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聖女のつくりかた
第2話
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月日は過ぎていく。目標ができたとたんいろんな仕事が湧いて出てきた。
主人の馬に頭絡をつける。騎士は馬の扱いも覚えなければならない。おそるおそる銜を噛ませる。房の中でぶんぶん頭を振った。主人が腕を組んで待っている。あわてる。よけいに革紐が絡まった。
馬丁が引ったくった。
「ぶきっちょめ。見てろ」
馬をなだめにかかる。主人が背に触れた。白い陣羽織に鎖帷子。戦の出で立ちだ。
「文字書きの練習もしているか」
「はい、ご主人様」
「おまえに話すことではないが、最近ロベールとうまくいっていない」
馬丁が銜を噛ませた。革紐を頭につける。馬はおとなしくしている。房の戸をひらいて外に導く。カイは馬にリンゴのかけらを食わせた。大きな唇が手のひらを舐めた。
次は鞍だ。重いやつを抱え上げる。硬木になめし革を貼っている。重い。
「書簡が届いた。王はわたしを正式に聖女と認めた。田舎者の副伯が神の軍を率いるのだ。ますます貞節を保たなければな。我慢できるかどうか」
「今日はどこに行くんですか」
「どちらに行かれますか、だ。村をまわる。考えたい。聖女のふるまいとはなにか。どのように大軍を統率すればいいのか。そもそもわたしにできるのか」
カイはよろめきながら鞍を持ち上げた。馬の背はカイの頭より少し低い。重くて持ち上がらない。
勢いよく乗せた。馬が暴れ出した。馬丁が怒鳴った。
「まず敷物を乗せるんだよ、馬鹿」
「はじめに教えてくださいよ」
主人は馬丁を追い払った。愛馬をなでて落ち着かせる。
腰を折って真正面から見つめてきた。本当にきれいな顔だ。
なにも言わない。不思議そうに瞳を揺らしている。カイは思わず目を伏せた。
「はやく強くなれ。わたしを守ってくれ。あの夜、酔っているように見えただろうが、わたしは本気だった」
頬に手を当てた。じんわりと温かかった。
ラロシュの給仕、着替えの手伝い、小間使い。足を洗う。寝台を整える。博打の準備。仲間にくだらない伝令を持っていく。従士たちは本当に遊んでいるだけだった。狩りに出ても手ぶらで戻ってくる。しかもへべれけに酔っている。昨日は村の娘を連れてきた。アデルより年がいっていない子供だった。夜、兵舎でひとりずついたぶった。娘は獣の声で泣き叫んだ。恐ろしかった。
折檻は毎日受ける。仕事が遅いといっては小突く。理由もなく腹を殴る。ほかの従士も手を出してくる。だがどいつも顔は殴らなくなった。ラロシュを斬ったあの日から。
アデルはあからさまに避けていた。狭い城なのでしょっちゅう見かける。こちらに気づくなりきびすを返す。カイも話しかけなかった。暇がないし興味も薄れた。それに騎士は貴婦人を愛するものだ。
ラロシュが従士数人と遊びに出かけた。カイは急いで厨房に行った。大鍋をのぞく。ほんの少し汁が残っているだけだった。竈の火はとっくに消えている。カイは冷えた汁をかき集めて椀に移した。燻製肉をたっぷりと切る。セルヴは言った。飯は大事だ。盗んででも肉を食え。
兵舎で昼寝したあと中庭に出た。武器庫の前でセルヴが待っていた。毎日稽古をつけてくれている。冒険者たちはずっと城で暮らしている。理由はわからない。
カイは剣士の前に立ってお辞儀した。セルヴはまじめくさった顔でうなずいた。顎髭がもさもさ生えている。黒いたわしみたいだ。
「ほかの人は遊びに出たんですか」
「今日から野良仕事だ。居候だから、ぼちぼちな。神父様も土に触れろって言ってたし」
大剣を肩から下ろした。柄を向けて差し出した。
「おれの相棒を使え。ぶった斬ることはできないが、どんな敵でも貫く。持ってみろ」
柄を両手で握る。柄の鍔側には革、柄頭側には針金を巻いてある。鍔は手のひら二つほどの長さ。切っ先ははるか先にある。
