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偽りの絆
第11話
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百はいるのではないか。湖村の建物はひとつ残らず壊れていた。左手には黒い森が広がっている。当然中でうろついているだろう。戦うしかない。
ベアが馬上でつぶやいた。
「恐ろしい魔物たち。でもわたしは、生きて聖地にたどり着かなければ。神の徴をわが国に取り戻さなければ!」
ケッサが笑いながら口の中に指を突っ込んでいる。カイは後ろを見た。丘の麓まで大勢の旅の者が控えている。土地と羊を捨てた男、夫を捨てた女、熱狂的に崇敬する娘。そして聖アントンの修道士が二人。異端の証を見つけ出そうと旅のあいだじゅうベアの周囲を嗅ぎまわっていた。
クロードが湖を見下ろしながら笑った。
「楽しくなりそうだ。若造にお裾分けするまでもないな」
カイは冒険者たちの背を見た。背嚢を外して身軽になっている。本気を出さなければ勝てないという証拠だ。セルヴは兜をかぶり直して革紐をしっかりと結んだ。ガモは頭を掻きながら左の森を見やっている。ボーモンは鞭のように腕をしならせては片手剣を振り下ろす。コートは戦斧を手に喉の奥でうなっている。
アデルが思い切ったように口をひらいた。
「弓を使いましょうよ。旅の人がいくつか持ってたの。こっちに来るまでにかなり撃てる」
カイは舌打ちしそうになった。素人の助言などだれも聞かない。
セルヴが言った。
「そうだな。一匹でも仕留めたら上等だ。やつらにも働いてもらうか」
こちらは丘の上に陣取っている。斜面で戦えば有利だ。だがわざわざおびき寄せる必要があるのか。引き返して別の道を行けばいいのではないか。
意見を言いかけると騎士ペルモンが後ろから声を上げた。
「弓など不要。一気呵成に駆け下り、まとめて蹴散らしてくれる」
セルヴが振り向いた。
「そうしてくれ。おれたちは高貴な戦いぶりを見物するよ」
冒険者たちが笑った。馬上の騎士は取り合わない。セルヴは手を振って騒ぎを制した。
「大事なのは勝つことだ。生きることだ」
「ちがう。勇敢さを示すことだ」
「らちがあかない。聖女様のご神託をうかがおう」
全員がベアを見る。ベアは薄いフードを下ろして天を仰いだ。カイは横顔を見上げた。小さく紅を乗せた唇がかすかにひらいている。修道士がいるので素顔に戻れずにいる。
「神は言われています。騎士の誇りは死してなお光り輝くもの。ペルモン殿、ジャーヴィン殿、先陣を切っていただけますか」
騎士二人はうなずいた。こうべを垂れて祈りの言葉をつぶやく。ジャーヴィンはなぜか涙を流していた。従士が長槍を手に主人の元に寄る。騎士は槍を受け取る。右胸の槍受けに固定する。ああして刺突の衝撃を体全体で受け止める。脇に挟んで持ち上げる。穂先を動かして調子を見る。
冒険者たちが左右に分かれた。リュシアンがいつの間にか騎士の後ろに立っていた。鵞鳥の羽根で馬の尻に文様を描いている。軍馬は戦の気配を感じ取ったのか興奮して前足を掻いている。
騎士二人がゆっくりと進み出る。ジャーヴィンが頬を濡らしながら呼ばわった。
「命がいかほどのものか。大義のために命を賭す、それこそが騎士の本分である」
ベアが大きく目をひらいた。結んだ唇が震えている。おもしろがっている。
拍車を当てた。馬が駆け出した。緑の丘を重々しく下っていく。冒険者たちが罵倒混じりの歓声を上げる。
みるみる大鬼の群れに迫っていく。さらに速く。さらに速く。カイは目を疑った。馬があんなに速く走れるわけがない。
リュシアンがセルヴに話しかけた。
「わたしはしばらく、動作から話しぶりに至るまでいらいらするほどのろくさくなります」
「そんなとこだろうと思ったよ」
