イトムシ    〜 幼少期〜

夜束牡牛

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(……だれ?)
 
 世界の渦の中で、肌の感覚が一本の確かな糸となる。
 手だ、手が触れたのだ。
 触れられた場所から、互いの感覚を共有し、そこだけが心地よい涼しさになる。肺がもう一度、空気を求め内側からキイトを叩きつけた。喉がしなり、絡まった糸がほぐれ吐き出される。激しく咳き込むと、きつく閉じたまぶたから涙が滲んだ。
 
 酸素を無闇に吸い込もうとする肺の音、それとは反対に、糸を吐き出そうとする喉の音。その音にかき消されるように、過剰な世界の音が去っていく。
 一息ごとに体の強張りが溶けて、感触も戻ってきた。

 誰かがキイトを引き寄せ、しっかりと抱くと、顎の関節に手が掛けられ口を開けられた。
 長い指が口の中へと入り、残りの糸をするすると抜いてくれる。喉の奥を触らず、吐糸管を傷つけず、慣れた手つきで、すぅっと糸を引く。こんなにも確かに、不安と恐怖を取り除ける者を、キイトは一人しか知らない。
 涙で緩む瞼を開けると、滲んだ世界から覗き込む、母の優しい目と美しい顔。

「大丈夫、全て吐き出してしまいなさい」
「っ……ぅ」
「大丈夫、だいじょうぶよ」

 母の声が、乱暴に荒らされた体の中に優しく響く。
 キイトはえずいき、波打つ胃と肺に苦しんだ。そこへとヒノデが手を掛け、体を支えてくれる。
 母に体をうつ伏せにしてもらうと、簡単に吐き出せた。糸だけでなく、胃の中にあった水も出ていく。頭の中で御加水だと思いながら、キイトは糸と水を芝の上に戻し続けた。
 しばらくして胃と喉が落ち着くと、ヒノデがキイトを抱き直し、袖で口を拭ってくれた。

「ほら大丈夫。安心して、母さんがいるわ」
「かあさん……、かあさん!」

 温かい体で包み込まれ、優しくあやされると、突然堪らなくなり、キイトはわっと泣き出してしまった。涙がぽろぽろと零れて、ようやく分かった。すごく怖かったのだ。
 たった少しの間だったが、世界の表と裏を垣間見た。そのあまりの衝撃に、自分が命を失いかけていたのをようやく実感した。そして、ヒノデが自分の『母親』なだけでなく、自分と同じ生き物、同種のイトムシであることも、感覚の渦の中、手を触れ合った瞬間に改めて理解した。

 ヒノデもまた、息子が世界の美しさを知ったことがわかり、そしていま、世界の裏側を見たことも知った。それはヒノデにとって、キイトの早すぎる成長、イトムシの『歓迎』であった。
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