イトムシ    〜 幼少期〜

夜束牡牛

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雀通り7

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 キイトは胴の真下で体勢を変えると、歯を喰いしばって、人面牛の前足の関節を蹴り砕いた。
 ドスンと音がして人面牛が前に崩れる。素早く下から逃げ出し、今度は背へと飛び乗った。両の手を開き、糸を首へと巻き付ける。
 キイトは一度だけ目を瞑るが、すぐに開き、仕掛けた糸を締めた。
 息が絞り出される音と共に、糸が人面牛の首へと食い込んでいく。
 目球が動きを止め、口から垂れた大きな舌が震える。苦しむ人の顔。
 まるでこちらの首が締まっていくようで、キイトの心臓が早鐘を打つ。

(これじゃあまるで、殺しているみたいだ)

 恐ろしい考えに体が震える、緩む糸に無理矢理力を込めた。脳裏に母の教えがよぎる。

『殺すと送るは全く別。人の目に殺害に写るそれは、イトムシと楽園の儀式なのです。追放者は淡いで生きられない。追放された体を解体し、魂を夜の楽園へと送る。もう一度、楽園で生まれるために』

 しかし、目の前の生き物は、キイトの糸により苦しみ、もがいている。親愛を感じた生き物が、自分の手によって傷つけられていく。

(助ける、送る、殺す、絞める)

「苦しませるな、早く送れ」

 小石丸の声が冷たく響く。

(皆が見ている。僕が強いイトムシか、必要なイトムシか)
「早く、早く――早く死んでっ」

 思わず叫んだ言葉に、心臓が跳ね上がった。
 ぎょろりと人面牛の目球が向けられ、その目の中に、恐れ、怯える、醜い自分が写った。
 堪らず目を瞑り、指に力を込め思い切り引く。

ぶつん。糸が切れた。

ごとん。大きなものが落ちた。

「ごめんなさい」

誰かが呟いた。



○○○○○



「終わったな」

 バーメイスタ副館長の声に菊が返事をし、館士兵かんしへいたちに指示を出す。
 ワッカとイチヤが弓を下したが、いまだ視線の場所は変わらない。
 深山はゆっくりとした動作で、制帽を深く被り直した。
 
 皆が送りを見届けていた。
 
 小石丸は、それら人間の事など気にせず、取り払われた注連縄の先、茫然とするキイトの元へと歩き出した。

 首をなくした生き物の上で、キイトはやって来た師を見上げた。
 小石丸は無言でその胸倉を掴み、引きずり下ろすと、強く殴りつけた。
 騒がしくなってきた現場が、再び静かになる。
 起き上がろうとするキイト、しかし容赦なく蹴りつけられ、その頭に足が置かれた。

「愚か者、お前は悪戯にこの者を苦しめた。己が弱さに糸を緩め、尊き者を苦しめた」

 キイトがざらつく石畳に頬を削らせ、痛みに耐えていると、落とされた首と目が合った。生気のない赤い目が、こちらを興味深げに見ている。
 キイトは心の中で、その首に謝った。

(君を苦しめてごめんなさい。僕が弱くてごめんなさい。すぐに送れなくて、ごめんなさい)

 遠くで人間の怒鳴り声が聞こえた。見ると、ワッカが怒り狂ったように暴れ、それを菊が抑えている。深山は、黒刀に手を掛けたまま、こちらをじっと見ていた。
 キイトは再び首に話しかけた。

(あの人たちの目、僕のために怒ってくれている。でも、小石丸様が正しい。小石丸様が一番強いから)

 そして続く痛みに耐えるために、目をつぶった。



○○○○○



「ふざけんなくそったれ! ガキが訳なくシバかれてんだっ 離さなきゃテメェの玉潰すぞ!」

 赤毛を乱し、罵詈雑言を菊に浴びせるワッカ。そんな彼女を、菊は巨体で羽交い絞めにし、びくとも動かぬまま、深山へと声を掛けた。

「深山、お前まで騒ぎを起こすなよ。分かってんだろうな」
「もちろんです。……しかし、副館長殿はどうお考えなのですか、あれを」

 菊に返したわりには、刀から手を放さない深山。深山はそのまま、隣に立つバーメイスタ副館長を見た。
 副館長は蹴り続けられるキイトを、腕を組みじっと見ている。硬い声が発せられた。

「我ら守護館は、イトムシの長の躾に、手出しは出来ない。彼らの文化を守る、古い取り決めを破っては、彼らの権利を奪うことになる。守護館は、イトムシと争ってはいけないのだ」
「ご立派な事で」

 深山は吐き捨てるように言い、そして刀から手を離した。

「私も、立派でなければいけない立場です。お気持ち察せられなくて、申し訳ありません」



○○○○○



 キイトは身を硬くし、強い蹴りを受け続けた。
 逃げようとすれば弱いと罵られる、立ち向かえば、今以上に手酷く扱われる。何よりこれは罰なのだ。自分が悪いと言うならば、その罰は受けなくてはいけない、キイトはじっと痛みを受けた。
 石畳にしがみ付いていた手へと、小石丸の足が向かい、思わず手を腹へと隠した。それを見て小石丸が聞く。

「何を怯える。指が惜しいか。お前が送った生き物は、もっと苦しく辛い痛みを味わったのだ」

 その言葉に、キイトの目頭が熱くなり、涙が溢れる。涙の湖に、追放者の首が浮かんだ。

(恥ずかしい、自分の痛みで泣くなんて。僕は本当に情けない奴だ、小石丸様の言った通り、君は、もっともっと痛くて、怖かったのにね)

 キイトはじくじくと痛む体を起こし、師の前へと、隠していた指をそろえて差し出した。


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