意外に軽かった。だが長い。構える。左右に動かす。これでは剣のほうが主人だ。
「扱えないだろう。だから今日も木剣を使う。力がつけば長い剣も振りまわせるようになる。だが長ければいいってもんじゃない。大事なのは間合い、おのれの武器を知ることだ」
地面に木剣が二つ寝ている。削った木を十字に組んだだけの玩具。
カイは剣を返して木剣を拾った。一つをセルヴに渡した。
セルヴは大剣を左の脇に抱えたまま木剣を掲げた。
「受けろ」
左から袈裟に斬ってきた。カイは受け止めた。セルヴが押す。押し返せない。
「だめだ。おまえは死んだ」
十字に組み合っている。切っ先はすでにカイの目の前にあった。また内側で受けてしまった。どうしてだろう。
セルヴはさらに押した。切っ先がゆっくりと喉に近づく。カイは思い切り押し返した。切っ先が左目に向いただけだった。
額に突き刺さった。死んだ。
「何度でも言う。まともに受けるとそうなる。外側で受けろ」
構え直す。セルヴは鋭く振り下ろした。払うようにして外側で受ける。
空振りした。頭にぶち当たった。じんと痺れる。うまくいかない。
「お遊びだと思っているからだ。真剣にやれ。今度死んだらしばらく稽古はつけない」
カイはうなずいた。ただ当てるんじゃない。防御するんだ。死なないために。
セルヴの攻撃。カイは鋭く剣を立てた。こんと鳴って刃が右に流れた。うまくいった。添えるようにして受けてはだめだ。強く受けなければ。
セルヴは左足を横に出した。がに股で剣を押す。切っ先が顔に向いている。どうして。
こすりながら伸びてくる。そうか。自分の右側に踏み込んだからだ。カイは力を込めて払おうとした。押せない。肘の外側には力を入れづらい。間に合わない。
セルヴは手首を右に返した。表刃を喉に添えた。また死んだ。
「いいぞ。もう一度だ」
剣を立てる。外側に当てる。うまくいった。体が覚えてきた。
頭のてっぺんに刀身が乗った。どうしてだ。ただ外側で受けるだけではだめなのか。
まだ組み合っている。カイは確認した。自分の刀身はいつの間にか左に傾いていた。セルヴは右の脇を大きく開けて腕を持ち上げている。刀身を水平にしてカイの頭に乗せている。
組み合ったところを見て気づいた。セルヴは根元で切っ先のほうを受けていた。そうか。打ち合うと同時に剣を持ち上げて組み合うところを変えたのだ。根元だと押しやすい。切っ先だと押しづらい。敵が外側に当てても引かずに済む方法がある。
達人だ。弟子入りしよう。
「おもしろいだろう。まちがえば死ぬ。正しくても死ぬ。みんな死ぬ」
間合いを取る。セルヴの攻撃。カイは外側に当てた。今度は根元で。打撃は弱い。
セルヴはひょいと剣を持ち上げてカイの剣をまたぎ越えた。
頭のてっぺんを打った。また死んだ。痛みに涙がにじむ。
「今日はこれまで。相手がまともに打ってくるとは限らない。強い打撃と弱い打撃を体で覚えろ。いろいろ覚えればちゃんばらも楽しくなる」
礼をした。セルヴはうなずいた。もっと練習したい。
武器庫に木剣を片づけた。セルヴが言った。
「アデルって子に謝れよ。ベアの言うとおり、女を斬るやつは屑だ」
「どうでもいいです。ぼくを嫌ってます」
「女心はわからないもんだぞ。よし、じゃあ約束を果たしてくれ。すぐ野良仕事に出たい」
カイは城門のあたりでコートを捕まえた。丁重に言う。
「あなたのように大きくなりたいんです。どうすればいいんでしょうか」
頭二つ分の高さから見下ろす。カイは尊敬の眼差しで見上げた。
顎に手を当ててうめいた。考えている。
「飯は食ってるか」
「はい」
「ちびで細いのは、単に食ってこなかったからだ。だが母ちゃんが産んでくれたよりでかくなるには、ただ食うだけじゃだめだ。吐いてでも食って腹を広げるんだ。料理してやる。おれは料理が得意なんだ」
のしのしと厨房に向かう。カイは追いかけた。
「ところでケッサを見かけなかったか」
「野良仕事に出かけました」
