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水館1
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○○○○○
ヒノデの質疑応答が終わった。
宮での用事を済ませて、次の訪問先である水館へと向かう馬車の中、キイトは下を向いていた。
向かいに座る母との間に会話は無い。もとよりキイトは、話すのが苦手だった。人間のように、会話の糸口を簡単に捕えられない。
ちらりと母を見ると、珍しく背もたれに寄り掛かり、外を眺めている。二人はあの時から視線が交わっておらず、そのことが、会話がない以上に、キイトの気を沈めさせた。
馬車の揺れが腹へと響き、空腹を感じる。
ぐぅ
キイトの腹の虫が鳴く。気付いたヒノデが、膝の上の青い包みを差し出してきた。
「食べなさい」
「……」
差し出された包みの中には木箱があり、その軽い蓋を開けると、小さな練り菓子が行儀よく並んでいた。
桃色と緑色に分けられた菓子を摘み、口へと運ぶ。菓子が口の中でさらりと崩れると、控えめな甘さが舌に広がり、疲れと空腹が癒された。
キイトは一つ摘まむと、母へと差し出した。
ヒノデは少し屈み、それを口で受け取る。体を戻し菓子を咀嚼するヒノデを、キイトはそっと見上げた。ヒノデはその視線を受け、キイトを見つめ返す。
「……」
「……」
ようやく二人の視線が交わり、気詰りな空気が溶けた。
キイトはほっと安堵すると、後は苦手な言葉など忘れ、母の目を何度も見上げ、練り菓子を自分と母の口へと運んだ。
水館に着くあいだ言葉は無くとも、親子の間には穏やかな空気が流れた。
水館は、広場と聖堂、それに国中の水路を循環させる大水車を備えている。
聖堂よりも巨大な大水車は、見上げていると首が痛くなるほどだ。その大水車が立てる滝のような水音に、ぶんっと厚い、空気を切る音で、水館に着いたことが分かった。
広場に馬車が入ると、蹄の音が減った。それで気が付いたのだが、どうやら馬車の四方を騎馬が固めていたようだ。
キイトが窓から覗くと、広場入口で見送る、宮守たちが見えた。皆、灰色の馬に跨り、腰に刀を差している。
じっと騎馬を観察するキイトを余所に、ヒノデは菓子の木箱を小さく折り畳んだ。
水館の入口は、硝子のような半透明の石で造られていた。水館は宮よりもさらに静かで、引き込み水路の数も、出て行く水路の数も遥かに多かった。
水路には、苔が森のように水中で広がっている。
館に仕える、水色のローブに身を包んだ水守に案内され、二人は館へと入った。
薄暗く、ひんやりとした館内通路の両端を、水路が流れ、何処にいても水音が絶えず聞こえている。無言のまま進んで行くと、やがて通路の幅が狭まり、逆に水路が広くなった。
目の前に石造りの丸門が現れる。その前で水守が足を止め、口を開いた。
「これより先は、イトムシ・キイト様、お一人でどうぞ」
「はい」
キイトは母と視線を交わすと、一人、門を潜った。
丸門の先は、ドーム状の部屋になっており、高い丸天井から差し込んだ光が水路に反射していた。
揺らめく水の網が、壁や天井を飾る。不思議で揺らめく水泡のような空間だ。
キイトが目を丸くして眺めながら進むと、小さな広場が現れた。
そこには、広場を囲むように、等間隔に四脚の椅子が置かれていたが、突然、椅子に囲まれた床が、ゆらりと、大きく波立った。
(床じゃない、池だ。違う……大きな井戸?)
思わず走り寄り、椅子のそばへと立った。そして、波打った床――、床と水面が平衡する、池のような井戸を見下ろした。
よく見ると、端に水抜きの水路が存在し、流れた水が水路を潤している事が分かった。
小さな池ほどの井戸は、水が澄み、側面は見た事も無い苔と水草で覆われている。仄暗く青く遠い水底では、白い砂が絶えず踊っている、水が湧き出ているのだ。
あまりの深さに、吸い込まれてしまいそうで足がすくむ。美しいが怖い。美しいものは、恐い。
イトムシとして歓迎を受けたキイトは、知らず池を警戒し、そっと後ろへ下がった。
「池井戸をよく見ろ」
突然声をかけられた。
水の気配に紛れ気が付かなかったが、いつの間にか、背後に女が立っていた。
痩せた体に短髪、若くも見えるし、年を取っているようにも見える。水館のローブをまとっているが、色は濃い青色、留め具は、重たそうな水晶の水車で出来ていた。
キイトは、女の野生的な目に促され、井戸に視線を戻し縁によると、しゃがみこんだ。
(池井戸……を、よく見て見る)
キイトは井戸と床の縁に指を這わせ、そっと、糸を巻き付ける。なんせ数時間前に水に落ちている、こんな深い所へと落されたら、今度こそ命が危ない。そう思うとぞっとし、思わず首へと手を上げ、糸が巻かれていないか確かめた。
(あれ? いま底で何か、動いた)
見下ろす池井戸の底、砂を巻き上げ何かが動いた。さらに目を凝らすと、のたり、身をくねらせた生き物の姿が現れ始めた。
不思議なことに、先程までは存在しなかった魚だ。
