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「あ、あの……先輩の、妹さんって……どんな見た目、ですか」
指一本どころか、視線すら動かせなくなった樹は、それだけを何とか絞り出した。妹? と須野原が不思議そうな顔になる。
「どうって……長い黒髪で、呪いの日本人形みたいな感じだよ。中身は猿山のボス猿だけど。ええと……」
怪訝そうな顔のまま、樹の腰に回したのとは逆の手でスマホを出し、写真フォルダを開ける。
「あ、ほら。これこれ」
そこに写っていたのは、須野原の言う通り長くまっすぐな黒髪をした、和風な顔立ちの美女だった。妹というだけあって目や口元のパーツが似ており、須野原と並んでいても背が高いのが分かる。
「嫌なことにね、結構似てるって言われるんだよ。まあ兄妹だから仕方ないとは思う——」
「あの」
その見た目は、樹が以前須野原と共にいるところを目撃した女性と異なっていた。渋谷と学内で見かけた彼女は、年齢こそ同じくらいだろうが、明るく染めたショートカットだったし、見た目も「美人」ではなく「かわいい」タイプだった。背丈だって小柄で、須野原の肩くらいまでしかなかったはずだ。
「茶髪の、ショートカットの人は……じゃあ、誰なんですか」
「えっ」
須野原の目が泳いだ。腕の力が弱まり、樹はその体を突き飛ばすようにして距離を取った。
「すごく、仲良さそうでしたけど」
「いや……え、待って」
須野原の靴が一歩動いた分、樹も後ずさる。
「た、ただの友達だよ! 妹経由の……誤解だってば!」
「でも……」
「話せばわかるって!」
樹が下を向いていると、伸びてきた須野原の腕に左手首を掴まれた。反射的に腕を引きそうになるが、予想以上に力が強くびくともしない。
「は……離して、ください」
「……ここじゃ寒いよ。雪も降ってきちゃうから」
樹は意を決して、ゆっくりと須野原の顔まで視線を上げた。とろりと優しげな眼に、困ったような、樹を心配するような、少し下がった眉毛。だが、いつもの余裕がそこにはない気がした。
須野原の言葉を信じたい気持ちはあった。何か証拠があるわけでもない。だが、さっきの妹の時とは反応が違う。なんとなく、としか言えないような違和感。
(ど、どうしよう……)
きちんと話しあってから判断する、というのが一般的な「正しい」考えだ、とは思う。このままでは樹の一方的な言いがかりと決めつけでしかない。だが、もし須野原の話を聞いたとしたら、きっとそれが本当であれ嘘であれ「ああ、そうなんだ」と樹は納得してしまうだろう。
「ご、ごめんなさい、離して……!」
もう一度同じ言葉を繰り返す。自分でも滑稽なほど声が震えていた。これは間違っている。しかしこの心の声を無視してはいけない——なぜだかそんな確信があった。
「待ってよ、不安にさせたのは悪かったけど……誤解だってば、彼女とかじゃないから」
「……あの、すいません。僕……もう帰ります、から」
「だから待ってって、話聞いてよ」
「離して、って言ってますよね」
不意に聞こえてきた低い声と共に、樹の手首を握っていた須野原の腕が叩き落とされた。同時に、ロングコートを着た影が樹の前に割り込んでくる。
「ジュン?」
横目でちらりと樹を見た淳哉は、ふう、と白い息を吐きながらバツが悪そうに一瞬だけ雑居ビルの壁を見た。すぐに須野原に視線を戻す。
「先輩、彼女じゃない人と頻繁にデートしたり、ホテル行ったりするタイプなんですかね。別にそれはそれでいいですけど、向こうはそう思ってないみたいですよ? あと、自店の嬢に手出すのは御法度じゃないんですか」
「え、いきなりなに……痛いんだけど。今きみ関係ないでしょ」
突然出てきた淳哉に呆気にとられた表情をしたものの、須野原はすぐに苦笑の形に顔を歪め、叩き落とされた手を振った。目が笑っていない。
「……っていうかなにそれ。なんの話?」
もう一度白い息を大きく吐いた淳哉は、ポケットからスマホを取り出した。樹に背を向けたまま、画面を須野原に向けて何度かスワイプさせる。何を見せたのか樹からは見えなかったが、「うわ」と画面の光に照らされた須野原が目を細めた。