大鬼が気づいた。瞬間、騎士二人が突き抜けていった。槍を受けた大鬼が吹き飛んだ。ゆっくりと地面に落ちる。騎士は異様な速さで反転した。再び突進する。大鬼は棍棒を手に群がる。数匹がはじけ飛んだ。騎士の一人が馬から落ちた。
カイは見物をやめた。大鬼はいずれ駆け上がってくる。百の大鬼だ。戦わなければ死ぬ。棍棒の一撃。頭が瓜のように砕ける。〈黒き心〉も死は癒やせない。死にたくない。
ひねくれた気持ちを無理やり押しのける。長剣を担いで冒険者たちの前にまわりこんだ。
コートの前に立った。久々に頭を下げる。
「お手合わせ願います」
「おれが鬼に見えるのか」
ケッサがくすくす笑った。
「せいぜいがんばって。腕がもげても治してあげるからさ」
いきなり頬を両手で挟んで口をふさいだ。舌が口の中でうごめく。小馬鹿にするように遊んでいる。この女は好きじゃない。
カイは無理やり引き剥がした。だれかが口笛を吹いた。
ケッサは唇を舐めた。
「あーあ、嫌われちゃった。でもごちそうさま」
ガモが先を見やりながら言った。
「よう、どっちかが死んだぜ。おれは森に行く。何人かついてきてくれ」
コートが振り返って背を向けた。冒険者を押し分けてのっそりと歩き出す。カイは神妙につづいた。ベアが横目で見ている。冒険者が何人かついてくる。セルヴは来ない。
丘の頂で立ち止まった。正対する。コートは屈んで戦斧を地面に置いた。丸腰で立ちはだかる。
「来い、小僧」
大鬼どもが遠くでわめき散らしている。カイは長剣を肩から下ろした。頭が空っぽになっている。なにもかも忘れている。すっかり抜け落ちている。はやく思い出さないと。
間合いを取る。両の手で柄を握る。右手は鍔側、左手は柄頭。右の腰に添える。右足を引く。
腰を入れて突いた。コートは手のひらで刀身をぶん殴った。化け物だ。剣が右に流れる。足がもつれる。
右足を広げて踏ん張った。転ばずに持ちこたえた。だが死んだ。
「おまえは弱い。長い剣をまったく扱えてない。いまさら稽古をしても無駄だ」
「もう一度お願いします」
だれかが首根っこをつかんで体を起こした。セルヴがのぞき込んで怒鳴った。
「おまえがいても邪魔になるだけだ。旅の連中と控えてろ」
「いやです。戦います」
「だったら死ぬ前にアデルに謝れ」
肩をつかんで突き飛ばした。振り向くとケッサの隣に立っていた。上目遣いでにらみつけてくる。馬上のベアが目の端に映った。小首をかしげてこちらを見つめている。赤い目を細めて乙女の微笑みをよこす。アデルと別れて。
あらためてアデルと向き合った。アデルはなにも変わっていない。いまだに自分の名すら読めない。読み書きなど学べばすぐに覚えるのに。稽古もしない。強くなりたいの、剣を教えてよ。いつも言うだけで次の日には忘れていた。あれだけ騎士になりたいとわめいていたのに数日後にはベアの侍女になっていた。ベアもわかっていたにちがいない。
どうしてこの女にこだわっているのだろう。好きなのはベアだ。ベアがどう思おうと。
とたんに心がほぐれた。
「乱暴なことをして悪かった」
「それだけなの」
「強いと思い込んでた。でも弱かった。この中でぼくがいちばん弱い。ここで死ぬかもしれないけど、戦士だから戦わないと」
アデルはにらみつづける。カイは許しを待った。
小さくうなずいた。今度は奇妙な目で見つめてきた。肌を合わせているときに見る目。なにかを問う眼差し。
セルヴが頭をぶったたいた。
「おれの教えが欲しいか。それともふてくされたまま死ぬか」
「教えをください。どうすれば大鬼に勝てますか」
「まず、ベアの真似はするな。百年はやい」
「はい」
「次。突きはたいていまっすぐに刺さらない。斜めに刺さると体が流れる。おまえは力が弱いからよけいにだ。ここをつかめ」
右手をつかんで刀身の中ほどに押しつけた。手袋を着けた手で刃を握る。
