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9 過去の後悔、今の後悔
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「……ああ」
柚季の中に、あの日のことが蘇ってきた。
当時、柚季たちは大きな屋敷を持つ貴族の家に居候させてもらっていた。日本への帰還の前日で、皆が浮足立っていた雰囲気を覚えている。
たしか朝のことだった。スミレの乗っていた馬車が暴走して、ちょうど庭にいた柚季に突っ込んできたのだ。
驚いて固まる柚季を突き飛ばし、代わりに馬車に轢かれたのが、家にいた使用人の少年だったのは覚えている。
大きい家だったから仕える人も多く、いちいち名前なんて覚えていなかった。だが、その子が葡萄色の髪と目をしていたのは確かだ。
髪が血を吸って赤く染まり、その目から光が消えていくのを見て「このままだと死ぬな」と思い、スキルを使ったのたから。
並の人間なら死ぬような怪我でも、柚季なら痛いだけで済む。わざわざ柚季を庇うこともなかったのに、と思った記憶はある。
日本に帰れなくなるかも、という発想はなかった。まあどうにかなるだろう、と少し舐めていたところもあったのかもしれない。
ただ、さすがに馬車に轢かれたのは柚季でも負担が大きかったらしい。次に目が覚めた時には一週間が過ぎていて、柚季とスミレ以外は日本に帰ってしまったあとだった。
「自分に……柚季様のことを、お側で守らせていただけませんか」
「なぜです?」
ドアノブに手をかけたまま、目の前で立ち止まったベルカントを柚季は睨みつけた。
今回のことも、バハールに残る原因となった馬車の事故も、柚季が決断して動いた結果だ。ベルカントがそれをどう思おうと勝手だが、彼のせいだということにされるのは我慢がならなかった。
まるで、柚季にはまともな判断力なんてなくて、ベルカントがしっかりしていなかったせいで間違えたと言われている気がしたから。
それで近衛としてのキャリアまで捨てて結婚だなんて、冗談じゃない。
「元々僕が轢かれるところでしたし、別にあなたは関係ありません。つまらない責任感と同情で人生棒に振ってどうするんですか」
ドアを引くと、ベルカントの拳が開いた扉を殴りつけた。大きな音を立てて開きかけた扉が閉まる。
「私は構いません!」
大声に身をすくませた柚季を見て、ベルカントがはっとした表情をした。弁解するように降ろされた手を見て、柚季は半歩後ろに下がった。
「わ、私が近衛になったのは……柚季様の近くでお仕えしたかったからです。あの後、柚季様が人を避けて宮殿の庭で暮らすようになったと聞き、少しだけでもその安寧のお役に立ちたいと考えて近衛を志しました。ですから……柚季様のために尽くせるなら、今すぐ辞職しても問題ありません」
「いや……いやいやいや、冷静になりましょうよ」
熱を込めて語ってくるベルカントは、少し怖いくらいだった。何も考えたくないのに情報だけ溜まっていって、柚季自身も頭がオーバーヒートしてしまいそうだ。
「僕……僕には、あなたが仕事を辞めたときのペナルティとして課される金額は払えませんし……そもそも、そんなに長生きもしないと思うのでそこまでする必要は……」
口走ってから、目を見開くベルカントにしまったと思った。今度こそ肩を掴まれ、ベルカントの顔が至近距離に近づいてくる。
「な……長生きしないって……まさかご病気でも」
「ああいや、そんなに深い意味はなくて……」
はあ、と柚季は息をついた。
もういいか、と思った。
ベルカントは多分秘密にしてくれるだろうし。
「……僕のスキルを知ってるならわかると思いますけど、結局今僕がここで生かされてるのは『女王の代わりに死ぬため』なんですよ。他人よりは頑丈ですけど不死というわけではないですし、ベルさんには悪いけどそんなに安全な国というわけでもないし……まあ時間の問題ですよね」
「な、何言ってるんですか!」
「まあ、そういう感じなので。結婚なんて僕としてもいいことないと思うし、今のまま近衛やってたほうがいいと思いますよ」
肩に乗った手を払い、少し警戒しながら扉を開ける。今度は何もされなかったが、後からベルカントがついてくる。
庭に出ると、朝靄が地面を覆っていた。自分が雲の中にいるようで、見上げるとうっすらと太陽の輪郭が見える。
「……じゃあ、なんで『結婚したい』なんて言ったんですか」
