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28. 足手まとい
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「それじゃあ行ってきますね!」
「……うん、行ってらっしゃい」
白手袋をはめた手を振り、走り去るカイの足音を聞きながらヴィクトールは作業机に向き直った。
(今日も水無月に行くのか……)
レオンと会ってから、そしてカイが惚れ薬を吸ってしまってから2週間。カイはアトリエ水無月に行ったり、「考えをまとめたいから」と部屋にこもってしまったりで工房にいる時間はすっかり短くなってしまっていた。
(……謝るべき、なんだろうけど……でも下手に掘り起こすみたいになっても嫌だし、このまま黙っていた方がいいのかな……)
一時の戯れか気の迷いと思われているのか、カイからその後何か言われることはなかったが、明らかに距離を取られている。
そして自分勝手なことは分かっていたが、自分を避けるカイの態度にヴィクトールは苛ついてもいた。
理由は単純だった。ヴィクトールには見せてくれないどころか話すら聞かせてくれなかった幻影作成について、レオンには相談している、というのをレオン本人から聞いたからだ。その場では適当に話を合わせて退散したものの、ヴィクトールは内心穏やかではなかった。
「うう……」
怠い体で作業机の上に突っ伏し、小さく呻く。嫌な動悸とどろりとした感情に、体の中からじわじわと食いちぎられていくような気がした。
(……やらなきゃ。今の僕にできるのは、これだけなんだから)
机の上に置いた、作りかけのランプを撫でる。体調や工房の状態に関わらず、納期はやってくる。頼ってもらえない以上、ヴィクトールにできるのは安心してコンテストに向けた幻影製作に取り組めるよう、カイの分まで仕事をすることくらいしかできない。
ドアベルの鳴る音と、「いらっしゃいませー」というロジウムの声が聞こえる。二言三言話したのち、ちたちたと工房に歩いてくる足音がして慌ててヴィクトールは座りなおした。工房と店舗を繋ぐ扉が開き、夏毛のロジウムが顔を出す。
「ヴィー、リンド伯爵って方がお見えになってるわよ。注文していた角燈を取りにいらしたそうだけど」
「ああ、それならここに」
例の「魅了角燈」だ。立ち上がり、扉横の棚に手を伸ばす。ぐるりと世界が回った気がしてその指先が棚板にぶつかり、どこか遠くで鈍い音が響くのをヴィクトールは聞いた。
ヴィクトールが目を開けると、そこは見慣れた自室だった。
(しまった……!)
慌てて起き上がろうとすると、「ヴィクトールさん!」という叫び声とともに右腕を引かれる。振り向くと、目を見開いたカイが必死の形相で右手を引っ張っていた。
「まだ寝ててください!」
「大丈夫だよ、ちょっとめまいがしただけだから」
「ちょっと!? 丸一日寝てたんですよ!」
「そうなんだ? でも別に……」
「だめです!」
強く肩を押され、ベッドの上にまた寝かされてしまう。
(こんなところで寝ている場合じゃないんだけど)
すでに丸一日寝てしまっていたとしたら尚更である。早く開放してくれないかな、と天井を見上げてため息を吐くと、「あのっ」と声が聞こえた。目を向けると、赤めの焦げ茶色をした目と視線が合った。左頬にある大きな痣も目に入り、思わず目を逸らす。
「ロジウムさんから聞いたんですけど……ヴィクトールさん、ずっと夜中に1人で作業してたんですってね」
「……うん」
苦笑しながら頷く。気づかれているとは思っていた。コボルトの嗅覚や聴覚は人間よりはるかに優れているし、ロジウムはヴィクトールが生まれるずっと前からこの工房にいる。ヴィクトールの様子や角燈製作の進み具合から、不審に思わないはずがないのである。
「体弱いんですし、そんなの倒れて当然じゃないですか」
「うーん、まあ、ね」
あいまいに笑う。全てはカイを手元に置きたいがためだった。
今まで請け負っていた仕事量では、カイの給金を払えるほどの稼ぎはなかった。だから、これまでなら断っていたような仕事にも手を出し、請ける依頼の量を増やしていたのだ。当然ながら時間が足りなくなるため休日にも工房に籠ることで回していたのだが、それではカイが休めなくなるということに気づいてからは、こっそりみんなが寝静まったのを見計らっては工房に降り、夜中に制作していたのだ。
夏になってカイがコンテストのための幻影作成にかかると、そのために巻き取った分の仕事も増えた。ヴィクトール自身仕事が早い方でも、手際がいい方でもない。仕事ができるくらいに回復して数年が経っていたが、それでも前のようには動けないのだ。仕事量の分だけ睡眠時間は減っていた。