「ただ握るな。そのうち手がなくなるぞ。指の腹と手のひらで押さえつけるんだ」
「はい」
セルヴはいらついた様子で顎髭を掻いた。
「よし。素直になった褒美にひとつ、秘技を授ける。コート、相手役を頼む。首の右側が切れるから革を当てるんだ」
「おれを斬ったやつは一人もいない」
「ならいい。ケッサとアデルは弓隊をまとめてくれ。弓を持ってるやつは預けるんだ」
カイは秘技を授かった。裏刃で斬る。剣の線をずらす。線などはじめて聞いた。聞いていなかっただけかもしれない。教わったとおりに師匠の首を斬る。妙な体勢、妙な剣さばき。だがたしかに秘技だ。繰り返し練習する。何度も斬る。難しい。頭でわかっていても体がついてこない。食って寝るだけの豚はもうごめんだ。
時間がない。コートと再び対峙する。冒険者から借りた鉄の戦棍を握っている。鎚の部分はニンニクのような形をしている。大鬼の棍棒代わりだ。
カイは一礼した。ベアの真似はするな。右足を軽く出す。長剣を右に寝かせて顔の高さまで持ち上げる。
そのまま切っ先を敵に向ける。表刃が天を向いている。
コートは戦棍を真上から振り下ろした。馬鹿な大鬼に駆け引きはできない。弱い打撃はあり得ない。必ず強く打ってくる。
鉄の球根がごうと落ちる。カイは腰を入れて左に振り上げた。同時に右足で踏み込む。剣の線を左にずらす。線の先はコートの頭の右にある。振り上げながら両の腕を突き出す。根元で受けろ。
戦棍がぶち当たった。火花が散った。強烈な打撃。手を放すな。カイは右半身で受けきった。表刃を上にしたまま押し上げる。コートの力は強い。勢いそのままに押しつぶす。ちびの痩せっぽちを長剣ごとたたきつぶす。
コートが吼えた。裏刃の先が首の右側に当たっている。コートは押す。押せば押すほどおのれの首に食い込んでいく。おのれの怪力によって。
カイは思い切り剣を引き寄せた。左足を引く。振り下ろす。血が飛んだ。深く斬った。目の前を戦棍が落ちていく。右半身で振り下ろすとすでに右の腰に柄があった。立派な構えになっている。刀身を後ろに引いた愚者の構え。裏刃で斬れば剣を巻かずに二の矢を出せる。
ねじれた腰が力を蓄えている。解放しろ。左から袈裟に振り上げる。流れを切らずに蓄えた力。すべてをたたきつける。
セルヴが叫んだ。カイは表刃を胸板にぶち当てた。切り裂く。突き上げる。たしかな手応え。切っ先が天を突いた。大鬼の胸板がざっくりと切れている。片膝をついた。うずくまった。セルヴは叫びつづけている。鬼に勝った。ぼくは強い。
ケッサが駆け上がってくる。コートの名を呼んでいる。必死で。はじめて見る顔だ。いつもの笑みが消えている。
コートの前に膝をついた。虫歯に触れて首と胸に触れる。一瞬どこにいるのかわからなくなった。ケッサが必死な調子で話しかけている。
「都に着いてもあたしを守ってね。あたしの恋人、きっと牢屋で死んでる」
カイは息を吐き出した。長剣を手にしている。思い出した。秘技を授かった。コートを斬った。刃には一滴の血もついていない。
どうでもいい。剣を捨てて膝をついた。首も胸も癒えていた。だいじょうぶだ。カイは詫びた。殺した相手に詫びても仕方がないのだが。
コートが目を上げた。歯を剥き出して笑った。
「二度も斬ったな、小僧」
セルヴが背をこぶしでたたいた。革鎧がごんごんと鳴った。カイは立ち上がって師匠と向き合った。頭を下げて礼を言った。
顎髭を掻いた。戸惑っている様子だ。
「天与の才に勝るものなし、ってやつだな。教えればすぐ身に着ける。おまえは百姓の血じゃないよ。酒飲みの女好きの怠け者だが、百姓じゃない」
カイは刀身の中ほどをつかんだ。指の腹と手のひらで挟み込む。
「ここを握って突くんですね」
「そうだ」
