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10 銀の髪、甘言
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ホテルの窓の外では、乾いた秋の石畳を街灯が照らしていた。日本に比べ湿度の少ないバハールだが、特に夏から秋にかけては滅多に降雨がない。
――間違って、なかったよな。
2日前の朝のベルカントとの会話が、思い出したくもないのにまた頭の中で勝手に反芻される。埃っぽい街並みの中を歩く人々の姿が滲み、柚季は慌てて瞬きをした。気を抜くと、すぐ泣いてしまいそうになる。
悲しいことなんか、何もないはずなのに。
数日経ったところで、柚季の頭の中は全く整理なんてされていなかった。出口なんかないのにただ同じところをぐるぐると歩き回らされているような気分だ。
柚季とのことがきっかけでベルカントが近衛になったところまでは、まあいいとしよう。けれど、だからと言って柚季と彼が結婚する必要なんて、何もない。
そもそも柚季が結婚する必要性なんて、どこにもないのだ。ただなんとなく女王の気まぐれに付き合っていただけにすぎない。
それでも続けていた理由は、自分でも認めたくなかったが――
「……季殿。柚季殿?」
「あ、はい!」
笑顔を取り繕った柚季が顔を上げると、向かいの席には見慣れない男が座っていた。今日のお見合いの相手……だが、名前も肩書きも出てこない。
舞踏会の夜のことを本当にベルカントが黙ってくれているのか、そもそも隠し通せるものなのか、柚季には分からなかった。ただあの後女王からいつも以上の詮索を受けることもなく、だから柚季は女王に予定を組まれていた通りお見合いの場であるホテルのレストランに来ていた。
戦争で没落した貴族が自らの屋敷を改装して始めた「ホテル」は、客に「貴族の一夜」を提供するという体験型サービスとして人気を博している。
元々のターゲットである庶民層はもちろん、最初は眉をひそめていた貴族たちの中にも、息抜きや社交の場として愛用するものは多いという。
「せっかくだから、お前も一回行ってみるといい」と言っていた女王を思い出し、柚季は全身がずんと重くなった気がした。
誰だっけ、と焦りながら眺めたテーブルの上では、グラスに入ったアイスクリームが半分溶けていた。垂れていくアイスを眺めていると、目の前の男は盛大にため息をついた。
「柚季殿、そんなに私と過ごすのは退屈ですか?」
「……え?」
「ずっとぼうっとしておられたようですし、今だって私が話しかけているのに聞いてすらいない」
「あ、す、すみません」
慌てて柚季は座り直した。せっかく女王が引き合わせてくれたのに、迷惑をかけるわけにはいかない。
「あ、あの、申し訳ないのですがもう一度、その、お話しいただいても……」
小さな声で尋ねると、また大きなため息が返ってくる。
「もう結構です。お暇させていただきますね。あなたは私と一緒にいたくないようですので」
「そういうわけでは」
弁解しようとした柚季に一瞥もくれることもなく、店を出ていく男を見送る。
追いかけなくては、謝らなくては。焦る柚季の心とは裏腹に、体は重くて全く動かない。
「はあ……」
男の背中が見えなくなってから、柚季は椅子の背もたれに寄りかかった。キラキラした照明が眩しくて目を閉じる。
予定してしまっていたからと思ってお見合いにやってきたはいいが、こんなことになるならやめておけばよかった。せめて、自分は相手に誠実な態度を取りたいと思っていたのに。それすらできず、ただ相手に不愉快な思いだけをさせて終わってしまった。
――本当、何してるんだろ。
考えたくないのに、またぐるぐると出口のない思考に引きずり込まれていく。
「あの、柚季様」
不意に聞こえてきた声に目を開けると、足元にかしずくように青年が屈みこんでいた。服装を見るに、ホテルの従業員だろう。珍しくその両腕には何も嵌っていない。
「あっ、はい……」
何かやらかしてしまっただろうか。
濃色の髪色が多いバハールでは珍しい、プラチナブロンドと青目の組み合わせ。最近どこかで見たような、と働かない頭の片隅に引っかかるものがあったが、それが言葉になる前に、柚季を見上げた青年が柔らかく眉を寄せた。
「失礼ですが、どこかお加減でも……? お食事もほとんど召し上がられなかったようですが」
「えっと、いや、その……大丈夫、です」
体調は悪くない。誰かの怪我や病気を引き受けているわけではないし。
ただ――少し疲れただけだ、と思う。
居たたまれなくなって立ち上がるが、そこでまた動けなくなる。すっかり溶けているアイスクリームを見下ろしていると、そっと背中に手を当てられた。
覗き込んでくる青い瞳には、どこかぞっとするような、柚季を値踏みするような色合いがあった。
「少し、休まれて行ってはいかがですか?」
「いえ、そんな……」
「せっかくいらしたんですから、ぜひうちをもっと体験していってください。ここは日常の傷を癒す場所なんですから」
「でも」
「暗くなってから出歩くのは危険ですよ? 見たところ従者の方もおられないようですし……お連れの方も先にご帰宅されたのでしょう?」
男が指し示す窓の外では、暗くなりかけた夕日が赤く庭を染めていた。反射的に3日前のことを思い出してしまい、柚季の背中がざわりと粟立った。
