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気まずい中、必死でカレーを処理していく。口の中が痛すぎて涙が出そうだった。ようやくカレーが残り三分の一になったころ、ビールを飲みながら須野原がいいこと思いついたとばかりに手を打った。
「そうだ、樹。試験終わったらどこか一緒に出掛けようよ。遊園地リベンジしてもいいし、春休みになるから旅行でもいいし。行きたいところある?」
「行きたいところ……かあ」
どこがいいだろう、と考える前に、遊園地の日の記憶が樹の頭の中に蘇った。ワクワクしながら選んだチョコレート。気分が昂って何度もメッセージを確認した前夜。晴れていた空、ニコニコしながら早足で歩く来園者、かじかんだ指先、寒かった帰りの電車、それから。
ことり、と樹はスプーンを置いた。
「……樹?」
「あの、先輩」
不思議そうな顔をする、テーブルの向こう側の須野原を樹は見やった。焦げ茶色の瞳は、その奥が見えない。
「あの日……先輩の電話に出たの、誰ですか」
「え? ん?」
「僕が先輩に電話した時、誰か女の人が出たじゃないですか」
「あー、あれ? 妹」
あっさりと答えた須野原は、卵の殻でも噛んだような顔をした。
「近くの女子大通ってるんだけどさ、『お金がもったいない』『ルームメイトと喧嘩した』とかいってしょっちゅう泊りにきてご飯たかってくんの。正直迷惑してるんだよねー」
「そうなんだ……?」
嘘をついているようには見えなかった。だが、樹が他人の嘘を見破れたことはない。信じていいものだろうか。考えあぐねていると、樹の表情に気づいた須野原は「あ」と合点のいった表情になった。
「もしかして、俺の彼女なんじゃないか……とか、そういう心配してた?」
「いや、ええと、まあ……」
図星である。ただ、それを認めてしまうと「彼氏でもないのに気持ち悪い」と思われそうで口ごもる。
「えーないない。もっと早く聞いてくれればよかったのに。あんな貞子と付き合うわけないじゃん」
「そっか……」
どうやら樹の杞憂だったらしい。それでも何となく釈然としないまま残りのカレーを掻きこむように食べ、最後のラッシーで口直しする。デザートの杏仁豆腐まで堪能して、須野原と店を出た。
「わっ寒っ」
扉を開けた瞬間、ぶるりと樹は体を震わせた。カレーのせいで体中にかいていた汗が急激に冷えていくのが分かる。
「今日の夜は雪がちらつくでしょう、って言われてたからね」
空を見上げた須野原は、それがさも当たり前かのように樹の手を握り、自分のポケットの中に突っ込んだ。湿った生温かさに、ざわりと樹の肌が粟立つ。思わず振りほどきそうになったのを堪える。
(まただ。なんでだろう……)
須野原のことを見るのは好きだ。話すのも楽しい……と思う。よく行く場所や子供の頃の話だって、もっと知りたい。彼のことを考えるだけで心が振り回されて、だからきっと、好きなのだと思う。
だが、触れ合うことだけはどうしても嫌悪感があった。本能が「違う」とでも言っているように、樹の体が拒否しているように感じられるのだ。
普通は、好きな人と触れ合えたらドキドキしたり、嬉しくなったりするものではないのだろうか。ならば、これは一体どういうことなんだろう。
何か大切なものを見落としているのに、それが何なのか分からない——そんな気がした。
「どしたの? ぼーっとして」
「あ、え、なんでもない」
須野原に手を引かれて歩いているうちに、樹はいつの間にか駅の近くに来ていた。確か淳哉がバイトしている塾も駅近くだったよな、と思い出して俯く。須野原の手を振り払うのは怖かったが、淳哉に今の状況を見られるのもなんだか後ろめたさのようなものがあった。須野原のことを本当に信頼できるか考えろ、と淳哉に言われたときにあんなに反発したのに、今は樹自身もこのまま須野原について行っていいのか迷い始めていた。それ見たことか、と淳哉に呆れられそうな気がしたのだ。
須野原からの視線を感じるが、顔を上げられない。駅を超えてあたりの人通りが少なくなっていうのが分かる。見覚えのある角まで来たとき、須野原の部屋に行く気なのだ、と樹は察した。
「ねえ、樹……仲直り、しよっか」
「え」
耳を舐めるように囁かれ、樹は弾かれたように須野原を見上げた。その表情はいつもの柔らかいものだったが——目だけが、妖しくギラリと光っていた。
「誤解も解けたし、お互いのこともっとよく知りたいな、って……いい機会だと思うし、そろそろいいんじゃない?」
握っていた手を引っ張られ、須野原の方にたたらを踏む。あ、と思った瞬間には須野原の腕が腰に回されていた。
嫌な緊張感が樹の全身に走った。逃げたい、放して。そう思うもののの体が石になってしまったように動かない。するするとコート越しに樹を撫でる指先に怖気が走り、苦い煙草の匂いと甘い香水の匂いが、鼻の奥でひどくべたついた。
