Blackheart

高塚イツキ

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戦う理由

第3話

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 王の道を外れて王の草地に入った。木陰で昼飯を食う。柵を越えるのは御法度だが王の法律などどうでもいい。
 山羊の背から荷を下ろす。めいめい飯の支度をはじめる。カイは燻製のあばら肉を牧草の上に置いた。あぐらをかいて小刀で切る。宿駅でぶんどってきた。冷えたままでもじゅうぶんうまい。緑の大地に気持ちのいい風が吹き抜けた。旅の者に坊さん、商人に荷車。話しながらのんびりと道を歩いている。
 木板を抱えて輪に入った。セルヴは白パンをブドウ酒でふやかして食っていた。ケッサは腫れ上がった顎を毛皮の襟で隠している。あれから笑わなくなった。カイはひたすらあばら肉にかぶりついた。酒で流し込む。もっと太くなりたい。ベアは離れたところで愛馬に王の草を食わせている。山羊も好き勝手にうろついている。そのうち兵士がやってくるかもしれない。
 アデルが隣にしゃがんだ。股引を腕にかけている。
「膝が抜けてる。継ぎを当てるから着替えて」
 カイは膝を見た。ずっと前から破けている。出立の前には鎧下の詰め物を抜いてくれた。
「世話を焼いても、気持ちは変わらない」
「変わらなくてもいい。あんたと一緒にいたいだけ」
「ぼくの召使いになりたいのか」
 セルヴが指をさして言った。
「そんな口を利くな。おまえの想いはみんな知ってる。だがベアは愛するふりをしてるだけだ。おまえを騙してるんだよ。美しい顔とやらで愛をささやけば、おまえみたいな小僧はその気になって戦うからな。死ぬまでおまえを利用する腹だ」
 カイは椀を下ろした。昨日のアデルと同じことを言っている。
「師匠だってそうだ」
「ひと儲けしたらカサに帰るぞ。略奪はな、飯どきを狙うのが基本なんだ。いい町を見つけたら開門まで待って、一気に襲いかかる。うちの近くに家を買えよ。楽しくやろう」
「ぼくは東に行きます。ひとりになっても」
「馬鹿を言うな。盗み出せるわけがないだろう。いいかげん夢から覚めろ」
 ケッサがもごもごと言った。
「立派な騎士様だよね。絶対手に入らないのに命懸けで戦おうとしてる。かわいそすぎて抱き締めてあげたいんだけど、この顔だからやめとくね」
 アデルが股引を胸に押しつけた。カイはベアを見た。馬をなでている。愛し合っている。目を見、触れればわかること。今日は一度も話していない。もう恋人を演じる必要がないから。劇が終わったから。ちがう。昨日の晩、手を握り合った。愛しているからだ。身分ちがいでもない。フラニアの副伯と城代の落とし子。二人は愛し合う。結婚する。
 アデルを見たとたん力が抜けた。思わず笑いそうになった。なにがグリニーのカインだ。あなたが好きになった。アデルと別れて。小僧がその気になっていた。策を弄して無事ヌーヴィルを出た。役目は果たした。愛しのカイン様はもう用なし。
 股引を受け取った。アデルは薄く笑った。

 飯を終えて道に戻った。アデルと並んで歩く。ときおり手が触れる。馬上のベアを見やる。クロードとボーモンがそばについている。真剣な様子で話し合っている。カイン様は用なし。
「帰ろうか」
 笑顔がひらめいた。目尻に涙がにじんだ。本気で心配してくれている。
「よかった。ずっと一緒に暮らしましょうね。カサで家を買うの? そしたら最高ね。外人だらけで、ちょっと怖いところだけど」
「師匠がいるからだいじょうぶだ」
「贅沢なんかしないから心配しないで。あんたがいるだけでいいの。料理を覚えなきゃ。庭で野菜を育てて、それから」
 ガモが言った。
「おい、豚」
 カイは振り返った。エミリーが弱々しく笑いながらガモを見上げている。
「なんですか」
「おまえ、なんか怪しいな」
「そうですか」
「宿駅を襲うのはな、とっても悪いことなんだぜ。お坊ちゃま学校で習ったろ」
「強い者が得るんです。それが世というものです」
「白豚くんが言うねえ。女も知らねえくせによ」
 リュシアンが後ろからエミリーに触れた。エミリーはぎょっと振り返った。リュシアンは空を見上げている。
「寒いですね」
「はい。そうですね」
「風も強い」
 細い指で肩を揉みはじめた。エミリーはびくついている。なにをおびえているのだろう。
 日暮れ前にまた宿駅を見つけた。略奪団の噂はすでに聞こえていた。貸し馬から家畜の一匹まできれいに消えていた。残っている食い物をかき集めた。酒宴もそこそこに寝た。
 アデルと眠る。ベアは誘ってこなかった。抱き合ってまどろむ。剣の腕でカネを稼ぐ。アデルに、師匠もいる。いや、友達か。カイは笑った。どっちも口うるさいな。
 深く息を吐いた。悪くない。旅は終わったようだ。邦に帰ろう。もう夢は見ずに。