その向こうから聞こえたようなベルカントの声は、聞こえなかったことにした。
柚季の中に、あの日のことが蘇ってきた。
当時、柚季たちは大きな屋敷を持つ貴族の家に居候させてもらっていた。日本への帰還の前日で、皆が浮足立っていた雰囲気を覚えている。
たしか朝のことだった。スミレの乗っていた馬車が暴走して、ちょうど庭にいた柚季に突っ込んできたのだ。
驚いて固まる柚季を突き飛ばし、代わりに馬車に轢かれたのが、家にいた使用人の少年だったのは覚えている。
大きい家だったから仕える人も多く、いちいち名前なんて覚えていなかった。だが、その子が葡萄色の髪と目をしていたのは確かだ。
髪が血を吸って赤く染まり、その目から光が消えていくのを見て「このままだと死ぬな」と思い、スキルを使ったのたから。
並の人間なら死ぬような怪我でも、柚季なら痛いだけで済む。わざわざ柚季を庇うこともなかったのに、と思った記憶はある。
日本に帰れなくなるかも、という発想はなかった。まあどうにかなるだろう、と少し舐めていたところもあったのかもしれない。
ただ、さすがに馬車に轢かれたのは柚季でも負担が大きかったらしい。次に目が覚めた時には一週間が過ぎていて、柚季とスミレ以外は日本に帰ってしまったあとだった。
「自分に……柚季様のことを、お側で守らせていただけませんか」
「なぜです?」
ドアノブに手をかけたまま、目の前で立ち止まったベルカントを柚季は睨みつけた。
今回のことも、バハールに残る原因となった馬車の事故も、柚季が決断して動いた結果だ。ベルカントがそれをどう思おうと勝手だが、彼のせいだということにされるのは我慢がならなかった。
まるで、柚季にはまともな判断力なんてなくて、ベルカントがしっかりしていなかったせいで間違えたと言われている気がしたから。
それで近衛としてのキャリアまで捨てて結婚だなんて、冗談じゃない。
「元々僕が轢かれるところでしたし、別にあなたは関係ありません。つまらない責任感と同情で人生棒に振ってどうするんですか」
ドアを引くと、ベルカントの拳が開いた扉を殴りつけた。大きな音を立てて開きかけた扉が閉まる。
「私は構いません!」
大声に身をすくませた柚季を見て、ベルカントがはっとした表情をした。弁解するように降ろされた手を見て、柚季は半歩後ろに下がった。
「わ、私が近衛になったのは……柚季様の近くでお仕えしたかったからです。あの後、柚季様が人を避けて宮殿の庭で暮らすようになったと聞き、少しだけでもその安寧のお役に立ちたいと考えて近衛を志しました。ですから……柚季様のために尽くせるなら、今すぐ辞職しても問題ありません」
「いや……いやいやいや、冷静になりましょうよ」
熱を込めて語ってくるベルカントは、少し怖いくらいだった。何も考えたくないのに情報だけ溜まっていって、柚季自身も頭がオーバーヒートしてしまいそうだ。
「僕……僕には、あなたが仕事を辞めたときのペナルティとして課される金額は払えませんし……そもそも、そんなに長生きもしないと思うのでそこまでする必要は……」
口走ってから、目を見開くベルカントにしまったと思った。今度こそ肩を掴まれ、ベルカントの顔が至近距離に近づいてくる。
「な……長生きしないって……まさかご病気でも」
「ああいや、そんなに深い意味はなくて……」
はあ、と柚季は息をついた。
もういいか、と思った。
ベルカントは多分秘密にしてくれるだろうし。
「……僕のスキルを知ってるならわかると思いますけど、結局今僕がここで生かされてるのは『女王の代わりに死ぬため』なんですよ。他人よりは頑丈ですけど不死というわけではないですし、ベルさんには悪いけどそんなに安全な国というわけでもないし……まあ時間の問題ですよね」
「な、何言ってるんですか!」
「まあ、そういう感じなので。結婚なんて僕としてもいいことないと思うし、今のまま近衛やってたほうがいいと思いますよ」
肩に乗った手を払い、少し警戒しながら扉を開ける。今度は何もされなかったが、後からベルカントがついてくる。
庭に出ると、朝靄が地面を覆っていた。自分が雲の中にいるようで、見上げるとうっすらと太陽の輪郭が見える。
「……じゃあ、なんで『結婚したい』なんて言ったんですか」
その向こうから聞こえたようなベルカントの声は、聞こえなかったことにした。
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