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38. 祭りのあと

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「ううん……」

 ヴィクトールが息苦しさに目を開けると、胸の上にカイの頭が乗っていた。昨晩のことは夢ではなかったらしい。すでに部屋の中は明るくなっていて、寝息と共に揺れるまつげと、皮膚が溶けたような左頬の痣がはっきり見える。触ると、痣の部分の皮膚だけつるつると触り心地が違うのが感じられた。
 痣があっても、カイの美しさは全く損なわれてはいない。だが、だからといってこの傷があっていいわけではない。
 考えながら撫でていると、ぱちりとカイが目を開けた。不思議そうにヴィクトールの顔を見て瞬きをし、それから「おはようございます」と恥ずかしそうに笑う。頬から手を離すと、それを追って目が動いた。

「……跡、気になります?」
「いや……」

 跡そのものは気にならない。だが、カイが気にしているだろうということ、そして何より、自分がきちんとしていれば防げたであろうことを考えると、心の奥を針でつつかれるような気がするのだ。

「痛くはないの?」
「ちょっと引きつれはしますけど、もう痛くはないですよ」

 そう言ったカイは動物のようにヴィクトールの手に頬を擦り付けた。その何気ない仕草に、二人の関係が近くなったことを感じて嬉しくなる。
「いやー、あの時は本当に驚いたんですからね。失恋したヴィクトールさんが自棄になってお客さんに粉かけ始めたのかと」
「……?」
「いいんです、俺の勘違いだったわけですし」

 重ねられた唇は、不思議と少し甘い。
 そのせいでまた昂った互いの体に触れあい、想いを確認してから階下に降りる。もう昼前だ。
 ダイニングに続く戸を開けると、むわりと籠もった酒と強烈な獣の臭いが押し寄せてきて横のカイが「うっ」と声をあげた。暖炉のあたりに落ちている、茶色く薄汚れた毛の塊が原因のようだ。

「おはよう、ロジー……?」

 昨晩何があったのか。恐る恐る毛の塊をつつくと、クゥンと力ない鳴き声がした。辛うじて生きてはいる様子だ。

(これは後で丸洗いだな)

 そっと浮遊魔法で持ち上げ、ロジウムの部屋にある寝床に運ぶ。水差しとグラス、それから二日酔いに効くと言われる酢漬けニシンに冷却魔法をかけ、その横に添えておいた。小枝の絡みついた尻尾が小さく揺れたのは「ありがとう」の意だと解釈しておく。
 戻ってダイニングの窓を全開にし、広場に室内の空気を追い出す。見る限りどの魔道具店も休店で、広場は昨晩の熱が嘘のように冷たくしんとしている。ヴィクトールとカイを除く、村中の魔道具師たちがロジウムと同じようになっているに違いない。

「今日は……散歩ついでに、どこかで朝食も食べようか。もう朝って時間じゃないけど」

 汚れた服を樽に押し込み、バスタブに湯を張る。玄関から続く汚れ――それが何の汚れなのかはあまり考えたくない――を片づけてくれていたカイが、「いいですね!」と顔を上げた。

「停留所の近くにあるカフェ、オムレツが美味しいって聞いてずっと食べてみたかったんですよ! 並木通りのサンドイッチもハムたっぷりで気になってて……あ、ヴィクトールさんじゃがいものパンケーキとかのラクレル料理好きですよね。となると……」

 あそこがいいかな、いやここの方が、とあちこちの店を並べ立てるカイ。ここで生まれ育ったはずのヴィクトールの知らない情報も多い。ほとんど外で食事をしないヴィクトールに遠慮していたのだろう。

「どれも魅力的だね。お風呂でゆっくり考えようか」

 それならそうと言ってくれればよかったのに。変なところばかり遠慮するカイが可笑しく、また微笑ましい。手招きすると、「はい!」と叫んだカイが、跳ねるような足取りでヴィクトールの方へ向かってきた。
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