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17 互いに知らなかったこと
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いつもより更に豪華な服に身を包んだランシェが宮殿の正門に降り立ったのは、年の瀬も迫った、ちらちらと粉雪が振る日だった。
「ああ……」
階段の前に立ったランシェは大きな襟に彩られた顔で上を振り仰ぎ、白い息を吐いた。その視線の先には真っ白な宮殿と、そこに入るための、豪華な彫刻が施された門がそびえている。
「お……大きいね……」
「ランシェさんのホテルも似たようなものですけどね、僕からすれば」
珍しく怖気づいた様子のランシェに、柚季は笑みを零した。
「そ、そりゃあの小屋から比べればそうだろうけどさ」
体を寄せてきたランシェに、羽織の袖から伸びた手を握られる。冬だというのに汗でべったりとしたランシェの手は、小刻みに震えていた。
「あれ、大丈夫ですか? 今日はやめとく……?」
「いや、平気、だけど……ちょっと、心の準備が……」
痛いほどに柚季の手を握り、ランシェはゆっくりと深呼吸をした。その手を握り返し、もう片方の手で包む込むように柚季は胸にランシェの手を抱いた。
「女王は優しい人だから、そんなに身構えなくても平気ですよ」
「『優しい人』ね……」
何か言いたげに、ランシェの瞳が鋭く細められる。
「……ランシェ?」
違和感を口にしかけた柚季の鼻の上に、小さな雪片が落ちた。
「っくしゅ!」
釣られたように出てきたくしゃみに、ランシェの表情がふわりと崩れる。
「ごめん、早く室内に入ろう。……それにしても、柚季はくしゃみもかわいいね」
「いや、んなことは……っしゅ!」
再度くしゃみをした柚季の背を押すようにして、ランシェは階段を昇りはじめた。
「……今までありがとう、柚季」
いつになく優しい響きを含んだ言葉に、柚季はランシェの顔を見上げた。階段の上を見る表情は、一点の曇りもなく鋭く研ぎ澄まされている。
ランシェをエスコートしつつ長いエントランスホールを抜け、今日の目的地である温室に向かう。相変わらず背後からついてくるベルカントのことは、極力意識から外すこととする。
「そういえば、今日のお茶会には王妃様はいらっしゃるのかな」
「ん? スミレが? ……なんで?」
柚季の返答が、少しだけ低い声になる。
正直、柚季としては「魅了」のスキルを持つスミレには今日の場にはいてほしくない。ランシェが柚季のことを好きでないのは構わない。スミレもそんなことはしないと思うが——それでも万が一、彼女に心を奪われてしまったら、という不安が拭えない。
「いや、この前王妃様がお忍びでうちのホテルを利用してくれたんだよね。ただ、その時は忙しくてあんまりお話できなかったから。いらっしゃるならしっかりお礼をしたくて」
「え? そうなの?」
初耳だ。柚季が目を瞬かせると、ランシェは記憶を探るように小さく上を向いた。
「噂通り綺麗な人でびっくりしちゃったよ。周りの空気が変わるっていうか……あ、もちろん柚季の方が綺麗だから安心してね」
「それは……うん、ありがとう」
とってつけたようなランシェのおべっかにどう返せばいいものか困っているうちに、渡り廊下の向こうに温室が見えてくる。
「すごいな、これは……冬なのに蝶が飛んでるなんて」
「一年中適温に保つことで、いつでも花と蝶が楽しめるようにしてあるらしいよ」
目を丸くするランシェと二重扉をくぐる。
蝶々用に糖蜜水を張った水盆の横、黄色い蔓花の垂れ下がる下で、女王ライラだけが椅子に座っていた。白いテーブルの上に、茶器が用意されている。
「よく来たね、ランシェ・ウィルポット。うちの柚季が世話になっているそうだが」
席を立つこともなく、ライラはランシェに声をかけた。目線は女王の方が下のはずだが、それを感じさせない威圧感がある。
「久しぶりだが、随分と立派になったようだね」
その言葉に、柚季の肘にかかっていたランシェの手がぴくりと反応した。
「覚えて……おられたんですね。光栄です」
「忘れるものか」
「え、ランシェ……女王と知り合いなの?」
柚季が見上げると、にこりと笑ったランシェが「まあ、昔ね」と柚季を横目で見て、軽く肩を竦める。
「目を閉じてて、柚季」
そのまま小さく早口で耳打ちされ、柚季は眉を寄せた。
