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戦う理由
第2話
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ヨアニスは軍とともに帰還した。魔物討伐は一月かかった。皇帝イサンはヨアニスを大隊長に任命した。贈り物が効いた。ほかの隊長どもは政治を知らない。
巣は結局見つからなかった。北の海峡を越えてヴァリアの地に入ると大軍に出くわした。隊長が二名死んだ。緑の巨人は強力だったがとにもかくにも勝利した。ムーラーの癒やしが士気を高めてくれた。
葬儀の翌日、皇帝が宮殿に呼びつけた。
回廊を突っ切って庭に出る。見渡すかぎりの白。砂をまいた大地は強い陽を受けて焼け焦げんばかりだ。ぐるりと囲む回廊の柱は緑、アーチには黄と赤の幕が垂れている。左手にはこんもりとした木々がのぞく。奥には聖使徒教会堂の丸屋根がそびえている。
正面の門に向かって歩く。人払いをしたようだ。汗の浮いた坊主頭をなでる。皇帝は庭の中央にいる。周囲を赤い絨毯が彩っている。革の草履が白砂を噛む。
絨毯の手前に裸の男がひざまずいている。刑吏が両脇に二人。書記官が卓に着いて書きものをしている。裁判をしている。罪人はピレスのネミツィ。蛮族と同盟を結んで謀反を企てた。本当かどうかは知らない。法の網にかかるのは愚か者だけだ。
皇帝が手を上げた。刑吏が振り返る。ヨアニスは生白い背を横目に見ながら通り過ぎた。
絨毯を踏む。皇帝が女のような顔で見つめる。金と白で盛装している。豪奢な金の椅子に収まっている。かたわらにはアンナが立っている。
御前に立つ。アンナがにらみつけてくる。
「娘と話せ。わたしは幸福な結婚を望む」
ヨアニスは頭を下げた。アンナに正面を向ける。年は十三。茶色の巻毛を胸に垂らしている。切れ長の目にぽってりした赤い唇、深い襟ぐりからのぞく豊かな乳。見た目どおり気が強い。それに愚かだ。
連れ立って皇帝の元を離れた。宮殿につづく前室に向かう。
「わたしが好きではないのでしょう? 婚姻は、おのれの出世のため」
「出世のためでもありますが、あなた様を愛してもおります」
「あなたは瞳も抱擁もすごく冷たい。彫像を抱くようなものよ。愛を証明できる?」
「わたしは戦士です。手には鋼鉄の手触りが、唇には血の味がいたします。真の男だからです。まことの愛はかように表には出てこないもの。愛を語る男は嘘つきか詐欺師です」
アンナは考え込んだ。難しすぎたか。まったく魅力を感じない。将来を思い浮かべる。男子をつくって立派な戦士に鍛え上げる。ともに戦に出る。楽しいだろう。それなりに。
ヨアニスは阿呆に語りかけるように言った。
「どのような館をお望みですか。きれいな布で飾りましょう。たくさんの宝石をちりばめましょう。奴隷をたくさん従え、ご友人を呼び、日々楽しく暮らしましょう」
「わたしは愛が欲しいのよ」
ヨアニスは思った。わたしも欲しい。
ヌーヴィルを発つ。カイはセルヴと鎧屋を見てまわった。最新流行の胴鎧は銀貨百五十枚。鎧を着けた男が店先でとんぼ返りをしていた。軽くて丈夫、若者に最適だよ。セルヴは中古屋を探していた。都では銀貨一枚でどうにか三日暮らせるらしい。たしかに百五十は高すぎる。
「略奪するんですか、本当に」
「おれをなんだと思ってる。野武士の冒険者だ。やくざだ。言っておくがおまえもだぞ。騎士道だなんだはこれっきりにするんだ」
