取り残された隠者様は近衛騎士とは結婚しない

二ッ木ヨウカ

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15 狐は誰がために死ぬ?

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 廊下を近づいてくる控えめな足音に、柚季は目を開けた。

 目を閉じる前同様、落ち着いたモスグリーンの壁紙に、重厚なクローゼットが視界に入ってくる。狐狩りの途中で体調を崩してしまった柚季にランシェが貸してくれた部屋だ。いつの間にか煌々とランプが灯されているところを見ると、少し寝てしまっていたのかもしれない。
 上体を起こすと、すぐ横にベルカントが立っていた。見上げると何かを言いたげに口を開いたが、その前に扉が控えめにノックされ、ランシェが顔を出す。

「柚季、大丈夫?」
「あ、はい……」

 ベッドの横に屈み込むランシェの話し方は、何度か会ううちにだいぶ砕けたものになっていた。
 不安げなランシェの表情を見ながら、ゆっくりと息を吸う。気持ち悪さと頭がぼうっとした感覚はかなり薄れていた。

「すいません、せっかくお誘いいただいたのに……」
「ううん、こっちこそごめん。狐を殺すところなんて柚季には刺激が強かったよね」
「いや、そういうわけではないんですけど」

 そっと部屋の外に出ていくベルカントを横目で見ながら、柚季は首を振った。
 確かに、楽しみのために動物を殺すというのは柚季からしてみればあまりいい趣味とは思えない。しかし狐には悪いが、殺されるところを見て気分が悪くなったわけではなかった。
 柚季自身が前線に立つことはほとんどなかったが、それでも戦争に出ていたのだから死体なんていくらでも見る。銃創1つなんて綺麗なものだ。もっと酷い見た目のことも多かったし、それでもまだ相手が生きていれば怪我を引き受けてもきた。

 ただ、狐をランシェが撃ち、雇われの従者たちが拍手喝采をした時、「きっと自分もこうやって死んでいくのだろうな」と思ってしまったのだ。

 女王が助かったことを皆が喜ぶ中で、そっと人生が終わっていくんだろう――自分とその狐を重ねてしまった瞬間、目眩がして立っていられなくなってしまったのだ。

 そのために生きているはずなのに。
 自分の命で誰かが生き長らえるなんて、嬉しいことのはずなのに。

「食べられるようなら夕飯出すけど……どうする?」
「ああ、もうそんな時間でしたか」

 正直、空腹は感じない。答えあぐねているとその雰囲気を察したのか「果物でも持ってこようか」とランシェが首を傾げた。

「そう……ですね。お願いしてもいいですか?」
「もちろん」

 立ち上がったランシェは、紫とオレンジの縞模様のリンゴとナイフを持ってすぐに戻ってきた。ベッドの端に腰掛け、慣れた手つきで皮を剥いていく。
 じっと見ていると、「あ」とランシェが苦笑いした。

「ごめん。はしたないよね、こういうの」
「ああ、いえ……ただ、意外だっただけで」

 柚季は慌てて首を振った。
 バハールでは、ミカンやリンゴであろうとも、自分で皮を剥くのは使用人のいないランクの家ですることだ。身なりの良いランシェがリンゴの皮を剥ける、というのがイメージと違っていたに過ぎない。

