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序章 朴念仁を取り巻く環境~宮廷司祭と駄目男~
第九話 アテネの街にて2
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深紅の外套を纏う少女は、ダーンの胸に抱きついたまましばらく動かなかった。
すぐそばにいるエルを含め、周囲の人々の視線がだんだん痛いものになってくる。
ダーンは一つため息を漏らしつつ、
「あー、うん。お帰り……かな、リリス。その、恥ずかしいし、そろそろ離れてくれないか」
少女の細い肩を両手で押して、引き離そうとするが、対する少女は鼻先をダーンの胸元に擦りつけながら、
「んー……もうちょっとだけ甘えたいなあ。久しぶりだし」
と甘ったるい声を出して離れようとしない。
「うっ……。二週間ぶりか。今回はどこに行ってたんだっけ?」
「アークよ。料理大会があったんだけど……あッ、そうだ」
少女は思い出したように顔をぱっと上げて、ようやくダーンから離れる。
そして銀狼のそばに駆け出し、近くに置いてあったトランケースを開け、中から書状を一枚取り出した。
「じゃーん……優勝!」
「本当だ。なになに……『エルモ市武闘大会無差別級優勝』って?」
書状の内容をほぼ棒読みしたダーンの声に、少女の笑顔が凍り付いた。
即座に見せていた書状を背中に隠し、素早くトランクの元へ。
最初のものはなかったことのようにトランクから別の書状を取り出す。
再びダーンの眼前に提示された書状には『ジリオ・パレス料理大会・優勝』と書かれていた。
「ジリオ・パレスって、アークの首都か」
少々苦笑が残るダーンだったが、あえて今ある書状の話題にだけ触れる。
「うん。王宮の中で開催されたんだけど、なかなか手強い女もいてね、つい本気になっちゃった。……一週間前にあったのど自慢じゃ負けたけどあの巨乳女、料理じゃ負けないんだから。……まったく、顔もスタイルも良いのに歌まで上手いとか、王女のくせして料理もプロ級って存在自体反則。特に、あのけしからん胸ッ、乳牛かっての」
女性としては未だ起伏に乏しい小さな身体を震わせつつ、段々語気が強くなっていく少女。
そんな少女の異様さに気圧され、半ば身を引きつつダーンは彼女の言葉にあった単語を疑問調でオウム返しに漏らす。
「王女?」
少女はハッとして、声の調子を若干上擦らせながら、
「あ、気にしないで、こっちの話だから」
と、明らかに誤魔化した。
そこへ、ダーンには聞こえないリリスのみに届く念で紡がれた声が響く。
『のど自慢に負けたあと、腹いせに出場した武闘大会が料理大会の前にあったな。あの王女は出てなかったが……』
『黙りなさい、駄犬!』
少女は銀狼に振り向きつつ、銀狼にだけ伝わるよう同じ精神波で叱咤する。
一方、銀狼は何食わぬ顔のまま子供達と戯れていた。
「ちょっと、ダーン。この子?」
置き去りにされている形だったエルの問いに、ダーンは少しバツの悪い顔をする。
「ああ、ナスカの妹で……」
と、答え始めた彼を片手で制し、少女はエルの方を向き直る。
羽根の付いた銀の仮面を外し素顔を見せ、丁寧にそして優雅にお辞儀をする。
「初めまして。リリス・エルロ・アルドナーグです。ダーンお兄ちゃんとは、そのぅ……血のつながらない兄妹です」
リリスの自己紹介に、エルは何故か言い得ぬ戦慄を覚えた。
さらに、目にした彼女の素顔は女性から見ても愛らしく整ったものだ。
その瞳は金髪の煌びやかさによく合う魅力的なエメラルド、眉目は整い、幼さを残したあどけなさにもしっかりと艶やかさを誇る唇。
先ほど奇異の目でダーンに抱きついた姿を見ていた周囲の観衆は、その素顔を見た瞬間に思わず感嘆の吐息を漏らしていた。
