そばにいる人、いたい人

二ッ木ヨウカ

文字の大きさ
24 / 31

24

しおりを挟む
 樹を部屋まで送り届けた淳哉は、キッチンの下から小さなやかんを取り出した。水を入れて火にかける。

「コーヒーでいいか?」
「あ、うん」

 答えると、淳哉は棚にあったインスタントコーヒーの蓋を開けた。小さなペットボトルのコーヒーをしょっちゅう買う樹に憤慨した淳哉が、勝手に置いていったものだ。

「ほら」

 手渡されたコーヒーは、すっかりぬるくなった、樹にとってはちょうどいい温かさになっている。ひとしきり泣いた後の体にたっぷりと砂糖が入った温かさが体中に広がっていくのを感じ、樹は自室のベッドに寄りかかった体を伸ばした。ぐず、と鼻をすすり、最後の雫を淳哉のハンカチで拭う。だが絞れそうなほどに濡れたハンカチはただしょっぱい水を樹の顔に塗り広げただけに終わった。

「……これ、洗って返すね」
「別にいいけど」

 そんなゴミは捨ててしまえ、とでも言いたげな調子の淳哉が、自分の分のコーヒーを持って樹の隣に座った。気にしないで、と伝えればいいだけなのにそういう態度をとるから怖いとか冷たいとか勘違いされるんだ、と樹はおかしくなった。

「それにしても、いきなりハンカチ出てきてびっくりしたよ」
「普通は持ってるもんだ」
「こういう時のために?」
「まあ、そうだな」

 コーヒーを啜る淳哉のメガネが白く曇る。眼鏡がまた透明になるまでその横顔を見てから、樹は自分の横にある淳哉の左手に触れた。樹に比べて大きく骨ばっていて、武骨な印象の手。
 そっと指先を撫で、それから手を重ねる。
 ぽかぽかとした淳哉の体温に、これでよかったのだ、と心が落ち着いていく。

(ああ、そうか……そういうことか)

 ぽっかりと心に穴が開いたような、自分の一部がもぎ取られてしまったような気がしたが、それが却って清々しい。

「今日は……よく流されずに頑張ったな。怖かったろ」

 うん、と頷いて空になったコップを横に置き、淳哉の肩に頭を乗せる。同じくコップを置いた淳哉の手が、樹の頭に軽くのせられた。

「ジュンが『よく考えろ』って言ってくれたからだよ」
「そんなこと言ったかな」 
「うん、言ってた……ずっと、言ってくれてたよ」

 言われたことを鵜呑みにするのではなく自分で考えて決めろ、違和感があったらそれを無視するな、と。ずっと昔からそう伝えてくれていた。

「最初から、なんとなくおかしい気はしてたんだよね。今にして思うと、虫の知らせって奴かな」
「そうかもな」

 今までの樹は、変だと思うことがあっても「おかしいのは自分の方だろう」と思い込んでそのままにしていた。今回それに向き合えたのは、自分でもようやく、この感覚は間違っていないのではないかと思えたからだった。

「……僕のこと、ジュンが今までどれだけ大事にしてくれたかも……よく分かった」

 すぐ横にある淳哉の顔を見上げる。錆色の瞳の中に、泣いてボロボロになった顔の樹が映っていた。
 胸が苦しいのに、それがどうしようもなく心地よくて、体が高揚感に包まれていく。隣にいることが、触れ合っていることが嬉しい。須野原には感じたことのない気持ちだった。

「ジュン、ありがとう」

 目を閉じて、すぐ近くにある淳哉の顔に唇を寄せる。淳哉にこの感情を伝えたい一心からの行動だった。

「……落ち着け、イツキ」

 だが、樹の唇に触れたのは想像よりも固く、冷たい感触だった。硬質な声に目を開くと、樹の唇を淳哉の指先が押さえていた。

「……?」

 淳哉の指を見てから、また顔に視線を戻す。なぜか、淳哉は苦しそうな、泣き出しそうな表情をしていた。喉から手が出るほど欲しいものが目の前にあるのに、自分にはそれを手に入れる資格がないのだ、というような。