震えそうになった左手首を掴む。
答えられなくなった柚季に肯定されたと思ったのか、青年がウェイターに何かを言いつけた。
「私、このホテルの総支配人のランシェ・ウィルポットと申します。何かありましたら、ご遠慮なくお申し付けくださいね」
――間違って、なかったよな。
2日前の朝のベルカントとの会話が、思い出したくもないのにまた頭の中で勝手に反芻される。埃っぽい街並みの中を歩く人々の姿が滲み、柚季は慌てて瞬きをした。気を抜くと、すぐ泣いてしまいそうになる。
悲しいことなんか、何もないはずなのに。
数日経ったところで、柚季の頭の中は全く整理なんてされていなかった。出口なんかないのにただ同じところをぐるぐると歩き回らされているような気分だ。
柚季とのことがきっかけでベルカントが近衛になったところまでは、まあいいとしよう。けれど、だからと言って柚季と彼が結婚する必要なんて、何もない。
そもそも柚季が結婚する必要性なんて、どこにもないのだ。ただなんとなく女王の気まぐれに付き合っていただけにすぎない。
それでも続けていた理由は、自分でも認めたくなかったが――
「……季殿。柚季殿?」
「あ、はい!」
笑顔を取り繕った柚季が顔を上げると、向かいの席には見慣れない男が座っていた。今日のお見合いの相手……だが、名前も肩書きも出てこない。
舞踏会の夜のことを本当にベルカントが黙ってくれているのか、そもそも隠し通せるものなのか、柚季には分からなかった。ただあの後女王からいつも以上の詮索を受けることもなく、だから柚季は女王に予定を組まれていた通りお見合いの場であるホテルのレストランに来ていた。
戦争で没落した貴族が自らの屋敷を改装して始めた「ホテル」は、客に「貴族の一夜」を提供するという体験型サービスとして人気を博している。
元々のターゲットである庶民層はもちろん、最初は眉をひそめていた貴族たちの中にも、息抜きや社交の場として愛用するものは多いという。
「せっかくだから、お前も一回行ってみるといい」と言っていた女王を思い出し、柚季は全身がずんと重くなった気がした。
誰だっけ、と焦りながら眺めたテーブルの上では、グラスに入ったアイスクリームが半分溶けていた。垂れていくアイスを眺めていると、目の前の男は盛大にため息をついた。
「柚季殿、そんなに私と過ごすのは退屈ですか?」
「……え?」
「ずっとぼうっとしておられたようですし、今だって私が話しかけているのに聞いてすらいない」
「あ、す、すみません」
慌てて柚季は座り直した。せっかく女王が引き合わせてくれたのに、迷惑をかけるわけにはいかない。
「あ、あの、申し訳ないのですがもう一度、その、お話しいただいても……」
小さな声で尋ねると、また大きなため息が返ってくる。
「もう結構です。お暇させていただきますね。あなたは私と一緒にいたくないようですので」
「そういうわけでは」
弁解しようとした柚季に一瞥もくれることもなく、店を出ていく男を見送る。
追いかけなくては、謝らなくては。焦る柚季の心とは裏腹に、体は重くて全く動かない。
「はあ……」
男の背中が見えなくなってから、柚季は椅子の背もたれに寄りかかった。キラキラした照明が眩しくて目を閉じる。
予定してしまっていたからと思ってお見合いにやってきたはいいが、こんなことになるならやめておけばよかった。せめて、自分は相手に誠実な態度を取りたいと思っていたのに。それすらできず、ただ相手に不愉快な思いだけをさせて終わってしまった。
――本当、何してるんだろ。
考えたくないのに、またぐるぐると出口のない思考に引きずり込まれていく。
「あの、柚季様」
不意に聞こえてきた声に目を開けると、足元にかしずくように青年が屈みこんでいた。服装を見るに、ホテルの従業員だろう。珍しくその両腕には何も嵌っていない。
「あっ、はい……」
何かやらかしてしまっただろうか。
濃色の髪色が多いバハールでは珍しい、プラチナブロンドと青目の組み合わせ。最近どこかで見たような、と働かない頭の片隅に引っかかるものがあったが、それが言葉になる前に、柚季を見上げた青年が柔らかく眉を寄せた。
「失礼ですが、どこかお加減でも……? お食事もほとんど召し上がられなかったようですが」
「えっと、いや、その……大丈夫、です」
体調は悪くない。誰かの怪我や病気を引き受けているわけではないし。
ただ――少し疲れただけだ、と思う。
居たたまれなくなって立ち上がるが、そこでまた動けなくなる。すっかり溶けているアイスクリームを見下ろしていると、そっと背中に手を当てられた。
覗き込んでくる青い瞳には、どこかぞっとするような、柚季を値踏みするような色合いがあった。
「少し、休まれて行ってはいかがですか?」
「いえ、そんな……」
「せっかくいらしたんですから、ぜひうちをもっと体験していってください。ここは日常の傷を癒す場所なんですから」
「でも」
「暗くなってから出歩くのは危険ですよ? 見たところ従者の方もおられないようですし……お連れの方も先にご帰宅されたのでしょう?」
男が指し示す窓の外では、暗くなりかけた夕日が赤く庭を染めていた。反射的に3日前のことを思い出してしまい、柚季の背中がざわりと粟立った。
震えそうになった左手首を掴む。
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