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第四章  ざわめく水面~朴念仁と二人の少女~

第十七話  強さを求める理由

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 偽りの大地から伝わってくる冷たさが、火照った背中を冷やしている。

 仰向けに倒れ、はげしく肩で息をしながら、ダーンは途切れそうになる意識をつなぎ止めていた。

「なかなか頑張るようになったね。でもねダーン、ボクはまだその気になっていないよ、さあ立ちたまえ」

 レイピアをげながら、くすんだ金髪、人を小馬鹿にしたようなメイクの道化師が言う。

 その台詞に苛立ちを覚えながら、ダーンは立ち上がった。

 既に足腰に力が入らず、膝は自分のものと認識できないほどに完全に笑ってしまっている。

 正中に構える自分の剣が、普段の何倍も重い気がした。


 魔法剣士ケーニッヒ・ミューゼルとの剣の稽古を開始して二時間程度。

 ダーンはもう何度大地に這いつくばったかわからない。

 ケーニッヒの剣は、高速刺突と横薙ぎや逆袈裟の斬撃を組み合わせたもので、軽い刃が抜群の切れ味をもってこちらを追い込んでくる。

 これが実戦であったなら、何度殺されていることか……。

 さらに、魔法剣士と名乗っただけあって、けんげきに不可解な超常が織り交ぜられている。

 剣の迫る速度が急に加速したり、相手との間合いがいきなり詰まったりと、その太刀筋が全く予測できない。

 また、彼の使う固有時間加速クロツク・アクセルにあっても、その加速自体が速い上に持続時間もダーンの何倍もあるのだから、全くもって勝負にならないのだ。

 一応、斬撃の威力自体は軽いようだが、どうも手加減されている気がする。


――くっ……いつまでも好きにやらせない。


 ダーンは崩れそうになる足腰に闘気を送り込み、全身を奮い立たせる。

 膨大な闘気が一瞬ダーンの肉体から立ち上った。

 それを見て、道化師が口笛を鳴らす。

「いいね……。ここにきてそれだけの底力……やはり、君は『彼女』のいうとおり《闘神王》なのかな。まったく、ゾクゾクしてくるね……本気になってしまいそうだよ」

 一人ごとのように小さく言って、うすら笑うケーニッヒに、ダーンはその蒼穹の瞳に闘志をたぎらせ、刺すような鋭い視線を送る。


――いい目だ……それに、なんて心地よい《剣気》だ。あははッ……もう『合格』出してもいいんじゃないかと思ったけど、もっと君の底力を見てみたいよ。


 口の端を愉悦に歪ませた道化師は、その手にしたレイピアに伝う闘気をより濃くしていった。




     ☆




 蒼髪の剣士とくすんだ金髪の道化師。

 二人の剣が何度もぶつかり合い、具象結界で作られた世界に金属の轟音が鳴り響き続ける。

 道化師――――ケーニッヒは、ダーンの剣戟に合わせて、先程よりも鋭く、先程よりも重くといった風に、徐々に剣戟の威力を上げていく。

 この稽古が始まって以来、彼はそうやってダーンを倒してきた。

 少しだけ、背筋に冷たいものが流れる感覚の中、目の前の蒼髪の剣士が立ち上がる度に強くなっていくのに合わせていくのだ。

 もう数え切れないくらい何度も繰り返したことだが、今もお互いの刃同士がぶつかり、そこに込められた闘気同士がはじけ合う轟音が鼓膜を打つ。


 だが、それは遂に先程とは違う感触を道化師の右手に与えていた。



 ケーニッヒはせんりつえつを混ぜ合わせた表情で、自らの弾かれた銀閃を見ていた。

 せつ、目の前に迫る、淡く光る白刃に対して左腕のとつに防御に回し、慌てて後ろに飛ぶ。

 衝撃をなるべく後方に逸らしつつ、それでも実戦ならば左腕が切り落とされていただろう衝撃。

「うわー……ビックリした」

 ついケーニッヒから漏れた感嘆の言葉。
 
 ダーンの動きや剣戟が、ケーニッヒの予測を超えていたのだ。


 彼は立ち上がる度に強くなると思っていたが……それだけではない。

 目の前の蒼髪の剣士は、その強さが増す加速度すら上昇していくのか?