中古屋で目当ての手袋を見つけた。編んだ鎖の輪が手のひら側に埋め込んである。これで刀身をつかんでもずたずたにならずに済む。銀貨三十枚。高いので右手のぶんだけ買った。
セルヴが店の奥から革鎧を引っ張り出してきた。肩から二の腕までを覆う型で、着けてみると体にしっくりきた。肩もまわせるしずっと軽い。見目もいい。銀貨四十枚。いまなら新品の脚絆をおつけしますが。こいつを買おう。武器屋の紹介は断った。相棒はいまだに刃こぼれひとつしていない。手放すなどあり得ない。
セルヴが鉄兜を抱えて戻ってきた。掻き傷だらけで不細工だ。てっぺんから馬の尻尾のような房が生えている。
「東方の兜だ。こいつをかぶれ。頭をやられたら一発だぞ」
「かぶると耳が利かなくなるんですよ」
無理やりかぶせた。かいがいしく革紐を結ぶ。鎧屋の徒弟がカイを見るなり吹き出した。
旅籠を引き払った。冒険者三人が隊を離れた。古株は全員残った。都の民は当然ついてこない。加わったのはエミリーという名の男だけだった。太った体にぴかぴかの背嚢を背負っていた。金持ち坊っちゃんの道楽だろう。すぐに音を上げて引き返すにちがいない。
王の道を日暮れまで歩いた。宿駅の主人は金の髪をした外国人だった。宿泊者から商人までぜんぶ追い払った。食い物を集めて勝手に厨房で料理した。あり合わせの野菜と羊肉を大鍋で煮込む。貴重な生姜をたっぷり入れる。うまくて何度もおかわりした。パンは白、酒も上等。柔らかいチーズをつまみに飲んだ。ベアは楽しそうにしていた。浮かれて騒いで飲みまくっていた。酔いがまわってくるとセルヴもいつもの調子に戻った。嘘、略奪、〈黒き心〉。どうでもよくなるまで飲んだ。明日には仲直りしているかもしれない。
寝室には寝台が十二しかなかった。見張りも立てずに雑魚寝した。カイはベアと同じ寝台で寝た。薄い布団をかけて、互いに背を向けて。ときおりベアがもぞついた。尻が、背が触れた。温かかった。胸が鳴って眠れなかった。
だれかが揺すった。カイは目を開けた。
アデルが見つめていた。しゃがんでいる。冒険者の高いびきが聞こえる。
「ケッサとセルヴが河原で遊んでた。わたしたちも行きましょうよ」
頭がはっきりしない。酔いがたっぷりと残っている。闇に幼い顔が浮かんでいる。豚は近寄らないでね。あんたはくさいんだから。やめようと言ったのはアデルのほうだ。しばらく女を抱いていない。
ベアの背がどすんとぶつかってきた。腕がこめかみに落ちた。寝相が悪い。
そっと腕を取って下ろす。乱れた布団をかけ直す。アデルの目がかすかに光っている。カイは後ろ手でこっそりベアの腕をなでた。手首の膨らんだ骨、手の甲。ベアが握り返してきた。指が絡み合う。胸が苦しくなった。苦しさが心地よかった。
カイはアデルにささやいた。
「友達になら、なれると思う。そういえば、互いになにも知らないままだった」
アデルは唇を噛んだ。すっと鼻で息を吸った。
「だめよ。わたし、あんたが心配なの。あんたは身のほど知らずの恋をしてる。ベアは愛するふりをしてるだけ。騙してるのよ。主人のために戦って、死ぬまで」
「どうしてわかるんだ」
「友達だなんて言わないで。死んでほしくない。あんたが好きなの」
寝台に潜り込んできた。女が挟み込む。ベアはさりげなく端に寄った。アデルが抱き締める。湿った柔肌が貼りつく。泣き顔が蘇る。かすかに欲望も。
「くっつけば狭くなくなるよね。河原がいやなら、ここで遊ぼう。わたしを見て」