「あ、えーと、お兄さんとは同じ傭兵隊に所属しています、エル・ビナシスです。よろしくね、リリスちゃん」
年上の威厳を何とか保とうと表面上は余裕を見せたエル。
「こちらこそ、よろしくお願いしますね、弓のお姉さん」
リリスの応答に怪訝な顔を隠せないエル。
そのエルは今、私服姿で武器を持っていない。
どうしてという顔の彼女に、リリスは
「あっ、そのね、前にナスカお兄ちゃんから、新しい仲間が入って、金髪の女性で弓兵だって聞いていたから……。何となくお姉さんのことかなあって……驚かせてごめんなさい」
と、舌先を出して付け加える。
『いきなり牽制か。弓兵相手に不意打ちとは容赦がない……まさに鬼だな』
銀狼が精神波でリリスのみに聞こえるように言葉を飛ばし、リリスの顔の筋肉が少し引きつった。
「それより、ダーンお兄ちゃん、この近くで食用ミミズを加工した合成肉を売っている店無いかな? そこの駄犬に与えたいの」
『おいッ、約束が違うではないか。我は鹿肉が……』
「出来るだけ安くて、植物油を混ぜてごまかしてるのがこの犬の好物なの」
リリスは銀狼の言葉を無視。
リリスはダーンに媚びるように言葉を続けていたが、ダーンは銀狼の方を伺うと、
「なあ、なんか嫌がってないか? それに、犬っていうには無理があると思うぞ」
「そうかなぁ……やっぱ首輪してないとダメ?」
「いや、そうじゃないと思うんだけど」
エルが苦笑しつつ言葉を差し込む。
『リリスよ……我のこの毛並みも安い肉を食っては維持できぬ。後生だ、ミミズは勘弁してくれ』
銀狼の言葉に、リリスは少し思案する。
確かにあのもふもふ感は捨てがたいものだ。
そう考え至って半目で銀狼を見据えると、銀狼に向け思念を飛ばした。
『そのもふもふした毛皮を持って生まれてきたことに感謝しなさい。旅先で私の枕が感触悪くなるのも嫌だし、しょうがないから鹿にしてあげる』
リリスの言葉に銀狼が安堵する。
だがリリスは内心、次のように考えていた。
――本当は食用ミミズって栄養価が高くて薬にも使われる高級食材なのに。今度黙って食べさせてみようっと……。
すぐそばにいるエルを含め、周囲の人々の視線がだんだん痛いものになってくる。
ダーンは一つため息を漏らしつつ、
「あー、うん。お帰り……かな、リリス。その、恥ずかしいし、そろそろ離れてくれないか」
少女の細い肩を両手で押して、引き離そうとするが、対する少女は鼻先をダーンの胸元に擦りつけながら、
「んー……もうちょっとだけ甘えたいなあ。久しぶりだし」
と甘ったるい声を出して離れようとしない。
「うっ……。二週間ぶりか。今回はどこに行ってたんだっけ?」
「アークよ。料理大会があったんだけど……あッ、そうだ」
少女は思い出したように顔をぱっと上げて、ようやくダーンから離れる。
そして銀狼のそばに駆け出し、近くに置いてあったトランケースを開け、中から書状を一枚取り出した。
「じゃーん……優勝!」
「本当だ。なになに……『エルモ市武闘大会無差別級優勝』って?」
書状の内容をほぼ棒読みしたダーンの声に、少女の笑顔が凍り付いた。
即座に見せていた書状を背中に隠し、素早くトランクの元へ。
最初のものはなかったことのようにトランクから別の書状を取り出す。
再びダーンの眼前に提示された書状には『ジリオ・パレス料理大会・優勝』と書かれていた。
「ジリオ・パレスって、アークの首都か」
少々苦笑が残るダーンだったが、あえて今ある書状の話題にだけ触れる。
「うん。王宮の中で開催されたんだけど、なかなか手強い女もいてね、つい本気になっちゃった。……一週間前にあったのど自慢じゃ負けたけどあの巨乳女、料理じゃ負けないんだから。……まったく、顔もスタイルも良いのに歌まで上手いとか、王女のくせして料理もプロ級って存在自体反則。特に、あのけしからん胸ッ、乳牛かっての」
