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同郷の友2
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ヒノデ達からは、少し離れた場所で、木の上の影を見つめるキイト。
ヌーはその背を、指で軽く叩いた。
「キイト様、あちらにヒノデ様がおられます。お話などはよろしいのですか?」
ヌーは、キイトの母を恋う気持ちを汲み、小石丸不在のいまならば、と提案をしてみるが、キイトは前を見たまま「話す事ない」とそっけなく放った。
ヌーは少し考え、指を伸ばし黒髪を軽く引っ張って見る。キイトがようやく振り返った。言葉より雄弁な黒い目が、「寂しい」と言っている。
(目を見て嘘が付けないとは、この年齢ではなかなか難しいものだ)
ヌーは至極真剣な様子を取り繕うと、眼鏡を押さえて言った。
「話す事がありませんか? そうでしょうか、報告書の作り方を聞く必要がありますよ」
「報告書……そうだね。それだったら、甘えている訳じゃない。それはいい考えだ。ヌゥ」
キイトは、隣に来たヌーの手を、指でちょんと触れた。
「送りが終わったら、母さ……ヒノデ様の所へ行く。ヌゥも一緒に来るんだよ」
「承知しました。しかし、もしかしたら、業務上の都合でお二人きりになるかもしれませんので、ご承知おきください。キイト様」
「……ゴショウチオキした」
キイトは難しそうに口真似をした後、少しだけ笑った。
全体での持ち場の確認が終わり、キイトは黒刀を携え、菊と共に注連縄の中へと入った。
ちらりと振り返れば、矢を構えた館士兵たちと、無口な水守、そして、ワッカの隣にいる母の姿。
キイトは気を引き締めた。
(初めてヒノデ様との送りだ、強いイトムシになったところを見せるんだ)
桜の幹に寄り見上げると、黒灰色の影が枝へとうずくまっていた。先ほどまで葉を透かせていたそれは、実体を持ちはじめている。
パキパキと、折れた枝が、足元に落ちていく。
微かに朽木を擦り合わせるような声が聞こえ、胸が締め付けられる。
(早く出ておいで、僕がちゃんと送るから)
糸輪から糸を引き、手首と黒刀を結ぶ。
夏空を一瞬、厚い雲が覆った。
広場に影が走り、再び強い太陽の光が、桜を射す。
静かな緊張の中、菊が怒鳴った。
「出たぞ、大物だ!」
桜の枝へとしがみ付くそれは、大きかった。
馬車二台分ほどの大きな生き物。
漆黒に白斑、体は丸太、薙刀を束ねたような六本の手足が、節を持っている。そして、威嚇に振り上げられた、大きな鎌。
「……キリ?」
キイトの口から、夜毎一緒に走り回る、大好きな友達の名がこぼれる。
(違うそんなはずない。キリが追放者だなんて、今朝まで一緒にいた、違う。でも似ている。同じ種族? きっとそうだ。キリの仲間なんだ。あれはキリじゃない。絶対にキリじゃない)
心で唱え、黒刀を強く握り構えた。
追放者が、枝の中から全体を現した。
葉に隠れていた白斑が全て露わになると、独特なその並びに間違いはなかった。
何度も、手を重ねた模様。無理に納得していた気持ちが崩れ、高鳴っていた心臓が凍り、指先がかじかんでいく。
あれは友達、大蟷螂のキリだ。
「しっかりしろ、キイト! 口上を述べろ!」
菊の大声にびくりとしたが、言葉が出てこない。夜の湖が、感情の波で荒れる。じっと見据えた先で、もう一対の黒い目と視線が交わった。
互いの夜が惹かれ合う。
キリは身を乗り出した。瞬間、太陽がじりじりとキリの体を焼き、黒い煙が昇った。
キイトは我に返り、大声で警告した。
「キリっ影に入れ! 日に焼かれてしまう!」
下がるように手で乱暴に示すと、キリは不思議そうに首を傾げながらも、大人しく葉影に戻った。しかし、足元がおぼつかないのか、それだけの動作が難しいようで、何度か足を滑らせ、折れた太い枝が、バキバキと音を立てた。
菊が舌打ちをし、キイトの肩を乱暴に掴んだ。
「キイトっ何してんだ! 狂わねぇうちに、さっさと口上を述べて送れって言っただろう、早く……」
菊の言葉の途中で、ぶんっと風をこん棒で殴った音が聞こえた。
キイトは咄嗟に菊を突き飛ばし、自分も飛び上がった。その横を黒い疾風が行く。
「くそっ」
「キリ! 何をするんだっ」
驚いたことに、葉に隠れたはずのキリが身を乗り出し、大きな鎌を振り上げ、攻撃の姿勢を示していた。
キリの知性を携えた目が、片方、ぎょろりと太陽を見上げ、光に焼かれ汚濁する。
喉を糸が駆けあがって来た。
(キリの目が濁っている。やっぱり、夜の生き物は太陽を見ちゃいけないんだ)
「キリ、だめだ。太陽を見ると狂ってしまう、だめだ!」
キイトは桜の木へと飛び、枝へと着地した。そして、キリの目前の枝に足をかけ、大好きな友達の顔へと触れる。
「キリ」
「ギ」
ふれた顎は、しかしいつもの滑らかな手触りはなく、ぬるりとしたものが手に着く。ぎょっとして手を放すと、びたりと、キリの表皮が剥がれた。