カイはこっそり振り返った。厩から二人が出てきた。手を取り合いながらこそこそと門に向かった。
主人の馬に頭絡をつける。騎士は馬の扱いも覚えなければならない。おそるおそる銜を噛ませる。房の中でぶんぶん頭を振った。主人が腕を組んで待っている。あわてる。よけいに革紐が絡まった。
馬丁が引ったくった。
「ぶきっちょめ。見てろ」
馬をなだめにかかる。主人が背に触れた。白い陣羽織に鎖帷子。戦の出で立ちだ。
「文字書きの練習もしているか」
「はい、ご主人様」
「おまえに話すことではないが、最近ロベールとうまくいっていない」
馬丁が銜を噛ませた。革紐を頭につける。馬はおとなしくしている。房の戸をひらいて外に導く。カイは馬にリンゴのかけらを食わせた。大きな唇が手のひらを舐めた。
次は鞍だ。重いやつを抱え上げる。硬木になめし革を貼っている。重い。
「書簡が届いた。王はわたしを正式に聖女と認めた。田舎者の副伯が神の軍を率いるのだ。ますます貞節を保たなければな。我慢できるかどうか」
「今日はどこに行くんですか」
「どちらに行かれますか、だ。村をまわる。考えたい。聖女のふるまいとはなにか。どのように大軍を統率すればいいのか。そもそもわたしにできるのか」
カイはよろめきながら鞍を持ち上げた。馬の背はカイの頭より少し低い。重くて持ち上がらない。
勢いよく乗せた。馬が暴れ出した。馬丁が怒鳴った。
「まず敷物を乗せるんだよ、馬鹿」
「はじめに教えてくださいよ」
主人は馬丁を追い払った。愛馬をなでて落ち着かせる。
腰を折って真正面から見つめてきた。本当にきれいな顔だ。
なにも言わない。不思議そうに瞳を揺らしている。カイは思わず目を伏せた。
「はやく強くなれ。わたしを守ってくれ。あの夜、酔っているように見えただろうが、わたしは本気だった」
頬に手を当てた。じんわりと温かかった。
ラロシュの給仕、着替えの手伝い、小間使い。足を洗う。寝台を整える。博打の準備。仲間にくだらない伝令を持っていく。従士たちは本当に遊んでいるだけだった。狩りに出ても手ぶらで戻ってくる。しかもへべれけに酔っている。昨日は村の娘を連れてきた。アデルより年がいっていない子供だった。夜、兵舎でひとりずついたぶった。娘は獣の声で泣き叫んだ。恐ろしかった。
折檻は毎日受ける。仕事が遅いといっては小突く。理由もなく腹を殴る。ほかの従士も手を出してくる。だがどいつも顔は殴らなくなった。ラロシュを斬ったあの日から。
アデルはあからさまに避けていた。狭い城なのでしょっちゅう見かける。こちらに気づくなりきびすを返す。カイも話しかけなかった。暇がないし興味も薄れた。それに騎士は貴婦人を愛するものだ。
ラロシュが従士数人と遊びに出かけた。カイは急いで厨房に行った。大鍋をのぞく。ほんの少し汁が残っているだけだった。竈の火はとっくに消えている。カイは冷えた汁をかき集めて椀に移した。燻製肉をたっぷりと切る。セルヴは言った。飯は大事だ。盗んででも肉を食え。
兵舎で昼寝したあと中庭に出た。武器庫の前でセルヴが待っていた。毎日稽古をつけてくれている。冒険者たちはずっと城で暮らしている。理由はわからない。
カイは剣士の前に立ってお辞儀した。セルヴはまじめくさった顔でうなずいた。顎髭がもさもさ生えている。黒いたわしみたいだ。
「ほかの人は遊びに出たんですか」
「今日から野良仕事だ。居候だから、ぼちぼちな。神父様も土に触れろって言ってたし」
大剣を肩から下ろした。柄を向けて差し出した。
「おれの相棒を使え。ぶった斬ることはできないが、どんな敵でも貫く。持ってみろ」
柄を両手で握る。柄の鍔側には革、柄頭側には針金を巻いてある。鍔は手のひら二つほどの長さ。切っ先ははるか先にある。
意外に軽かった。だが長い。構える。左右に動かす。これでは剣のほうが主人だ。
「扱えないだろう。だから今日も木剣を使う。力がつけば長い剣も振りまわせるようになる。だが長ければいいってもんじゃない。大事なのは間合い、おのれの武器を知ることだ」
