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8 朝の光は優しくない
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気がつくと、柚季は見知らぬ部屋にいた。
「あれ……?」
ぼうっとしたまま室内を見回す。大きなベッドと朝日の差し込む窓になんとなく見覚えはあるから、恐らく宮中の一室――来客用の寝室だが、なぜそんなところにいるかわからない。
目を擦ると、ざらりとした違和感が肌に当たった。見ると、覚えのない擦り傷のかさぶたが剥がれかけている。それどころか、服も自分のものではないネグリジェを着ているではないか。
「んん?」
体を起こし、覚えているところから記憶を掘り起こす。
確か、仮面舞踏会に行ったのだ。スミレと女王が踊っていて――男に渡された酒を飲んで――狼の面の――
体の上を這っていった指先がまだそこにあるようで、柚季の全身が寒くなった。背中に嫌な汗が噴き出す。
――え? でも、今ここにいるわけだし……夢?
「柚季様、お加減は……いかがですか」
声の方に目をやると、ベッドの横にベルカントが座っていた。
ほっとしたような、それでいて柚月が目を覚まさないのを期待していたような。その表情を見た瞬間、柚季の両目からぼろぼろと涙がこぼれ落ちていた。
「……あ、あれ」
理由なんてわからなかった。ただ震えが止まらなくて、息苦しくて、なのに気持ち悪くて全身が熱い。それからゆっくりと理解のほうが追いついてくる。
――夢じゃない、全部。
多分、渡された酒に薬を盛られたのだ。そして襲われた。
油断していた。
宮中だからと、柚季みたいなやつにそんな事をする相手はいないだろうと、思い込んでいた。
「あ……だい、じょぶ……です……」
涙を拭ってもすぐには止まりそうにない。顔を見られたくなくて、柚季は俯いた。
「……警備が行き届いておらず、申し訳ありません」
「ああ……いえ、僕が気をつけていなかったのがいけないので、それは……むしろ、助けていただいてありがとうございます」
ベルカントが手を握り込むのが、視界の端に映った。
「たまたま……です。邸内に不審者が入ったという報告があって探していたのと……爆竹のおかげで、偶然気づけただけです」
あれは爆竹だったのか。狼面の男が投げつけてきたものの音と閃光を柚季は思い出した。
そういえば、あれは誰だったのだろう。
バハールでは薄い髪の色は珍しいから、女王かスミレに聞けばわかるはずだ。
――でも、そうしたら絶対に理由も聞かれるよな。
涙を落としながら黙り込む柚季に気を遣うような間を開け、ベルカントは言葉を続けた。
「……犯人はきちんと確保しましたので、その点だけはご安心いただければと。余罪もありましたし、女王に報告して厳罰に――」
「あのっ」
思ったよりも声が震えていて、柚季は大きく息を吸った。ようやく収まってきた涙を拭う。
「女王様には……僕のことは、伝えないでもらえますか」
「いや、ですが……」
「……大丈夫、ですから。心配……かけたく、ないんです」
その言葉に嘘はなかったが、それが理由というわけでもなかった。
単純に、知られたくなかった。
宮殿内だからと完全に油断していた間抜けのくせに、少し触られたくらいで泣いて被害者面してるなんて。もうそんなに若いわけでもないのに。
「しかし」
「お願いです」
柚季が顔を上げると、ベルカントはたじろいだように視線をそらした。
「……着替え、ありますか」
ベッドの端に腰掛けて聞く。こちらに、とブラウスを着せかけようとしてくるベルカントの手から服だけを取り、袖を通す。さっきまで寝ていたはずなのに、薬のせいか全身が重い。
もう何も考えたくなかった。とりあえず水車小屋に帰って、また一眠りして……どうすべきか考えるのはそれからでいいだろう。
「あのっ」
部屋を出ようとすると、それを引き留めるようにベルカントの声がした。振り向くと、ベッドの横にいたベルカントが近寄ってくるところだった。
「……すみませんでした。その……いや、謝って済むことではないのはわかっているのですが、しかし……」
「別に、もう終わったことですし」
柚季が首を振ると、ベルカントが手を握りこむのが見えた。
葡萄色の瞳が一瞬下を向き、窓の外に泳ぎ、それから強い意志を持って柚季の顔に戻ってくる。
そんなに気にすることではないのに。居心地の悪い思いのまま見返していると、形のよい唇が開いた。
「柚季様、自分と結婚してくださいませんか」
言われた言葉の意味が分からず、柚季はベルカントの顔をただ凝視した。いや、言葉の意味するところはわかる。だが、そんな事をベルカントが言う理由がわからない。
「……何言ってるんです?」
「自分のせいだからです」
「いや、別にあなたのせいでは……」
困惑しつつも否定しようとした柚季の言葉は、ベルカントの視線の前に尻すぼみになっていく。
小さく息を吸ったベルカントが、ゆっくりと言い直した。
「この世界から柚季様が帰れなかったのは、自分のせいだか
らです」
「ええ……? あなたとあの事故に何の関係が……」
どうしてそういう話になるんだ、といいかけた柚季の頭の中で、ぱちりとこれまでの違和感の欠片が繋がった。
ベルカントに抱いた既視感。名前を聞いたことに対する彼の態度。過剰なように思えた親切心。
あっ、と小さな声が漏れた。
「……馬車に、轢かれた……」
記憶を手繰り寄せながら呟く。無意識に手が脚の傷に伸びていた。
そうです、とベルカントが頷いた。
「私が、あの時……10年前、柚季様に助けていただいた見習いの侍従です」
「あれ……?」
ぼうっとしたまま室内を見回す。大きなベッドと朝日の差し込む窓になんとなく見覚えはあるから、恐らく宮中の一室――来客用の寝室だが、なぜそんなところにいるかわからない。
目を擦ると、ざらりとした違和感が肌に当たった。見ると、覚えのない擦り傷のかさぶたが剥がれかけている。それどころか、服も自分のものではないネグリジェを着ているではないか。
「んん?」
体を起こし、覚えているところから記憶を掘り起こす。
確か、仮面舞踏会に行ったのだ。スミレと女王が踊っていて――男に渡された酒を飲んで――狼の面の――
体の上を這っていった指先がまだそこにあるようで、柚季の全身が寒くなった。背中に嫌な汗が噴き出す。
――え? でも、今ここにいるわけだし……夢?
