に、舌と腹で東海道五十三次を旅しましょう!
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる