Blackheart

高塚イツキ

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世は強い者が得る

第8話

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 隊とともに旧街道を進む。かつては立派な道だったにちがいない。石畳の隙間から背の高い雑草が伸び放題伸びている。石を盗むやつがいるので穴ぼこだらけだ。整備すれば隊商がやってくる。だが莫大なカネがいる。
 交差点で冒険者たちと合流した。石の里程標が立っている。目指すは古代の名もなき寺院。道が生きていることを祈る。
 二列で北東に向かう。ロベールが隣で手綱を握っている。ベアは愛馬の背に揺れながら冒険者の数をかぞえた。十六人に減っている。食うだけ食って逃げ出したのだろう。腕の立つ者が何人かいる。セルヴが針の長剣エストックを担いで目の前を歩いている。顎髭はむさ苦しいが剣の腕は一級品だ。毛皮を着た女と話し込んでいる。
「きみの秘密がわかった。亡国の王の末裔だろう」
「ううん。あたし、便所で産まれたんだって」
 戦斧アックスを抱えた大男が女に付き添っている。セルヴの頭一つぶんも高い。十人力だ。人だったらの話だが。
「はやく〈黒き心〉を詣でたい。願いごとがあるんだ」
「あたしに口づけしたいんだね。どうしようかな。いい人もいないしな。あれもご無沙汰だしな。お試しって手もあるよね。減るもんじゃないし」
 セルヴはうれしそうに顎髭を掻いた。
 ロベールが不満げな顔を向けてきた。言いたいことはわかっている。
「聖女になるからといって、夜まで我慢することはないだろう」
「それどころか毎夜主に祈りを捧げている。人を騙すにはまずおのれを騙さなければ」
「きみを抱けない。結婚もご破算。糞田舎に留まる理由がない。サクに帰るぞ。いいのか」
 ベアは三つ前を行くぼさぼさ頭を見やった。頭を掻きむしりながら器用に短剣ダガーをもてあそんでいる。貴人が腰に提げるような高価な短剣だ。あの男も強い。
 ロベールがなにか言う前にセルヴに話しかけた。
「村では世話になったな。戻ってきてくれたか」
 振り返った。
「ええ。この命を聖女様に捧げようと思いまして」
「遠征の話はまだ流していない。どこで聞いた」
 女が横顔を見せた。目を細めてにんまりと笑った。
「数週前、ヌーヴィルで聞いたよ。王様が宮廷をひらいたの。有名な騎士がいっぱい出入りしてた」
「確かか」
「確かも確か。本当だよう」
 前に向き直った。銀貨をぴんとはじいた。王が動いたら後には退けない。そもそもモディウスが王に持ちかけた話だ。しがない副伯は従うしかない。どれだけ頭の狂った作戦であろうと。
 後ろから魔道士が話しかけてきた。
「本当に聖都を落とせるとお思いですか。十万都市ですよ」
「わからんぞ。王と教会はわたしを聖女に仕立て上げる。あの手この手で国じゅうの熱狂を煽る。千の騎士に万の歩兵が集まる。みなわたしを崇敬し、戦い、喜んで命を落とす。顔が美しいから説得力は充分だ」
 セルヴが笑った。ロベールが恨めしげににらみつけてくる。
 ベアは振り向いた。従士がだらだらと歩いている。二人がダークエルフの捕虜を連れている。総勢十八名、はじめての討伐行だ。どれも前の主人から逃げ出してフラニアに流れ着いた。わが城は屑の受け入れ先。土地持ちの親はひとまず安堵する。息子の叙勲を夢見、麦や家畜をいそいそと送ってくる。こちらは屑を城に留め置くだけ。本意ではない。だが食うためには仕方がなかった。従士たちもよくわかっている。一生遊んで暮らすつもりでいる。
 セルヴに声をかけた。連れ立って脇道を進む。
「強い者を見つけてくれ」
「あの虱たかりは手練れでしょう。いい家の出だ」
「やはりわかるか」
 先頭の男が斧槍ハルバードを掲げた。どこで手に入れたのかフラニアの旗をくくってある。ひらめく紋章を見て胸が熱くなった。男は痩躯長身、長い髪を元結で束ねている。槍の長さは背丈の倍ほどもある。
「おい、旗持ち。それでは後ろからは見えんぞ。うんと高く掲げろ」
 振り向いてうなずいた。なかなかの男前。トネリコの柄をいっぱいに持って掲げた。いわば上段の構え。
 旗が風を受ける。穂が傾く。男は柄を滑らかにまわして戻した。前腕を鍛えてある。この男もできる。
 茶色い坊主頭が隣を歩いている。こちらは鉤鼻の東方人。髭をきれいに剃っている。歩きぶりも優雅だ。
 品定めに気づいたのかおもむろに剣を抜いた。鍔が小さい片手剣。はじめて見た。
「ボーモン。聖都で副長を務めていた。遠征ではきっとお役に立てる」
「わたしは強者ばかりを集めたようだな。いくら欲しい」
「カネより立派な主人が欲しい。こちらのクロードも同じ思いだ。お忘れなく。おれたちもあなたを品定めしているのだ」