「柚季様、お加減は……いかがですか」
声の方に目をやると、ベッドの横にベルカントが座っていた。
ほっとしたような、それでいて柚月が目を覚まさないのを期待していたような。その表情を見た瞬間、柚季の両目からぼろぼろと涙がこぼれ落ちていた。
「……あ、あれ」
理由なんてわからなかった。ただ震えが止まらなくて、息苦しくて、なのに気持ち悪くて全身が熱い。それからゆっくりと理解のほうが追いついてくる。
――夢じゃない、全部。
多分、渡された酒に薬を盛られたのだ。そして襲われた。
油断していた。
宮中だからと、柚季みたいなやつにそんな事をする相手はいないだろうと、思い込んでいた。
「あ……だい、じょぶ……です……」
涙を拭ってもすぐには止まりそうにない。顔を見られたくなくて、柚季は俯いた。
「……警備が行き届いておらず、申し訳ありません」
「ああ……いえ、僕が気をつけていなかったのがいけないので、それは……むしろ、助けていただいてありがとうございます」
ベルカントが手を握り込むのが、視界の端に映った。
「たまたま……です。邸内に不審者が入ったという報告があって探していたのと……爆竹のおかげで、偶然気づけただけです」
あれは爆竹だったのか。狼面の男が投げつけてきたものの音と閃光を柚季は思い出した。
そういえば、あれは誰だったのだろう。
バハールでは薄い髪の色は珍しいから、女王かスミレに聞けばわかるはずだ。
――でも、そうしたら絶対に理由も聞かれるよな。
涙を落としながら黙り込む柚季に気を遣うような間を開け、ベルカントは言葉を続けた。
「……犯人はきちんと確保しましたので、その点だけはご安心いただければと。余罪もありましたし、女王に報告して厳罰に――」
「あのっ」
思ったよりも声が震えていて、柚季は大きく息を吸った。ようやく収まってきた涙を拭う。
「女王様には……僕のことは、伝えないでもらえますか」
「いや、ですが……」
「……大丈夫、ですから。心配……かけたく、ないんです」
その言葉に嘘はなかったが、それが理由というわけでもなかった。
単純に、知られたくなかった。
宮殿内だからと完全に油断していた間抜けのくせに、少し触られたくらいで泣いて被害者面してるなんて。もうそんなに若いわけでもないのに。
「しかし」
「お願いです」
柚季が顔を上げると、ベルカントはたじろいだように視線をそらした。
「……着替え、ありますか」
ベッドの端に腰掛けて聞く。こちらに、とブラウスを着せかけようとしてくるベルカントの手から服だけを取り、袖を通す。さっきまで寝ていたはずなのに、薬のせいか全身が重い。
もう何も考えたくなかった。とりあえず水車小屋に帰って、また一眠りして……どうすべきか考えるのはそれからでいいだろう。
「あのっ」
部屋を出ようとすると、それを引き留めるようにベルカントの声がした。振り向くと、ベッドの横にいたベルカントが近寄ってくるところだった。
「……すみませんでした。その……いや、謝って済むことではないのはわかっているのですが、しかし……」
「別に、もう終わったことですし」
柚季が首を振ると、ベルカントが手を握りこむのが見えた。
葡萄色の瞳が一瞬下を向き、窓の外に泳ぎ、それから強い意志を持って柚季の顔に戻ってくる。
そんなに気にすることではないのに。居心地の悪い思いのまま見返していると、形のよい唇が開いた。
「柚季様、自分と結婚してくださいませんか」
言われた言葉の意味が分からず、柚季はベルカントの顔をただ凝視した。いや、言葉の意味するところはわかる。だが、そんな事をベルカントが言う理由がわからない。
「……何言ってるんです?」
「自分のせいだからです」
「いや、別にあなたのせいでは……」
困惑しつつも否定しようとした柚季の言葉は、ベルカントの視線の前に尻すぼみになっていく。
小さく息を吸ったベルカントが、ゆっくりと言い直した。
「この世界から柚季様が帰れなかったのは、自分のせいだか
らです」
「ええ……? あなたとあの事故に何の関係が……」
どうしてそういう話になるんだ、といいかけた柚季の頭の中で、ぱちりとこれまでの違和感の欠片が繋がった。
ベルカントに抱いた既視感。名前を聞いたことに対する彼の態度。過剰なように思えた親切心。
あっ、と小さな声が漏れた。
「……馬車に、轢かれた……」
記憶を手繰り寄せながら呟く。無意識に手が脚の傷に伸びていた。
そうです、とベルカントが頷いた。
「私が、あの時……10年前、柚季様に助けていただいた見習いの侍従です」
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