その痛みにキリが鳴き叫び、広場へと響き渡る。
つんざく音に館士兵たちが耳を塞いだ。
ヌーはその背を、指で軽く叩いた。
「キイト様、あちらにヒノデ様がおられます。お話などはよろしいのですか?」
ヌーは、キイトの母を恋う気持ちを汲み、小石丸不在のいまならば、と提案をしてみるが、キイトは前を見たまま「話す事ない」とそっけなく放った。
ヌーは少し考え、指を伸ばし黒髪を軽く引っ張って見る。キイトがようやく振り返った。言葉より雄弁な黒い目が、「寂しい」と言っている。
(目を見て嘘が付けないとは、この年齢ではなかなか難しいものだ)
ヌーは至極真剣な様子を取り繕うと、眼鏡を押さえて言った。
「話す事がありませんか? そうでしょうか、報告書の作り方を聞く必要がありますよ」
「報告書……そうだね。それだったら、甘えている訳じゃない。それはいい考えだ。ヌゥ」
キイトは、隣に来たヌーの手を、指でちょんと触れた。
「送りが終わったら、母さ……ヒノデ様の所へ行く。ヌゥも一緒に来るんだよ」
「承知しました。しかし、もしかしたら、業務上の都合でお二人きりになるかもしれませんので、ご承知おきください。キイト様」
「……ゴショウチオキした」
キイトは難しそうに口真似をした後、少しだけ笑った。
全体での持ち場の確認が終わり、キイトは黒刀を携え、菊と共に注連縄の中へと入った。
ちらりと振り返れば、矢を構えた館士兵たちと、無口な水守、そして、ワッカの隣にいる母の姿。
キイトは気を引き締めた。
(初めてヒノデ様との送りだ、強いイトムシになったところを見せるんだ)
桜の幹に寄り見上げると、黒灰色の影が枝へとうずくまっていた。先ほどまで葉を透かせていたそれは、実体を持ちはじめている。
パキパキと、折れた枝が、足元に落ちていく。
微かに朽木を擦り合わせるような声が聞こえ、胸が締め付けられる。
(早く出ておいで、僕がちゃんと送るから)
糸輪から糸を引き、手首と黒刀を結ぶ。
夏空を一瞬、厚い雲が覆った。
広場に影が走り、再び強い太陽の光が、桜を射す。
静かな緊張の中、菊が怒鳴った。
「出たぞ、大物だ!」
桜の枝へとしがみ付くそれは、大きかった。
馬車二台分ほどの大きな生き物。
漆黒に白斑、体は丸太、薙刀を束ねたような六本の手足が、節を持っている。そして、威嚇に振り上げられた、大きな鎌。
「……キリ?」
キイトの口から、夜毎一緒に走り回る、大好きな友達の名がこぼれる。
(違うそんなはずない。キリが追放者だなんて、今朝まで一緒にいた、違う。でも似ている。同じ種族? きっとそうだ。キリの仲間なんだ。あれはキリじゃない。絶対にキリじゃない)
心で唱え、黒刀を強く握り構えた。
追放者が、枝の中から全体を現した。
葉に隠れていた白斑が全て露わになると、独特なその並びに間違いはなかった。
何度も、手を重ねた模様。無理に納得していた気持ちが崩れ、高鳴っていた心臓が凍り、指先がかじかんでいく。
あれは友達、大蟷螂のキリだ。
「しっかりしろ、キイト! 口上を述べろ!」
菊の大声にびくりとしたが、言葉が出てこない。夜の湖が、感情の波で荒れる。じっと見据えた先で、もう一対の黒い目と視線が交わった。
互いの夜が惹かれ合う。
キリは身を乗り出した。瞬間、太陽がじりじりとキリの体を焼き、黒い煙が昇った。
キイトは我に返り、大声で警告した。
「キリっ影に入れ! 日に焼かれてしまう!」
下がるように手で乱暴に示すと、キリは不思議そうに首を傾げながらも、大人しく葉影に戻った。しかし、足元がおぼつかないのか、それだけの動作が難しいようで、何度か足を滑らせ、折れた太い枝が、バキバキと音を立てた。
菊が舌打ちをし、キイトの肩を乱暴に掴んだ。
「キイトっ何してんだ! 狂わねぇうちに、さっさと口上を述べて送れって言っただろう、早く……」
菊の言葉の途中で、ぶんっと風をこん棒で殴った音が聞こえた。
キイトは咄嗟に菊を突き飛ばし、自分も飛び上がった。その横を黒い疾風が行く。
「くそっ」
「キリ! 何をするんだっ」
驚いたことに、葉に隠れたはずのキリが身を乗り出し、大きな鎌を振り上げ、攻撃の姿勢を示していた。
キリの知性を携えた目が、片方、ぎょろりと太陽を見上げ、光に焼かれ汚濁する。
喉を糸が駆けあがって来た。
(キリの目が濁っている。やっぱり、夜の生き物は太陽を見ちゃいけないんだ)
「キリ、だめだ。太陽を見ると狂ってしまう、だめだ!」
キイトは桜の木へと飛び、枝へと着地した。そして、キリの目前の枝に足をかけ、大好きな友達の顔へと触れる。
「キリ」
「ギ」
ふれた顎は、しかしいつもの滑らかな手触りはなく、ぬるりとしたものが手に着く。ぎょっとして手を放すと、びたりと、キリの表皮が剥がれた。
その痛みにキリが鳴き叫び、広場へと響き渡る。
つんざく音に館士兵たちが耳を塞いだ。
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