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世は強い者が得る
第7話
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カイは長屋の寝台に横たわっていた。口の中が痛んで眠れない。体じゅうがひりついている。日暮れ前、男が風呂に突っ込んだ。猫の尾のようなたわしで頭から足の指までこすりまくった。全身に血がにじんだ。はじめて風呂に入った。二度と入りたくない。
寝台には藁布団を敷いてある。固くて寝心地が悪い。眠らないほうがいい。従士たちはまた襲いかかってくる。隣の男がいびきをかいている。ほうぼうで起きている気配がある。ごそごそとなにかをしている。長屋は兵舎だった。従士はここで寝泊まりする。
ひどいところに来てしまった。家に帰りたい。父さんと母さんに会いたい。
目が覚めた。頬に砂利が突き刺さっている。地べたにうつ伏せで寝ている。強い朝日が照っている。外にいる。砂を噛むいくつもの足音。馬のいななき。鶏が羽根を打っている。
起き上がった。腹の具合がおかしい。顔の砂を払った。口がぼこりと腫れていた。触ると刺すように痛んだ。
男が近づいてきた。金の髪に白い革の胴衣。偉い人だ。
目の前に立った。腰を屈めて顔をのぞき込んだ。
「強くなるまではしょっちゅうその顔になる。騒ぎを起こした罰に、今日は一日飯抜きだ」
「昨日の、男の人は」
「村に帰した。両目をやられたら戦えない。おれはサクのロベール。いわば騎士団の副長だな。まあ、騎士は二人しかいないわけだが。ベアも含めて」
親しげに肩を抱いた。まだ用があるようだ。カイは中庭を見まわした。働いている。石造りの厨房のひらいた戸口から煙が漏れ出している。男が卵入りの籠を抱えて中に入った。肉を焼くいいにおいがした。腹が鳴った。昨日だってろくに食っていないのに。女が三角屋根の井戸で水を汲んでいる。婆さんが低い座台に尻を乗せて鶏の毛をむしっている。黒い着物を着た坊さんが男と立ち話をしている。
門の前に従士たちが並んでいる。なにかを待っている風情だ。
カイはロベールに話しかけた。
「今日は、なにをすればいいんですか」
「まあ待て」
右手の城館から主人が出てきた。白い羊毛を着ている。寝間着のように見える。普段はあんな格好をしているのだろうか。
従士たちがだらだらと整列した。主人は城門を背に呼ばわった。
「いよいよ今日は狩りの時だ。騎士につづき、騎士を助け、戦によっておのれの精神を磨き、肉体を鍛えよ。戦い、勝利し、帰還するのだ。そのあと読み書きの勉強をする」
従士たちが笑った。
「旧街道沿いの宿駅で冒険者どもが待っている。ちんぴら風情に遅れを取ってはならん。黒エルフを討った者には栄誉を与えるぞ。だが勉強は生涯つづく」
解散した。ロベールは指笛を吹いた。
「ラロシュ。来い」
従士が駆け寄ってくる。ひょろりとした男だ。
目の前で立ち止まった。顔をしかめてカイを見下ろした。
「勘弁してください。どうしておれなんですか」
「主人の命令だからだ。世話の仕方を教えてやれ」
「わかりました。おい、奴隷。おまえは運がいい。殴るのは一日に一回だけだからな」
みんな黒エルフ討伐に出た。ラロシュも。だれもついてこいとは言わなかった。出発の前、馬に乗ったロベールが身を乗り出して主人に口づけした。二人は結婚するのだ。
残ったのは料理人と下男下女。城門は落とし格子も扉もひらいたままだった。魔物が攻めてきたらどうするのだろう。
やることがない。腹が減った。中庭に立って門を仰ぎ見た。城門塔の赤い屋根が朝日を受けて輝いている。木の梯子が二階部分の入り口に向けて立てかけてある。塔の中はどうなっているのだろう。
カイは中庭を見まわした。だれも自分のことなど気にしない。
梯子を上った。小さな石の部屋だった。機械があった。水車小屋に似ている。横向きに据えた硬木に鉄の鎖が巻きついている。木の両脇には歯車がついている。鎖はぴんと張り詰めたまま斜め上に延びて、天井からぶら下がる鉄の輪をくぐっている。硬木の向こうには落とし格子がぶら下がっている。
カイは巻いた鎖に触れた。油でぬめっている。硬木に鉄の棒が二本突き刺さっている。棒を抜けば格子が勢いよく落ちる。
梯子を下りた。井戸のそばで下女が洗濯している。大盥にばさっと灰汁を入れた。洗濯物が山積みだ。
近づいて話しかけた。
「門は閉じないんですか」
「閉じたら外で働いてるやつらが入って来れないだろ。ご主人様の館には入っちゃだめだよ。ほかのところは入っていい」