だが、どんなに辛くても、体調が悪くても、それでもカイにできるだけのことはしたかったのだ。
「……俺、そんなに足手まといでしたか」
「まさか。違うよ」
慌ててヴィクトールは否定した。カイは工房にとっても大分戦力になってきていた。だからこそ、彼から巻き取った分の仕事が重いのだ。
「じゃあ、なんで一人で全部やろうとしたんですか! そりゃあ俺は頼りないし、できることも少ないですけど、でも、何かさせてくれたっていいじゃないですか!」
拗ねたような物言いに横を見ると、焦げ茶色の髪をした青年は傷ついたかのような顔をしていた。そんな風に思ってくれていたのか、と一瞬心が痛んだが、それより数秒遅れて火が付いた怒りの方が強かった。
「僕を頼らずにやろうとしていたのは君も同じじゃないか、カイ君」
あるいは嫉妬と言い換えてもよかっただろう。ベッドの上からカイを睨みつけ、一気に不満をぶつける。
「レオンさんのところに入り浸って、僕には何一つ相談しないじゃないか。そりゃあ僕よりレオンさんのほうが頼れるし、尊敬できるよ。でも、今回君の角燈を一緒に作るのも、君が働く工房の店主も、僕なんだよ!」
話すうちに、声が裏返って掠れた。めったに出さない大声のせいで弾んだ息がおさまってくると、どっと後悔と疲れが襲ってきた。
(ああ……また、やってしまった)
こうやって言い争って、工房にいてくれた職人たちを失っていったのだ。
ヴィクトールは人をまとめ、率いるのが苦手だ。人を引き付ける愛嬌や求心力がないし、それを補うためのコミュニケーションすら避けて生きてきた。くよくよした挙句誰もついてこないからと独断で行動し、最終的に「自分が工房主だ」としかその正当性を主張できないヴィクトールにみんな愛想をつかしていったのだ。
こんな狭い店内での上下関係を振りかざすことしかできないなんて、最悪だ。だが、人間的魅力もない上に職人として尊敬を集められるわけでもないヴィクトールにはそれしかないのだ。
もう終わりだ。自己嫌悪を噛み締めながら、目を閉じる。きっとカイもヴィクトールの小ささに怒ってここを出ていくだろう。もういい年なのに、なぜ毎回自分の感情を吟味せず他人にぶつけてしまうのか。一度口から出た言葉も、やってしまったことも、取り返しがつかないのに。
「……うん、行ってらっしゃい」
白手袋をはめた手を振り、走り去るカイの足音を聞きながらヴィクトールは作業机に向き直った。
(今日も水無月に行くのか……)
レオンと会ってから、そしてカイが惚れ薬を吸ってしまってから2週間。カイはアトリエ水無月に行ったり、「考えをまとめたいから」と部屋にこもってしまったりで工房にいる時間はすっかり短くなってしまっていた。
(……謝るべき、なんだろうけど……でも下手に掘り起こすみたいになっても嫌だし、このまま黙っていた方がいいのかな……)
一時の戯れか気の迷いと思われているのか、カイからその後何か言われることはなかったが、明らかに距離を取られている。
そして自分勝手なことは分かっていたが、自分を避けるカイの態度にヴィクトールは苛ついてもいた。
理由は単純だった。ヴィクトールには見せてくれないどころか話すら聞かせてくれなかった幻影作成について、レオンには相談している、というのをレオン本人から聞いたからだ。その場では適当に話を合わせて退散したものの、ヴィクトールは内心穏やかではなかった。
「うう……」
怠い体で作業机の上に突っ伏し、小さく呻く。嫌な動悸とどろりとした感情に、体の中からじわじわと食いちぎられていくような気がした。
(……やらなきゃ。今の僕にできるのは、これだけなんだから)
机の上に置いた、作りかけのランプを撫でる。体調や工房の状態に関わらず、納期はやってくる。頼ってもらえない以上、ヴィクトールにできるのは安心してコンテストに向けた幻影製作に取り組めるよう、カイの分まで仕事をすることくらいしかできない。
ドアベルの鳴る音と、「いらっしゃいませー」というロジウムの声が聞こえる。二言三言話したのち、ちたちたと工房に歩いてくる足音がして慌ててヴィクトールは座りなおした。工房と店舗を繋ぐ扉が開き、夏毛のロジウムが顔を出す。
「ヴィー、リンド伯爵って方がお見えになってるわよ。注文していた角燈を取りにいらしたそうだけど」
「ああ、それならここに」
例の「魅了角燈」だ。立ち上がり、扉横の棚に手を伸ばす。ぐるりと世界が回った気がしてその指先が棚板にぶつかり、どこか遠くで鈍い音が響くのをヴィクトールは聞いた。
ヴィクトールが目を開けると、そこは見慣れた自室だった。
(しまった……!)