刃の冷たさが手袋越しに伝わる。はじめて豚を殺したときも刀身を握っていた。剣の扱いなどひとつも覚えていなかった。ベアのように振りまわしていた。腕を上げたと思い込んで。それでも豚には勝てた。本当に強いかどうかは大鬼と戦えばわかる。
ベアが馬上でつぶやいた。
「恐ろしい魔物たち。でもわたしは、生きて聖地にたどり着かなければ。神の徴をわが国に取り戻さなければ!」
ケッサが笑いながら口の中に指を突っ込んでいる。カイは後ろを見た。丘の麓まで大勢の旅の者が控えている。土地と羊を捨てた男、夫を捨てた女、熱狂的に崇敬する娘。そして聖アントンの修道士が二人。異端の証を見つけ出そうと旅のあいだじゅうベアの周囲を嗅ぎまわっていた。
クロードが湖を見下ろしながら笑った。
「楽しくなりそうだ。若造にお裾分けするまでもないな」
カイは冒険者たちの背を見た。背嚢を外して身軽になっている。本気を出さなければ勝てないという証拠だ。セルヴは兜をかぶり直して革紐をしっかりと結んだ。ガモは頭を掻きながら左の森を見やっている。ボーモンは鞭のように腕をしならせては片手剣を振り下ろす。コートは戦斧を手に喉の奥でうなっている。
アデルが思い切ったように口をひらいた。
「弓を使いましょうよ。旅の人がいくつか持ってたの。こっちに来るまでにかなり撃てる」
カイは舌打ちしそうになった。素人の助言などだれも聞かない。
セルヴが言った。
「そうだな。一匹でも仕留めたら上等だ。やつらにも働いてもらうか」
こちらは丘の上に陣取っている。斜面で戦えば有利だ。だがわざわざおびき寄せる必要があるのか。引き返して別の道を行けばいいのではないか。
意見を言いかけると騎士ペルモンが後ろから声を上げた。
「弓など不要。一気呵成に駆け下り、まとめて蹴散らしてくれる」
セルヴが振り向いた。
「そうしてくれ。おれたちは高貴な戦いぶりを見物するよ」
冒険者たちが笑った。馬上の騎士は取り合わない。セルヴは手を振って騒ぎを制した。
「大事なのは勝つことだ。生きることだ」
「ちがう。勇敢さを示すことだ」
「らちがあかない。聖女様のご神託をうかがおう」
全員がベアを見る。ベアは薄いフードを下ろして天を仰いだ。カイは横顔を見上げた。小さく紅を乗せた唇がかすかにひらいている。修道士がいるので素顔に戻れずにいる。
「神は言われています。騎士の誇りは死してなお光り輝くもの。ペルモン殿、ジャーヴィン殿、先陣を切っていただけますか」
騎士二人はうなずいた。こうべを垂れて祈りの言葉をつぶやく。ジャーヴィンはなぜか涙を流していた。従士が長槍を手に主人の元に寄る。騎士は槍を受け取る。右胸の槍受けに固定する。ああして刺突の衝撃を体全体で受け止める。脇に挟んで持ち上げる。穂先を動かして調子を見る。
冒険者たちが左右に分かれた。リュシアンがいつの間にか騎士の後ろに立っていた。鵞鳥の羽根で馬の尻に文様を描いている。軍馬は戦の気配を感じ取ったのか興奮して前足を掻いている。
騎士二人がゆっくりと進み出る。ジャーヴィンが頬を濡らしながら呼ばわった。
「命がいかほどのものか。大義のために命を賭す、それこそが騎士の本分である」
ベアが大きく目をひらいた。結んだ唇が震えている。おもしろがっている。
拍車を当てた。馬が駆け出した。緑の丘を重々しく下っていく。冒険者たちが罵倒混じりの歓声を上げる。
みるみる大鬼の群れに迫っていく。さらに速く。さらに速く。カイは目を疑った。馬があんなに速く走れるわけがない。
リュシアンがセルヴに話しかけた。
「わたしはしばらく、動作から話しぶりに至るまでいらいらするほどのろくさくなります」
「そんなとこだろうと思ったよ」
大鬼が気づいた。瞬間、騎士二人が突き抜けていった。槍を受けた大鬼が吹き飛んだ。ゆっくりと地面に落ちる。騎士は異様な速さで反転した。再び突進する。大鬼は棍棒を手に群がる。数匹がはじけ飛んだ。騎士の一人が馬から落ちた。