 三日目の晩、王の道が終わった。
 石の足台が里程標を丸く取り囲んでいる。なじみのでこぼこ道がこんもりとした木々の向こうに消えている。闇の奥に大きな建物が潜んでいる。明かりはほとんどない。ひとけもない。冷たい風に枝葉がざわめく。梟がわびしげに鳴いている。
 セルヴが建物を見上げながら顎髭を掻いた。
「でかい宿駅のようだな。またもぬけの殻か。もしくは待ち構えてるのか」
 戦棍使いのブールが悲鳴のような声を上げた。
「もう略奪はよそう。すでに王のお尋ね者だ。森で暮らす羽目になるぞ」
「東にリシェって町がある。里程標によるとだが。リュシアン、知ってるか」
「貿易商の要衝。あきれるほど小さな町です。西は囲壁、東は川が守っている。略奪には反対ですが、聖都に向かうには必ず通らなければならない」
「商人の町か。根こそぎ奪って、そこで解散だ。みんないいな?」
 数人が声を上げた。ブールがさらに訴える。
「王の軍はすぐに来るぞ。籠城でもするのか。兵糧攻めのあげく、皆殺しだ」
「ケッサの顔を見ろ。おれは王に復讐するんだ。軍だろうがなんだろうが蹴散らしてやる」
「おれは関係ない」
「だったら帰れよ。なんでついてくる」
 ベアが馬をまわして振り返った。冒険者たちに告げる。
「まさにここは分かれ道。今晩はできるだけおとなしく宿に泊まる。明朝、めいめい好きなほうに行く。わたしは聖都に向かう。たとえひとりになろうと」
 冒険者たちは黙っている。カイは思い切って口をひらいた。
「ぼくも好きにしていいんですか」
 みなが目を向ける。ベアは答えた。
「好きにしろ。つまり愛するわたしを守る。愛の力で敵を討つ。死がふたりを分かつまで」
 そこここでひっそりとした笑い声が上がった。ふざけるのもいいかげんにしろ。
「もう演技はしなくていい」
「では本気で愛し合うか。アデル、わたしの恋人から離れろ。それの頭を乱すな」
 アデルはカイの腕を取って絡めた。
「いやよ。あんたこそ騙してる。愛だなんだと言って、死ぬまで戦わせるつもりなのよ」
「口の利き方に気をつけろ。わたしは副伯、おまえは百姓の娘だ」
「もうあんたの侍女でもなんでもない。ひとりになってでも行くんでしょ? だれもついていかないんだからね」
 リュシアンが進み出た。ベアのかたわらに立って見上げた。
「お二人の諍いは、明らかに不自然です。外からの力が働いている。魔法か、新たな魔物か。詳しくはまだわかりませんが」
「そうか。なら魔法でどうにかしろ。わたしの怒りを鎮めてくれ」
 リュシアンは腰の小箱に手を当てた。しばらく考えたあと言った。
「わたしのかんちがいかもしれません。今夜は大いに酒を飲み、楽しくやりましょう。つまり、悪い熱を出すのです」
「そんな養生なら大歓迎だ。宿に入ろう。アデルにはもう一度言う。わが愛するカイン殿から手を離せ。脅しだけでは済まなくなるぞ」
 アデルがすがりついてきた。必死な様子で見上げる。
「カサで暮らしましょうね。のんびり楽しく生きていきましょう。これまでのことはぜんぶ忘れて。ね?」
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