「今は……ちょっと、興奮してるんだろ。少し頭冷やせよ」

 逃げるように立ちあがる。そのままどこかに行ってしまうのではないかと不安になった樹が後を追うと、洗面所の奥、風呂場へと入っていく。

「……ジュン?」

 手早く、彼にしては雑に風呂掃除を終えた淳哉は温水のカランを捻った。どどどと小さな滝のような音を立ててお湯が溜まっていく。

「ほら、風呂洗ったからたまったら入りな」

 淳哉は樹の肩を小さく叩くとその横をすり抜けて室内に戻り、コートを羽織った。

「……じゃ、俺、もう帰るから」
「え、ちょっと待ってよ! ジュン!」

 突然の暇乞いに驚いて樹は叫んだ。

「今日はもう遅いし、泊まっていったらいいじゃん! 雪だって降って来てるんだし、無理して帰ることないって」

 まさか今晩、淳哉が帰ってしまうなんて想像してもいなかった。樹の家に来たとき淳哉は泊まることが多かったし、過保護気味な淳哉のことだ、「心配だから一緒に寝る」くらい言ってくると思い込んでいたのだ。

「今日は、ジュンにいてほしいんだけど……ダメなの?」
「……ごめんな」

 なんで。どうして。聞きたい気持ちはあったが、どこか痛いところでもあるかのように顔を歪める淳哉に、それ以上樹は聞けなかった。

「じゃ、じゃあせめてほら、駅まで送らせてよ! ね! で、電車止まってたりしたら戻ってこよう?」
「ちらちらとしか降ってないし、心配することないって。それよりほら、そんなことしてるとせっかくためた風呂が冷めちゃうだろ」

 淳哉は口角を上げたが、笑顔を作れているとはいいがたい。それ以上淳哉を引き留める方策が思いつかなくて立ち尽くす樹に、革靴を履いた淳哉は軽く手を挙げた。

「じゃ。イツキ、また学校で」
「う、うん……またね」

 アパートの階段を降りる音が遠ざかっていくと、樹はベランダに出た。灰のような雪が微かにちらつく中、黒いコートを着た人影が道を歩いていくのを見下ろす。
 やましいことでもあるかのように歩く淳哉が闇に溶けて見えなくなるまで、樹はじっとその背中を見送った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

経理部の美人チーフは、イケメン新人営業に口説かれています――「凛さん、俺だけに甘くないですか?」年下の猛攻にツンデレ先輩が陥落寸前!

中岡 始
BL
社内一の“整いすぎた男”、阿波座凛(あわざりん)は経理部のチーフ。 無表情・無駄のない所作・隙のない資料―― 完璧主義で知られる凛に、誰もが一歩距離を置いている。 けれど、新卒営業の谷町光だけは違った。 イケメン・人懐こい・書類はギリギリ不備、でも笑顔は無敵。 毎日のように経費精算の修正を理由に現れる彼は、 凛にだけ距離感がおかしい――そしてやたら甘い。 「また会えて嬉しいです。…書類ミスった甲斐ありました」 戸惑う凛をよそに、光の“攻略”は着実に進行中。 けれど凛は、自分だけに見せる光の視線に、 どこか“計算”を感じ始めていて……? 狙って懐くイケメン新人営業×こじらせツンデレ美人経理チーフ 業務上のやりとりから始まる、じわじわ甘くてときどき切ない“再計算不能”なオフィスラブ!

【完結・BL】春樹の隣は、この先もずっと俺が良い【幼馴染】

彩華
BL
俺の名前は綾瀬葵。 高校デビューをすることもなく入学したと思えば、あっという間に高校最後の年になった。周囲にはカップル成立していく中、俺は変わらず彼女はいない。いわく、DTのまま。それにも理由がある。俺は、幼馴染の春樹が好きだから。だが同性相手に「好きだ」なんて言えるはずもなく、かといって気持ちを諦めることも出来ずにダラダラと片思いを続けること早数年なわけで……。 (これが最後のチャンスかもしれない) 流石に高校最後の年。進路によっては、もう春樹と一緒にいられる時間が少ないと思うと焦りが出る。だが、かといって長年幼馴染という一番近い距離でいた関係を壊したいかと問われれば、それは……と踏み込めない俺もいるわけで。 (できれば、春樹に彼女が出来ませんように) そんなことを、ずっと思ってしまう俺だが……────。 ********* 久しぶりに始めてみました お気軽にコメント頂けると嬉しいです ■表紙お借りしました

