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第五章  姫君~琥珀の追憶・蒼穹の激情~

第三話  謁見

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 アーク王国王立科学研究所ロイヤル・ソサエティーの長にして王国最大の財閥を仕切る女会長、スレーム・リー・マクベインの案内に導かれ、ダーンとルナフィスの二人は、アーク王に謁見するためアーク王宮を訪れていた。

 アーク王国の国王はリドル・アーサー・テロー・アーク。
 即位して二十三年になり、そのよわいは四十三。

 国内における発言力の強さは言うもがな、いくつもの同盟国に対する国際的な発言力も強力である。

 世界最強とうたわれる先進の理力科学を駆使した兵器、これを数多く配備する正規軍を擁した、世界最大の王国における最高権力者。

 しかし近年、大規模な政治改革を自らが断行し、国民が選挙で選出した議員により構成される王国議会に国政権限の半分を譲渡し、急激ともいえる半民政化を推し進めている一面がある。

 そのせいで、建国当時から数多の利権を抱えてきた王侯貴族の反感を買い、その一部が王国を離反。
 それらの反勢力が結集し海を渡って、アーク大陸東に位置するアメリア大陸に一帝国を築かせるまでに至った。

 今やアーク王国と、世界を二分するにまで急激な発展を遂げるアメリアゴート帝国。

 アーク国王自身も、同帝国からの様々な示威行動に対処するべく、非常に多忙な毎日を送っているという。

「それにしても、そんなに凄い人がこうもあっさりと会ってくれるなんてね」

 王宮の応接間に通されたルナフィスは、目の前のテーブルに置かれた茶菓子を興味深く眺めながらつぶやいた。

 そのテーブルも、極厚の一枚板でできた高級品と思われるが、彼女は目の前の小さな茶菓子達に興味津々だった。

 一口サイズの深い茶色な小粒は、芳醇な甘さと僅かな苦みを感じさせる香ばしさを漂わせている。
 白い小皿にいくつか置かれた粒のうち、粒の表面に茶色いパウダーをまぶしたモノや、逆に白い粒もあって、彼女の視覚と嗅覚を誘うように刺激していた。

「たしかにな。てっきり明日以降になるかと思ったけど……こっち着いて早々に時間を設けてくれるとは……」

 ダーンは不自然に言葉を切り、「これも、ステフのおかげなのか」という言葉が出かかったのを飲み込んでいた。 

 そんなダーンの浮かない顔を、眉根を寄せて見ながらルナフィスは机上の茶菓子の一つを口の中に放り込む。
 すると――――!

「ん~~~ッ」

 それまで眉間にしわを寄せていたルナフィスが、突然甘い声を抑えても抑えきれず鼻から抜けてしまったような反応をする。

 ルナフィスの口腔内では、先ほどの茶菓子が口の中の熱で溶けて、彼女の舌全体をねっとりと甘いとろみが行き渡り、のどの奥にまで拡散していく。
 ほろ苦く甘美な香りが、口腔からのどを通って鼻先にまでゆたい、その刺激に少女の乙女らしい何かをとろけさせた。

「フフフ……チョコレートはお気に召しまして。ルナフィス様」

 不意にかけられた声に視線を向ければ、部屋の片隅に控えていた女性が、ティーポットと白い陶器で出来たカップをのせたワゴンを押してこちらに近づいてきていた。

 ルナフィスは口の中に広がった幸福の味覚をえんしつつ、女性の言葉を素直に肯定しようと首をコクコクと頷かせる。

 そんなルナフィスの動きを見て、ダーンはニヤけそうになるのを必死に抑えていた。

 ダーンにとっては、目の前の茶菓子チョコレートについては予備知識があった上、昔アルドナーグ邸にやってきたとある客人――――彼女が持ってきたソレを初めて口にした義妹の反応とルナフィスの反応がそっくりだったのだ。

 当時、義妹は九つだったか……。

 金髪のツインテールを揺らしながら、それまでぶっきらぼうに扱っていたその客人に対して、その瞬間から柔和になったのも思い出した。

「お口に合いまして幸いでした。姫様の大事なお客様ですから……。こちらは、イデア地方で採れた茶葉で入れたものです、どうぞ」

 ティーポットからカップに空気を混ぜるように注いだ紅茶を、ルナフィスの前に置く女性。

 女性にしては長身で、年齢は二十代半ばというところだろうか。

 清楚な給仕係用のエプロンドレスに、静かな物腰、膝上のスカートから黒い極薄の生地で作られたストッキングに覆われた足がすらりと伸びている。

 声の調子も、王宮の給仕係らしく、柔らかで優雅ささえ感じさせるものだ。

 その顔も肌は白く、間違いなく美人のはんちゆうに入る――――のだが……。

 ルナフィスは紅茶のカップを差し出すため、少し腰をかがめたその女性の頭を見て疑問する。


――なぜに、猫耳?


