マルコシウスと滋ヶ崎

にっきょ

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マルコシウス、桃の木を折る

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 滋ヶ崎康弘は、何でも屋を生業としている。

 だから、秋風が吹き始めたその日、築60年の古民家である自宅の上空に怪しげな穴が開いたとて滋ヶ崎はちっとも驚きはしなかった。何でも屋という職業柄異界から来たものの対応に呼ばれることも多いし、もともとこの雨底村はそういう「穴」が開きやすいのだ。仰向けに縁側に転がりながら、またか、という気持ちで眺めていると、その向こうから落ちてきたものが桃の木のてっぺんに引っかかった。

(天使か?)

 白くてひらひらした姿を見た滋ヶ崎は何となくそう思った。異界からくるものは悪魔や竜、よくわからないぬめぬめしたものなどが多く、天使は見たことがない。だが、悪魔がいるのだから天使がいたっておかしくないだろう。
 滋ヶ崎がぼうっと眺めていると、桃の木の先っぽに引っかかった人影はなにやら叫びはじめた。降りられないのだろうか。

(天使なんだから飛べばいいのに)

 滋ヶ崎の家にはそんなに大きな梯子も脚立もない。何より起き上がってよくわからないものを助けに行くのなんて面倒だった。触らぬ神に祟りなし。

「Βοήθεια! Βοηθήστε με, σας παρακαλώ!」
(なんか言ってる……)

 滋ヶ崎がぼうっと眺めていると、わたわたとどんくさい動きで木を降り始めた天使? は、そのままつるりと足を滑らせて宙づりになった。

「Ουάου!」

 慌てたのか人形生物はバタバタと暴れ、その揺れで大きく桃の木がしなった。みしみしみし、と枝の根元から嫌な音が聞こえてくる。

「あっおいバカッ!」

 滋ヶ崎が叫んだ瞬間、桃の木がべきりと折れた。引っ掛かっていた白い人影ごと、どさりと地面に落ちる。

(あーあ)

 さすがにかわいそうになってきた滋ヶ崎が体を起こし、スリッパをひっかけて庭に降りると、ちょうど落下してきた生き物の方も起き上がるところだった。どうやら天使のように羽があるわけではなく、ただ白くひらひらした服を着ているだけのようだ。

「おーい、お前どっから来たんよ」

 異世界からくるものがみな友好的とは限らない。距離を取りながら様子を伺う。
(腕の数は2本、足も2本。人間……かな? さっき木から降りるときの動きからして、素手でも負ける気はしないけど)

 ブルーグレーの目に、ふわふわとした金髪。顔立ちは整っているが、この近さで見ると天使と言うにはちょっと年を取りすぎている気がする。
 よろよろと立ち上がった人影は、ブルーグレーの目を細め、自分と一緒に落ちてきた桃の枝先を折り取った。体の前で構える。

「お? なんだ? やろうってのか異世界野郎」

 滋ヶ崎も構えると、相手は何事か叫んで桃の枝を振った。だが、何も起こらない。

「あ!? なんだ!? こけおどしかテメー」
「翻訳魔法ですよ。そんなことも知らないのですか? これだからバルバロイは」

 目の前から聞こえてきた声は、流暢な日本語になっていた。

「バル……」
「やれやれ、これはとんだ未開の地に来てしまったようですね」

 ぷっくりとした肉感的な唇の動きは、確かに聞こえてくる声と合っていない。ふう、と桃の枝を持ったまま腕を組んだ男は、品定めでもするようにじろじろと上から下まで滋ヶ崎を睨みまわした。

「格好も変ですし、言葉も聞いたことありませんし……どこなんですかここは。説明なさいバルバロイ」
「滋ヶ崎康弘」
「はい?」
「バルバロイじゃねえ、滋ヶ崎康弘ってんだよ」

 滋ヶ崎がそう言うと、相手はあからさまに嫌そうな顔をした。

「康弘、これはいったい……」
「こっちが名乗ってんだからお前も名乗れや!」

 いきなり人の庭に落っこちてきたくせに大分態度がでかい。イラつきを隠さずに滋ヶ崎が怒鳴ると、びくりと白服の肩が震えた。怯えのようなさざなみが瞳の奥に走る。

「ああ……私はマルコシウス・ヴァグリキオスです」

 だがそれも一瞬のことで、すぐに見下すような表情に戻った男――マルコシウスは、そう言って冷笑的に微笑んだ。

(マルコ……何だって?)

 耳慣れない発音のせいで苗字が聞き取れなかったが、聞き返すのも癪なので滋ヶ崎はスルーすることにした。まあ呼び方が分かればいいだろう。

「で、ここはどこなんです? 何の用があって私を呼び出したんですか」
「ここは雨底村。テメーに用なんかねえ。ハイ以上」
「はあ? なんですかそれは……」

 マルコシウスが言いかけた瞬間、ぐうぅと音が聞こえた。滋ヶ崎の気のせいでなければそれは目の前の白服の男から聞こえてきていて、どうも腹の音のようだった。
 じっとマルコシウスの顔を見つめる。若干頬が赤くなっているようだ。

「……昼飯、食うか?」
「……し、仕方ありませんね、バルバロイにも施しという功徳を積ませる機会を与えてあげましょう」
「うるせえないちいち……」

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