女性としては未だ起伏に乏しい小さな身体を震わせつつ、段々語気が強くなっていく少女。
そんな少女の異様さに気圧され、半ば身を引きつつダーンは彼女の言葉にあった単語を疑問調でオウム返しに漏らす。
「王女?」
少女はハッとして、声の調子を若干上擦らせながら、
「あ、気にしないで、こっちの話だから」
と、明らかに誤魔化した。
そこへ、ダーンには聞こえないリリスのみに届く念で紡がれた声が響く。
『のど自慢に負けたあと、腹いせに出場した武闘大会が料理大会の前にあったな。あの王女は出てなかったが……』
『黙りなさい、駄犬!』
少女は銀狼に振り向きつつ、銀狼にだけ伝わるよう同じ精神波で叱咤する。
一方、銀狼は何食わぬ顔のまま子供達と戯れていた。
「ちょっと、ダーン。この子?」
置き去りにされている形だったエルの問いに、ダーンは少しバツの悪い顔をする。
「ああ、ナスカの妹で……」
と、答え始めた彼を片手で制し、少女はエルの方を向き直る。
羽根の付いた銀の仮面を外し素顔を見せ、丁寧にそして優雅にお辞儀をする。
「初めまして。リリス・エルロ・アルドナーグです。ダーンお兄ちゃんとは、そのぅ……血のつながらない兄妹です」
リリスの自己紹介に、エルは何故か言い得ぬ戦慄を覚えた。
さらに、目にした彼女の素顔は女性から見ても愛らしく整ったものだ。
その瞳は金髪の煌びやかさによく合う魅力的なエメラルド、眉目は整い、幼さを残したあどけなさにもしっかりと艶やかさを誇る唇。
先ほど奇異の目でダーンに抱きついた姿を見ていた周囲の観衆は、その素顔を見た瞬間に思わず感嘆の吐息を漏らしていた。
「あ、えーと、お兄さんとは同じ傭兵隊に所属しています、エル・ビナシスです。よろしくね、リリスちゃん」
年上の威厳を何とか保とうと表面上は余裕を見せたエル。
「こちらこそ、よろしくお願いしますね、弓のお姉さん」
リリスの応答に怪訝な顔を隠せないエル。
そのエルは今、私服姿で武器を持っていない。
どうしてという顔の彼女に、リリスは
「あっ、そのね、前にナスカお兄ちゃんから、新しい仲間が入って、金髪の女性で弓兵だって聞いていたから……。何となくお姉さんのことかなあって……驚かせてごめんなさい」
と、舌先を出して付け加える。
『いきなり牽制か。弓兵相手に不意打ちとは容赦がない……まさに鬼だな』
銀狼が精神波でリリスのみに聞こえるように言葉を飛ばし、リリスの顔の筋肉が少し引きつった。
「それより、ダーンお兄ちゃん、この近くで食用ミミズを加工した合成肉を売っている店無いかな? そこの駄犬に与えたいの」
『おいッ、約束が違うではないか。我は鹿肉が……』
「出来るだけ安くて、植物油を混ぜてごまかしてるのがこの犬の好物なの」
リリスは銀狼の言葉を無視。
リリスはダーンに媚びるように言葉を続けていたが、ダーンは銀狼の方を伺うと、
「なあ、なんか嫌がってないか? それに、犬っていうには無理があると思うぞ」
「そうかなぁ……やっぱ首輪してないとダメ?」
「いや、そうじゃないと思うんだけど」
エルが苦笑しつつ言葉を差し込む。
『リリスよ……我のこの毛並みも安い肉を食っては維持できぬ。後生だ、ミミズは勘弁してくれ』
銀狼の言葉に、リリスは少し思案する。
確かにあのもふもふ感は捨てがたいものだ。
そう考え至って半目で銀狼を見据えると、銀狼に向け思念を飛ばした。
『そのもふもふした毛皮を持って生まれてきたことに感謝しなさい。旅先で私の枕が感触悪くなるのも嫌だし、しょうがないから鹿にしてあげる』
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