取り残された隠者様は近衛騎士とは結婚しない

二ッ木ヨウカ

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14 雨宿り、水滴

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 宮殿から2時間ほどのところにある女王専用の狩り場は、人工の森や川が整備され、バハールの首都にあることが信じられないほど広く、緑に満ちている。どこか土の匂いのする風は汗をかいた肌に涼しく、紅葉は目に美しく、屋外を散策するには最適の陽気だ。

 多分。

 多分というのは、今の柚季は馬に乗っていて、そのせいで全身汗みずくになっていて、まったくもってそれどころではないからだ。

「柚季様……大丈夫ですか?」
「は、はいー……」

 森の中、先行するベルカントが黒馬の上から振り向いている気配を感じる。だが、今の柚季には少し横に視線を向ける余裕もなかった。
 前方の一点を注視し、ただ落ちないように馬の背中にしがみついているしかできない。

 ――馬車は平気だったのに。

 自分でも不思議だが、おそらく「馬車本体」ではなく、「馬に触れること」が怖いのだ。変なの、と思うが、柚季の体に染み付いた恐怖感はなかなか消えない。

「少し行ったところに池があります。そこで一度休憩しましょう」
「はい……」

 手綱をつい握り込むせいで、柚季の乗った栗毛の馬はすぐ立ち止まってしまう。
 歩いて数分の距離を、何倍もの時間をかけて進む。本当に池なんてあるのだろうか、と思っとところで目の前が開け、キラキラとした水面が目の前に広がった。

「はあー……」

 目の前の景色に、安堵と歓心の声が漏れる。
 落馬するように馬から降り、木に寄りかかって座り込む。
 大した距離は進んでいない。10キロも進んでいないはずだ。でも、ここまで来れた達成感があった。帰りのことを考えるとげんなりしてしまうので、意識して頭の中から追い出す。

 テキパキとお茶の準備をしお茶の準備をするベルカントは、いつもの制服と違いグレーのジャケットの上に黒いマントを羽織っている。それでも手本のように姿勢がいいのは、体に近衛としての動きが組み込まれているのだろう。
 手伝ったほうがいいのだろうか、と迷っているうちに、熱い茶の入ったカップが差し出されていた。受け取るときに触れた指先を意識してしまい、顔を伏せる。

「……今日は付き合っていただきありがとうございます、ベルさん」
「柚季様のお役に立てて光栄です。しっかり練習して、今度の本番に備えましょうね」

 そう答えてくれる葡萄色の瞳はどこか悲しそうで、柚季の胸がちくりと痛んだ。
 自分で、頼んだことなのに。
 柚季がこうしてベルカントと乗馬の練習をしているのは、ランシェからの誘いが理由だった。
 何回か食事を共にしたランシェから「新しく郊外の館を購入したので、貴族体験サービスとして『狩猟』を新しく始めてみるつもりだ」という手紙が来たのは、数日前のことだ。

「まだ皆からの意見を聞いてる段階なんだけど、今度柚季にも試してもらいたいんだ」

 それは楽しそうですね、と返信を書こうとして、柚季の手が止まった。
 乗馬が苦手だからである。
 十年以上も女王の近くで生きていれば、柚季だって狩猟に参加したこともある。だから、狩猟とは大勢の従者と犬を使って、馬に乗った貴族が鹿や狐、鳥などを撃つものだということも知っている。

 自転車も車もないバハールでは、長距離移動の足は馬やロバがメインだ。農作業に使うことも多いし徴兵されれば一通りは習うため、所有しているかどうかはともかく、たいていの人は馬に乗れる。
 でも自分はそうじゃないんだ、とランシェに書くことは、なぜかできなかった。

 代わりに、ベルカントに「乗馬の練習として、一緒にピクニックに行ってくれないか」と自分から持ち掛け、女王から狩り場の使用許可をもらうことにした。
 柚季の狭い交友関係の中で一番馬の扱いが上手いのはベルカントだし、どうせ護衛と称してどこに行くにもくっついてくるのだから、最初から本人に頼んでしまえばいい、と思ったのだ。

「時間もちょうどいいですし、昼食にしましょうか」
「……そうですね」

 ベルカントに促され、柚季は持ってきたバスケットを開けた。蝋紙に包まれたおにぎりは、「日本ではこういう時に何を食べるのか知りたい」というベルカントのリクエストに応えたものだ。
 樹の下に並んで座り、おにぎりをかじる。

 静かだ、と思った。
 聞こえるのは水鳥が時折潜る音と馬が鼻を鳴らす音くらいで、見渡す限り誰もいない。
 もしかして、自分は間違った選択をしてしまったのではないか。不意に、そんな後悔が柚季の中に湧き上がってきた。

 ――だって、こんなの、デート以外の何物でもないじゃん!

