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しおりを挟む「こうして、アルベルン公爵夫人が我が家のパーティーに参加してくださるなんて光栄ですわ。何せ、王室主催の宴会くらいでしかお目にかかれないものですから」
「あまりこういった集まりが得意ではありませんの。ですが、ダリア侯爵夫人からの招待でしたらいつでも駆けつけますわ」
今宵、私はダリア侯爵邸で開かれたパーティーに参加していた。
主催者であるリリー・ダリア侯爵夫人は、私の母とさほど年の変わらぬ、経験豊富な貴婦人だ。社交界においても発言力があり、その一言一言が軽んじられることはない。
彼女のほかにも、五人ほどの貴婦人たちが円卓を囲むように席に着いている。皆、私の倍以上の時を生きてきた夫人たちだ。
私はシャンパングラスを手に取りながら、半ば聞き役に徹し、彼女たちの会話に耳を傾けていた。
すると、私の正面に腰を下ろしていたダリア侯爵夫人が、少し躊躇うように視線を彷徨わせた後、おずおずと声をかけてきた。
「あのう、ところで公爵夫人?」
「はい? 何でしょう」
「……よろしいのですか? その、あれは……」
言葉を濁しつつ、ダリア侯爵夫人は扇子を口元に添え、ちらりと目だけを動かした。
それに倣うように、私を含め、その場に居合わせた貴婦人全員が自然と彼女の視線の先を追う。
そこに居たのは、二人の紳士と一人の令嬢。
どちらも見覚えのある顔だった。
『アルベルン公爵様にお会いできるなんて光栄です』
『ああ、貴女は……』
『ペルー伯爵家の娘、アリシアですわ』
そう、ダリア侯爵夫人の視線の先に居たのは、あのアリシア嬢と、夫のローレンスだった。
『私、実は前々から公爵様に憧れておりましたの。こうしてご挨拶できるなんて、とっても嬉しいですわ♡』
はにかむように頬を染めたアリシア嬢が、魅惑的な紫色の瞳をまっすぐローレンスへと向ける。
恋情を隠そうともしない、その熱を帯びた視線は実に愛らしいものだった。
中身に目を瞑れば、アリシア嬢は本当に愛らしいご令嬢だ。その美貌なら、縁談の話が途切れることもないだろう。事実、今この瞬間も会場に居並ぶ令息たちの視線は彼女へと引き寄せられている。
それなのに、どうしてそこまでローレンスに執着するのか。
私が言えたことではないが、まだ若い身で地位や名誉、財産の釣り合いばかりを考えながら結婚相手を探すだなんて、貴族の娘というのも、つくづく難儀な生き物だと思う。
ダリア侯爵邸の大広間は、少し変わった造りをしており、私たちは会場の二階席部分に設けられた一角に置かれたソファに腰掛け、その光景を見下ろしていた。
「公爵夫人も参加されていると分かっているはずですのに、あんな下品な……」
不愉快そうに眉をひそめたのは、今宵のパーティーの主催者にして主役である、ダリア侯爵夫人だった。
仲睦まじいオシドリ夫婦として知られる彼女だが、若い頃は侯爵の浮気癖に随分と心を痛めたと聞いたことがある。
目の前の光景を、かつての自分と重ねているのだろう。
「アリシア嬢ですか……まあ、夫は交友関係の広い方ですから。ペルー伯爵とも共に仕事をされていたことがあったそうなので、ご令嬢とも挨拶されているのかと」
「挨拶? それにしては距離が近すぎるのではありませんこと?」
「うーん……まあ、あのくらいでしたら可愛らしいものですから」
「その物言いですと、何か他にも無礼を働かれたのですか?」
「それは……」
私は言葉を濁し、ほんの一拍、間を置いた。
私はこの瞬間をずっと待っていた。
普段なら避けて通るこの面倒な社交界にも顔を出し、退屈極まりない貴婦人たちの世間話にも辛抱強く付き合った。
全ては、生意気な小娘と同じやり方で彼女に身の丈を弁えさせるために。
「実は以前、お義父さまは生前、頭がおかしくなっていたから私を公爵家に迎え入れたと言われてしまって……グスンッ、ごめんなさい、私ったら。前公爵さまは、私のことを実の娘のように可愛がってくれたものですから……」
私はそう言うと、わざとらしく手のひらで顔を覆う。
えーん、私はこの世で最も可哀想な女よ! 悲しくってたまらないの!