 旧街道を外れて森に入った。道は雑草で完全に埋もれている。枝葉が重なり合って空を半ば覆っている。薄暗いなか野鳥が警告の声を上げる。まだ昼前。日があるうちにたどり着きたい。
 ロベールの馬が常歩で引き返してきた。愛想を尽かしたのか森に入る前から先を進んでいた。
 すれちがう。目もくれない。魔道士がいそいそと付き従っている。
 ベアは馬上で振り返った。リュシアンが黒エルフに正対した。従士二人が肩をつかんで押さえている。首まで雑草に浸かっている。
「また術をかけることになる。今度もおとなしくしていろ」
 黒エルフの頭上に手をかざす。白い丸薬をつまんでいる。
「これは大鬼の牙を粉にし、小麦と魚粉を混ぜ合わせて固めたものです。口と言葉にまつわる魔術に用いる」
 だれひとり関心を寄せていない。リュシアンは砕いた。ぱらぱらと粉が落ちる。粉を捕らえようとするかのように人差し指を動かす。
 粉が浮き上がった。方円と奇妙な文字を形づくっていく。
「おまえは正直者に生まれ変わる」
 白い印に触れた。ぱっとはじけた。粉が鼻の穴から入っていく。黒エルフはくしゃみを繰り返した。
 突然収まった。呆けたように前を見ている。
 ロベールは道の先を指して言った。
「寺院の方角はあちらでまちがいないか」
「まちがいない。獣道から暗い道に出る。そしておれはむごい死を迎える」
 行軍を再開する。正直者の黒エルフはロベールと連れ立って先頭に出た。指をさしながら行く先を示している。
 リュシアンが苦しげに顔をしかめている。セルヴにささやいた。
「気をつけてください。これからわたしはしばらく嘘つきになります」
「どうしてだ」
「魔術とは四体液と四元素の浸透による循環です。眠りの雲を放てば、術者は眠りを失う。そうして世は均衡を保つのです」
「自分に術をかけて眠ればいい」
「塩漬けの鰊は生き返らない。体液と元素の流れは不可逆的なのです。善き魔道士は眠れぬ夜を学びと瞑想に用いる。黒魔道士は、代わりに生贄を用います」
 講義がつづく。行列の先が右の木立に分け入っている。ベアは鐙を外して馬から下りた。銜を取る。従士たちを秘密の道に追い立てる。
 最後に森に踏み入った。急に肌寒くなった。足を上げては下生えを踏む。若木を折る。ねばねばした羊歯が長靴に絡みつく。愛馬は嫌がっている。
 少し行くと小さな空き地に出た。隊は鹿の獣道に踏み入っている。かすかな道をたどる。闇が濃くなっていく。襟や手袋の隙間から冷気が忍び寄る。
 奥で松明が灯った。下りになっている。野鳥が鳴いている。葉を打ち枝が折れる音がそこここで聞こえる。ベアは額の汗を拭って見上げた。空はない。蔓が木々のあいだを覆って陽の光を遮っている。
 悪霊のささやきが聞こえてきた。強くなれ、強くなれ。傷を癒やして強くなれ。そのとおりだ。〈黒き心〉を持つ者は現世の覇者となる。王の騎士はことごとく寝返るだろう。馳せ参じ、わたしの足元にひざまずく。黒き心の聖女に。悪くない。
 アルマンドの皇帝イサンはなぜ王国に攻め入ってこないのか。善き君主だからか。ただの伝説、癒やしの業など嘘八百だからか。
 下りが急になる。土は柔らかく滑りやすい。どんどん暗くなる。地獄に向かって下りている。木の洞まで化け物に見えてきた。隊列がじょじょに伸びていく。
 セルヴが引き返してきた。愛馬を支えてくれた。馬のこともよくわかっている。
「おまえもいい家の出なのだろう? だれに仕えていた」
「十二のとき、伯父の家に入りました。ヌーヴィルの屋敷で修行したんですが、最新型の鎧を買うカネがなくて」
「それでやくざの身に落ちぶれたか」
 天を見上げた。答えたくないようだ。
「行き先は合ってるようですね。魔物どもは蔓を切って道をひらいたようだ」
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