「それとも、俺のこと嫌いになっちゃった?」
「そうでは、ないですけど」
よかった、嬉しいと囁いてくる吐息は甘く優しいはずなのに、なぜか耳を塞ぎたくなる。
「そうだ、樹。試験終わったらどこか一緒に出掛けようよ。遊園地リベンジしてもいいし、春休みになるから旅行でもいいし。行きたいところある?」
「行きたいところ……かあ」
どこがいいだろう、と考える前に、遊園地の日の記憶が樹の頭の中に蘇った。ワクワクしながら選んだチョコレート。気分が昂って何度もメッセージを確認した前夜。晴れていた空、ニコニコしながら早足で歩く来園者、かじかんだ指先、寒かった帰りの電車、それから。
ことり、と樹はスプーンを置いた。
「……樹?」
「あの、先輩」
不思議そうな顔をする、テーブルの向こう側の須野原を樹は見やった。焦げ茶色の瞳は、その奥が見えない。
「あの日……先輩の電話に出たの、誰ですか」
「え? ん?」
「僕が先輩に電話した時、誰か女の人が出たじゃないですか」
「あー、あれ? 妹」
あっさりと答えた須野原は、卵の殻でも噛んだような顔をした。
「近くの女子大通ってるんだけどさ、『お金がもったいない』『ルームメイトと喧嘩した』とかいってしょっちゅう泊りにきてご飯たかってくんの。正直迷惑してるんだよねー」
「そうなんだ……?」
嘘をついているようには見えなかった。だが、樹が他人の嘘を見破れたことはない。信じていいものだろうか。考えあぐねていると、樹の表情に気づいた須野原は「あ」と合点のいった表情になった。
「もしかして、俺の彼女なんじゃないか……とか、そういう心配してた?」
「いや、ええと、まあ……」
図星である。ただ、それを認めてしまうと「彼氏でもないのに気持ち悪い」と思われそうで口ごもる。
「えーないない。もっと早く聞いてくれればよかったのに。あんな貞子と付き合うわけないじゃん」
「そっか……」
どうやら樹の杞憂だったらしい。それでも何となく釈然としないまま残りのカレーを掻きこむように食べ、最後のラッシーで口直しする。デザートの杏仁豆腐まで堪能して、須野原と店を出た。
「わっ寒っ」
扉を開けた瞬間、ぶるりと樹は体を震わせた。カレーのせいで体中にかいていた汗が急激に冷えていくのが分かる。
「今日の夜は雪がちらつくでしょう、って言われてたからね」
空を見上げた須野原は、それがさも当たり前かのように樹の手を握り、自分のポケットの中に突っ込んだ。湿った生温かさに、ざわりと樹の肌が粟立つ。思わず振りほどきそうになったのを堪える。
(まただ。なんでだろう……)
須野原のことを見るのは好きだ。話すのも楽しい……と思う。よく行く場所や子供の頃の話だって、もっと知りたい。彼のことを考えるだけで心が振り回されて、だからきっと、好きなのだと思う。
だが、触れ合うことだけはどうしても嫌悪感があった。本能が「違う」とでも言っているように、樹の体が拒否しているように感じられるのだ。
普通は、好きな人と触れ合えたらドキドキしたり、嬉しくなったりするものではないのだろうか。ならば、これは一体どういうことなんだろう。
何か大切なものを見落としているのに、それが何なのか分からない——そんな気がした。
「どしたの? ぼーっとして」
「あ、え、なんでもない」
須野原に手を引かれて歩いているうちに、樹はいつの間にか駅の近くに来ていた。確か淳哉がバイトしている塾も駅近くだったよな、と思い出して俯く。須野原の手を振り払うのは怖かったが、淳哉に今の状況を見られるのもなんだか後ろめたさのようなものがあった。須野原のことを本当に信頼できるか考えろ、と淳哉に言われたときにあんなに反発したのに、今は樹自身もこのまま須野原について行っていいのか迷い始めていた。それ見たことか、と淳哉に呆れられそうな気がしたのだ。
須野原からの視線を感じるが、顔を上げられない。駅を超えてあたりの人通りが少なくなっていうのが分かる。見覚えのある角まで来たとき、須野原の部屋に行く気なのだ、と樹は察した。
「ねえ、樹……仲直り、しよっか」
「え」
耳を舐めるように囁かれ、樹は弾かれたように須野原を見上げた。その表情はいつもの柔らかいものだったが——目だけが、妖しくギラリと光っていた。
「誤解も解けたし、お互いのこともっとよく知りたいな、って……いい機会だと思うし、そろそろいいんじゃない?」
握っていた手を引っ張られ、須野原の方にたたらを踏む。あ、と思った瞬間には須野原の腕が腰に回されていた。
嫌な緊張感が樹の全身に走った。逃げたい、放して。そう思うもののの体が石になってしまったように動かない。するするとコート越しに樹を撫でる指先に怖気が走り、苦い煙草の匂いと甘い香水の匂いが、鼻の奥でひどくべたついた。
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