「盗撮じゃん。きもちわる。警察行くよ?」
「どうぞ、ご自由に。……自分であることは認めるわけですね」
あ、と須野原が小さく口を開けた。「しまった」と顔に書いてある。
「え、なに、どういう……」
「行こう、イツキ」
何を見せているのか。そもそもここに何で淳哉が出てくるのか。状況が飲みこめずに樹がぽかんと淳哉と須野原を交互に見つめていると、淳哉がひらりと樹を振り返った。腕を掴まれて引っ張られる。
「え……えっ?」
「樹!」
引きずられるように歩きながら、樹は後ろを振り返った。燃えるような目をした須野原が小さくなり、やがて建物の陰に隠れて見えなくなる。
「あの、ジュン、なんで……」
「……バイト帰り」
足早に歩く淳哉は、そう小さく答えて横断歩道で立ち止まった。なるほど言われてみればコートの下はスーツのようである。
「……さっき、先輩に何見せてたの」
淳哉は答えなかった。横断歩道が青になり、ピヨピヨとひよこの声が鳴る中を渡る。
「あの、ジュン……」
「……あいつが、他の女とデートしたり……、してる写真。見たいなら見せるけど」
「いや……いい」
答えながら、樹の中には今あった出来事が時間差でようやくしみ込んできていた。じわじわと、水を吸う紙のように胸の中が冷たくなっていく。
(先輩、他に本命の彼女がいたんだ)
見た目もよくて魅力的なんだし、考えてみれば恋人がいてもおかしくない。確認しなかった樹にも落ち度はあるかもしれないが、須野原の方だって樹を誘っていたくせにそんなことは一言も言わなかった。
(僕はただ——遊ばれていただけだったのか)
そこまで思いが及んだ時、樹の目からぼろりと熱いものが落ちていった。
「い、イツキ?」
「ごめん、なんか……あれ、どうしよ、止まんない……」
往来で泣くなんてみっともないし、淳哉だって恥ずかしいだろう。そう思って目に力を入れるものの溢れ出てくるものが押さえられない。両手で顔を覆うと、その上から淳哉にハンカチを押し付けられた。
「あ、ありがとう……」
ありがたく受け取り、顔を拭く。目を上げると、滲んだ視界の向こうに不器用に微笑む淳哉が見えた。
指一本どころか、視線すら動かせなくなった樹は、それだけを何とか絞り出した。妹? と須野原が不思議そうな顔になる。
「どうって……長い黒髪で、呪いの日本人形みたいな感じだよ。中身は猿山のボス猿だけど。ええと……」
怪訝そうな顔のまま、樹の腰に回したのとは逆の手でスマホを出し、写真フォルダを開ける。
「あ、ほら。これこれ」
そこに写っていたのは、須野原の言う通り長くまっすぐな黒髪をした、和風な顔立ちの美女だった。妹というだけあって目や口元のパーツが似ており、須野原と並んでいても背が高いのが分かる。
「嫌なことにね、結構似てるって言われるんだよ。まあ兄妹だから仕方ないとは思う——」
「あの」
その見た目は、樹が以前須野原と共にいるところを目撃した女性と異なっていた。渋谷と学内で見かけた彼女は、年齢こそ同じくらいだろうが、明るく染めたショートカットだったし、見た目も「美人」ではなく「かわいい」タイプだった。背丈だって小柄で、須野原の肩くらいまでしかなかったはずだ。
「茶髪の、ショートカットの人は……じゃあ、誰なんですか」
「えっ」
須野原の目が泳いだ。腕の力が弱まり、樹はその体を突き飛ばすようにして距離を取った。
「すごく、仲良さそうでしたけど」
「いや……え、待って」
須野原の靴が一歩動いた分、樹も後ずさる。
「た、ただの友達だよ! 妹経由の……誤解だってば!」
「でも……」
「話せばわかるって!」
樹が下を向いていると、伸びてきた須野原の腕に左手首を掴まれた。反射的に腕を引きそうになるが、予想以上に力が強くびくともしない。
「は……離して、ください」
「……ここじゃ寒いよ。雪も降ってきちゃうから」
樹は意を決して、ゆっくりと須野原の顔まで視線を上げた。とろりと優しげな眼に、困ったような、樹を心配するような、少し下がった眉毛。だが、いつもの余裕がそこにはない気がした。