地面に木剣が二つ寝ている。削った木を十字に組んだだけの玩具。
カイは剣を返して木剣を拾った。一つをセルヴに渡した。
セルヴは大剣を左の脇に抱えたまま木剣を掲げた。
「受けろ」
左から袈裟に斬ってきた。カイは受け止めた。セルヴが押す。押し返せない。
「だめだ。おまえは死んだ」
十字に組み合っている。切っ先はすでにカイの目の前にあった。また内側で受けてしまった。どうしてだろう。
セルヴはさらに押した。切っ先がゆっくりと喉に近づく。カイは思い切り押し返した。切っ先が左目に向いただけだった。
額に突き刺さった。死んだ。
「何度でも言う。まともに受けるとそうなる。外側で受けろ」
構え直す。セルヴは鋭く振り下ろした。払うようにして外側で受ける。
空振りした。頭にぶち当たった。じんと痺れる。うまくいかない。
「お遊びだと思っているからだ。真剣にやれ。今度死んだらしばらく稽古はつけない」
カイはうなずいた。ただ当てるんじゃない。防御するんだ。死なないために。
セルヴの攻撃。カイは鋭く剣を立てた。こんと鳴って刃が右に流れた。うまくいった。添えるようにして受けてはだめだ。強く受けなければ。
セルヴは左足を横に出した。がに股で剣を押す。切っ先が顔に向いている。どうして。
こすりながら伸びてくる。そうか。自分の右側に踏み込んだからだ。カイは力を込めて払おうとした。押せない。肘の外側には力を入れづらい。間に合わない。
セルヴは手首を右に返した。表刃を喉に添えた。また死んだ。
「いいぞ。もう一度だ」
剣を立てる。外側に当てる。うまくいった。体が覚えてきた。
頭のてっぺんに刀身が乗った。どうしてだ。ただ外側で受けるだけではだめなのか。
まだ組み合っている。カイは確認した。自分の刀身はいつの間にか左に傾いていた。セルヴは右の脇を大きく開けて腕を持ち上げている。刀身を水平にしてカイの頭に乗せている。
組み合ったところを見て気づいた。セルヴは根元で切っ先のほうを受けていた。そうか。打ち合うと同時に剣を持ち上げて組み合うところを変えたのだ。根元だと押しやすい。切っ先だと押しづらい。敵が外側に当てても引かずに済む方法がある。
達人だ。弟子入りしよう。
「おもしろいだろう。まちがえば死ぬ。正しくても死ぬ。みんな死ぬ」
間合いを取る。セルヴの攻撃。カイは外側に当てた。今度は根元で。打撃は弱い。
セルヴはひょいと剣を持ち上げてカイの剣をまたぎ越えた。
頭のてっぺんを打った。また死んだ。痛みに涙がにじむ。
「今日はこれまで。相手がまともに打ってくるとは限らない。強い打撃と弱い打撃を体で覚えろ。いろいろ覚えればちゃんばらも楽しくなる」
礼をした。セルヴはうなずいた。もっと練習したい。
武器庫に木剣を片づけた。セルヴが言った。
「アデルって子に謝れよ。ベアの言うとおり、女を斬るやつは屑だ」
「どうでもいいです。ぼくを嫌ってます」
「女心はわからないもんだぞ。よし、じゃあ約束を果たしてくれ。すぐ野良仕事に出たい」
カイは城門のあたりでコートを捕まえた。丁重に言う。
「あなたのように大きくなりたいんです。どうすればいいんでしょうか」
頭二つ分の高さから見下ろす。カイは尊敬の眼差しで見上げた。
顎に手を当ててうめいた。考えている。
「飯は食ってるか」
「はい」
「ちびで細いのは、単に食ってこなかったからだ。だが母ちゃんが産んでくれたよりでかくなるには、ただ食うだけじゃだめだ。吐いてでも食って腹を広げるんだ。料理してやる。おれは料理が得意なんだ」
のしのしと厨房に向かう。カイは追いかけた。
「ところでケッサを見かけなかったか」
「野良仕事に出かけました」
カイはこっそり振り返った。厩から二人が出てきた。手を取り合いながらこそこそと門に向かった。
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