 背中にゾクゾクとした感覚を抱きつつ、さらに鋭く重い闘神剣の連撃をレイピアで受け流すケーニッヒ。

 今度は、一撃一撃を受け流す度に、その剣戟の鋭さが増していくではないか。

 それでも、ケーニッヒにとって、今この瞬間のダーン・エリンの剣戟は、自分の実力を超えるものではない。

 本気を出せば、あっという間に地を這いつくばるのはダーンの方だ。

 しかし、ケーニッヒは今ダーンの剣戟に防戦一方になっていた。

 それは、その剣戟に彼の理解が追いつかなかったからだ。

――なんだ? どうして君はこれ程までに強さを加速させられるのか……。

 相手の剣戟を理解するために、拮抗する力でそれを受けようとするケーニッヒだが、受ける度に予想を超える力の剣戟がきてしまい、対処に精一杯になってしまう。

 ならばと、相手の剣戟よりもいくらか上の一撃で応じれば、柔らかい布を叩くかのような感覚。

 けいりゆうに流れる木の葉が岩をかわすかのように、こちらの一撃が淡く輝く刃に逸らされてしまう。

 力が乗っていた分、こちらの体勢が崩されてしまい、慌てて引き戻そうとしたところに、ダーンの強烈な一撃が迫ってきて、やはり防戦一方となった。 



 一方、ダーンは自身の奥底から沸き上がってくる膨大な量の闘気を、サイキックでコントロールし洗練することに四苦八苦していた。

 今回の稽古で、ダーンの剣戟が加速度的に強くなっていくことに最も戸惑っていたのは、実は当の本人だった。

 先程までとてつもなく重く感じていた自分の剣が羽根のように軽い。
 身体の奥底からは無尽蔵に闘気が沸き上がってくる。
 加速した固有時間はもはや日常的に感じるほどに、その加速の維持がやすくなっていた。


――どうしたんだろう……


 これはしばらく前に灼髪しやくはつの天使長、カリアス・エリンに鍛えてもらったとき以上に、稽古の成果を感じている。

 単純に、今剣を切り結んでいる相手、ケーニッヒとの相性の問題なのか?