顔も上げずにざぶざぶと布を揉む。薄い、きっちりと織った羊毛。女物の下着だ。主人のものかもしれない。
「なにか、食べ物をください。腹が減ってるんです」
「だったら厨房で勝手にくすねな。乞食みたいにねだるんじゃないよ」
盗んでもいいのか。カイは急いで厨房に向かった。肉を食べよう。つばが湧いた。
左手の倉を過ぎると女が言った。
「おい、豚」
カイは振り向いた。アデルが倉の壁に寄りかかって立っていた。今日も男の格好をしている。両の手に一本ずつ短剣をぶら下げている。
「武器庫で見つけたの。わたしと戦わない?」
カイは首を振った。また罰を受ける。腹も減っている。
アデルは短剣をひとつ放った。足元に落ちた。
「構えて。傷をつけたほうが勝ち。いくよ」
切っ先を向ける。刃は恐ろしく長い。
いきなり踏み込んで振った。カイはあわててあとじさった。アデルはけらけら笑った。
「豚。糞虫。奴隷」
カイは屈んで短剣を拾った。見よう見まねで構える。どうしても聞きたいことがある。
「黒エルフは、悪いことをしたのか」
「ああ、あれ。先っぽが入っただけ。まだ処女よ。どうして気にするの?」
突いてきた。カイはなんとなく短剣を持ち上げた。切っ先が刃に当たった。かしゃりと鳴った。
また突いた。カイは後ろに逃げた。一歩近づいてまた突いた。お下げ髪が揺れる。アデルは汗をかいている。金の髪が輝いている。振りまわす。カイも振った。もちろん当たらない。アデルの唇から息が漏れ出る。痩せた胸がかすかに上下している。
大きく踏み込んで横に振った。目の前を切っ先が通り過ぎた。ぞっとした。
「もうやめようよ。危ないだろ」
「豚。悔しかったら斬ってみろ」
舌を突き出した。鼻を鳴らして豚の声を真似る。カイは柄を握り締めた。白い尻を思い出した。感謝の言葉ひとつなかった。黒エルフにやられてしまえばよかったんだ。
殺せば豚だの奴隷だのと言わなくなる。
カイは右足を踏み出して突いた。アデルは甲高く叫んだ。手から短剣がこぼれ落ちた。
右腕を押さえた。袖を裂いた。切っ先を見る。血がついている。またやった。ぼくは強い。
「馬鹿! こっちは女なのよ」
「そっちが誘ってきたんだ。ぼくはやりたくなかった」
アデルの腕を見る。羊毛が大きく血を吸っている。深く切ったのだろうか。短剣が足元に落ちている。
歩み寄って短剣を顔に近づけた。
「女。もう豚と呼ぶな。わかったか」
「わかった。ごめんなさい」
下女が駆けてきた。カイの短剣を引ったくって頭を殴った。胸のつっかえが取れた。いい気分だ。人を脅すのは気持ちがいい。おびえるアデルをもっと見たい。
寝台には藁布団を敷いてある。固くて寝心地が悪い。眠らないほうがいい。従士たちはまた襲いかかってくる。隣の男がいびきをかいている。ほうぼうで起きている気配がある。ごそごそとなにかをしている。長屋は兵舎だった。従士はここで寝泊まりする。
ひどいところに来てしまった。家に帰りたい。父さんと母さんに会いたい。
目が覚めた。頬に砂利が突き刺さっている。地べたにうつ伏せで寝ている。強い朝日が照っている。外にいる。砂を噛むいくつもの足音。馬のいななき。鶏が羽根を打っている。
起き上がった。腹の具合がおかしい。顔の砂を払った。口がぼこりと腫れていた。触ると刺すように痛んだ。
男が近づいてきた。金の髪に白い革の胴衣。偉い人だ。
目の前に立った。腰を屈めて顔をのぞき込んだ。
「強くなるまではしょっちゅうその顔になる。騒ぎを起こした罰に、今日は一日飯抜きだ」
「昨日の、男の人は」
「村に帰した。両目をやられたら戦えない。おれはサクのロベール。いわば騎士団の副長だな。まあ、騎士は二人しかいないわけだが。ベアも含めて」
親しげに肩を抱いた。まだ用があるようだ。カイは中庭を見まわした。働いている。石造りの厨房のひらいた戸口から煙が漏れ出している。男が卵入りの籠を抱えて中に入った。肉を焼くいいにおいがした。腹が鳴った。昨日だってろくに食っていないのに。女が三角屋根の井戸で水を汲んでいる。婆さんが低い座台に尻を乗せて鶏の毛をむしっている。黒い着物を着た坊さんが男と立ち話をしている。
門の前に従士たちが並んでいる。なにかを待っている風情だ。
カイはロベールに話しかけた。
「今日は、なにをすればいいんですか」
「まあ待て」
右手の城館から主人が出てきた。白い羊毛を着ている。寝間着のように見える。普段はあんな格好をしているのだろうか。
従士たちがだらだらと整列した。主人は城門を背に呼ばわった。