 ただそれを言ったら「警護」という名目の元寝食を共にしている状況も、同棲と言えなくもない。
 なんでこんなことになってるんだろう。

 ベルカントは……本当に、それでいいのだろうか。

 横を向くと、無防備な笑顔と目が合った。

「美味しいですよ、柚季様!」
「あ、ありがとう」

 早くなってしまう鼓動を感じながら、柚季はおにぎりに視線を戻した。小さなプラムを赤く酸味の強いハーブにつけた梅干しにご飯、海は近くないので海苔すらない。柚季からしてみれば「どこか違う感」が拭えないおにぎりだが、でも、と言いかけてやめる。
 ベルカントが美味しいと言ってくれる。それで十分だ。
 柔らかく吹いてきた風が、汗ばんだ体を冷やしていく。柚季はふるりと体を振るわせた。

「寒くなってきましたね」

 そう言ったベルカントが柚季に体を寄せ、マントをかけてきた。空が暗くなってきている。バハールには珍しく、一雨来そうな雰囲気だ。

「そう……ですね」

 近づいてきたベルカントの髪が、柚季の頬に触れる。
 甘いような苦いようなベルカントの体臭がして、なぜだか分からないけど涙が出そうだった。せめてもの抵抗として、自分は何も意識していないんだと柚季は言い聞かせながらおにぎりにかぶりついた。すぐにバスケットの中は空になる。

「それ、じゃあ……」

 早々に柚季が立ち上がろうとすると、ぱたり、と頭上から音が聞こえた。

「ん?」

 ぱたぱたぱた、と音が連続し、池に水紋が広がる。雨だ。上を見上げると、音とともに揺れる木の葉が見えた。

「あ」
「雨ですね」

 ベルカントがマントを巻き直し、柚季の腰を強く抱き寄せてくる。
 まるで、逃すまいとするかのように。

「やっ、あ、う、馬とか濡れちゃう、から……早く、帰らないと……」
「大丈夫ですよ、彼らは。濡れるくらい」

 逃げるように見た馬たちは、確かに近くの木に繋がれて平気そうな顔をしている。なんでだよ。雨が嫌いであれよ。心中で八つ当たりしながら視線を戻すと、ベルカントは薄く笑ったようだった。

「しばらく雨宿りしましょう」
「う、うん……」

 腰に回されたベルカントの指を外そうとすると、反対にその指先を握りこまれてしまう。引き寄せられた柚季の手首に、硬いものが当たった。
 女王への忠誠を誓う、近衛の腕輪。

 逃げなければいけないのだろう、と思う。
 でも、今ここにいるのは狩猟番くらいのものだ。それだってきっと、このにわか雨でこちらのことなんて見えない。
 そう思うと、握り返すことも、やめろと口に出して距離を取ることもできない。
 指先に熱を感じながら、ただ体を強張らせる。

「柚季様」

 耳元に熱い息がかかって、柚季は目をつぶった。けれども耳は塞げない。

「お慕い申し上げております」

 言葉とともに、唇に柔らかいものが当たる感触があった。
 反射的に目を開けると、間近にベルカントの顔がある。

「自分は……自分が柚季様に結婚を申し込んだのは、同情心でも責任感でもありません。あなたのそばで、一番の支えになりたいからです」

 聞きたくなんてなかった。
 でも、嬉しいと思ってしまう。

「なんで……僕なんか……ただの引きこもりだろ」

 柚季がかすれた声で呟くと、ベルカントは右手を柚季の前に回してきた。

「自分を助けてくれた、それ以上に理由が必要ですか?」
「……僕は、君に……幸せになってほしいんだ」
「自分の幸せは、あなたと共にあることです」
「僕なんかと一緒にいたって、いいことなんかないだろ」

 自分に取り柄なんてないことは、柚季が一番よく知っている。言い返すと、ベルカントは怒ったように目を細めた。

「……どうして、毎回そう言うんです?」
「どうして、って……」

 そんな理由なんていっぱいある。けれど、それを列挙する前に柚季の口はベルカントに塞がれていた。

「ん……っ……」

 甘苦いベルカントの香りが口いっぱいに広がる。さっきとは違う、噛みつくようなキス。今度こそ、拭う間もなく涙が落ちた。
 水滴はよく手入れされたマントの布地に弾かれ、ころころと地面へと転がっていく。
 滲む視界の向こうには、もう晴れ間が見えていた。
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