 黒に近い茶髪のロングボブ、その頭頂部には、給仕係用のカチューシャではなく、黒い毛並みの猫耳のようなものが左右二つ、カチューシャになって載っかっている。

 ご丁寧に、耳の中の地肌を表現するように薄桃色のフェルトを使い、三角形の耳の頂点には、毛並みがささくれてツンツンしており、少し生意気な子猫風の耳だ。

「あの……えーと?」

 ルナフィスがどうしてもその耳について我慢ができずに、問いかけようとしたところで、給仕係の女性はルナフィスの視線に気がつく。

「あ……、ああ。申し遅れました、私は姫様直属のメイド隊、《チェリー・キャッツ》の一人、カルディア・フォー・ディーゼルトと申します。仲間内ではよく名前を縮めてカルディ……」

「いや、そうじゃなくて」

 カルディアの言葉を途中で遮って突っ込むように、ルナフィスは彼女の奇妙なカチューシャを指示する。

「フフフ……冗談です。コレは姫様が我々への嫌がらせにかぶらせているのですよー。どうせ猫をかぶるなら様式美にこだわれだとか、もうご無体を通り越して単なるガキの嫌がらせみたいなコト言い出しまして……」

「今、ガキって言わなかった? カルディー……」

 応接間のドアが開き、少々ドスがきいた少女の声が室内に飛び込み、その後に声の主が入室する。

 白を基調とした絹製のワンピース姿に、丁寧にかした蒼い髪が、金細工でこしらえたバレッタで軽く止められて背中に下ろされている。

 豊かな胸元には、《神器》ソルブライトが宿る桜色の宝石をはめ込んだプラチナのペンダントが、窓から差す陽光を微かに反射していた。

 この国の第一王女、ステファニー・ティファ・メレイ・アークである。

「あらぁ……そんなことないですよー。ねえ、ルナフィス様」

「私にふられても……」

「あ、そちらの方も、よかったらどうぞ」

 そう言って、カルディアはダーンの前にカップとソーサー、そしてティーポットをそのまま置いて、ステファニーに一礼し控えの方に下がっていく。


――なんか……随分扱いに違いがないか?

 
 なんとなくぞんざいに扱われたようで、釈然としないまま、ダーンは自分でカップに紅茶を注いだ。
 入ってきたステファニーの方には、逃げるように視線をそらして……。

 部屋に入ったステファニーも、ダーンの方を盗み見るように覗っては視線をすぐに外し、微かなため息を漏らす。

 そして、ルナフィスにもう一つため息のようなものが念として伝わってくる。

 それは、《神器》ソルブライトの漏らしたため息であった。

「はあ……それで? アンタが来たってコトはここからもう移動するの?」

 ステファニー達の微妙な空気に、ルナフィスも思わず切ないため息が漏れた。
 せっかく茶菓子のおかげで甘い気持ちになっていたのに……。

 まあ、彼女たちの問題も気がかりだが……。

 まずはダーンのアークに来た目的の一つ、アーク国王リドルへの謁見と、ルナフィス自身がやらねばならないケジメについて、さっさと終わらせてしまおうとルナフィスは席を立とうとする。

「あ、ルナフィス……移動はしないわよ」

 立ち上がろうとしたルナフィスを手で制し、ステファニーは自分が入ってきた出入り口の方に向き直る。


「ああ、すまないな。少々事情があって、この場で済ませてもらうぞ二人とも」


 ステファニーの視線の先、廊下の方から妙に独特の存在感がある男声の中低音。

 赤い絹服をまとった男が無造作に室内に入ってきた。

 背丈にして、通常のアーク国民としては高い方だろうが、一九〇セグ・メライ(センチ・メートル)を超えるダーンからすれば大した長身ではない。

 それなのに、ダーンはその男から見かけ以上の『大きさ』を肌で感じていた。

 それは、アーク王女であると知った今でさえ、ステファニーに対してほとんど話し方や態度を変えないルナフィスにとっても同様だった。

 黒い短髪に黄色人種系の肌、口ひげを生やしたその男は、座っていた椅子を蹴倒す勢いで立ち上がったダーンとルナフィスを漆黒の瞳で一瞥する。

「……俺が、リドルだ。リドル・アーサー・テロー・アーク、この国の国王をしている。まあ、立ち話もなんだ、掛けるといい……」

 リドルはニヤリと笑って、ダーンとルナフィスに腰掛けるよう勧めると、上座の椅子へと歩いて行く。

 その姿を呆然と視線で追うダーンとルナフィスは、完全に彼の放つ気配にあてられていた。

 リドルがこちらを見て笑った瞬間に、胸の奥がざわめくのを感じていたのだ。

 その圧倒的なまでの存在感は、彼が絶大な権力を持つ大国の王であるからだけではない。


――なんなのだ? この存在感は。


 別に相手は武器を所持しているわけでも、絶大な闘気を発しているわけでもないし、殺気も感じない。

 リドルは、ただこちらを見て笑いかけただけだったが、唯一、こちらが何者なのかというげんに探る色が混じった視線だった。

 ダーンはすでに気がついていた。

 目の前の絹服の男リドルが、先ほどこの王宮の最上階の窓辺にいた者だと。

 さらに――――

 この男が単なる国王というだけの存在ではないということを、これまで鍛え上げてきた剣士としての感覚が本能的に警鐘を鳴らしているのだった。

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