須野原の言葉を信じたい気持ちはあった。何か証拠があるわけでもない。だが、さっきの妹の時とは反応が違う。なんとなく、としか言えないような違和感。
(ど、どうしよう……)
きちんと話しあってから判断する、というのが一般的な「正しい」考えだ、とは思う。このままでは樹の一方的な言いがかりと決めつけでしかない。だが、もし須野原の話を聞いたとしたら、きっとそれが本当であれ嘘であれ「ああ、そうなんだ」と樹は納得してしまうだろう。
「ご、ごめんなさい、離して……!」
もう一度同じ言葉を繰り返す。自分でも滑稽なほど声が震えていた。これは間違っている。しかしこの心の声を無視してはいけない——なぜだかそんな確信があった。
「待ってよ、不安にさせたのは悪かったけど……誤解だってば、彼女とかじゃないから」
「……あの、すいません。僕……もう帰ります、から」
「だから待ってって、話聞いてよ」
「離して、って言ってますよね」
不意に聞こえてきた低い声と共に、樹の手首を握っていた須野原の腕が叩き落とされた。同時に、ロングコートを着た影が樹の前に割り込んでくる。
「ジュン?」
横目でちらりと樹を見た淳哉は、ふう、と白い息を吐きながらバツが悪そうに一瞬だけ雑居ビルの壁を見た。すぐに須野原に視線を戻す。
「先輩、彼女じゃない人と頻繁にデートしたり、ホテル行ったりするタイプなんですかね。別にそれはそれでいいですけど、向こうはそう思ってないみたいですよ? あと、自店の嬢に手出すのは御法度じゃないんですか」
「え、いきなりなに……痛いんだけど。今きみ関係ないでしょ」
突然出てきた淳哉に呆気にとられた表情をしたものの、須野原はすぐに苦笑の形に顔を歪め、叩き落とされた手を振った。目が笑っていない。
「……っていうかなにそれ。なんの話?」
もう一度白い息を大きく吐いた淳哉は、ポケットからスマホを取り出した。樹に背を向けたまま、画面を須野原に向けて何度かスワイプさせる。何を見せたのか樹からは見えなかったが、「うわ」と画面の光に照らされた須野原が目を細めた。
「盗撮じゃん。きもちわる。警察行くよ?」
「どうぞ、ご自由に。……自分であることは認めるわけですね」
あ、と須野原が小さく口を開けた。「しまった」と顔に書いてある。
「え、なに、どういう……」
「行こう、イツキ」
何を見せているのか。そもそもここに何で淳哉が出てくるのか。状況が飲みこめずに樹がぽかんと淳哉と須野原を交互に見つめていると、淳哉がひらりと樹を振り返った。腕を掴まれて引っ張られる。
「え……えっ?」
「樹!」
引きずられるように歩きながら、樹は後ろを振り返った。燃えるような目をした須野原が小さくなり、やがて建物の陰に隠れて見えなくなる。
「あの、ジュン、なんで……」
「……バイト帰り」
足早に歩く淳哉は、そう小さく答えて横断歩道で立ち止まった。なるほど言われてみればコートの下はスーツのようである。
「……さっき、先輩に何見せてたの」
淳哉は答えなかった。横断歩道が青になり、ピヨピヨとひよこの声が鳴る中を渡る。
「あの、ジュン……」
「……あいつが、他の女とデートしたり……、してる写真。見たいなら見せるけど」
「いや……いい」
答えながら、樹の中には今あった出来事が時間差でようやくしみ込んできていた。じわじわと、水を吸う紙のように胸の中が冷たくなっていく。
(先輩、他に本命の彼女がいたんだ)
見た目もよくて魅力的なんだし、考えてみれば恋人がいてもおかしくない。確認しなかった樹にも落ち度はあるかもしれないが、須野原の方だって樹を誘っていたくせにそんなことは一言も言わなかった。
(僕はただ——遊ばれていただけだったのか)
そこまで思いが及んだ時、樹の目からぼろりと熱いものが落ちていった。
「い、イツキ?」
「ごめん、なんか……あれ、どうしよ、止まんない……」
往来で泣くなんてみっともないし、淳哉だって恥ずかしいだろう。そう思って目に力を入れるものの溢れ出てくるものが押さえられない。両手で顔を覆うと、その上から淳哉にハンカチを押し付けられた。
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