カイは見物をやめた。大鬼はいずれ駆け上がってくる。百の大鬼だ。戦わなければ死ぬ。棍棒の一撃。頭が瓜のように砕ける。〈黒き心〉も死は癒やせない。死にたくない。
ひねくれた気持ちを無理やり押しのける。長剣を担いで冒険者たちの前にまわりこんだ。
コートの前に立った。久々に頭を下げる。
「お手合わせ願います」
「おれが鬼に見えるのか」
ケッサがくすくす笑った。
「せいぜいがんばって。腕がもげても治してあげるからさ」
いきなり頬を両手で挟んで口をふさいだ。舌が口の中でうごめく。小馬鹿にするように遊んでいる。この女は好きじゃない。
カイは無理やり引き剥がした。だれかが口笛を吹いた。
ケッサは唇を舐めた。
「あーあ、嫌われちゃった。でもごちそうさま」
ガモが先を見やりながら言った。
「よう、どっちかが死んだぜ。おれは森に行く。何人かついてきてくれ」
コートが振り返って背を向けた。冒険者を押し分けてのっそりと歩き出す。カイは神妙につづいた。ベアが横目で見ている。冒険者が何人かついてくる。セルヴは来ない。
丘の頂で立ち止まった。正対する。コートは屈んで戦斧を地面に置いた。丸腰で立ちはだかる。
「来い、小僧」
大鬼どもが遠くでわめき散らしている。カイは長剣を肩から下ろした。頭が空っぽになっている。なにもかも忘れている。すっかり抜け落ちている。はやく思い出さないと。
間合いを取る。両の手で柄を握る。右手は鍔側、左手は柄頭。右の腰に添える。右足を引く。
腰を入れて突いた。コートは手のひらで刀身をぶん殴った。化け物だ。剣が右に流れる。足がもつれる。
右足を広げて踏ん張った。転ばずに持ちこたえた。だが死んだ。
「おまえは弱い。長い剣をまったく扱えてない。いまさら稽古をしても無駄だ」
「もう一度お願いします」
だれかが首根っこをつかんで体を起こした。セルヴがのぞき込んで怒鳴った。
「おまえがいても邪魔になるだけだ。旅の連中と控えてろ」
「いやです。戦います」
「だったら死ぬ前にアデルに謝れ」
肩をつかんで突き飛ばした。振り向くとケッサの隣に立っていた。上目遣いでにらみつけてくる。馬上のベアが目の端に映った。小首をかしげてこちらを見つめている。赤い目を細めて乙女の微笑みをよこす。アデルと別れて。
あらためてアデルと向き合った。アデルはなにも変わっていない。いまだに自分の名すら読めない。読み書きなど学べばすぐに覚えるのに。稽古もしない。強くなりたいの、剣を教えてよ。いつも言うだけで次の日には忘れていた。あれだけ騎士になりたいとわめいていたのに数日後にはベアの侍女になっていた。ベアもわかっていたにちがいない。
どうしてこの女にこだわっているのだろう。好きなのはベアだ。ベアがどう思おうと。
とたんに心がほぐれた。
「乱暴なことをして悪かった」
「それだけなの」
「強いと思い込んでた。でも弱かった。この中でぼくがいちばん弱い。ここで死ぬかもしれないけど、戦士だから戦わないと」
アデルはにらみつづける。カイは許しを待った。
小さくうなずいた。今度は奇妙な目で見つめてきた。肌を合わせているときに見る目。なにかを問う眼差し。
セルヴが頭をぶったたいた。
「おれの教えが欲しいか。それともふてくされたまま死ぬか」
「教えをください。どうすれば大鬼に勝てますか」
「まず、ベアの真似はするな。百年はやい」
「はい」
「次。突きはたいていまっすぐに刺さらない。斜めに刺さると体が流れる。おまえは力が弱いからよけいにだ。ここをつかめ」
右手をつかんで刀身の中ほどに押しつけた。手袋を着けた手で刃を握る。
「ただ握るな。そのうち手がなくなるぞ。指の腹と手のひらで押さえつけるんだ」
「はい」
セルヴはいらついた様子で顎髭を掻いた。
「よし。素直になった褒美にひとつ、秘技を授ける。コート、相手役を頼む。首の右側が切れるから革を当てるんだ」