慌てて起き上がろうとすると、「ヴィクトールさん!」という叫び声とともに右腕を引かれる。振り向くと、目を見開いたカイが必死の形相で右手を引っ張っていた。
「まだ寝ててください!」
「大丈夫だよ、ちょっとめまいがしただけだから」
「ちょっと!? 丸一日寝てたんですよ!」
「そうなんだ? でも別に……」
「だめです!」
強く肩を押され、ベッドの上にまた寝かされてしまう。
(こんなところで寝ている場合じゃないんだけど)
すでに丸一日寝てしまっていたとしたら尚更である。早く開放してくれないかな、と天井を見上げてため息を吐くと、「あのっ」と声が聞こえた。目を向けると、赤めの焦げ茶色をした目と視線が合った。左頬にある大きな痣も目に入り、思わず目を逸らす。
「ロジウムさんから聞いたんですけど……ヴィクトールさん、ずっと夜中に1人で作業してたんですってね」
「……うん」
苦笑しながら頷く。気づかれているとは思っていた。コボルトの嗅覚や聴覚は人間よりはるかに優れているし、ロジウムはヴィクトールが生まれるずっと前からこの工房にいる。ヴィクトールの様子や角燈製作の進み具合から、不審に思わないはずがないのである。
「体弱いんですし、そんなの倒れて当然じゃないですか」
「うーん、まあ、ね」
あいまいに笑う。全てはカイを手元に置きたいがためだった。
今まで請け負っていた仕事量では、カイの給金を払えるほどの稼ぎはなかった。だから、これまでなら断っていたような仕事にも手を出し、請ける依頼の量を増やしていたのだ。当然ながら時間が足りなくなるため休日にも工房に籠ることで回していたのだが、それではカイが休めなくなるということに気づいてからは、こっそりみんなが寝静まったのを見計らっては工房に降り、夜中に制作していたのだ。
夏になってカイがコンテストのための幻影作成にかかると、そのために巻き取った分の仕事も増えた。ヴィクトール自身仕事が早い方でも、手際がいい方でもない。仕事ができるくらいに回復して数年が経っていたが、それでも前のようには動けないのだ。仕事量の分だけ睡眠時間は減っていた。
だが、どんなに辛くても、体調が悪くても、それでもカイにできるだけのことはしたかったのだ。
「……俺、そんなに足手まといでしたか」
「まさか。違うよ」
慌ててヴィクトールは否定した。カイは工房にとっても大分戦力になってきていた。だからこそ、彼から巻き取った分の仕事が重いのだ。
「じゃあ、なんで一人で全部やろうとしたんですか! そりゃあ俺は頼りないし、できることも少ないですけど、でも、何かさせてくれたっていいじゃないですか!」
拗ねたような物言いに横を見ると、焦げ茶色の髪をした青年は傷ついたかのような顔をしていた。そんな風に思ってくれていたのか、と一瞬心が痛んだが、それより数秒遅れて火が付いた怒りの方が強かった。
「僕を頼らずにやろうとしていたのは君も同じじゃないか、カイ君」
あるいは嫉妬と言い換えてもよかっただろう。ベッドの上からカイを睨みつけ、一気に不満をぶつける。
「レオンさんのところに入り浸って、僕には何一つ相談しないじゃないか。そりゃあ僕よりレオンさんのほうが頼れるし、尊敬できるよ。でも、今回君の角燈を一緒に作るのも、君が働く工房の店主も、僕なんだよ!」
話すうちに、声が裏返って掠れた。めったに出さない大声のせいで弾んだ息がおさまってくると、どっと後悔と疲れが襲ってきた。
(ああ……また、やってしまった)
こうやって言い争って、工房にいてくれた職人たちを失っていったのだ。
ヴィクトールは人をまとめ、率いるのが苦手だ。人を引き付ける愛嬌や求心力がないし、それを補うためのコミュニケーションすら避けて生きてきた。くよくよした挙句誰もついてこないからと独断で行動し、最終的に「自分が工房主だ」としかその正当性を主張できないヴィクトールにみんな愛想をつかしていったのだ。
こんな狭い店内での上下関係を振りかざすことしかできないなんて、最悪だ。だが、人間的魅力もない上に職人として尊敬を集められるわけでもないヴィクトールにはそれしかないのだ。
もう終わりだ。自己嫌悪を噛み締めながら、目を閉じる。きっとカイもヴィクトールの小ささに怒ってここを出ていくだろう。もういい年なのに、なぜ毎回自分の感情を吟味せず他人にぶつけてしまうのか。一度口から出た言葉も、やってしまったことも、取り返しがつかないのに。
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