魚は赤色の尾を翻し、黒く長い胴体を持っている。ヒレの数が多く、それは、目を凝らす程に増えていくようだった。
ヒノデの質疑応答が終わった。
宮での用事を済ませて、次の訪問先である水館へと向かう馬車の中、キイトは下を向いていた。
向かいに座る母との間に会話は無い。もとよりキイトは、話すのが苦手だった。人間のように、会話の糸口を簡単に捕えられない。
ちらりと母を見ると、珍しく背もたれに寄り掛かり、外を眺めている。二人はあの時から視線が交わっておらず、そのことが、会話がない以上に、キイトの気を沈めさせた。
馬車の揺れが腹へと響き、空腹を感じる。
ぐぅ
キイトの腹の虫が鳴く。気付いたヒノデが、膝の上の青い包みを差し出してきた。
「食べなさい」
「……」
差し出された包みの中には木箱があり、その軽い蓋を開けると、小さな練り菓子が行儀よく並んでいた。
桃色と緑色に分けられた菓子を摘み、口へと運ぶ。菓子が口の中でさらりと崩れると、控えめな甘さが舌に広がり、疲れと空腹が癒された。
キイトは一つ摘まむと、母へと差し出した。
ヒノデは少し屈み、それを口で受け取る。体を戻し菓子を咀嚼するヒノデを、キイトはそっと見上げた。ヒノデはその視線を受け、キイトを見つめ返す。
「……」
「……」
ようやく二人の視線が交わり、気詰りな空気が溶けた。
キイトはほっと安堵すると、後は苦手な言葉など忘れ、母の目を何度も見上げ、練り菓子を自分と母の口へと運んだ。
水館に着くあいだ言葉は無くとも、親子の間には穏やかな空気が流れた。
水館は、広場と聖堂、それに国中の水路を循環させる大水車を備えている。
聖堂よりも巨大な大水車は、見上げていると首が痛くなるほどだ。その大水車が立てる滝のような水音に、ぶんっと厚い、空気を切る音で、水館に着いたことが分かった。
広場に馬車が入ると、蹄の音が減った。それで気が付いたのだが、どうやら馬車の四方を騎馬が固めていたようだ。
キイトが窓から覗くと、広場入口で見送る、宮守たちが見えた。皆、灰色の馬に跨り、腰に刀を差している。
じっと騎馬を観察するキイトを余所に、ヒノデは菓子の木箱を小さく折り畳んだ。
水館の入口は、硝子のような半透明の石で造られていた。水館は宮よりもさらに静かで、引き込み水路の数も、出て行く水路の数も遥かに多かった。
水路には、苔が森のように水中で広がっている。
館に仕える、水色のローブに身を包んだ水守に案内され、二人は館へと入った。
薄暗く、ひんやりとした館内通路の両端を、水路が流れ、何処にいても水音が絶えず聞こえている。無言のまま進んで行くと、やがて通路の幅が狭まり、逆に水路が広くなった。
目の前に石造りの丸門が現れる。その前で水守が足を止め、口を開いた。
「これより先は、イトムシ・キイト様、お一人でどうぞ」
「はい」
キイトは母と視線を交わすと、一人、門を潜った。
丸門の先は、ドーム状の部屋になっており、高い丸天井から差し込んだ光が水路に反射していた。
揺らめく水の網が、壁や天井を飾る。不思議で揺らめく水泡のような空間だ。
キイトが目を丸くして眺めながら進むと、小さな広場が現れた。
そこには、広場を囲むように、等間隔に四脚の椅子が置かれていたが、突然、椅子に囲まれた床が、ゆらりと、大きく波立った。
(床じゃない、池だ。違う……大きな井戸?)
思わず走り寄り、椅子のそばへと立った。そして、波打った床――、床と水面が平衡する、池のような井戸を見下ろした。
よく見ると、端に水抜きの水路が存在し、流れた水が水路を潤している事が分かった。
小さな池ほどの井戸は、水が澄み、側面は見た事も無い苔と水草で覆われている。仄暗く青く遠い水底では、白い砂が絶えず踊っている、水が湧き出ているのだ。
あまりの深さに、吸い込まれてしまいそうで足がすくむ。美しいが怖い。美しいものは、恐い。
イトムシとして歓迎を受けたキイトは、知らず池を警戒し、そっと後ろへ下がった。
「池井戸をよく見ろ」
突然声をかけられた。
水の気配に紛れ気が付かなかったが、いつの間にか、背後に女が立っていた。
痩せた体に短髪、若くも見えるし、年を取っているようにも見える。水館のローブをまとっているが、色は濃い青色、留め具は、重たそうな水晶の水車で出来ていた。
キイトは、女の野生的な目に促され、井戸に視線を戻し縁によると、しゃがみこんだ。
(池井戸……を、よく見て見る)
キイトは井戸と床の縁に指を這わせ、そっと、糸を巻き付ける。なんせ数時間前に水に落ちている、こんな深い所へと落されたら、今度こそ命が危ない。そう思うとぞっとし、思わず首へと手を上げ、糸が巻かれていないか確かめた。
(あれ? いま底で何か、動いた)
見下ろす池井戸の底、砂を巻き上げ何かが動いた。さらに目を凝らすと、のたり、身をくねらせた生き物の姿が現れ始めた。
不思議なことに、先程までは存在しなかった魚だ。
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