突然何を言いだすんだ。なぜこの状況で目を閉じる必要があるんだ。わけがわからず従えないままでいると、意外そうに女王が片眉を上げて含み笑いをした。
「おや、言ってないのか。お前の親の所業を」
ぐっ、とランシェが息を呑む音が聞こえた。柚季から手を離し、女王の元に歩み寄る。深々と頭を下げつつ、彼女の足元に膝をつく。
「……お久しぶりです。ライラ陛下」
自然に垂れ下がったランシェの右手が、するりと革靴に伸びた。微かに震える指先が、靴と足首の間に滑り込む。
「また、こうやってお目通りが叶ったこと、誠に感謝いたします」
引き抜かれたランシェの指の間から、きらりと光るものが覗いた。
「陛下!」
背後からの叫びを柚季が不思議に思う前に、ランシェの体はバネが弾けるように伸びあがっていた。
ランシェの手が跳ね、柚季の隣を誰かが走り抜けていく。女王の喉——そこに伸びたナイフの前に、赤い影が割り込む。
「……えっ?」
次の瞬間、柚季の視界にあったのは、胸元からナイフの柄を生やし、女王の前に立ちはだかったベルカントの姿だった。
何が起きたか頭が追いつかない。瞬きもできない柚季の前で、ゆっくりとベルカントの体が傾いでいく。その後ろから飛び出してきたもう一人の近衛が、吠えるランシェを突き飛ばして取り押さえた。
「っ……そがああああ! 離せ! ライラ! お前のことだけは許せねえんだよ! 俺があれから――」
「……残念だよ、ウィルポット。お前になら柚季を任せてもいいと思ったのに」
「ベ……ベルっ!」
冷静な表情で椅子に座ったままの女王の足元、倒れたベルカントに柚季は駆け寄った。赤い制服の胸元が黒く濡れている。手を当てると、ベルカントの手がその上に重なった。
「ゆず……だめ……」
「大丈夫、まだそんなに出血してないから」
ベルカントを見下ろして微笑み、柚季は手元に意識を集中させた。
ベルカントの胸元からナイフが抜け落ちるのと同時に、柚季の胸元から血が噴き出す。
「あ……」
全身を貫く痛みと急激な脱力感に襲われ、柚季はベルカントの上に倒れ込んだ。
傷口が熱い。だがその他の部分は冷たくて、手足に力が入らない。
急速に視界が暗くなっていく。
「柚季様っ!」
「えっ……柚季? なんで……」
遠くでベルカントと、それからランシェの呼ぶ声が聞こえる。
大丈夫。
そう言いたかったけれど、開けた口から出てきたのは血の塊だけだった。
「ああ……」
階段の前に立ったランシェは大きな襟に彩られた顔で上を振り仰ぎ、白い息を吐いた。その視線の先には真っ白な宮殿と、そこに入るための、豪華な彫刻が施された門がそびえている。
「お……大きいね……」
「ランシェさんのホテルも似たようなものですけどね、僕からすれば」
珍しく怖気づいた様子のランシェに、柚季は笑みを零した。
「そ、そりゃあの小屋から比べればそうだろうけどさ」
体を寄せてきたランシェに、羽織の袖から伸びた手を握られる。冬だというのに汗でべったりとしたランシェの手は、小刻みに震えていた。
「あれ、大丈夫ですか? 今日はやめとく……?」
「いや、平気、だけど……ちょっと、心の準備が……」
痛いほどに柚季の手を握り、ランシェはゆっくりと深呼吸をした。その手を握り返し、もう片方の手で包む込むように柚季は胸にランシェの手を抱いた。
「女王は優しい人だから、そんなに身構えなくても平気ですよ」
「『優しい人』ね……」
何か言いたげに、ランシェの瞳が鋭く細められる。
「……ランシェ?」
違和感を口にしかけた柚季の鼻の上に、小さな雪片が落ちた。
「っくしゅ!」
釣られたように出てきたくしゃみに、ランシェの表情がふわりと崩れる。
「ごめん、早く室内に入ろう。……それにしても、柚季はくしゃみもかわいいね」
「いや、んなことは……っしゅ!」
再度くしゃみをした柚季の背を押すようにして、ランシェは階段を昇りはじめた。
「……今までありがとう、柚季」
いつになく優しい響きを含んだ言葉に、柚季はランシェの顔を見上げた。階段の上を見る表情は、一点の曇りもなく鋭く研ぎ澄まされている。
ランシェをエスコートしつつ長いエントランスホールを抜け、今日の目的地である温室に向かう。相変わらず背後からついてくるベルカントのことは、極力意識から外すこととする。
「そういえば、今日のお茶会には王妃様はいらっしゃるのかな」
「ん? スミレが? ……なんで?」
柚季の返答が、少しだけ低い声になる。