 ――「没落」貴族って、そういうことなのかな。

 なんとなく自分の中で理屈をつけ、剥いてくれたリンゴに手を伸ばす。

「だ、大丈夫! 結婚した後、柚季に苦労はさせないから!」
「別にそんな心配はしてませんよ」

 硬く甘酸っぱいリンゴを噛み、柚季は笑った。さわやかな味が、胸の気持ち悪さを押し流してくれた気がする。

「ただ……きっとランシェさんはすごく苦労されてきたんだな、って」

 柚季がそう言った瞬間、ランシェの手の中でりんごが滑った。

「あっ、つ」
「あ、すいません、刃物使ってる最中に話しかけちゃって」

 ランシェの背後から左手を伸ばし、そっと背中に触れる。小さな痛みが左手の親指に移動してきた感覚があった。

「いや、全然こんなの……」

 左手を見たランシェが、傷そのものが消えていることに気づいたのか不思議そうな顔になる。

「あれ? 切れたと思ったんだけどなぁ」
「あ、じ、じゃあランシェさん、得意料理とかあったりするんですか!?」

 柚季は慌てて話題を変えた。
 ついスキルを使ってしまったが、こんなつまらないことでバレるわけにはいかない。ランシェにも「転移人にも貰える人とそうでない人がいるみたいで、自分にはなかったんですよね」で押し通しているのに。

「……得意料理?」

 りんごの皮を剥き終わったランシェが、不思議そうに首を傾げた。料理は好きとか嫌いとかではなく基本的に必要に迫られてやることだから、あまり得意とかそういった発想はないのかもしれない。

「そう、ですね……得意……」
「あ、えと、よく作るやつとか」
「ああ……豆のスープはよく作る……というか作ってたけど……でもどうだろう、得意ではないかもな」

 ランシェは組んだ膝に頬杖をついた。 

「思った味にならないんだよね、何回作っても。別に不味いわけではないんだけど、どうしても家の味と違うんだ」
「ああーわかります! なんか違うんですよね作りたいのと」

 柚季は実感を込めて頷いた。柚季の場合は微妙に材料が違うせいもあるが、イメージと少し違う味になるのはいつものことだ。
 人の家でご馳走になり、卵焼きの味にびっくりする状況に近い。「とにかくなんか違う」のだ。

「もう両親もその時の使用人もいないし、同じ味は無理なんだろうけど……それでも時々試しちゃうよね」
「あれ……ランシェさん、ご両親はもう……?」

 柚季がおずおずと尋ねると、なぜかランシェは驚いたように目を見開いた。

「え? うん、もういないけど。……そっか、柚季は知らないのか。バハールに来る前の話だもんね」

 何かを納得したように頷くランシェだが、柚季には意味が分からなかった。

「何の……?」
「……ううん、なんでもない。こっちの話」

 ランシェの手が伸びてきて、ベッドの上に投げ出されていた柚季の手を握り込んだ。

「ところで柚季、そろそろ……結婚についてはどうかな?」
「えっ」
「俺は……俺たち、いいパートナーになれると思うんだ。商売にも抵抗なさそうだし、柚季さえよかったらだけど、一緒に日本風のホテルとかも作れたらなって考えてる。……気が早いかな?」
「ええと……」

 ランシェの、何も嵌っていない手首を柚季は見下ろした。
 ランシェと付き合いはじめて3か月くらい経つ。それが結婚を決めるのに適切な長さなのか、バハールではどうなのか、結月にはさっぱりわからなかった。

「僕は……」
「家族になろうよ、柚季」

 かすかに微笑むランシェの目は、はじめて柚季に焦点を合わせている気がした。
 助けを求めるようなアイスブルーの瞳に、心がくすぐられる。

 見つめられても、ドキドキはしない。
 けれど、胸の中にゆっくりと喜びが沁みていく。
 この人に必要とされているなら、応えてあげたい。

 たとえポーズだとしても、こうやって柚季のことを大切にする態度を取れるこの人なら。
 ちょっとくらい趣味が合わななくても、共に暮らしていけるかもしれない。

「ごめん、体調悪いのに重い話しちゃったね。今の、聞かなかったことにして」

 そう言って手を離した瞬間、ぱっとランシェの顔に笑顔が戻った。けれど、いつもの仮面めいた作り笑顔が、少しだけぎこちないような気がする。

「そうだね。そろそろ……考えなきゃね」

 ランシェの温もりの残る手を胸に握り込み、柚季は呟いた。
 ちらりと見たドアの向こうは、ただしんとしていた。
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