《完結》僕が天使になるまで

MITARASI_
BL
命が尽きると知った遥は、恋人・翔太には秘密を抱えたまま「別れ」を選ぶ。 それは翔太の未来を守るため――。 料理のレシピ、小さなメモ、親友に託した願い。 遥が残した“天使の贈り物”の数々は、翔太の心を深く揺さぶり、やがて彼を未来へと導いていく。 涙と希望が交差する、切なくも温かい愛の物語。

【完】君に届かない声

未希かずは(Miki)
BL
 内気で友達の少ない高校生・花森眞琴は、優しくて完璧な幼なじみの長谷川匠海に密かな恋心を抱いていた。  ある日、匠海が誰かを「そばで守りたい」と話すのを耳にした眞琴。匠海の幸せのために身を引こうと、クラスの人気者・和馬に偽の恋人役を頼むが…。 すれ違う高校生二人の不器用な恋のお話です。 執着囲い込み☓健気。ハピエンです。

あの頃の僕らは、

のあ
BL
親友から逃げるように上京した健人は、幼馴染と親友が結婚したことを知り、大学時代の歪な関係に向き合う決意をするー。

寡黙な剣道部の幼馴染

Gemini
BL
【完結】恩師の訃報に八年ぶりに帰郷した智(さとし)は幼馴染の有馬(ありま)と再会する。相変わらず寡黙て静かな有馬が智の勤める大学の学生だと知り、だんだんとその距離は縮まっていき……

【完結】君を上手に振る方法

社菘
BL
「んー、じゃあ俺と付き合う?」 「………はいっ?」 ひょんなことから、入学して早々距離感バグな見知らぬ先輩にそう言われた。 スクールカーストの上位というより、もはや王座にいるような学園のアイドルは『告白を断る理由が面倒だから、付き合っている人がほしい』のだそう。 お互いに利害が一致していたので、付き合ってみたのだが―― 「……だめだ。僕、先輩のことを本気で……」 偽物の恋人から始まった不思議な関係。 デートはしたことないのに、キスだけが上手くなる。 この関係って、一体なに? 「……宇佐美くん。俺のこと、上手に振ってね」 年下うさぎ顔純粋男子(高1)×精神的優位美人男子(高3)の甘酸っぱくじれったい、少しだけ切ない恋の話。 ✧毎日2回更新中!ボーナスタイムに更新予定✧ ✧お気に入り登録・各話♡・エール📣作者大歓喜します✧

恋文より、先にレポートが届いた~監視対象と監視官、感情に名前をつけるまで

中岡 始
BL
政府による極秘監視プロジェクト──その対象は、元・天才ハッカーで現在は無職&生活能力ゼロの和泉義人(32歳・超絶美形)。 かつて国の防衛システムに“うっかり”侵入してしまった過去を持つ彼は、現在、監視付きの同居生活を送ることに。 監視官として派遣されたのは、真面目で融通のきかないエリート捜査官・大宮陸斗(28歳)。 だが任務初日から、冷蔵庫にタマゴはない、洗濯は丸一週間回されない、寝ながらコードを落書き…と、和泉のダメ人間っぷりが炸裂。 「この部屋の秩序、いつ崩壊したんですか」 「うまく立ち上げられんかっただけや、たぶん」 生活を“管理”するはずが、いつの間にか“世話”してるし… しかもレポートは、だんだん恋文っぽくなっていくし…? 冷静な大宮の表情が、気づけば少しずつ揺らぎはじめる。 そして和泉もまた、自分のために用意された朝ごはんや、一緒に過ごすことが当たり前になった日常…心の中のコードが、少しずつ書き換えられていく。 ──これは「監視」から始まった、ふたりの“生活の記録”。 堅物世話焼き×ツンデレ変人、心がじわじわ溶けていく、静かで可笑しな同居BL。

処理中です...