「いよいよ今日は狩りの時だ。騎士につづき、騎士を助け、戦によっておのれの精神を磨き、肉体を鍛えよ。戦い、勝利し、帰還するのだ。そのあと読み書きの勉強をする」
従士たちが笑った。
「旧街道沿いの宿駅で冒険者どもが待っている。ちんぴら風情に遅れを取ってはならん。黒エルフを討った者には栄誉を与えるぞ。だが勉強は生涯つづく」
解散した。ロベールは指笛を吹いた。
「ラロシュ。来い」
従士が駆け寄ってくる。ひょろりとした男だ。
目の前で立ち止まった。顔をしかめてカイを見下ろした。
「勘弁してください。どうしておれなんですか」
「主人の命令だからだ。世話の仕方を教えてやれ」
「わかりました。おい、奴隷。おまえは運がいい。殴るのは一日に一回だけだからな」
みんな黒エルフ討伐に出た。ラロシュも。だれもついてこいとは言わなかった。出発の前、馬に乗ったロベールが身を乗り出して主人に口づけした。二人は結婚するのだ。
残ったのは料理人と下男下女。城門は落とし格子も扉もひらいたままだった。魔物が攻めてきたらどうするのだろう。
やることがない。腹が減った。中庭に立って門を仰ぎ見た。城門塔の赤い屋根が朝日を受けて輝いている。木の梯子が二階部分の入り口に向けて立てかけてある。塔の中はどうなっているのだろう。
カイは中庭を見まわした。だれも自分のことなど気にしない。
梯子を上った。小さな石の部屋だった。機械があった。水車小屋に似ている。横向きに据えた硬木に鉄の鎖が巻きついている。木の両脇には歯車がついている。鎖はぴんと張り詰めたまま斜め上に延びて、天井からぶら下がる鉄の輪をくぐっている。硬木の向こうには落とし格子がぶら下がっている。
カイは巻いた鎖に触れた。油でぬめっている。硬木に鉄の棒が二本突き刺さっている。棒を抜けば格子が勢いよく落ちる。
梯子を下りた。井戸のそばで下女が洗濯している。大盥にばさっと灰汁を入れた。洗濯物が山積みだ。
近づいて話しかけた。
「門は閉じないんですか」
「閉じたら外で働いてるやつらが入って来れないだろ。ご主人様の館には入っちゃだめだよ。ほかのところは入っていい」
顔も上げずにざぶざぶと布を揉む。薄い、きっちりと織った羊毛。女物の下着だ。主人のものかもしれない。
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盗んでもいいのか。カイは急いで厨房に向かった。肉を食べよう。つばが湧いた。
左手の倉を過ぎると女が言った。
「おい、豚」
カイは振り向いた。アデルが倉の壁に寄りかかって立っていた。今日も男の格好をしている。両の手に一本ずつ短剣をぶら下げている。
「武器庫で見つけたの。わたしと戦わない?」
カイは首を振った。また罰を受ける。腹も減っている。
アデルは短剣をひとつ放った。足元に落ちた。
「構えて。傷をつけたほうが勝ち。いくよ」
切っ先を向ける。刃は恐ろしく長い。
いきなり踏み込んで振った。カイはあわててあとじさった。アデルはけらけら笑った。
「豚。糞虫。奴隷」
カイは屈んで短剣を拾った。見よう見まねで構える。どうしても聞きたいことがある。
「黒エルフは、悪いことをしたのか」
「ああ、あれ。先っぽが入っただけ。まだ処女よ。どうして気にするの?」
突いてきた。カイはなんとなく短剣を持ち上げた。切っ先が刃に当たった。かしゃりと鳴った。
また突いた。カイは後ろに逃げた。一歩近づいてまた突いた。お下げ髪が揺れる。アデルは汗をかいている。金の髪が輝いている。振りまわす。カイも振った。もちろん当たらない。アデルの唇から息が漏れ出る。痩せた胸がかすかに上下している。
大きく踏み込んで横に振った。目の前を切っ先が通り過ぎた。ぞっとした。
「もうやめようよ。危ないだろ」
「豚。悔しかったら斬ってみろ」
舌を突き出した。鼻を鳴らして豚の声を真似る。カイは柄を握り締めた。白い尻を思い出した。感謝の言葉ひとつなかった。黒エルフにやられてしまえばよかったんだ。
殺せば豚だの奴隷だのと言わなくなる。
カイは右足を踏み出して突いた。アデルは甲高く叫んだ。手から短剣がこぼれ落ちた。
右腕を押さえた。袖を裂いた。切っ先を見る。血がついている。またやった。ぼくは強い。
「馬鹿! こっちは女なのよ」
「そっちが誘ってきたんだ。ぼくはやりたくなかった」
アデルの腕を見る。羊毛が大きく血を吸っている。深く切ったのだろうか。短剣が足元に落ちている。
歩み寄って短剣を顔に近づけた。
「女。もう豚と呼ぶな。わかったか」
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