イトムシ    〜 幼少期〜

夜束牡牛

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雀通り3

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 キイトは、体を丸めて弧を描いた後、二、三メートル程を挟み、追放者、人面牛と対面する場所へと着地した。
 相手を刺激しないよう、そっと立ち上がる。
 人面牛の赤い目が互いに違う動きをし、キイトの頭上を通り過ぎては、またあらぬ方向へ泳いでいく。
 キイトは気を引き締め、さっと糸を構えた。

(いまから、この追放者を送るんだ。でも)

 胸に不思議な感情が湧き上がった。
 それは涼やかに穏やかで、幾重にも広がる想い。母との幸せな時間を、ベッドの中で思い出す時に似た、不思議な恋しさだった。

(なんでかな。追放者の側はとても、落ち着く。……この子の事が、すきだ)

 恐れていた追放者を前に、湧きあがる、あまりにちぐはぐな感情。それに気が付くと、動揺で体が動かなくなってしまった。

(この子を傷付けるなんて、無理だよ)

 注連縄の外では、そんなキイトの心情も露知らず、戸惑い動かないイトムシの背に、菊が「ガシガシ行こうぜ!」などと、拍車をかけ怒鳴っていた。

○○○○○

「失礼、宮関係者です、通してください!」

 集まり出した人々をかき分け、ヌーが叫ぶ。
 追放者出現にあたり規制が張られ、人の波が出来はじめていたのだ。警備をしていた館士兵に身元を告げ、規制の中に入れてもらい汗を拭うと、目鏡を掛け直した。ふと、視線を感じ振り返る。
 人垣根から離れた所に、目深にローブを被った者が見えた。彼と目が合うと、その者は少し足を引きずり、路地へと消えた。

○○○○○

「んー。今さらだけどね」

 ワッカのどこか言いにくそうな声に、菊と深山は、動かなくなったキイトから目を離した。
 ワッカが、赤毛を指で摘まんでいじる。

「ヒノデがさぁ、『あの子は何も知らない』って、言ってたんだ。だから、よろしくって」
「それは……、送りに関し、無知という事ですか?」
「まさか現場での動きが分からねぇつぅ」

 最悪の場合の想像からはじめた二人。二人の表情が固まると、すかさずワッカが早口に言い繕う。

「まぁ、そう言う意味だよね。――送りの口上とか、ムシの出とか、急所とか? まぁ実績はあるし、一回戦だけど。口上も礼儀みたいなもんだし、小石丸様はその辺厳しいけど。前回は送れたんだろ? ヒノデと小石丸様が弱らせた後で。……はは、しゃーないしゃーない」
「……」
「……」
「や……、まずいっしょ」

 完全に、言葉を失った二人の代わりに、イチヤが引き攣った笑顔で返した。

 そう、まずい事になったのだ。キイトは、送りの実践的な知識なしで、追放者の正面へと放り投げらてしまった。
 注連縄の外が慌ただしくなり、急きょ、館士兵たちが小石丸捕獲に走り出した。

「ごめんねー、小さいイトムシ。私うっかりしてたわ。あんた素人イトムシだったねぇ」

 ワッカが口に手を当て、注連縄の中へと声をかける。その隣で深山が菊の胸倉を掴んだ。

「だから待てと提案したではないですか! 本当、守護館はその場のノリだけで決めるんですから! どう責任取ってくれます? 貴重なイトムシのキイト様に、万が一の事があったらっ」
「出た出た、宮の責任転換。ずりぃなぁ王宮さまは。お前だって納得して手ぇ離したろ。キイトが死んだら、一緒に取ろうぜ? 責任」
「バカバカッ縁起でもない事言うんじゃありません! 菊、君が死んで責任を取りなさい!」

 そう現状を茶化す菊を蹴り上げ、深山が注連縄の中へと飛込もうとした、すかさずイチヤが止めに入る。

「深山様、駄目っす! 俺ら人間が入ると場がけがれます。注連縄ん中はもう聖域っつか、あの世みたいなもんなんです。俺ら館士兵も、決められた人しか入れねぇんすわ」

 慌てたイチヤが両手を広げ、深山の前に立ちはだかった。
 ワッカが頬に手をあて、ため息を吐く。

「困ったね。いっそヒノデが来ないかしら。小石丸様はいつもみたいに、ギリギリに来るだろうし、参ったなぁ」

 そんなガチャガチャと言い合う人間たちをしり目に、キイトはそっと人面牛へと近づいた。手が届くほどまで近づくと、人面牛がぶつぶつと、何事か呟いている声が聞こえる。糸を構えたまま、問いかけてみる。

「君、大丈夫? 僕はその、君を楽園に送るために来たんだ。分かるかな、僕の言うこと。でも不思議、なんだか君が怖くない」

 キイトの問いかけを余所に、人面牛はぶつぶつと呟いたまま首を下げた。
 石畳に鼻を寄せると、隙間に自生するササミゴケに、べろりと厚い舌を押し付ける。そして、苔の水分を押し出すようにして、突然食事をはじめた。
 キイトは構えを解き、それを見守る。

「おぉい、キイト。眺めてねぇで戻って来い! それか、今のうちに送っちまえ!」

 菊が注連縄の外から叫ぶ、キイトは不用心にも振り返り、大声で返した。

「いまは駄目! この子、食事中だもの。四原則に背いてしまうよ!」
「っだぁ! あぶねぇ、わかったから前向け前っ、目ぇ離すんじゃねぇよ!」

 慌てた菊が両手をバタバタと振ると、キイトは瞬きを送ってから、再び人面牛の食事を眺め始めた。

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