「おれを斬ったやつは一人もいない」
「ならいい。ケッサとアデルは弓隊をまとめてくれ。弓を持ってるやつは預けるんだ」
カイは秘技を授かった。裏刃で斬る。剣の線をずらす。線などはじめて聞いた。聞いていなかっただけかもしれない。教わったとおりに師匠の首を斬る。妙な体勢、妙な剣さばき。だがたしかに秘技だ。繰り返し練習する。何度も斬る。難しい。頭でわかっていても体がついてこない。食って寝るだけの豚はもうごめんだ。
時間がない。コートと再び対峙する。冒険者から借りた鉄の戦棍を握っている。鎚の部分はニンニクのような形をしている。大鬼の棍棒代わりだ。
カイは一礼した。ベアの真似はするな。右足を軽く出す。長剣を右に寝かせて顔の高さまで持ち上げる。
そのまま切っ先を敵に向ける。表刃が天を向いている。
コートは戦棍を真上から振り下ろした。馬鹿な大鬼に駆け引きはできない。弱い打撃はあり得ない。必ず強く打ってくる。
鉄の球根がごうと落ちる。カイは腰を入れて左に振り上げた。同時に右足で踏み込む。剣の線を左にずらす。線の先はコートの頭の右にある。振り上げながら両の腕を突き出す。根元で受けろ。
戦棍がぶち当たった。火花が散った。強烈な打撃。手を放すな。カイは右半身で受けきった。表刃を上にしたまま押し上げる。コートの力は強い。勢いそのままに押しつぶす。ちびの痩せっぽちを長剣ごとたたきつぶす。
コートが吼えた。裏刃の先が首の右側に当たっている。コートは押す。押せば押すほどおのれの首に食い込んでいく。おのれの怪力によって。
カイは思い切り剣を引き寄せた。左足を引く。振り下ろす。血が飛んだ。深く斬った。目の前を戦棍が落ちていく。右半身で振り下ろすとすでに右の腰に柄があった。立派な構えになっている。刀身を後ろに引いた愚者の構え。裏刃で斬れば剣を巻かずに二の矢を出せる。
ねじれた腰が力を蓄えている。解放しろ。左から袈裟に振り上げる。流れを切らずに蓄えた力。すべてをたたきつける。
セルヴが叫んだ。カイは表刃を胸板にぶち当てた。切り裂く。突き上げる。たしかな手応え。切っ先が天を突いた。大鬼の胸板がざっくりと切れている。片膝をついた。うずくまった。セルヴは叫びつづけている。鬼に勝った。ぼくは強い。
ケッサが駆け上がってくる。コートの名を呼んでいる。必死で。はじめて見る顔だ。いつもの笑みが消えている。
コートの前に膝をついた。虫歯に触れて首と胸に触れる。一瞬どこにいるのかわからなくなった。ケッサが必死な調子で話しかけている。
「都に着いてもあたしを守ってね。あたしの恋人、きっと牢屋で死んでる」
カイは息を吐き出した。長剣を手にしている。思い出した。秘技を授かった。コートを斬った。刃には一滴の血もついていない。
どうでもいい。剣を捨てて膝をついた。首も胸も癒えていた。だいじょうぶだ。カイは詫びた。殺した相手に詫びても仕方がないのだが。
コートが目を上げた。歯を剥き出して笑った。
「二度も斬ったな、小僧」
セルヴが背をこぶしでたたいた。革鎧がごんごんと鳴った。カイは立ち上がって師匠と向き合った。頭を下げて礼を言った。
顎髭を掻いた。戸惑っている様子だ。
「天与の才に勝るものなし、ってやつだな。教えればすぐ身に着ける。おまえは百姓の血じゃないよ。酒飲みの女好きの怠け者だが、百姓じゃない」
カイは刀身の中ほどをつかんだ。指の腹と手のひらで挟み込む。
「ここを握って突くんですね」
「そうだ」
刃の冷たさが手袋越しに伝わる。はじめて豚を殺したときも刀身を握っていた。剣の扱いなどひとつも覚えていなかった。ベアのように振りまわしていた。腕を上げたと思い込んで。それでも豚には勝てた。本当に強いかどうかは大鬼と戦えばわかる。
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