細い手が下に伸びる。まさぐる。勝手に硬くなる。アデルは様子がおかしい。
ふたりの熱で息苦しい。アデルの酸っぱい体臭を嗅ぐ。カイも応えた。吐息に興奮が入り交じる。
ベアの手が離れた。
巣は結局見つからなかった。北の海峡を越えてヴァリアの地に入ると大軍に出くわした。隊長が二名死んだ。緑の巨人は強力だったがとにもかくにも勝利した。ムーラーの癒やしが士気を高めてくれた。
葬儀の翌日、皇帝が宮殿に呼びつけた。
回廊を突っ切って庭に出る。見渡すかぎりの白。砂をまいた大地は強い陽を受けて焼け焦げんばかりだ。ぐるりと囲む回廊の柱は緑、アーチには黄と赤の幕が垂れている。左手にはこんもりとした木々がのぞく。奥には聖使徒教会堂の丸屋根がそびえている。
正面の門に向かって歩く。人払いをしたようだ。汗の浮いた坊主頭をなでる。皇帝は庭の中央にいる。周囲を赤い絨毯が彩っている。革の草履が白砂を噛む。
絨毯の手前に裸の男がひざまずいている。刑吏が両脇に二人。書記官が卓に着いて書きものをしている。裁判をしている。罪人はピレスのネミツィ。蛮族と同盟を結んで謀反を企てた。本当かどうかは知らない。法の網にかかるのは愚か者だけだ。
皇帝が手を上げた。刑吏が振り返る。ヨアニスは生白い背を横目に見ながら通り過ぎた。
絨毯を踏む。皇帝が女のような顔で見つめる。金と白で盛装している。豪奢な金の椅子に収まっている。かたわらにはアンナが立っている。
御前に立つ。アンナがにらみつけてくる。
「娘と話せ。わたしは幸福な結婚を望む」
ヨアニスは頭を下げた。アンナに正面を向ける。年は十三。茶色の巻毛を胸に垂らしている。切れ長の目にぽってりした赤い唇、深い襟ぐりからのぞく豊かな乳。見た目どおり気が強い。それに愚かだ。
連れ立って皇帝の元を離れた。宮殿につづく前室に向かう。
「わたしが好きではないのでしょう? 婚姻は、おのれの出世のため」
「出世のためでもありますが、あなた様を愛してもおります」
「あなたは瞳も抱擁もすごく冷たい。彫像を抱くようなものよ。愛を証明できる?」
「わたしは戦士です。手には鋼鉄の手触りが、唇には血の味がいたします。真の男だからです。まことの愛はかように表には出てこないもの。愛を語る男は嘘つきか詐欺師です」
アンナは考え込んだ。難しすぎたか。まったく魅力を感じない。将来を思い浮かべる。男子をつくって立派な戦士に鍛え上げる。ともに戦に出る。楽しいだろう。それなりに。
ヨアニスは阿呆に語りかけるように言った。
「どのような館をお望みですか。きれいな布で飾りましょう。たくさんの宝石をちりばめましょう。奴隷をたくさん従え、ご友人を呼び、日々楽しく暮らしましょう」
「わたしは愛が欲しいのよ」
ヨアニスは思った。わたしも欲しい。
ヌーヴィルを発つ。カイはセルヴと鎧屋を見てまわった。最新流行の胴鎧は銀貨百五十枚。鎧を着けた男が店先でとんぼ返りをしていた。軽くて丈夫、若者に最適だよ。セルヴは中古屋を探していた。都では銀貨一枚でどうにか三日暮らせるらしい。たしかに百五十は高すぎる。
「略奪するんですか、本当に」
「おれをなんだと思ってる。野武士の冒険者だ。やくざだ。言っておくがおまえもだぞ。騎士道だなんだはこれっきりにするんだ」
中古屋で目当ての手袋を見つけた。編んだ鎖の輪が手のひら側に埋め込んである。これで刀身をつかんでもずたずたにならずに済む。銀貨三十枚。高いので右手のぶんだけ買った。
