【本編完結】婚約破棄から始める貴族革命

長月 史

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外伝 ノーマン視察団紀行

アルギア 3

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 今日の宿泊場所である市長邸宅で、視察団を交えた会食の後。
 アルバートはソフィアとアルギア市長であるガントを呼び、会談の場を設けていた。

 応接室のソファに腰を落ち着け、対面のガントに視線を向ける。
 ローテーブルに置かれた燭台に照らされた四十歳前後の男は、黒目黒髪の実にノーマンの民らしい顔つきをしていた。
 それもそのはず。
 彼はれっきとしたノーマン貴族の子息だ。
 つまりは実質的にノーマン家の部下である。

 ガントはノーマン家の推挙を受け、市議会で可決されたことで市長となった。
 「ノーマン家の下での自治」というアルギアの運営形態を象徴するような人事だろう。



「今日はご苦労だった」
「ありがとうございます」

 アルバートの労いに恭しく応える様子は、まさしく主従のものである。

「視察団の方々にも、満足していただけたようだ」
「光栄でございます。
 統一度量衡のお話が多かったように存じますが、やはり衝撃は大きかったようですね」
「なかなか考えないことではあるだろうからな」
「無理もございません。
 私も初めてお考えを伺った際は、この方はなぜこのようなことを思い付くのかと、心底不思議に思いましたゆえ」

 軽く笑ったガントは、居住まいを正すと、恭しく頭を垂れる。

「コルムよりの通達があり、遅くとも年内には当主の継承をされると伺いました。
 祝着至極にございます」
「ありがとう。
 これからも振り回すと思うが、私を信じて付いてきて欲しい」
「おっと、これは大変なことが起こりそうですね。
 ですが、望むところでございます」

 顔を上げたガントは、ニヤリと笑みを浮かべた。



「言ったな。
 では早速だが、やって欲しいことがある」
「何なりと」
「航海の情報を集めて欲しい」
「……と申しますと?」
「アルギアに集まる船乗りたちから、航海に関するあらゆる情報を集めて欲しいのだ。
 どこでどんな事故が起きたか、はもちろん。
 その時の船体はどのような状態だったか?
 船齢は?
 修理や改装の履歴は?
 装備は?
 その点検履歴は?
 積み荷は?
 その梱包や積み方は?
 船主は?
 荷主は?
 船長や乗員の練度は?
 季節は?
 天候は?
 例年との違いは?
 他にも気づくことがあれば、全てを記録して欲しい」
「それはまた……
 大変な量になりますな」
「ああ。
 専任の担当者が必要になるだろうな」

 アルバートは頷き、視線をガントからソフィアに移す。

「ソフィア。
 お前の『研究室』では、ガントから情報を受け取り、分析して欲しい」
「はい」
「これまでにも経験則で、船の改良や航路の改善がされてきただろうとは思う。
 だが、今後は明確なデータからできるようにする。
 そのために、遠くないうちに『研究室』の分室をアルギアに開設することになるだろう」

 ソフィアはしっかりと頷いた。
 だが、ガントはこの施策が何を目的としたものか、あまりピンと来ていない様子だ。
 これはむしろ、アルバートの意図を理解している様子のソフィアの方が異常だ。

 この世界には、まだ「統計」という概念自体が存在しない。
 前世の地球でも、統計という概念が登場したのは十七世紀頃だったはず。
 存在自体がチートと言われる古代ローマにも、おそらくは無かった概念だ。

 どのように説明したものか。
 アルバートはしばし考える。



「そうだな。

 例えば、集めた情報を比較した結果、船齢が二十年を超えた船は、それよりも若い船に比べて、浸水を起こす件数が顕著に多かったとする。
 それが分かれば、船齢が十五年なり十八年なりを超えた船には防水塗装をやり直すように義務付ける、という対策を取れる。

 あるいは、帆は同じ物を五年以上使うと、強風に煽られた際に破れる件数が多かったとする。
 それが分かれば、帆は四年使ったら新しい物に交換することを義務付ける、という対策を取れる。

 他のパーツに関しても、定期的な点検や交換を法制化することで海難事故を減らせるかもしれない。
 あるいは、特別な対策が必要な航路、というのも出てくるかもしれないし、船の型によって危険な航路と安全な航路が違うことが分かるかもしれない。

 船体や装備品の点検用のチェックシートを作成して配布し、船長の業務として点検責任を課す、ということが必要になるかもしれない。
 最新の航路情報の講義を定期的に開催して、船長や船主の受講を義務化する、といったことが必要になるかもしれない。
 そういった政策を実施するためには、数字で示せる根拠があった方が、納得されやすいし遵守する動機にもなるだろう。