頭の中で無理やりそう言い聞かせる。そんな努力の甲斐あって、どうにか零れ落ちた涙が指の隙間から頬を伝った。
「ああ、アルベルン公爵夫人……」
「泣いてはいけませんよ、夫人。せっかくお綺麗なお顔ですのに、目が腫れてしまいます」
「そうですよ、しっかりなさってください。公爵夫人に非は何一つないではありませんか」
私は首を左右に振り、震える声で言葉を重ねる。
「そう言ってくださるのは皆さんだけですわ……。仮にも公爵家の夫人が言ってはいけないことだと分かってはいるのですが、情けなくて腹が立ってしまうのです。お義父さまを侮辱されたことも、それに言い返すことができない自分にも……」
我ながら、実に名演技だと思う。
こぼれ落ちる涙を指先でそっと拭いながら言葉を紡ぎ、眉尻を下げたまま貴婦人たちを順に見つめた。
「お可哀相に……若くして公爵夫人というお立場に就かれてから、本当にご苦労が多かったことでしょう」
「グスッ、否定はできませんわね。本来ならもっと皆さんとお話ししてみたかったのですが……何せ、右も左も分からないものですから。皆さんとこうしてお話しするのをずっと楽しみにしていたんです」
私は穏やかに、そして少し寂しげに目を伏せながら言葉を紡ぐ。
「皆さまが何を仰いたいのか、言葉にされなくとも分かりますわ。ご心配頂きありがとうございます。ですが、私は大丈夫です。どうかお気になさらず、私は夫を信じていますから」
私と彼女たちの間には、親子ほどの年の差がある。
だからこそ、それを逆手に取るのだ。
彼女たちは社交界を生き抜いてきた女狐であると同時に、母親でもあった。
そんな彼女たちを味方に付ける最も確実な方法は、こうして弱り切った少女になり切ること。自身の娘と、私を、重ねさせること。
レディーたちの社交界には、私が属する派閥など存在しない。
だからといって、私を露骨に仲間外れにできる者も誰一人としていなかった。
本来、王国の社交界で中心に居るべきなのは、私だ。
それほどまでにアルベルン公爵家の力は圧倒的だった。
仲間になることはできずとも、共通の敵を作り、一時的に手を組むことはできる。
これは、いつだったか亡くなられたアルベルン前公爵が私に授けてくれた知恵の一つだ。
。*⑅୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧⑅*。
「セレスティア、ずっと探していたんだぞ。何処に行っていたんだ?」
ダリア侯爵夫人たちに挨拶をして、その場を去ると、私は夫の元へ向かった。
「私も私で公爵夫人としての仕事をこなしていたの。これからは、ちゃんと社交界にも顔を出すわ」
「お前がそう言うなら止めないが、無理はするなよ」
「分かってるわ。ふう……それより、お酒ばかりしか並んでいなかったんだけど、フルーツティーがどこに置いてあるか知ってる? 泣いたら喉が渇いちゃって」
「は? 誰かに泣かされたのか」
「急に怖い顔しないで、ただの嘘泣きよ。ほら、いつものクールでカッコイイ公爵様に戻ってちょうだい。せっかくのハンサムなお顔が台無しですよ、ローレンス?」
悪戯気にそう言って笑うと、ローレンスは『なぜ嘘泣きだなんて馬鹿な真似を?』とでも言いたげな顔をした。
六年もの間、彼の一番の傍に居たんだもの。
口にしなくたって、考えていることくらい簡単に分かる。
「あら、知らなかった? あなたの妻は卑怯なやり方が得意なのよ」
。*⑅୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧⑅*。
「ちょっと、夫人! 一体どういうことですか!」
春の陽光に満ちた庭園に、甲高い声が不釣り合いに響き渡った。
「ごきげんよう、アリシア嬢。とても良いお天気ですね、こういう時は遊船でもしたいところです。よろしければ一緒にいかが?」
「誰が貴女なんかと……! ふざけるのもいい加減にしてください!」
「あら、私はそんなつもりは無かったのだけれど。ところで、事前に連絡もなしに訪ねて来られるなんて何か急用でもありますの?」
「な、なんて白々しい……私の悪名を広めたのは貴女でしょう?! そうでなければ、突然訪ねてきた私を快く迎え入れるはずがないじゃない!」
「何のことを仰っているのか、まるで分かりませんわ」
「嘘を吐かないでください! そうじゃなければ、一体誰が……」
「ダリア侯爵夫人のパーティーでのことかしら? この前のお茶会でのことかしら。それともメイドたちに話したこと? 衣装室、サロン、宝石商……どこで会った人かしら。まったく分かりませんわね」
「は……?」
信じられないとでも言いたげに口をぽかんと開けたアリシア嬢は、その場で固まってしまった。
怒りも困惑も行き場を失ったその表情は何ともマヌケなものだ。
私、別に嘘は言っていないのよ?