正直、柚季としては「魅了」のスキルを持つスミレには今日の場にはいてほしくない。ランシェが柚季のことを好きでないのは構わない。スミレもそんなことはしないと思うが——それでも万が一、彼女に心を奪われてしまったら、という不安が拭えない。
「いや、この前王妃様がお忍びでうちのホテルを利用してくれたんだよね。ただ、その時は忙しくてあんまりお話できなかったから。いらっしゃるならしっかりお礼をしたくて」
「え? そうなの?」
初耳だ。柚季が目を瞬かせると、ランシェは記憶を探るように小さく上を向いた。
「噂通り綺麗な人でびっくりしちゃったよ。周りの空気が変わるっていうか……あ、もちろん柚季の方が綺麗だから安心してね」
「それは……うん、ありがとう」
とってつけたようなランシェのおべっかにどう返せばいいものか困っているうちに、渡り廊下の向こうに温室が見えてくる。
「すごいな、これは……冬なのに蝶が飛んでるなんて」
「一年中適温に保つことで、いつでも花と蝶が楽しめるようにしてあるらしいよ」
目を丸くするランシェと二重扉をくぐる。
蝶々用に糖蜜水を張った水盆の横、黄色い蔓花の垂れ下がる下で、女王ライラだけが椅子に座っていた。白いテーブルの上に、茶器が用意されている。
「よく来たね、ランシェ・ウィルポット。うちの柚季が世話になっているそうだが」
席を立つこともなく、ライラはランシェに声をかけた。目線は女王の方が下のはずだが、それを感じさせない威圧感がある。
「久しぶりだが、随分と立派になったようだね」
その言葉に、柚季の肘にかかっていたランシェの手がぴくりと反応した。
「覚えて……おられたんですね。光栄です」
「忘れるものか」
「え、ランシェ……女王と知り合いなの?」
柚季が見上げると、にこりと笑ったランシェが「まあ、昔ね」と柚季を横目で見て、軽く肩を竦める。
「目を閉じてて、柚季」
そのまま小さく早口で耳打ちされ、柚季は眉を寄せた。
突然何を言いだすんだ。なぜこの状況で目を閉じる必要があるんだ。わけがわからず従えないままでいると、意外そうに女王が片眉を上げて含み笑いをした。
「おや、言ってないのか。お前の親の所業を」
ぐっ、とランシェが息を呑む音が聞こえた。柚季から手を離し、女王の元に歩み寄る。深々と頭を下げつつ、彼女の足元に膝をつく。
「……お久しぶりです。ライラ陛下」
自然に垂れ下がったランシェの右手が、するりと革靴に伸びた。微かに震える指先が、靴と足首の間に滑り込む。
「また、こうやってお目通りが叶ったこと、誠に感謝いたします」
引き抜かれたランシェの指の間から、きらりと光るものが覗いた。
「陛下!」
背後からの叫びを柚季が不思議に思う前に、ランシェの体はバネが弾けるように伸びあがっていた。
ランシェの手が跳ね、柚季の隣を誰かが走り抜けていく。女王の喉——そこに伸びたナイフの前に、赤い影が割り込む。
「……えっ?」
次の瞬間、柚季の視界にあったのは、胸元からナイフの柄を生やし、女王の前に立ちはだかったベルカントの姿だった。
何が起きたか頭が追いつかない。瞬きもできない柚季の前で、ゆっくりとベルカントの体が傾いでいく。その後ろから飛び出してきたもう一人の近衛が、吠えるランシェを突き飛ばして取り押さえた。
「っ……そがああああ! 離せ! ライラ! お前のことだけは許せねえんだよ! 俺があれから――」
「……残念だよ、ウィルポット。お前になら柚季を任せてもいいと思ったのに」
「ベ……ベルっ!」
冷静な表情で椅子に座ったままの女王の足元、倒れたベルカントに柚季は駆け寄った。赤い制服の胸元が黒く濡れている。手を当てると、ベルカントの手がその上に重なった。
「ゆず……だめ……」
「大丈夫、まだそんなに出血してないから」
ベルカントを見下ろして微笑み、柚季は手元に意識を集中させた。
ベルカントの胸元からナイフが抜け落ちるのと同時に、柚季の胸元から血が噴き出す。
「あ……」
全身を貫く痛みと急激な脱力感に襲われ、柚季はベルカントの上に倒れ込んだ。
傷口が熱い。だがその他の部分は冷たくて、手足に力が入らない。
急速に視界が暗くなっていく。
「柚季様っ!」
「えっ……柚季? なんで……」
遠くでベルカントと、それからランシェの呼ぶ声が聞こえる。
大丈夫。
そう言いたかったけれど、開けた口から出てきたのは血の塊だけだった。
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