 そう考えて、一瞬、ケーニッヒの「ボクの愛の虜に」とかいう台詞を思い出し、鳥肌が立つ思いを抱き、かぶりを振る。

 その隙を突いて、ケーニッヒの渾身の一撃が、ダーンを後方へと吹き飛ばしていた。




     ☆




 一瞬の隙を突かれ後方にはじき飛ばされたダーンだったが、すぐに飛び起きて姿勢を低くし、再び剣の間合いに飛び込もうとするが――――

 そのダーンの視界に、剣を提げ左手でこちらを静止する仕草のケーニッヒが映り込む。

「そろそろ、いいにしようじゃないか。これ以上やると、お互い疲弊しすぎてしまうだろうし、正直ボクの方はお腹一杯さ」

 ケーニッヒは茶化して言うと、レイピアを鞘に収めた。

「もう少し付き合ってもらえれば、その余裕ぶりに一泡吹かせてやれたんだがな……」

 ぶっきらぼうに言い、ダーンも長剣を鞘に収める。

「いやいや、もうとっくに一泡吹いてるってば……実戦だったら、ボクはこの場で片腕だったよ」

「それを言うなら、俺なんか墓の下だ」

「確かに……仮定の話は無駄だったね。あ、そうだ」

 肩を竦める仕草のあと、道化師姿の男は一度後ろを振り返り、短い異国の言葉を口にする。

 その言葉は、異界の力ある言葉《ルーン》だったが、瞬間、道化師の身体全体が金色に淡く輝き、その輝きに目を細めるダーン。

 輝きが消えると、くすんでいた金髪は豪奢な輝きを得て、緩やかな波状の金色は背中まで伸び、やはり襟元で一つに束ねられていた。

 優雅に振り返りつつこちらに一礼をすると、彼はにこやかな表情のまま再度名乗りはじめた。

「アーク王家の客人魔法剣士、ケーニッヒ・ミューゼルだ……今後ともよろしく頼むよダーン・エリン」

 その顔は、けったいな道化師のメイクはなく、眉目秀麗な若い男のものであった。

「それが、アンタの本当の顔って訳か、色男?」

「そのとおりさ。結構男前だろう? なんならもっと近付いてみるかい」

 愛嬌を込めてウインクを飛ばしてくるケーニッヒだが――――

「いい、遠慮しておく。というか、俺にそんな趣味はない」

 ダーンの拒絶に、本気か冗談か、ケーニッヒが肩を落として残念がる。

「まあ、お互いの距離は段々に近づけて関係を深めることとして……。さてダーン、ボクの素顔をさらしたところで、一つ尋ねておきたいんだが、いいかな」

 気を取り直してといった風に、軽いノリで尋ねてくるケーニッヒに、ダーンは半目で見ながら、

「別に、アンタの素顔にそれほど興味があったわけじゃないが……何が聞きたいんだ?」

「あははは……容赦ないなー……っと、まずは質問、君、どうしてそんなにポンポン強くなっていけるんだい?」

「知らないな……確かに随分と腕を上げてきた自覚はあるんだが……まあ、いい闘い相手に恵まれているんだろう。アンタも含めてね」

 不敵に笑って、ダーンはケーニッヒを見やれば、彼は美しい金の前髪を軽く手で払いのけつつ、

「おおっと……その点はボクも認められているようで嬉しいね。それじゃあ、質問を変えよう。君は、どうしてそんなに強さを求めるんだい?」

「それはまた……藪から棒に聞いてきたにしては単純だな。俺は剣士なんだぜ、誰よりも強くありたいって望むのは不思議なことか?」

「そうだな……聞き方が悪かったね。強さを求めるというよりも、何故そんなに焦っているのかということだよ。君は今のままでも充分強いし、これからもどんどん強くなる。だが、今の君の成長速度は異常だ。それは君がそういう異常性を求めているからでもあるんだろう。そこまでしなくても、『彼女』は君を認めているだろうに……」

 ケーニッヒは言葉の途中で浮かべていた薄笑いを消していた。
 鋭いアイスブルーの視線が、ダーンの蒼穹の瞳を見通している。

「……道化師のくせになかなか鋭いじゃないか。でも、確かに焦っているかもな、俺は。一人どうしても勝たなければならない相手もいるしな」

 ダーンは簡単にこれまでの経緯と銀髪の女剣士ルナフィスとの一騎打ちについて説明する。
 
 ダーンの話に聞き入っていたケーニッヒは、軽く溜め息を吐き、

「ダーン、その娘はきっと……」

 と、ケーニッヒの言葉をダーンが手を上げて遮る。

「わかっている……それに、『彼女』のこともだ……。俺が不甲斐ないばかりに、辛い思いをさせてきているんだ。だから……」

 俯き、ダーンは言葉を止めた。
 その瞳に陰りが差すのを、金髪の剣士は見逃さなかった。

「ここまできたら、全部話してくれないか? ネタばらしをするとね、ボクは『彼女』の妹君から君のことを見定めてくれと依頼されている。だが、君の剣を受けて依頼云々よりも君のことが気になり始めたんだ。それに、一人で溜め込むよりも、誰かに話してしまった方が楽になることもある。そして、それは決して『逃げ』じゃあないよ」

 それがきっかけだったのか、ダーンはさらに胸の内にため込んでいた想いを吐露した。

 その場の二人以外他に誰もいない、虚実の世界で、先程出会ったばかりの凄腕の剣士に。

 何故か、ダーンはその男に妙な信頼があったのだ。

 僅か数時間、お互いの剣戟を重ね合わせただけだったが、その男――――ケーニッヒ・ミューゼルは、義兄のナスカ・レト・アルドナーグや義理の父レビン・カルド・アルドナーグに似て、ダーンをして頼れる存在感を抱かせていた。
 
 また、義兄や義父とは違う、これまでに感じたことのない対人感覚を得てもいる。

 この感覚は、一体何なのだろうか?


 ダーンのこれまで秘めていた剣士や男としての想いを聞き、ケーニッヒは少し嬉しそうに笑うと、右手をダーンのもとに差し出した。

 げんな顔をするダーンに、彼は告げる。

「とても気に入ったよ、ダーン。……失礼な言い回しで恐縮だが、これが君に抱いたボクの本音だ。そして、同じ時代に生まれた戦友ともとして、是非ともここに盟友としての誓いを立てよう」

「本当に変なヤツだな、アンタは」

 気恥ずかしい思いを悪態で誤魔化して、ダーンは差し出されたその手を強く握り返してしていた。



 後に蒼髪の剣士は思い返すこととなる――――

 この金髪の魔法剣士が初めての《友》であり、この日初めて《友情》という感情を知ったのだと……。
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