 こうしたことの積み重ねで、アルギアに船籍をを置く船や、アルギア籍の船長の海難事故が目に見えて減少すれば、それが評判となってアルギアの力になる」
「なるほど」

 思えば、前世の社会には多くの安全基準があった。
 あれらは、先人たちが気の遠くなるような量のデータを積み上げ、分析して、一つずつ作り上げていったものなのだ。
 この世界では、それをこれから作っていかなくてはならない。

「こういった基礎的なデータ収集と分析は、すぐには効果が出ないかもしれないが、長期的には大きな効果をもたらす。
 実るのは私の代ではないかもしれない。
 百年、二百年かかるかもしれない。
 それでも続けるべきことだ」
「承知いたしました」

 ガントは、今度はしっかりと頷いた。



「ガントは海上保険を知っているか」
「は。
 ユヴェールを中心に、南の海ではそのような仕組みができてきている、ということは耳に入っております」
「結構。
 いずれは海上保険の事業化も考えている。
 ノーマン銀行でやるかもしれないし、別の組織にするかもしれない。
 だが、他国に先んじてやるべきことだ」

 地球の歴史でも、海上保険は十二世紀から十三世紀頃の地中海にはすでに存在した。
 そして、それらを大規模に組織化し「海上保険市場」を作り上げたのが、ロンドンでコーヒーショップを営んでいたロイズという男だ。

 海上保険市場が成立したことにより、海上保険は荷主や船主にとって利用しやすいシステムとなり、それによって海上輸送のハードルが下がり、海運業が活発化した。

 それは間違いなく、大英帝国の繁栄を支える要素の重要な一つだった。
 コーヒーショップのオーナーにできたことが、アルギア市にできないわけはない。



 ソフィアに向き直る。

「それと、『研究室』には、東の情報も分析してもらいたい」
「遊牧民や隊商からもたらされた情報ということでございますね」
「そうだ。
 こちらの方はすでに情報の集積はかなりあるはずだ。
 だから、その分析を行なって欲しい。
 むしろ、急ぎなのはこちらだな」

 ノーマン家は、元を辿れば遊牧民だった一族だったし、定住してからも遊牧民との繋がりは深く長い。
 和戦、硬軟とり混ぜて、記録にも残らないほど長い歴史がある。

 それだけに情報は質も量も十分に揃っている。
 それを系統立てて分析するのだ。

 現在、東部の国境地帯には五千の兵を巡回させているが、リスク情報を分析して、効率化を図る。
 また、先日の近衛隊討伐のように遠征が必要な際に、どれだけの兵を、どこから、どの程度の期間、抽出できるかを詳細に検討する。



 東の遊牧民の部族の配置を調査して、敵対的な部族を叩いて、友好的な部族の勢力を伸ばす。
 これは以前から行われてきたノーマン家の伝統的な戦略だが、それをより高度に運用できるようにするのだ。

 友好的な部族の中にも、もはやノーマンの民と言っても過言ではないような者たちから、ちょっとしたきっかけで敵対しそうな者たちまでグラデーションがある。
 敵対的な部族も、不倶戴天の敵という者たちから、交渉次第で味方になりそうな者たちまで様々だ。
 これらを正確に把握し、利用すれば、東部のノーマン軍の自由度を高めることができるだろう。

「これから、共和国は国難と言って良い時代に入るだろう。
 ノーマン軍が西部や南東部の国境まで援軍に赴ける体制を作っておく必要がある。
 増員も考えてはいるが、今いる兵の中で自由に動かせる数を増やすのも重要だ。
 場合によっては、東部の五千を全て引き抜かなければならない、という事態も想定しておかなければならない。
 その時の危険を外交でどれだけ、どのように回避できるのか、といった検討も必要になる」
「承知いたしました」

 これまで『研究室』は産業技術の開発局、といった立ち位置だった。
 これからは近代軍の参謀本部に近い役割も担ってもらうことになるだろう。
 本来は軍の方に作るべき組織なのかもしれないが、正直に言って人材が足りない。
 論理的な思考ができる人材というのは、この世界ではまだまだ貴重なのだ。
 下手に分散して配備するくらいなら、一箇所に集めて、そこに「考える」という機能を集約してしまった方が良いだろう。



 そう考えると、そんな組織を任せることができる能力があり、絶対的に信頼できる人材がいる、というのはアルバートにとって大きな幸運なのだろう。
 ソフィアに視線を向ける。

「お前が妹で、本当に良かったよ」
「私もお兄様の妹として生まれることができて、本当に幸せですわ」

 兄妹は、そう言って笑い合った。


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