夢綴

瀬戸口 大河

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死骸

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死骸
 Kちゃんと焼き鳥屋を出るともうKちゃんは腕を掴んでこなくなった。Kちゃんも焼き鳥屋を挟んだことでいろんなことがどうでも良くなり、もう俺を帰してくれるんじゃないかと考え始めた。横浜駅のあの一瞬は気持ちが熱くなって勢いで口をついて出てしまったかもしれないが、もうそんな熱はきっと覚めてるだろう。
「やっぱり今日はもう疲れたし解散にしようか」
 俺は意を決して口に出した。Kちゃんは「そっか。そうだよね。もう疲れちゃったよね。帰ろうか」といつものトーンで話していた。横浜駅での一言が嘘だったかのようにすんなりと終わった。俺は安堵してKちゃんと2人、品川駅へ向かった。駅に着いた時Kちゃんは「横浜駅で言ったこと覚えてる?」尋ねてきた。俺はここはとぼけようと考え「そういえば酔っててあまりよく聞こえてなかったけど、なんて言ってたの?」と質問し返した。これでKちゃんも諦めるだろう。するとKちゃんは「なんでもないよ。忘れて」とうつむいた。俺は心の中でガッツポーズをした。
「じゃあ帰ろうか。また今度よろしくね」と俺ができる最高の笑顔でさよならを告げるとKちゃんも「うん。また何かあったら連絡するから!」と返事をし互いに別の電車に乗って帰った。駅のホームは横並びになっており、俺がホームに到着しベンチに座ると正面のホームのエスカレーターからKちゃんが来たのがわかった。気づかないふりをしてスマートフォンをいじるがどうしても気になって一瞬顔を上げると、Kちゃんは眉間に皺を寄せて怒りに満ちた表情でこちらを睨んでいた。すぐに目を逸らし到着した電車に乗った。電車の中でその阿修羅のような表情が蘇った。そして、思った。横浜駅でのことは本気だったのだ。
 Kちゃんの思惑に恐怖を抱きながら、俺は実家に向かった。兄に「不倫されていた」とメッセージを送ったところ「家に来なよ」と連絡があった。現実でも兄は面倒見が良く一緒にいればいつも無駄話をしている。時折、仕事の相談をすると真剣に答えてくれる。頼り甲斐のある兄貴と言ったところだ。俺は実家近くのコンビニでアルコール9%の缶チューハイを買って実家に向かった。実家に帰る頃にはもう夜中で兄の部屋で2人酒を飲みながら不倫されたことを相談した。兄は「お前も色々大変だな。お前は子どものころから女にモテていたから、羨ましく思うことが多かったけど今回ばかりは同情するよ」と慰めてくれた。俺もこの日は酒を飲みすぎたこともあり、兄の部屋でそのまま寝てしまった。すると父がやってきて俺を起こす。「自分の部屋で寝ろ」と父の刺さるような檄が飛んだ。父は昔から昭和の堅物のような男で怒る場面しかほとんど見たことがない。人の気も知らずにそんなこと言わないでくれよと心の中で思ってはいるが、我慢して「ごめんごめん」と自分の部屋に向かった。布団を引くと酔いが回っていたからか嫁のことなど忘れぐっすりと眠りについていた。
 すると朝になった頃、肘や足にチクッと何かが刺さる感覚があった。何かがぶつかっただけだろうと目を瞑っていた。しかし、次は身体中に何か乾燥した針のようなものが刺さる感覚があった。驚いて目を開けると俺が寝ていた布団一面にスズメバチの死骸が敷き詰められていた。2、3匹ではない。100匹を軽く超えるであろう数だった。さらに足元には大きな蜂の巣が転がっていた。
「うわぁーーーー」
 俺は大きな叫び声を上げた。視界に入る情報を処理できず、ただ恐怖だけが俺を襲う。
 ――ドン!――
 俺の部屋のふすまを誰かが開ける。そこには鬼の形相の嫁が立っていた。すると静かな怒りを宿した声で俺に言った。
 ――「全部、あんたが悪いんでしょ」――
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