だって、本当にどの件をきっかけに貴女の性根の悪さが明るみに出たのか分からないんだもの。
それに、私が口にしたのは先日の出来事だけ。
身分も年も下のか弱き令嬢を虐めていたとか、婚約者のいる令息と恋仲になっていたとか……そんな噂を耳にして、私だって心底驚いたのだから。
火のないところに煙は立たないとは言うけれど、まさかここまで業火のように燃え広がるなんて!
ああ、怖い。やっぱり人の恨みは買わないに尽きるわね。
「ふざけないで! どうして私が男爵家の娘なんかに……!」
「あら、ついに本性を現したの。この女狐」
「なっ……! 女狐は貴女でしょう?!」
「まあ、別に否定はしないけれど。だけど、結局あなたは、自分の犯してきた罪が罰として自分に返って来ただけでしょ? 人のせいにしないでちょうだい。まったく、これからどうするの? 結婚適齢期をもうすぐ迎えるのに嫁ぎ先は見つかりそう? 社交界は身分も大事だけど、信用が一番大切だってことはあなたも当然知っているでしょ?」
「ふ……ふざけんじゃ、ふざけんじゃないわよ! このっ……!」
「セレスティア、ここに居たのか」
今にも私に飛び掛かりそうなほどの勢いで叫んだアリシア嬢の言葉を遮ったのは、この大きな公爵邸の持ち主、王国にたった一人の公爵、そして私の夫。ローレンス・フォン・アルベルンだった。
「ローレンス?」
「こっ、公爵様!」
予想外のローレンスの登場に、表情と声色を一瞬にして変えた天才的演技派令嬢のアリシア嬢は、私から離れると、夫に向かって走り出した。
「公爵様! 私、とても悲しいことがあって、良ければ相談に……」
「誰だか知らないが、妻との時間を邪魔しないで貰えるか?」
ローレンスは、彼女が腕に縋りつこうとしたその手を、迷いなく振り払った。
そして今までに見たことがないくらいの冷たい目で彼女を見下ろすと、氷のように冷たい声でそう言い放った。
「あ、わ、わたし……か、帰りますわ……!」
目に薄らと涙を浮かべ、震える声でそう言い残すと、アリシア嬢はドレスの裾を掴み、庭園から逃げるように立ち去っていった。
すっきりするかと思っていたけど、何だかおかしな気分だわ。
泣かせるつもりは無かったのだけれど……まあ、これで、もう二度と私に牙を剥いてくることはないでしょう。
お願いだから、もう誰も私に関わってこないで欲しい。
こうして一人一人相手にしていたら、時間がいくらあっても足りないわ。
「誰だか知らないだなんて嘘ばっかり。私に突っかかって来た令嬢が誰なのか調べろって執事長に無理強いしたらしいじゃない?」
「……ジェームズのやつ、あれだけ口止めしておいたのに……」
「あら、本当にそうだったの? 冗談で言ったつもりだったんだけど」
「…………」
視線を逸らして頬を赤く染める夫の姿は、中々に可愛いものだった。
私よりもずっと背が高くて、ガタイも良くて、王国に名を轟かせる公爵様に向かって「可愛い」だなんて、おかしいのかもしれないけれど。ふふっ。
「それで? 私に何か用があったんじゃないの?」
軽く首を傾げてそう尋ねると、ローレンスは一瞬だけ言葉を選ぶように視線を彷徨わせた。
「ああ……お前に、これを渡そうと思って」
「プレゼント? 私、誕生日でも何でもないけど」
「特別な祝い事が無ければ贈ってはいけない決まりはないだろう」
そう言って、私の前に進み出たローレンスは、芝生の上に片膝をついた。
そして、私に向かって差し出してきたのはネックレスだった。
ただのネックレスではない。今までに見たことがないほど大粒のピンクダイヤモンドが、惜しげもなくあしらわれていた。
ただでさえ希少で高価な宝石なのに、これほどのサイズを一体どこで手に入れたのだろう……。
「お前のローズピンクの瞳とよく似ていると思ったんだが、そんなこともなかったな。セレスティアの目の方がずっと輝いている」
「あははっ! いつの間にか、私の夫はこんなロマンティックなことを言うようになっちゃって!」
からかうように言いながらも、胸の奥はじんわりと温かい。
夫から贈られるプレゼントは私の心を満たしてくれた。
ローレンスの優しさは宝石より、この世の何よりも価値があり、いつだって私を励ましてくれた。
「ありがとう。正直に言って、嬉しくてたまらないわ!」
私が笑顔を向けると、彼もまた微笑み、ゆっくりと立ち上がった。
しばらく他愛もない話を交わした後、私たちは屋敷へ戻るため、並んで芝生の上を歩き始めた。
足を進めるたび、自然と手と手が重なり、指が絡む。
世界で一人ぼっちだと涙を流していた子供の頃の私たちは、もうここにはいない。
あなたが居るから、私はとっても幸せよ。旦那様。
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