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序章  朴念仁を取り巻く環境~宮廷司祭と駄目男~

第七話  駄目男の真実2

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 ホーチィニのため息が、肺からすべて出きったその瞬間だった。

「おう、オレみたいな寂しがり屋ウサギちやんは、捨てられると寂しさで死んじゃうぜ」

 倒れたままのナスカの言葉に、ホーチィニの心臓が躍りだした。

「え? 聞いてた? い……いつから起きてたの?」

 普段のお澄まし司祭とは遠くかけ離れた声に、ナスカは苦笑しつつ立ち上がると、彼女のいる方向へと声と気配を頼りに歩き、湯船の直前で立ち止まる。

「う~顎痛い。目ぇ覚ましたの、ついさっきだよ」

「そ、そのまま永遠の眠りにってわけにはいかなかったの?」

 おどった心臓を押さえつけるように深呼吸、若干どもりつつもいつも通りの毒を吐いてやる。

「あの世の門番が《駄目男》ばかは受け付けないってさ。当分は死ねないようだぜぇ。だから……大丈夫だって、こんな手の込んだことしなくてもよぉ」

 腰の黒い箱状の装置を指さしながら言うナスカの言葉に、ホーチィニは絶句する。

「今日のダーンとの訓練、オレだって反省するところがわかってはいるからな。この装置、低周波攻撃以外のときには、ごく小さな電流が流れているんでな、なんでかな? って思い当たるのはオレの生まれもっての体質と、お前の心配性なところだ」

 ホーチィニはナスカから気まずそうに視線を外し俯いた。
 口元が湯面に触れて波紋を広げる。
 そんな彼女の隣でナスカはさらに言葉を続けた。

「わざわざアークにいるお前の婆さんに頼んで、オレのために作らせたときたら、おのずと答えが出る。
 それにしても、こいつには《理力器》特有の《活力》マナの息吹を感じねぇ。おそらくアークの王立科学研究所が解明した、古代アルゼティルス文明の技術まで持ち出してるな。
 まったく、大げさに人の身体を調べるってのも驚くが、それとなく検査を実行したいが為に妙なお仕置き機能まで付けるとはな……あの色気ババアぁ」

 最後の方は若干ダメ声になりつつ悪態をついていた。


 古代アルゼティルス文明。

 今より数百年前に栄えたという文明だ。

 この古代文明に関しては、正確なことはほとんど解っていない。

 現在の先進国家が用いる時間や大きさなどを計る単位や知識、物体の基本的性質から理力概念、さらには言語の基礎を世界中に広めたと言われてはいる。

 一説には、この世界とは別の世界から来た人々の国だったともされていた。

 この世界では、使用されている言語が、各国間で若干の発音違いなどがあるものの、ほとんど変わらない。
 おかげで通訳なしに語り合うことができるが、それは古代アルゼティルスの功績を証明するものでもある。

 さらに、一般には公表されてはいないことではあるが――
 アーク王国王立科学研究所が調査した結果、この文明は《理力器》により栄えたものではなく、全く異質の科学理論で栄えていたことも判明していた。

 この古代文明を研究しているアーク王国では、その異質の科学理論を解明し一部活用し始めているらしい。

 

「なんか……これじゃあ、私が馬鹿みたいじゃない」

 ナスカの推論に、ホーチィニは諦めたようなため息をついて立ち上がると、そのまま湯船から上がる。

 彼女はナスカに近づき、彼の腰ベルトにある装置本体をいじり始めた。

「それで検査の結果は? ……あいたッ」

 さも当然のように偉そうに聞いてくるナスカの態度に、若干腹立たしく感じたホーチィニは、取り敢えず彼の脇腹の肉をつねりつつ、

「細胞の崩壊は無いみたい。以前に比べると、貴方の体は龍闘気への耐性がある」

 本体の裏側にカバーで隠された表示画面を読み取って、安堵の声で説明した。

「まあ、鍛えてるからな」

 胸を張って応じるナスカのおでこを、ホーチィニが指で弾いた。

「馬鹿ッ! 剣の金属が燃えるまで強い闘気使うなんて。もう龍闘気は使わないって、私との約束破って」

 怒った声でナスカに言葉をぶつけ、その後ホーチィニは急に俯き小さく、「心配したのに、他の女の子のパンツ見て喜んでるんだもん……」と口ごもったのをナスカは微かに聞き取っていた。

「まあ、その……なんだ、お前が見てたからつい力んじまった。……すまん」

 このときになって、ナスカはなんとなく悟る。
 ホーチィニがこんな『天罰イベントおしおき』を仕掛けてきた彼女の思惑を。

 不器用で意地っ張りの上、少し過剰なほどに独占欲の強い若い司祭は、その性格故にこんな素直じゃない方法で、惚れた男の気を引こうとしたのだ。
 
「ナスカの馬鹿」

 ホーチィニは少し涙声になりながらも悪態を吐くと、ナスカの体に貼り付けられた機器や手錠を外した。
 手錠を適当に床に投げてから、ホーチィニは大きくゆっくりと深呼吸。おもむろに、両手で彼の視界を遮る目隠しを外し始める。

「おっ……おい、馬鹿」

 目を瞑ったままのナスカが慌てて回れ右をすると、何故か頭の先を上に引っ張り上げたように、ピンと姿勢を正していた。

 そして思い出したように、急いでその場を立ち去ろうとするナスカ。
 その右手をホーチィニが優しく両手で掴んだ。

 湯に暖められた手のひら、その柔らかで濡れた感触が生々しく伝わり、ナスカの心臓が鼓動を一気に早めた。

 ずくん……と下っ腹に重いうずきを覚える。

「大丈夫よ……私を見てナスカ」

 かすれるような絞り出した少女の声。
 その声に応じ、ナスカが固い唾を飲み込んでゆっくりと振り向く。 

 いろいろ覚悟を決めたナスカの眼前に――――
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