セルヴが店の奥から革鎧を引っ張り出してきた。肩から二の腕までを覆う型で、着けてみると体にしっくりきた。肩もまわせるしずっと軽い。見目もいい。銀貨四十枚。いまなら新品の脚絆をおつけしますが。こいつを買おう。武器屋の紹介は断った。相棒はいまだに刃こぼれひとつしていない。手放すなどあり得ない。
セルヴが鉄兜を抱えて戻ってきた。掻き傷だらけで不細工だ。てっぺんから馬の尻尾のような房が生えている。
「東方の兜だ。こいつをかぶれ。頭をやられたら一発だぞ」
「かぶると耳が利かなくなるんですよ」
無理やりかぶせた。かいがいしく革紐を結ぶ。鎧屋の徒弟がカイを見るなり吹き出した。
旅籠を引き払った。冒険者三人が隊を離れた。古株は全員残った。都の民は当然ついてこない。加わったのはエミリーという名の男だけだった。太った体にぴかぴかの背嚢を背負っていた。金持ち坊っちゃんの道楽だろう。すぐに音を上げて引き返すにちがいない。
王の道を日暮れまで歩いた。宿駅の主人は金の髪をした外国人だった。宿泊者から商人までぜんぶ追い払った。食い物を集めて勝手に厨房で料理した。あり合わせの野菜と羊肉を大鍋で煮込む。貴重な生姜をたっぷり入れる。うまくて何度もおかわりした。パンは白、酒も上等。柔らかいチーズをつまみに飲んだ。ベアは楽しそうにしていた。浮かれて騒いで飲みまくっていた。酔いがまわってくるとセルヴもいつもの調子に戻った。嘘、略奪、〈黒き心〉。どうでもよくなるまで飲んだ。明日には仲直りしているかもしれない。
寝室には寝台が十二しかなかった。見張りも立てずに雑魚寝した。カイはベアと同じ寝台で寝た。薄い布団をかけて、互いに背を向けて。ときおりベアがもぞついた。尻が、背が触れた。温かかった。胸が鳴って眠れなかった。
だれかが揺すった。カイは目を開けた。
アデルが見つめていた。しゃがんでいる。冒険者の高いびきが聞こえる。
「ケッサとセルヴが河原で遊んでた。わたしたちも行きましょうよ」
頭がはっきりしない。酔いがたっぷりと残っている。闇に幼い顔が浮かんでいる。豚は近寄らないでね。あんたはくさいんだから。やめようと言ったのはアデルのほうだ。しばらく女を抱いていない。
ベアの背がどすんとぶつかってきた。腕がこめかみに落ちた。寝相が悪い。
そっと腕を取って下ろす。乱れた布団をかけ直す。アデルの目がかすかに光っている。カイは後ろ手でこっそりベアの腕をなでた。手首の膨らんだ骨、手の甲。ベアが握り返してきた。指が絡み合う。胸が苦しくなった。苦しさが心地よかった。
カイはアデルにささやいた。
「友達になら、なれると思う。そういえば、互いになにも知らないままだった」
アデルは唇を噛んだ。すっと鼻で息を吸った。
「だめよ。わたし、あんたが心配なの。あんたは身のほど知らずの恋をしてる。ベアは愛するふりをしてるだけ。騙してるのよ。主人のために戦って、死ぬまで」
「どうしてわかるんだ」
「友達だなんて言わないで。死んでほしくない。あんたが好きなの」
寝台に潜り込んできた。女が挟み込む。ベアはさりげなく端に寄った。アデルが抱き締める。湿った柔肌が貼りつく。泣き顔が蘇る。かすかに欲望も。
「くっつけば狭くなくなるよね。河原がいやなら、ここで遊ぼう。わたしを見て」
細い手が下に伸びる。まさぐる。勝手に硬くなる。アデルは様子がおかしい。
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